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総レースの扇


港町に展開されたマーケットは酷く賑わっていた。


立ち並ぶ簡易テントの店々は異国情緒あふれる品を揃え、奥のステージでは音楽隊や劇団が代わる代わるショーを行っている。


ひしめき合う人の群れを見て、アガットは眉を寄せた。


(警護しずらいな)


前回のことを踏まえ、今回は令嬢家の者ではなく騎士団から護衛を出している。

一人の令嬢に一人ずつ厳選した部下をつけているのだが、この人混みでは連携がとりにくい。


「人避けをしますか?」


ジャスパーの問いに、アガットは首を振った。


「それでは悪目立ちするだろう。市民の不快感を煽ると今度は別方面での警戒が必要になる」


「それはそうですが……」


「まあ、騎士たちにまかせよう」


最初こそまとまって動いていた令嬢たちは、今や人の流れに押されて分散している。


指揮官として固定位置に留まらなければならないアガットは、人混みの中で見え隠れする菫色の髪を目で追いながら自分自身に言い聞かせるように言った。


「もどかしいですね」


難しい顔でジャスパーがため息をつく。

アガットは笑った。


「お前の性には合わない仕事だろうな」


ジャスパーは戦場で戦うために生まれてきたような男だ。


強ければいいという戦場とは違い、しがらみや配慮の比重が大きい王宮付きの騎士団の中では戸惑うことも多いだろう。


「何度も言うようだが、騎士団を退いてもいいんだぞ。たった一度俺に負けたくらいで生涯を捧げることはない」


ジャスパーはセイブル国とは反対側に位置する隣国、テーレ国の人間だ。


以前、南部の視察に行った際に行き違いがあって、侵略と勘違いした民族が攻め込んできたが、率いていたのがジャスパーだった。


最先端で手だれの騎士らを蹴散らしていく姿は勇猛果敢で、その戦いぶりには感心したものだ。


しかし、戦は一人するものではない。

統率力と戦略がわずかに上まり、結果的にはアガットの率いた騎士団が勝利を収めた。


その後、テーレ国南部を管轄する王子の取りなしもあり、ジャスパーらが厳しい咎めを受けることはなかったが、彼は民族に伝わる「膝をついたものに身を捧げよ」という古いしきたりに従ってアガットの軍門に下ったのだ。


「順当に行けば、お前が次の長だったろうに」


ぱちぱちと両目を瞬いて、ジャスパーがアガットを見下ろした。


「俺があなたのそばにいるのはしきたりが理由ではありません」


「なに?」


「あのしきたりはすでに形骸化しています。今では誰も気にしない。俺が殿下に従っているのは、その強さに感服したからです」


「いや……一騎打ちではお前に敵わない。あの時勝てたのは団体戦だったからだ」


「戦士をうまく動かすのも強さのうちです」


どこか遠くを見つめて、ジャスパーが小さく微笑む。


「騎士を鼓舞し、戦場を駆けるあなたはとても強く、美しかった。俺もこの人に指揮されたいと思ったものです」


「……変わってるやつだな」


戦場ではこの金の瞳を忌む者の方が多い。

それだけ徹底的に、容赦無く叩きのめしているからだ。


そのやり方が間違っているとは思わなかった。

ただ、戦場で培った鋭さはどう取り繕っても滲み出るようで、幼子や令嬢に距離を置かれるのは地味に手痛かった。


あの人当たりのいいシャルロットでさえ、そばによると顔を伏せる。

アガットを恐れず、まともに会話が成立するのはアイリスくらいのものだろう。


(変わっていると言えば、アイリス嬢もそうだな)


微笑みの下で舌戦を繰り広げる。あの胆力のある令嬢との会話は、そう言う意味では楽しみだった。


「……」


ふと、雑踏の中近づいてくる足音に気を引き締める。


(何かあったな)


焦るような靴音に振り返ると、人混みをかき分けて走り寄ったのはシャルロットにつけていた騎士だった。


「アガット殿下、シャルロット様が……!」


真っ青な顔からおおよその事態を把握する。


「見失ったのか」


「申し訳ありません。張り付いていたのですが……その、女性専門店に入っていかれまして」


女性専門店とは女性用の品、主に衣料品が置いてある店だ。

基本的に嗜みとして、女性専門店に男性は入らない。


とはいえ出入り口を張っていれば見失うことはまずないだろう。

と、いうことは……。


「撒かれたか」


「すみません」


つい先日命を狙われたばかりのシャルロットが護衛を振り切るとは、よほどのことだ。


脅されたか、情に訴えられたか。

あるいは両方かもしれななかった。


「付近の騎士を集めろ。令嬢達には安全確認もかねて一度馬車まで待避してもらう」


「は」


ジャスパーが素早くその場を離れる。

と、別の方面から騎士が一人、やはり青い顔で走り寄ってきた。


「殿下……! 申し訳ございません。アイリス様を見失いました」


「……お前もか」


しかもよりにもよってそこか、苦々しく顔を歪める。


通り過ぎた子どもがアガットを見上げて泣き、母が慌てて我が子を守るように遠ざかっていった。



***



アイリスがその現場に行き合ったのはまったくの偶然だった。


喧騒の中、女性専門店の裏口からシャルロットが出てくるのに気がついて、不審に思ったのが始まりだ。


今日はプディングを見て回るのが目的のはずだ。


それなのになぜ女性専門店から出てきたのか。

なぜ裏口を抜けたのか。

なぜ護衛がいないのか。


全てが奇妙で、同時に不吉だった。


それとなく注意を向けようと、自分についている護衛を振り返る。

……が、そこにいるはずの騎士は姿がなかった。


(しまった。はぐれたのかも)


元ストリートチルドレンのアイリスにとって、人混みを歩くことは朝飯前だ。

しかし武装している騎士が同じように動けるとは限らない。


知らぬうちに離れてしまったのだろう。


「どうしよう……」


先日のことを考えると、騎士を連れて動くのが懸命だった。

だが、こうしている間にもシャルロットの頼りない背中が人の波にのまれていく。


(せめて呼び止めるか)


事情は分からないが、いずれにしろ貴族のお嬢様が付き人もつけずに一人で市中を練り歩くのは危険だ。

アイリスはハニーブロンドの髪を見失わないよう、注意しながら後を追った。


マーケットから離れることしばらく。

川沿いを降りたシャルロットを見て、アイリスは反射的に「まずいな」と思った。


万が一、船で運ばれたら追いつかない。


シャルロットの後ろ姿が橋の下に消えるのを見て、アイリスは急ぎ距離を詰めた。


──シャルロットさま。


呼びかけの声はしかし、喉元を通り過ぎる前に飲み込むこととなった。


小さく悲鳴が上がり、反射的に身を隠す。

そっと覗き込むと、気を失ったアイリスが小舟に担ぎ込まれるところだった。


「手間だなァ、まったく」


文句を言うのは見覚えのあるフードの男だ。

そばには数名の仲間が揃っている。


(どうする……どうする……!?)


力では敵わない。人を呼ぶ時間はない。

このまま船を見送って、騎士団に伝えるべきか。


一瞬の迷いのあと、アイリスは持っていた総レースの扇を物陰に放った。


頭の隅によぎったのは金の瞳だ。

察しのいいあの男なら、扇を手がかりに何が起こったのか察することができるだろう。


一呼吸おいて、アイリスは腹を括ると男達の前に姿を現した。


「待ちなさい! その子をどこへ連れていくの」


これは賭けだ。


目撃者として即刻始末されてしまえばそれまで。

使い道があると判断され、シャルロットとともに連れて行ってもらえれば彼女を逃す機会が巡ってくるかもしれない。


「ああ?」


フードの男が振り返る。


暗く沈むような瞳がこちらに向けられたかと思うと──

次の瞬間、鳩尾に鋭い衝撃を感じてアイリスは意識を手放した。


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