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金眼の獣


──この国では命の価値は平等ではない。


同じ路地裏に住み着いていた子どもが腕の中で死んでいく時、アイリスはそう確信した。


痩せ細った体。

寒さに凍えたまま冷たくなっていく魂。


ああ、これは夢だ。

だって自分の手が小さいし、腕の中にいる子どもはいつの間にか、あの日死んだVの首に変わっている。


お前も死ぬぞ、と耳元で誰かが囁く。

死にたくなければ励め、と紳士の声が言う。


嫌だ。嫌だ。

死にたくないし、意地悪もしたくない。


首を抱えたまま後退るアイリスの目の前に、白い手が差し出された。

いや、手の向かう方はこちらではない。

アイリスと同じようにボロ雑巾のような姿をしたカスミだ。


そうだ。守らなくては。


ゴミくずのように軽い命を拾い上げようとするシャルロットを。

いつかルチル王子の隣に立って、より多くの人の手を引く人を。


勝手な期待なのは分かっている。

でも、ほんの一握りでも希望があるなら……自分のしていることにも意味があると信じられるから。


シャルロット。

彼女を守らなければ。




目が覚めたと同時に感じた埃っぽい床の感触に、アイリスは一瞬今までのことが全て夢だったのではないかと錯覚した。


「そろそろ『面通し』に来る頃だな」


聞こえてきたその声に、脳が一気に覚醒する。

フードの男の声だ。仲間がいる気配もする。


視界に映るのは薄暗い納屋のような場所。


あれからどのくらいたったのか。

ゆらめくランプの光が、すでに日が落ちたことを示していた。


「殺すだけなら手間がないのに、面倒っすね」


「貴族サマだからな。万が一間違えて殺したなんてことになったら勢力図が変わるんだと。俺もこの間うっかり殺しそうになった令嬢の件では散々文句を言われた」


「ハケン争いってやつっすか。あの子も王子サマの婚約者候補なんかじゃなきゃこんなことにならなかったのに、因果っすねー」


「ま、俺たちは殺すだけだ」


(勢力図……婚約者候補……)


そういうことか、とアイリスは思う。

つまりはノウェール家が王家と繋がることをよしとしない勢力のはかりごとだ。


(シャルロットは)


身をよじろうとして、後ろ手に縛られていることに気づく。

相手が女だろうと警戒を緩めない周到さに、アイリスは状況の悪さを感じ取った。


首を動かすと、すぐそばに見慣れたハニーブロンドの髪が広がっている。


「……シャルロットさま」


小声で呼びかけるが、返事がない。


薬でもかがされているのだろうか。

目立った怪我もなく、呼吸が安定しているのを確認してひとまず安堵する。


「さて、お前はどうするか」


すぐそばで声がして、アイリスは反射的に身を縮めた。


見るといつの間に移動したのか、フードの男がしゃがみ込んでこちらを見ている。


「お前の顔には見覚えがあるな。マルゴー邸で殺し損ねたやつだ」


「ボスが文句を言われた原因すね」


「そーそー」


面白くもなさそうにフードの男が口元だけで笑った。


「確認もせずに殺すなって言われてんだよなー。……てわけで、お前誰?」



フードの下からぎらつく赤い瞳がアイリスを値踏みする。


(どう答えるのが正解だろう……)


様々なケースを思い描きながら闘争経路を確認しようと視線を動かす──と、突然頬に強い痛みが走った。


殴られたのだ。


自覚すると同時に涙が滲む。

殴られた経験がないわけではなかったが、手加減のなさに恐怖心を引き摺り出された。


フードの男が両眼を細める。


「余計なことは考えなくていいんだよ。聞かれたことに答えろ。オ、マ、エ、は、誰だ?」


「……アイリス・V・シャルドーよ」


折れそうになる心を必死に奮い立たせながら、アイリスは男に答えた。


「シャルドー?」


「あれ、それって確かノウェールのお嬢様と一緒に聞いた名前っすね」


部下が眉を上げた、その時。

騒々しい靴音を響かせて誰かが部屋に入ってきた。


「まあ、薄汚い場所ね」


眉を潜めて部屋を見回したその人は、


「エニスダさま……?」


アイリスの呼びかけにエニスダが驚いたように目をみはる。


(どうして彼女が……)


先に驚愕から覚めたエニスダが細く微笑む。


「これはこれはアイリスさま。こんなところでお会いするなんて」


フードの男に目をやって、エニスダが思案するように小首を傾げた。


「もしかしてまたしくじったのかしら。この国の殺し屋って程度が低いのねえ」


「あんたらの金払いが良ければ、もっとやる気も出るんですけどねえ」


二人のやり取りに、全てを悟る。

フードの男を使ってシャルロットを殺そうとしたのはエニスダだ。


思えばシャルロットにプディングの話を吹き込んだのも彼女だった。


(最初からこれが狙いだったのか……)


「あなたはシャルロットの友だちなのかと思っていましたわ」


アイリスの言葉にエニスダが笑った。


「ええ、友だちです。殺すために友だちになりましたの。私はね、アイリスさま。祖国のためにどうしてもルチル王子を射止めなくてはなりませんのよ」


祖国。

それは国籍を取得したシエロ王国のことではなく、おそらく出身国であるセイブル国のことだろう。


足のつかない安物のナイフを懐から取り出して、エニスダが弾むような足取りでこちらに近づいてきた。


「本っ当に目障りでしたわ。シャルロットさまも、あなたも。私だって婚約者候補になり得る年頃ですのに、お二人が有力候補となっているせいでルチル王子とお近づきになる機会すらなかなか回ってきません。シャルロットさまを亡きものにした後、あなたにその罪を被ってもらうつもりでしたが……なんてちょうどいいのかしら」


鞘を払って、エニスダがうっとりと両眼を細める。


「シャルロットさまを殺したことを知られたあなたは絶望して自害。目撃者は私。シャルロットさまのお友達ですもの。私が疑われることはありませんわ」


悔しいがその通りだ。


「悪役」を貫いた自分はシャルロットに対して動機があるように見える。

エニスダが証言すれば、疑う者はいないだろう。


「これでようやく、お父さまに褒めてもらえる」


ふと、エニスダの眼差しに寂しさが覗いた気がした。

──そこへ。


「全員動くな! 王国近衛騎士団だ!」


真っ白な隊服に身を包んだ騎士たちが勢いよく雪崩れ込んできた。


硬直するエニスダ。

うろたえる部下。


フードの男が舌打ちをして意識のないシャルロットに手を伸ばした。


(人質にされる!)


フードの男より自分の方がシャルロットに近い。

とっさに判断すると、アイリスはシャルロットの上に覆いかぶさった。


「どけ! 邪魔だ! ……いや、お前でいいか」


「……う」


髪を掴まれ、乱暴に引き上げられる。

腰に刺した短刀を引き抜きながらフードの男が口を開いた。


「この女が──」


みなまで言う前に、何かが物凄い速さで短刀を弾き飛ばした。

飢えた獣のような金の双眸が目前に迫る。

と、次の瞬間フードの男がその場にうずくまった。


「ぐううう……!」


足の甲を剣で貫かれたのだ。

髪を掴む手が緩んだ隙に、たくましい腕がアイリスを抱くようにして男から引き離した。


「殺すな。それぞれ聞きたいことが山ほどある」


押しつけられた胸から聞き馴染みのある声が響く。


(アガット殿下)


ふいに、アイリスは全身から力が抜けるような、ともすると泣き出したくなるような不思議な感覚に襲われた。


それが安堵であると知るのは、もっとずっと後のことだ。


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