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希望と毒

*予約指定の分が消えた……?使い方がいまだ謎です。


「王宮調理場の警備?」


王宮から届いた書状に目を通すと、アガットは眉を潜めた。

何事ですか、とジャスパーが近寄ってくる。


「王妃からの要請だ。近日中に御令嬢たちが王宮の調理場を使ってプディングを作る練習をするから、下位騎士を数名警護に当てて欲しいと言っている」


「プディングですか」


どうやら先日行われたマルゴー邸での茶会に端を発しているようだが、発案者がアイリスだというのが気に掛かる。


アイリスは妃教育が必要ないとまで言われる完璧な淑女だ。

刺繍も菓子作りも今更練習する必要はないだろう。


それも、よりにもよってシャルロットと一緒に。


(一体何を企んでいる)


眉を潜めて、アガットは考え込んだ。


「王宮の調理場を使うことになった経緯は聞いているか」


「は」


アガットの問いに、伝令官が背筋を伸ばす。


「練習会の件を耳にされた王妃様が面白がって、それなら王宮の調理場を解放しましょう、と……」


「ああ、なるほど」


あの人ならあり得そうだ、とアガットは笑みを漏らした。


王妃とはルチルの母親である。

少女のように好奇心旺盛で、乳母のように愛情深い。


ルチルが懐いたアガットを息子のように可愛がり、頼りにしてくれる人でもあった。


風当たりの強い王宮内で自刃した母の代わりに、アガットの孤独を埋めたのはルチルと王妃だ。

だからアガットは、命を賭しても彼らに尽くそうと決めていた。


「分かった。当日は何人か連れて俺が警護にあたろう」


「え」


「は?」


伝令官が目を丸くする。

ジャスパーも表情を険しくした。


「御令嬢方のお遊びでしょう? 騎士団を動かすのも大袈裟なのに、殿下が直々に警護にあたる必要がありますか?」


「菓子づくりを見たい気分なんだ」


適当な理由でジャスパーを黙らせる。


(万が一、アイリス嬢がシャルロット嬢を潰すようなことがあっては困る)


政治的観点から、アガットはルチルの婚約者にシャルロットを推していた。


爵位こそ伯爵だが、ノウェール家は領地の経済をうまく回す知恵と、どの派閥からも中立でいる豪胆さを持っている。

国の安寧を望むのであれば、ああいう家を味方につけるべきだ。


「王妃には『おまかせください』と伝えてくれ」


伝令官を下がらせると、ジャスパーがぼそりと何か呟いた。


「甘いものなんかお嫌いでしょうに……」



***



プディング制作練習会、当日。

王宮調理場は、さながら動物園のようだった。


「プディングはパンを浸すものですわ」


「いえ、ナッツをたくさん入れるのよ」


「うちのパティシエはライスを使うわ」


喧々諤々と言い争っているのは、それぞれお抱えのパティシエを連れてきた令嬢たちだ。


アイリスにとって誤算だったのは、シャルロットだけでなく他の令嬢たちにも調理……いや、料理の知識がなかったことだ。


「ライスを使うなんて邪道よ!」


「まあ、うちのパティシエを愚弄なさるおつもり?」


カオスである。


もはやアイリス派もシャルロット派もない。

みな「我が家の味(パディシエ産)」の正統性を主張して譲らなかった。


扇の下で小さくため息をついて、アイリスは壁際で面白そうに事態を眺めている人物に目をやった。


近衛騎士団団長、アガット殿下。

まさかこの人が出てくるなんて……。


動きづらいわね、とアイリスはもう一度ため息をついた。


かといってこのままでは埒が明かない。

今日の目的はシャルロットに少しでも調理への苦手意識をなくしてもらうことだ。

喧嘩をして終わってしまっては意味がなかった。


ぱちんと、扇を閉じて、アイリスはおもむろに息を吸い込んだ。


「みなさま」


一際優雅に声を張ると、場の空気が一変した。


人の耳は異質なものを聞き分ける。

ヒステリックな場に投げかけられたアイリスの声は、興奮した令嬢たちの耳にもはっきりと届いたようだった。


注目が集まるのを待ってから、アイスはたっぷりと微笑んだ。


「大変興味深い討論でしたわ」


令嬢たちのそばで右往左往していたパティシエたちを眺めて、両眼を細める。


「同じプディングという名のつくお菓子でも、地域や家庭によって物が違うのですね。きっとみなさまのパティシエも、食べてくださる方の好みに合わせて作っていたのでしょう」


誰かが間違っていたわけではない。

ともすると「恥をかかされた」とパティシエに咎が向くことのないよう釘を刺してから、アイリスは提案した。


「プディングの日はセイブル国の行事です。どうかしら。今日のところはセイブル国流のプディングを学んでみては」


事前の調べでセイブル国のメジャーなプディングがカスタードプディングであることは分かっている。


材料も少なく、手順も少ない。

シャルロットのような初心者向けの菓子だった。


「そういうことでしたら……」


「アイリスさまがおっしゃるのなら」


落とし所を提示されて、令嬢たちが引き下がる。

機を逃さず、アイリスはエニスダを選んで話題を振った。


「エニスダさまは確か、セイブル国出身でしたわね。一番メジャーなプディングはどういうものですか」


「は……はい。えっと……セイブル国ではカラメルをかけるカスタードプディングが主流でして──」


思惑通りカスタードプディングへと話の流れが切り替わるのを見て、アイリスは胸を撫で下ろした。




「うまいこと舵取りをなさいましたね」


砂糖を煮詰めていると、音もなく近づいてきたアガットに声をかけられた。

ちらりと彼を見て、鍋に視線を戻す。


「ああいう時のために、警護役として騎士団が派遣されたのではないですか。つかみ合いの喧嘩にでもなったらどうするおつもり?」


「その時はさすがに止めに入りますよ」


飄々と言ってのけて、アガットが秩序を取り戻した調理場を見渡した。


「ですが、多少の小競り合いは社交のうちです。誰がどう治めるのかも含めて、御令嬢方にとっては貴重な経験の場になるでしょう」


どこから目線のなんなのだ。


偉そうなところはさすが王族、と胸の中で悪態をついてアイリスは鍋をゆすった。

ふわりとカラメルの甘い香りが立ち上る。


う、と小さくアガットが呻いた。


「……くそ、胸が焼けるな」


初めて耳にする乱雑な言葉は、たぶん無意識のものだろう。


(もしかして、甘いものが嫌いなのかしら)


火を止めると、アイリスは試食時にと用意していたものに手をのばした。


「殿下」


やはり音もなく、大柄な騎士がアガットに近づく。

名を、確かジャスパーと言っただろうか。


「交代しましょう。一度外の空気を吸ってこられては」


「お前……会場じゃなくて俺ばかり見てないか」


呆れたような眼差しでアガットがジャスパーを見上げる。

上司と部下というより、主人と従者のようだ。


「よろしければこちらを」


アガットに向かって、アイリスは一通りのものを載せた盆を突き出した。


「アールグレイティーです。すっきりいたしますわ」


「……私に?」


「他にどなたがいらっしゃいますか」


両眼を見開いて、アガットがつぶやく。


「あなたに優しくされるとは思いませんでした」


「ここで吐かれても困りますので」


こういう表情もするんだな、と思いつつ、アイリスは訝しげに眉を潜めるジャスパーに目を向けた。


「カップをふたつ用意しましたので、毒味をなさりたいならジャスパーさまもどうぞ」


「……いえ……」


「──はは!」


突如、声を上げて笑ったアガットにぎょっとする。

一瞬のことで、すぐさま自分の手で口を塞いでアガットは笑いを噛み殺してしまった。


「……いや、申し訳ない。お心遣いに感謝します」


にこりと微笑んだアガットは、いつも通り胡散臭い王子の顔をしていた。


ジャスパーが盆を持ち、アガットが外に向かう。

その背中を見送ってから、アイリスはそっとシャルロットの様子を確認した。


卵の殻割りで苦戦していたシャルロットは、どうやら無事裏ごしの段階を済ませたようだ。

繰り返す失敗のせいか、それとも緊張のせいか、額には汗が滲んでいる。


まるであの時みたいだ、とアイリスはある暑い日のことを思い出した。


三年前。

シャルロット専属悪役令嬢に任命されたばかりの頃。


たまたま見かけたシャルロットは、あろうことか川に浸かっていた。


従者が止めるのも聞かず、自ら川に入って助けたのはボロ雑巾のように流れていた少女だ。

岸に引き上げてからも、シャルロットは額に汗をにじませて、必死に介抱していた。


孤児だった少女はその後シャルロットの希望で彼女の家で働くことになった。

これが後のカスミである。


シャルロットを信頼し、力になり、友人のように絆を繋ぐ……。

カスミが大切にされていることは彼女を見ていればよく分かった。


ぶたれたり、食事を抜かれたり、人を欺く術を身にけて命と引き換えの仕事を背負わされたりしない。


カスミの姿は、そうだったかもしれない自分の姿だ。

あるいは、儚く朽ちた誰かの夢か。


カスミを救ったように、シャルロットなら誰にも気づかれず死んでいく弱い者たちを救うことができるかもしれない。

ルチルとふたり、優しい王国を築けるかも。


そんな風に思った出来事だった。


(いつか自由になるその日まで、シャルロットにはひとつでも多く力をつけてもらえるよう、助力しよう)


そんなことを考えながら彼女を眺めていると──ふと妙なことが起こった。


シャルロットが首を傾げながら調理台から離れたのだ。

手順から察するに、おそらくバニラエッセンスを見失ったのだろう。


調理台が無人になった、その一瞬。

シャルロットのボウルに一人のパティシエが近づいた。


ちらりとシャルロットの居場所を確認すると、手早く何かを材料の入ったボウルに入れる。


「!」


(まさか、毒?)


こんな公衆の面前で、と思ったが、皆慣れない調理に夢中で気づいていない。


去り際、パティシエがバニラエッセンスの小瓶を調理台に置いたのを見て、アイリスは予感を確信に変えた。


パティシエが調理場から出ていく。

焦る気持ちを抑えながら、アイリスはまずシャルロットのいた調理台に近づいた。


わざと袖を引っ掛けてボウルを落とす。

がしゃん、と大きな音が鳴った。


「まああ……こんなところに材料を置くなんて。どなたのプディングかしら」


静まりかえった部屋の奥でシャルロットが呆然と立ち尽くしている。


何度も失敗しながら丁寧に裏ごしまでこぎつけた材料だ。

それが台無しになったのだからショックは大きいだろう。


痛む心臓をねじ伏せつつ、アイリスはすべきことをした。


「ドレスが汚れてしまいましたわ。私、今日はお暇いたします」


不機嫌さを声に滲ませて、つかつかと調理場を出る。

ざわつき出した部屋を背に、アイリスはパティシエの姿を追って全速力で走り出した。



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