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花の名を問う

庭の隅、生垣の影で動く白いコックコートを見つけて、アイリスは声を張り上げた。


「待ちなさい、曲者!」


びくりと人影が肩を震わせる。

顔が見える位置まで走り込んで──アイリスは騎士団を連れてこなかったことを後悔した。


「つけられてんじゃねーか、てめぇ」


怒気を含んだ声でパティシエを非難したのは、フードを目深に被った男だ。

腰元の剣の存在にぞわりと悪寒が走る。


「い、依頼は果たしました! 娘を返してください!」


「うるせーわ」


バキ、と鈍い音がしてパティシエが吹っ飛ぶ。

殴られたのだ。


(速い……動きが見えなかった)


どう考えても一般人ではない。

玄人じみた体の動きとためらいのなさに、アイリスは知らず一歩下がった。


「足がつかないようにと思ったけど、やっぱ素人はダメだなー」


首を振りながら、フードの男が近づいてくる。

ついでのように剣を引き抜いてひらひらと手応えを確かめた。


「さて、どうするか」


(まずい、まずい、まずい)


心臓が早鐘を打つ。

逃げ出したいのに、体が竦んで動かなかった。


「ま、殺すのが早いかな」


言うなり男が剣を振りかぶる。

と、その時。


ギイン、と鉄のぶつかる音がして、誰かの背中が割って入った。


白い隊服。

流れる黒髪。


(アガット殿下……!)


「ジャスパー!」


「追います」


アガットの鋭い声とともに見覚えのある背中が脇を走り抜けていく。

見るとフードの男がものすごい速さで逃げていくのが見えた。


芝生の中には弾き飛ばされたのであろう男の剣が落ちている。

たった一度の打ち合いで相手を丸腰にしたのだ。


気を失っているらしいパティシエに近づき呼吸を確認すると、アガットが彼を拘束しながら言った。


「シャルロット嬢のボウルを倒したのは、この男が何かを入れるところを見たからですね」


確認するような物言いは、同じ現場を見ていたからだろう。


「今回の会を提案したのはあなただと聞いています。何か思惑があるのかと注視していましたが……まさか曲者を追い詰める側にまわるとは」


もはや警戒していたことを隠しもしない。

胡散臭さを捨てた声色はひどく静かで、逃れられない威圧感をともなっていた。


「しかもわざわざ悪役に徹して場を抜けるなど」


金色の瞳がアイリスを見据えて、問う。


「あなたは一体、何者ですか」


ぼとり、と頭の中で首が落ちた。

血にまみれたその顔は、あの日の彼女のものか、それとも自分のものか。


急速に色を失っていく唇が微かに動いて何か言う。


──お前も死ぬぞ。


「アイリス嬢」


強く肩を掴まれて、アイリスははっと息を吸い込んだ。

無意識に止めていた呼吸が再開され、むせ返る。


「落ち着いて。長く息を吐くように。──そう」


大丈夫。

そう言ってアガットの大きな手が背中をなでる。


取り繕え! と頭が警鐘を鳴らすのに、体が震えて止まらない。

幼い頃に刻まれたトラウマは、皮肉にもきちんと作用していた。


「言いたくないことなら言わなくて結構です。私ももう尋ねません」


確認するようにアガットがアイリスの顔を覗き込む。


「あなたの抱える秘密が王家を脅かすものでないかぎり、私もあなたを追究しないと誓いましょう」


見つめ返した眼差しから何を読み取ったのか……アガットは少し微笑むとそれきり口をつぐんだ。



***



数日後。

各方面から届く報告を一通り整理すると、アガットは執務室の椅子の背に深くもたれた。


調べによるとアイリスが倒したシャルロットのボウルからは遅行性の毒物が検出されたという。

捕縛したパティシエは市中の平民で、妻と子を人質にとられことに及んだそうだ。


人質は廃屋にいたのを騎士団が無事発見している。

しかしパティシエも、その妻や子も、黒幕が誰だったのかまでは分からないようだった。


「下請けの下請けか……」


ぽつりと呟くと、そばにいたジャスパーが深く頭を下げた。


「申し訳ございません。俺があの男を取り逃したばっかりに」


「いや、いい。あれは玄人だ。取り囲めなかった時点でこちらの分が悪かった」


それでも捕まえられていれば、どの家の差し金かくらいは分かっただろう。

それが分かるから、ジャスパーも自分を責めているのだ。


「あまり後悔してくれるな。俺の采配がまずかったことになるだろう」


「そんなことは……」


「冗談だよ」


笑って見せると、強面の顔がつられたように少し緩んだ。


「しばらくの間はシャルロット嬢に警護をつけよう。それから、アイリス嬢にも」


「アイリス嬢ですか」


「彼女は至近距離で黒幕の顔を見ている。声も聞いている。最も危険な目撃者だ」


お前は誰だと尋ねた途端、真っ青になって震え出したアイリスを思い出す。


(まるでトラウマを抱えた負傷兵のようだった)


聞かぬ、とは言ったが調べぬ、とは約束していない。

少し探ってみるかな、とアガットは動かせそうな騎士の顔を思い浮かべた。


「アイリス嬢は……毒の混入を疑われているようです」


「は?」


先日のことかと問うと、そうだとジャスパーが答える。


「材料をぶちまけたのはアイリス嬢ですが、人の噂に理屈など必要ありません。誰が言い出したことか、いつの間にかアイリス嬢が下手人と囁かれているようです」


「その噂で取り巻きの勢力図がどう変わったか分かるか」


「今のところ目立った変化はありません。むしろ、反シャルロット派の令嬢がよりアイリス嬢のもとへ集まっているようですね」


「……ふむ」


偶然か、否か。

この展開はアイリスの秘密と関わることか。

それとも誰かの引いた絵の上か。


「確か、今度同じ面子でマーケットに視察に行くということだったな」


「はい」


思ったより豊富な種類と調理の手間に心折れたのか、令嬢たちは結局、家のパティシエにプディングを作らせることにしたようだ。


となると問題は作る難しさから見栄えの良し悪しに移行する。


そこで令嬢たちは、巷でどのようなプディングが流行っているのか視察することにしたらしい。


「同じ顔ぶれになったのは、そもそものきっかけとなった茶会を主催していたカメリア嬢が取りまとめたからのようです。総勢13名の令嬢が街中を動くことになりますね」


少し考えて、アガットは騎士団の予定表を引っ張り出した。


「当日の警護体制を見直そう」


なぜだか嫌な感じがした。


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