01 手持ち看板
もし、あなたに美しくて優しくて、完璧とも言える最高の親友が居たとする。そんな子が傍に居るならば、きっと誰だって親友を大好きになってしまうだろう。私もそう。
けど、親友が同じ年頃の同性であるならば、ことある毎に比較され、彼女の方が上だと思い知らされる度に、こう思ってしまうはず。
自分は誰の目から見てもあの子より劣っていて、本当に駄目な存在なんだって。
彼女への褒め言葉を聞くたびに、微笑みながら思ってしまうのだ。では、その隣に居る私には、褒めるところが何もないのかしら? と。
私の幼馴染みで親友ジャスティナ・エリュトルンは、多くの貴族が集う社交界にあっても美しく華やかな容姿と、聡明で機知に富んだ会話が出来るなど多くの美点を持つ、とても素敵な女性だ。性格も明るくて優しくて、私だって大好きだ。
私たち二人は幼馴染みで親同士も仲が良いから、近くにあるお互いの邸を行き来してどんどん交流を深めていった。
ジャスティナは幼い頃は人見知りで引っ込み思案だったんだけど、まるで花のつぼみがほころんで行くように、大人になるにつれ美しく気高い薔薇のような素敵な女性へと成長した。
私は当たり前のようにそんな彼女が大好きだったので、お茶会にも夜会にも常に連れ立って出席しともに居たものだ。
ただ無邪気で居られた時を過ぎて、彼女の素晴らしさを褒めそやす異性の美辞麗句を聞くたびに、私の心の中にはどす黒い何かが渦巻くようになってしまった。
では、私はどうなのかしら? と聞きたいけど聞けなかった。彼らだってそう思っているのなら、口にしているはずだもの。
礼儀ある紳士で大人だから、あからさまにジャスティナと私の両者を比較したりなんてしない。
けど、その隣に居る私のことには一切触れない。言わなくても、彼らの言いたいことはわかった。
社交界デビューから一年経ち、ジャスティナと私はいまだ婚約者が決まっていない。けれど、彼女は降るようにある縁談を前に迷っているだけだし、私には縁談は来ない。
ほんの少し前までは「ジャスティナは確かに美しくて素晴らしい女性だけど、きっと私の良さを評価してくれる人だって居るはず」と、前向きに思えていた。
大多数の人はジャスティナのことが好きかもしれないけど、私を気に入ってくれる物好きな人だって少数派かもしれないけど居るはずだと。
けれど、今夜の夜会で私が憧れているヴェルデ侯爵の跡継ぎ息子エミリオ様とジャスティナが人目を避けるように楽しそうに談笑しているところを目撃してしまった時、ジャスティナのように気高くありたいと思っていた私の心は見事に折れた。
ジャスティナに一言声をかけてから帰ろうと、そう思っただけなんだけど……あんなに、楽しそうに話していたんだもの。きっと、私のことなんて忘れているに決まっている。
エミリオ様に憧れていると前に彼女に言ったことなんて、忘れてしまっているのだろう。
城から帰りの馬車にある小さな窓から外を見れば、今の私の心を映すようなはっきりしない雨だった。
その時にふと誰かが木で出来た手持ち看板を持って、道ゆく人に必死に叫んでいた。まるで何かに吸い寄せられるように見てしまい、何をそんなにも主張しているのだろうと私は気になった。
いつもなら、気にも留めないことだったのかもしれない。
だけど、この時の私は、絶望的に沈んでしまった気持ちを少しでも紛らわせたかった。
辛い現実を、直視なんてしたくなかった。美しいジャスティナと比較して私を選んでくれる男性なんて、居る訳がない。
私は馬車の御者台の座る御者に知らせるために、コンコンと前の戸を叩いた。
「……停めてちょうだい」
「……フィオナお嬢様? ご気分でも?」
「いいえ。少し……用を思い出したわ。貴方たちは、ここで待っていて」
ひどい雨の中で早く帰って温まりたかっただろう御者は、私は何を言っているのだろうと思ったはずだ。
けれど、御者の彼には仕える家の娘の私の指示に逆らうことは、許されていない。
短い馬のいななきとともに、車輪が鈍い音を立てて馬車は停まり、私は戸を開けた。
夜会用の重たいドレスが水に濡れるのもお構いなしに、私は手持ち看板を持っていた背の高い男性を見た。
目を凝らせば彼は『急募:俺と結婚してください』と、大きく書かれている手持ち看板を持っていた。少し距離のあるここから見れば何を言っているかわからないけど、雨の中まばらに通りを歩く人たちに呼びかけてもいるようだ。
どう考えてもそんな変人と結婚したい女性なんて居る訳がないから、素通りされていた。
雨も降っているし、いくつもの傘が彼の前を通り過ぎた。
誰かに言えばどうかしていると思われそうだけど、私は懸命に呼び掛けている彼に興味が湧いてしまった。
どうか結婚してくださいと街頭で呼び掛けるくらいなら、こんな良いところも何もない私だって良いはずだ。相手に困っている彼なら、私と結婚してくれるかもしれない。
私は傘も差さずに彼へと駆け寄って、その顔を見て驚いた。驚くほどに造作の整った、美しい男性だったから。
きっと、今夜が傘を差さねば歩けないくらいの雨ではなくて、彼の顔を簡単に確認出来る日ならば、私のような物好きな女性だって何人かは居たかもしれない。
背も高くて均整の取れた体付きの彼がそこにいるというだけで、きっと目を留める人も多いはずだ。身にまとう服は、まるで冒険者のようだ。腰には長い剣。剣を使って戦う、剣士なのかもしれない。
むしろ女性側から是非にとお願いされそうなのに、なぜ彼はこんなところで結婚相手を募っているの?
私はもしかしたら、彼が自分が思っているような人ではないのかもしれないとその時に気がついた。けれど、こうして近づいてしまったからには、回れ右して後戻りも出来なかった。
彼は近づいて来た私のことを認識してから、とても驚いた顔をしたから。二人の視線が合って、彼は不思議そうな顔でぽかんとしていた。
「あのっ……」
「はいっ? え。何々! もしかして、貴族のお嬢様!? なんでこんなところに……どうぞどうぞ、こちらへ。雨に濡れますので」
彼はこんな飲み屋街にはどう考えても不釣り合いな高価な生地を使った夜会用ドレスを見て、とても驚いたようだった。
小さな酒場の軒先で手持ち看板を持っていた彼は、私を雨に濡れない屋根のあるところまで案内して、信じられないと言わんばかりに目を何回か瞬きをしてから言った。
「……え? あの……? もしかして、まさか……」
頼りない灯りの下で見る彼は、金髪碧眼で完璧で整った容貌を持っている。服さえ高級なものへと替えてしまえば、実は王子様だと言っても通るかもしれない。
あんなに主張がわかりやすい手持ち看板を持っていたのに、彼本人だって私みたいな女性が現れるなんて夢にも思っていなかったのかもしれない。
意向をうかがうように無言でこちらを真剣にじっと見つめてくるので、私は急に恥ずかしくなった。
嘘でしょう。こんなに美形の男性があんなことをするなんて、絶対におかしいのに。悪い男に騙されてしまうかもしれないのに。
私はここから、自分で動くことが出来ないの。
「……あの……もしかして。困ってます? 私……」
「めっちゃくちゃ!! 困っています!! どうか、俺を人助けだと思って助けてください!!」
私の言葉を最後まで聞く前に、彼は大きな声で言った。けど、別に怖くはなかった。その声に、救いを求めるような切実なものが込められていたからかもしれない。
「えっと……その……そうです。もし、私で良かったら……」
私はここで彼になんて言えば良いか、わからなくなった。
親友のジャスティナと憧れのエミリオ様が楽しそうに談笑しているのを見て、ほんの少し前に私みたいな人と結婚してくれるなら、誰でも良いとまで絶望していた。
そうなんだけど……でも、なんだか、これって……。
「嬉しいです! ご応募、ありがとうございます! 俺と、ぜひ結婚しましょう!!」
明るく笑った彼は私の両手をぎゅっと握って、とても嬉しそうにそう言った。