02 理由
「……げ。嘘だろ」
彼が手持ち看板を持っていたバルコニーは小さな酒場の前だった。二人で店に入ると、可愛らしい童顔をした黒髪の男性が座っていて、私と手を繋いだ彼の顔を見て目を見張っていた。
「ルーン! 賭けは、俺の勝ちだ。どうだ。今夜中に、結婚相手が見つかったぞ!」
自慢げにそう言った彼は、どうするべきかと迷っていた私の椅子を引いて、長いドレスの裾を調節して座らせてくれてた。変人でもなんでもなく、気が利く人みたい。
そして、大きな円形テーブルに所狭しと並べられた料理を前に頬杖をついたルーンと呼ばれた人の前に腰掛け、意気揚々として微笑んだ。
ちなみに御者が濡れながら馬車で私の帰りを待っていると伝えれば、彼は私を後で送るからと彼を先に帰らせていた。
我が家に仕える護衛騎士一人だけは共に残ったのだけど、彼は今壁際に周囲を警戒しつつ待機している。
「うっはー……まじか。こうして目の前にしても、信じられない。あの……あんた。良いとこのお嬢さんみたいだけど、そんなに後先考えていなくて、人生大丈夫?」
結構な辛辣さで私の軽率具合について心配をしてくれたけど、そんなことはこちらだって重々理解していた。
「ははは。なんでもやってみるもんだなー……すごい苦労をして世界も救ったし、神様もたまには俺に微笑んでくれるんだなー」
「手持ち看板持って結婚相手を募集しろは、俺も酒の勢いの軽い冗談のつもりだったんだけどねー……まさか、こんなことになるとは……まじで、いろいろと責任感じるわ」
にこにこ機嫌良く微笑む彼と、難しい表情で頭を抱えるルーンさん。そして、今の状況が全く掴めていない置いてけぼりの私。
「あのっ……? えっと、これって……一体どういうことなんですか?」
私のもっともな疑問を聞いて、ルーンさんは眉をひそめて彼に呆れたように言った。
「ああ。なんだよ。結婚を約束しておいて、彼女には何も説明してないのか。ちゃんと、説明責任は果たせよ」
「ごめん。俺のところまで来てくれて嬉し過ぎたし、もうそれ以上のことが何も考えられなくて。俺はシリル・ロッソ。この前世界を救った、勇者だよ」
俺は八百屋のトムですのように、さらりと自己紹介された。けど、シリル・ロッソさんが言った内容が信じられなくて、私は口を両手で押さえてしまった。
「え。シリル・ロッソって……けど、勇者さまご一行は魔王を倒した後に、より自分を高めるためと修行の旅に出掛けて……だから、そう。もうこの国には、居ないからって……」
そのはずだった。私たちはお祝いのパレードで勇者ご一行をその目で見るのを楽しみにしていたんだけど、彼らはもう既に国を出てしまっているという説明があったのだ。
「あ。それは、嘘うそ。俺ら堅苦しいの嫌いだから、祝勝会みたいなのも全部パスしたくて、そういうことにしておきましょうっていう、建前のあれね。あと、一刻も早く、この国出たくて……はは」
「そうだな。魔王討伐成功報告だけ済ませて、俺らはすぐに城を出たから。そういうことになっていたって、あとで噂で聞いた。俺たちも」
半年前に勇者様ご一行が魔王を倒し世界を救ったとの一報が入った時、私たちは歓喜の気持ちでそれを聞いたものだった。
百年に一度周期の魔王復活があれば、魔物は活性化するし、魔王が世界を支配してしまえば私たち人間は滅ぶ。
だから、救世主たる勇者御一行が居なければ、私たちは生きていなかった。そんな人たちを目の前にして、私はますます先ほどのシリルさんの行動が理解できなかった。
勇者ご一行には、魔王を倒した報酬はたっぷりと支払われ、彼らは名誉も権力も一生使えきれないほどの金銭だって手にしているはずだ。
「あの、ロッソ様がこのお店の前で、あんなことをしていたのは、何故ですか? 魔王を倒したのですから、世界の誰からも英雄と呼ばれるでしょうに」
「あ。シリルで良いよ。はははー……そこは、気になるよね。そりゃ、そうだよね」
困ったように頭を掻いて勇者様……シリルは、ため息をついた。
酒場の灯りの中で見る吟遊詩人が謳う通りの彼の容姿は、凛としていて優美。この目で手持ち看板を持っていた彼を見た私だって、こんな人があんなことをしていたなんて、信じられない。
「というか、お嬢様。あんたは、どこの誰? どうして、こんな庶民の飲み屋街に居た? てか、なんであんな怪しげな看板を見て、こいつと結婚しようと思ったの?」
ルーンさんの鋭い指摘に、私は息を呑んだ。どう説明すれば良いのか、わからない。ジャスティナに複雑な思いを持つ私の気持ちを、正直に言って良いものかどうか。
シリルがしたことだって、十分に奇想天外だけど……それに応えた私だって、人のことを言えない。
「あの文言を考えたの、そこのお前だろ……怪しげって、それはひどくない?」
「あんな看板持って、しかも暗い雨の日に呼びかけて、それに乗ってくる女が居るなんて思わなかった。まあ、別に言いたくないなら、良いけど? 俺は関係ないし」
「あのっ……私はフィオナ・ノワール。ノワール伯爵家の二番目の娘です。私……その、デビューして一年経っても誰も声を掛けて貰えなくて……結婚を焦ってたんです。そうしたら、シリルさ……シリルが、呼び掛けてて……」
私の現在の状況を、まだ関係の深くない人に言えるところまで言ったら、彼らは目を合わせて何度か頷いた。
「へー……社交界デビュー一年で縁談なし、ねえ。全然、焦ることなんてなさそうだけど……あの」
「俺には、凄いラッキーだった! ルーン。聞いた? ノワール伯爵って言えば……ベアトリスの父さんの、ヴィオレ伯爵と犬猿の仲の人だろ? 最高だよ……俺には、この人しか居ないんだ」
ルーンさんは自分の話を遮ったシリルの方向を向いて、嫌な顔をしつつ彼が喜んだ理由を察したのか、目を細めて頷いた。
「ああ。間違いないな。彼女の父親は、ヴィオレ伯爵と仲の悪いノワール伯爵だろう。シリル。良かったな。あまりに上手く行きすぎて、腑に落ちない部分も多いが、これでお前もベアトリスから逃げ切ることが出来るぞ」
「うわー……なんか、結構酔ってたから、勢いで変なこと仕出かしたのは、認めるけど、そんな俺に幸運の女神が舞い降りた……この世界の全てに、感謝するわ」
そう言ってシリルは天を仰ぎ、神に祈りを捧げるように両手を組んだ。
「あの……? ベアトリスって、あの……もしかして、聖女様のことですか?」
ベアトリス・ヴィオレはヴィオレ伯爵家に生まれた時に、教会から聖女誕生の宣託を受け、教会で育ったから私は彼女に会ったことは一度もない。けれど、噂ではよくその名前を聞いたから、彼女は聖女で勇者ご一行の一人であることは、間違いないはずだった。
「そうそう。シリルはベアトリスに、結婚して欲しいってずっと迫られ続けてたんだけど、ずーっと断り続けてて……まあ、魔王討伐の旅の間は、こいつものらりくらりで我慢していたわけ。役割は明確に決まってるし、俺らだって聖魔力持ってるあいつ居ないと、回復出来なくて困るしさ。んで、魔王討伐の旅を終えて、シリルはベアトリスから一目散に逃げ出したんだよ……うん。まあ、本当に嫌だったんだな」
他人事だと言わんばかりのルーンさんと私はシリルを見たんだけど、彼は無言で微妙な顔をしていた。多分だけど、紳士的な彼は自分に迫っていた女の子を迷惑だったとしても、彼女を悪く言いたくなかったのかもしれない。
「えっと……それと、今日看板を持って結婚相手を募っていたのは、どういう……?」
結局のところ、私はシリルが何故あんなことをしていたのかという理由を知りたかった。事情を全て知ってから結婚するしないは、置いておいたとしても。
「あー……うん。どう探してもシリルが見つからないとベアトリスはキレて、この国の王様にあるお願いしたんだよな」
そこでちらっとルーンさんはシリルを見たんだけど、彼は曖昧に笑うのみだった。本人が口を開くのを待っているのかもしれないけど、我慢出来なくなった私がつい聞いてしまった。
「……あのっ、ベアトリスさんがしたのは、どんなお願いなんですか?」
二人とも目を合わせてたけど、大きく息をついて重々しく口を開いたのはシリルだった。
「ベアトリスは……自分が居なくてはならない聖女だということを盾にして、俺と結婚出来なかったらこの国を出ると言い出したんだ」
え?