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32 温泉

「えっ……! 温泉ですか……! ルーンさん、温泉に行ってたんですか?」


 入り浸りだったのに、このところ会わないな……と思って居て、久しぶりにロッソ公爵邸へとやって来たルーンさんと庭園でお茶をしていたら『暇だったから温泉に行っていた』と聞き、私はカップを置いて目を輝かせた。


 実は王都近くの避暑地に温泉があるとは聞いていたんだけど、私はまだ行ったことがなかった。


 行ったことのあるお母様やお姉様の話ではなんでも湧き出る温泉水が美容に良くて、とても肌に良いらしい……行ってみたい。


「そうそう。大した仕事もないし、俺は辞める気満々なのに、魔塔は契約期間があるってゴネるし……そこに居るからって押し付けられるのも癪だし、暇だから山にある温泉でくつろいでいた」


 改めてルーンさんを見ると、確かに可愛らしい顔の肌も艶々していて血色も良い。これまでになく、健康的に見える。


 彼は強過ぎる魔力のせいで年齢よりも幼くは見えるものの、落ち着いた沈着冷静な性格のため面倒事の折衝役を任されることが多いせいか、気怠そうに疲れを感じさせることがあった。


 けれど、今は纏う空気もなんだか軽やかに見える。


「すごく羨ましいです……私も温泉に入りたいです」


 これは本当に、羨ましい……お母様やお姉様も温泉に行ったことがあるのに、私が何故行った事がないかというと、私は夏には幼馴染みであるジャスティナと良くエリュトルン伯爵の領地に滞在していたからだ。


 だから、避暑地に長く滞在する家族とは日程を合わせることが難しく、私だけが行ったことがない。


「そう? フィオナが温泉に入りたいのなら、シリルにねだって、夫婦で行けば良いんじゃないの?」


 ルーンさんは目の前に置いてあったカップを持ち上げ、余裕ある仕草で微笑んだ。


「シリルは新しい仕事を始めたばかりで、慣れては来たけど、なんだか大変そうで……早くに帰る時はあるんですけど、あまり無理は言いたくないです。私も結婚式の準備もありますし」


 現在、シリルは軍幹部として働き始めてはいるけれど、まだ数ヶ月しか経っていない。指揮系統は上の幹部だけど、新人という複雑な立場で、私の我が儘で休みを取って欲しいとは言えるはずもない。


「ふーん……あいつもフィオナと結婚出来るまでずっと逃げ回っていたから、仕事に本気出すことにしたのかな」


 シリルが何から逃げ回っていたか、私たちの中では言わずもがなであったため、苦笑いするしかない。


「公爵位を与えられていますし、貴族としての義務は果たしたいと」


 周期的に現れる魔王を倒し、世界を救った勇者パーティには、通例としてそれぞれ貴族位と庶民には目が眩むような金額が与えられているという。


 それは、私たち国民にとっては当然な事だとは思う。彼らは命を掛けて危険な旅をして、私たちの命を救ってくれた英雄で間違えてはいないのだから。


「俺たちは世界を救ったんだから、その程度は当然の報酬だとは思うけどね……まあ、シリルは真面目だから」


 ルーンさんは肩を竦めて頷き、芝生が敷かれた庭へと目線を動かした。


「はい……本当に真面目で、優しいんです」


 シリルは勇者と聞いて誰もが想像するような人格者でとても優しくて思慮深く、私のことを誰よりも大事にしてくれる。


 だからこそ、しみじみとして思うのだ。


 本当に……シリルと結婚出来て良かったし、あの雨の夜に、彼に出会えて良かったって。


 ルーンさんはその時、暫し黙ったままで居たけれど、すっと立ち上がり、いきなり庭へ向かって呪文を詠唱し始めた。


 ちなみにルーンさんは歴代一位されるほど魔力が強く、ほとんどの魔法を無詠唱で使うことが出来る……らしい。


 けど、そんなルーンさんが詠唱を必要とするくらいに難しい魔法を使おうとしているのだろう。


 緑の芝生の上には紫の光で描かれた複雑な紋様の魔方陣が浮かび上がり、ぶわっと光が舞い上がったと思えば、そこには……。


「えっ……? 温泉……?」


 ロッソ邸の庭には、ほこほこと温かな白い湯気があがる温泉が出現していた。


「人妻を勝手に山奥の温泉に連れて行く訳にはいかないけど、これなら温泉入れるでしょ。人払いして衝立でも建てると良いんじゃない?」


「すっ……凄いです! ルーンさん……!」


 私は立ち上がり温泉へと近付いた。そっとお湯に触れると、本当にそこにある……幻でもなんでもなく、温泉がここにあるんだ。


「まーね。山にある温泉を空間切り取って、ここの庭と交換しただけ。明日くらいには直すよ。シリルに怒られそうだし」


 ルーンさんは元居た椅子に腰掛けて足を組むと、お茶を飲み直していた。


「こんな事が出来るなんて、本当に凄いです! ルーンさんは歴代で一番の魔法使いですもんね……!」


 野外で湯浴みというと心理的に抵抗があるけれど、ルーンさんが召喚した温泉自体はそう大きなものでもなく、使用人に頼んで大きな衝立で囲んでもらえば入浴出来そうだ。


「まあね。俺は魔法使いだからね」


「……おい。ルーン!」


「え。シリル?」


 私は仕事中のはずの夫シリルの声が聞こえたので、声がした方を振り向いた。なんとそこには、軍服姿のシリルが居た。


 明るい金髪は光を弾き、やたらと光り輝いて見えるのは私だけではないと思う。庶民出身だけど、王子様のような美々しい容姿を持つ勇者。


 それが、私の夫だ。


「なんだよ。シリル。俺はただフィオナの願いを聞いただけだけど?」


 つかつかと大股で近付いて来るシリルに動じることなく、ルーンさんは足を組み替えて微笑んでいた。


「……え。フィオナ。何。温泉に行きたかったの?」


 驚き顔の夫に迫られ、私は一歩後退った。


「え? ルーンさんが行っていたって聞いて、私も行きたいと思って……」


 どうしてシリルが、こんなにも差し迫るような態度なのかがわからず、私は戸惑った。


「俺に言えば、すぐに連れて行くのに……ルーン。それで、俺の邸に温泉を?」


「だから、俺は女主人のご希望を聞いてそれを叶えただけだって。なんだよ。シリル。一人前にやきもちでも妬いてんのか?」


 冷静に問いかけられたシリルは、眉を寄せて難しい表情になった。


「……ルーン、これはただ移動しただけではなく、空間だけ綺麗に切り取って交換したのか……相当魔力使っただろう」


 ほとんどの魔法が詠唱不要のルーンさんも呪文を唱えていたので、特別難しいとは思って居たけれど、その通りだったようだ。


 ……けれど、私にもわからない。温泉を庭に召喚してくれただけなのに、どうしてシリルがこんなにも警戒しているように見えるのか。


「それが、何なんだよ? 大型魔物と戦う訳でもない今は、俺の魔力だって無用の長物だ。何に使おうが俺の勝手だろう」


「……妻の願いを叶えてくれて、ありがとう。ルーン。俺はフィオナがしたいことを妨げるつもりはないが、目に余ると思ったら……お願いすることは考える」


「はいはい。どうとでもしろ」


 シリルが真顔でそう言ったので、ルーンさんは大きく息を吐いた。


「シリル……どうしたの? これは私が温泉に行ってみたいと言ったから……ごめんなさい」


 二人の間にあるピリピリとした緊張感を見て、私は不安になった。


「フィオナは何も悪くないよ……書類を取りに戻っただけだから、城に帰る」


 シリルはいつも通り明るく微笑んで、邸へと向かった。残された私とルーンさんは、流れで目を合わせた。


「なんだよ……変なやつ。庭に温泉置いただけで」


「仕事で、何かあったのかもしれませんね」


 シリルはいつもは、穏やかで優しい性格だ。訳もなくあんな風に大きな声を出したりしないと思うんだけど……。


「まあ、何かはあったかもね……多分」


 ルーンさんは温泉を見てから頷いたので、私も責任の重い仕事するとなると、苛々してしまうことも多いかもしれないと思い頷いた。




こちらの作品『「急募:俺と結婚してください」の手持ち看板を掲げ困っていた勇者様と結婚することになったら、誰よりも溺愛されることになりました。』が、竹書房様ストーリアダッシュにてコミカライズされることになりました!

漫画家の先生は決まっておりますが、また順次発表になります!

詳しくは活動報告にて。

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そりゃあ…、大好きな人が自分を頼らずに親友を頼りにしていたらやるせないよなぁ……。
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