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22 眠れない

「っ……フィオナ。どうしたの?」


 湯浴みを済ませた私が隣にあるシリルの部屋を訪ねれば、彼は扉を叩いたのが私だと思っていかなかったのか、驚いた様子だった。


 彼ももうすぐ寝ようと思っていたところだったのか、いつもは整えられていた髪が洗い立てで下ろされていた。いつもは隙が見えないのに、そういった姿を見ると幼く思えて可愛い。


「ごめんなさい……シリル。私、眠れなくて。眠るまで一緒に居ても良い?」


 本日色々とあった私は、一人でベッドの中に入っても興奮しているのかなかなか寝付けなかった。私の言葉を聞いて、彼は微笑んで頷いて中へ入るように示した。


「うん。良いよ。無理もないよ。今日は、色々あったもんね」


 実はこの時に私は初めて夫の部屋に入ったんだけど、驚くほどに物が少なくて驚いてしまった。私の部屋には結婚前からお気に入りの物や、家族の肖像画などが飾られている。


 奥の壁に一本の剣が立てかけられていて、あれが聖剣エンゾだとわかった。私をシリルにお勧めしてくれたらしい、とっても良い聖剣。


「……シリルの部屋って、何もないね」


 私は奥にあったソファへと腰掛けながら、隣に座った彼に部屋を見た素直な感想を言った。


「……あ。うん。そうだね。俺は元々冒険者だったから、ずっと旅続きだったし……物を増やすことに、どこか罪悪感があるんだ。けど、今は定住出来る邸を持っているし、色々と物を増やしていきたいな……」


 そう言いながら何気なく私の腰に手を掛けて来たので、シリルの大きな胸へと自然ともたれかかった。驚くほどに安心出来るその場所を知ってしまったら、もう手放せなくなってしまいそう。


 こうして結婚だってしていて、夫は私のことを好きだと確信していて、なぜか誰かに取られてしまわないかと不安になってしまうのだ。


 あまりにもシリルが、素敵な人だから。


「ねえ。シリル」


「……何? フィオナ」


 後ろから私の体を抱きしめていた彼は、いつの間にか洗い立ての私の髪の中に顔を埋めていたのか、くぐもった声で言った。


「なんで……キスも、してくれないの? 私たち、二回しかしてない」


 ぶふっと大きな息を頭に感じて、私は体の前にあった彼の大きな手を触った。


「おっ……俺だって、別にしたくないわけじゃないよ! まだ俺たち結婚式してないし、フィオナが妊娠したらいけないから、俺だって遠慮してたんだ……ドレスは、可愛いの着せてあげたいし」


「キスしても、妊娠しないわ。シリル」


 今まで理由あってご縁のなかった箱入りの令嬢だからと、何も知らないと思わないで欲しい。


 私だってしかるべき行為をしなければ、子どもが出来ないことは知っているのだ。


 拗ねた口調で言った私に、後ろに居たシリルは喉を鳴らしたようだった。


「そっ……そうだよね。うん。キスはしないんだけど……キスは確かに妊娠しないよ? その先の行為に、色々と問題がありまして……」


「それをしなければ、良いでしょう?」


 何を当たり前のことを言っているのだろうと私が後ろにある彼を見上げたら、シリルの顔は真っ赤だった。


 こういう何でもないようなことで彼の気持ちを実感出来るのは、幸せなことだ。


 力強い腕で横向きに抱え上げられて彼の顔が近づいて来たと思ったら、唇にあたたかなものが触れて、何回か触れてから呆気なく離れて行った。


「……俺だって、キスしたくない訳じゃないよ。フィオナ」


 ぎゅうっと私の体を抱きしめてそう言ったので、私はやっぱり彼の言いように不満だった。


「私はキスしたいわ。シリル」


「うん……ごめん。頭の中で理性の天使と欲望の悪魔が戦っているから、とりあえず話を変えよう」


「……どちらが、優勢なの?」


「悪魔が強くて、本当に困ってる……ねえ。フィオナ。君は街頭に立って困っている俺を助けてくれた。これまでは愛情表現が足りなかったかもしれないから、俺ももっとわかりやすく君を愛していることを表現するようにする」


 そう言って何度か髪にキスはしてくれるけど、キスをするだけなのにどうして天使と悪魔の話になるのかが、私にはわからない。


「ねえ。シリル。今日は、一緒に寝てほしい」


 私が甘えるようにそう言ったら、シリルは目を細めて不思議そうな顔になった。


「え。フィオナ……ごめん。願望が聞こえた、幻聴かな?」


「もう……幻聴ではないわ。今夜は一緒に寝て欲しいって、そう言ったの。今日は眠れそうもないから、一緒に居たいの」


 シリルははーっと大きく息をついて、何度か頷いた。


「……怖かったもんね。わかってる。わかってるよ。俺はフィオナを愛しているから、なんでも……なんでも、耐えられるよ……あ。ごめん。とりあえず、一回冷たい水を浴びて来て良い?」


「え……? どうして? シリルはさっき、お風呂に入ったところではないの?」


 彼の髪は見るからに洗われた後だし、湯上がりの様子だった。ここからまた、冷水を浴びなければならない理由ってあるの?


 シリルはなぜか、心底不思議に思った私の言葉にうるっとした目になった。


「……うん。ごめん。お願い……すぐに戻るから……本当にすぐ……」



◇◆◇



「どうして……あの時に、私はシリルが見えたのかな……視界の悪い雨の日だったのに、シリルだけはっきり見えた気がしたの」


「ん? ……俺が、看板持ってお嫁さん募集していた時?」


 邸の主人に相応しいほどの大きなベッドの中でシリルは私の体を抱きしめつつ、そう言った。


 先ほど冷水を浴びて戻ってきた彼は、かなり体が冷えていた様子だったけど、先にベッドに入っていた私を抱きしめてだいぶ温まって来た。


「いつもなら、絶対に気がついてなかったと思うんだけど……あの時は、馬車の中から、シリルの姿が見えて気になって……」


 安心出来る場所で眠りにつけると思えたせいか、うとうととしてきた私は目を閉じてそう言った。


 あの時のシリルはやけになった必死さで、逆に通行人の人たちに引かれて無視されていた。


 そこに偶然馬車で通りがかった私が彼の姿に目を留めて、落ち込んでいた気分を少しでも気を紛らわせたかった。


「フィオナは、俺と出会ってこうして結婚したことは、奇跡みたいな偶然が重なったと思っていると思うけど……俺は人の出会いって、全部そういうものだと思うよ」


「……どういうこと?」


「誰かとの出会いに、良いも悪いもないだろ? 世界にはこんなにも人が溢れているのに、そこで出会えた一人と結婚出来たのなら……それは、全部奇跡と言えると思う。だから、俺たちの出会いって、形的には珍しいかもしれないけど特に特別でもない。夜会で俺がフィオナを見かけて、一目惚れしてダンスに誘うのと同じってこと」


「何、言ってるの。シリルが私に、一目惚れなんて……しないよ」


 目を閉じてふふっと笑った私の体を、シリルは抱きしめた。


「するよ。別に俺もエンゾにフィオナは俺にピッタリだって言われただけで、好きになった訳じゃないし」


「うん。わかった。もう……眠い……明日の朝は……シリルの寝相悪いの、見れるの楽しみだな……」


 私は本当にもう眠くて……眠くて。自分が何を言っているのか、わからないくらいになっていた。


 本当に色々あって体も疲れていたし、今は夜で安心できる場所で、もう眠らない理由がわからないから……。


「うん……俺は眠れないけど……良く寝て……寝相は、また結婚式終わってから楽しんで……あれ? フィオナ……寝ちゃったのか」


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