表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡の一族  作者: 大町潤
1/2

カガミ様

 家には鏡がなかった。

 物心ついたときに、友人の家に遊びに行って気づいた。自分の家には鏡がない、と。

 どうやって身だしなみを整えていたのかというと、母が毎朝寝ぐせやら着る服なんかをチェックしていてくれていた。だから、特に不自由をした記憶はない。幼稚園は通わなかったし、幼いころはなんの違和感も持たなかった。

 父も何か言ってきたことはない。母と互いに鏡のように確認しあっていたし、母は化粧をほとんどしなかった。単に、仲のいい両親をうれしく思っていた。

 しかしその彼の常識は、小学生の頃の友人の一言で崩れることになる。

『ねえ、これって鏡だよね?』

『そうだよ。どうしたんだよ、いきなり』

『鏡って家にあるものなんだね』

『え、おまえんちないの』

『うん』

 当時まだ幼い顔立ちだった友人の不思議そうな顔が思い浮かぶ。

『鏡は、普通どこの家にもあるもんだろ?』


 三影晶はごく普通の十七歳、男子高校生だ。高校二年生の秋口、庭の楓の木も色づく頃合い、両親に受験はどうするんだとか成績が云々だとか言われながらもきままに過ごしている。部活は入っていない。中学生の時に友人と一緒にバスケ部に入っていたが、先輩後輩の間柄に疲れてしまって、高校では部活、特に運動系をやるつもりはなかった。

「おーい晶ァー!」

 家の縁側に寝そべり、飼い猫の千代子を腹に乗せながらぼうっと空を見上げていると、隣の家の二階の窓から大きな声で名前を呼ばれた。緩慢に首をめぐらし、手をひらりと振って声をあげた。

「今日部活ないわけ? 陸兎」

「昨日言ったじゃん、ねぇよ!」

「ほーん、じゃあ一緒に課題でもする?」

「えっ、するする、学年一位様の勉強みして~!」

「じゃあおいでよ、ここで待ってるからさ」

「おっけー! なんか適当にお菓子もってくわ!」

 やかましい声と勉強道具を鞄につっこんでいるだろう音がバタバタと聞こえてくる。隣の家の二階からなのによく聞こえるもんだ、うるさいなぁなどと晶は思う。

 彼は晶の幼馴染で、名を水無陸兎という。まあいわゆる親友という奴だ。面と向かって「お前俺の親友な!」なんてこっぱずかしいことは言えないので、言ったことはないが。

 小学校二年生のときに晶がこのみどり市に引っ越してきてから、話しかけてくれた晶と仲良くなり、気づけば高校も同じという腐れ縁だ。この街に越してくるまでなかなか友人ができなかった晶は当初陸兎にべったりで、小学校中学校と同じ部活だった。バスケ部に入ったのも陸兎についていったからだ。

 ひいき目に見なくても、陸兎は優しいやつだし、顔も整っている。本人はあまり好きではないようだが、いわゆる女顔だ。くっきりとした二重と長いまつ毛に白い肌、鼻筋はすっと通って唇は厚い。黒髪はさらさらで、短くても艶を感じる具合だった。曰く、母方の祖母似らしい。もっとも、バスケ部で日々走り回っている陸兎は筋肉もしっかりついているし、体格も立派だ。一八〇センチメートル近くある。そのためか、その女性じみた容貌は単に陸兎を甘やかな顔立ちの端正な青年、というイメージにするだけである。

 千代子の腹を撫でながら隣の陸兎の家の扉があくのを待っていると、「いってきまーす!」と、大きな声が聞こえた。その声に気づいたのか、千代子は晶の腹の上からおりて部屋にはいった。千代子はなぜか昔からこの友人が苦手なのだ。

「晶! 俺谷センの数Ⅱのプリントまったくわからん! 持ってきた!」

「来た来た。俺も今玄関行くから、そのまま部屋行こう」

「おう! お邪魔しまーす!」

「はい、お邪魔されます」

 つっかけサンダルを履いて陸兎のもとに行き、そのまま玄関の扉をガラガラと開ける。晶の家は今どき珍しく、平屋の日本家屋だ。晶はわりとこの古風なところは好きだった。

 そのまま靴を脱いでまっすぐ奥にある晶の部屋に進む。陸兎に頼んで冷蔵庫から母が用意した麦茶を持ってきてもらう。その間に陸兎も制服のままだったのを思い出して部屋着に着替えた。シンプルな黒のパンツと白いスウェットだ。着替え終えたころには陸兎がお茶のポットをもって片手にコップとポテトチップスを抱えて部屋に入ってきた。

「おっ、着替えたんだな」

「そりゃあね、家で勉強するとき制服のままなの、なんかいやじゃない?」

「そうかぁ? 相変わらず変なこだわりがあるな」

「まあなんでもいいでしょ。勉強始めちゃおう」

「おう」

 そのまま一時間くらいは勉強をしていた。気づいたら夕暮れが近づいていて、日が短くなってきたことを実感する。日本家屋だから、晶の部屋は障子があって、そこから夕焼けの橙色がじんわりとにじむのだ。晶の自分の家のお気に入りのひとつだった。

 目の前の陸兎はつい数分前に数学のプリントが終わって、小テストの勉強をしていた。英単語を嫌そうに眺めては発音して、を繰り返している。その顔を見てふっ、と晶は笑った。笑われたことに気づいたのか、陸兎は唇をとがらせて文句をいう。学校では女子にきゃあきゃあ言われている顔は、まるでタコのようになっていた。

「なに笑ってんだよ、晶ァ」

「いや、陸兎ほんと英語嫌いだよね、いつもだけど。すごい顔してる」

「ケッ、英語なんざやらなくても生きていけるし」

「ハハ」

 陸兎は黒髪をガシガシと掻いてそのまま畳に転がる。どうやら集中力が途切れたようだった。晶も一旦勉強を中断する。陸兎はそれに気づいてむくりと起き上がった。こころなしか瞳は好奇心に満ちていた。

「なぁなぁ晶、最近学校で流行っている怪談話わかる?」

「ハ? あぁ、なんだっけ、聞いた覚えはあるけど……」

「カガミ様」

「あ、そう、それだ」

 最近学校で噂になっている怪談話だ。なんでも、放課後、夕方以降に学校に一人でいると『カガミ様』がやってくるそうだ。陸兎は得意げに噂話を披露した。珍しいなと思った。陸兎はあまりオカルトの話はしないから。

「『カガミ様』は長い黒髪の女性の霊で、鏡を探しているらしい。その場で鏡を渡せばいなくなるが、渡せなければ……っていう話だよ」

「鏡って……俺会ったら終わるな」

 そう、晶の家には不自然なほどに鏡がないから、晶自身も鏡はひとつももっていない。そもそも男子で鏡を常に持っている奴、稀だろうと晶は思う。女子だって時と場合によっては持っていないんじゃないだろうか。

 晶の家の特殊な鏡がないということを知っている陸兎はフフンと笑った。

「いや、必ず鏡でなくてもいいんだ。例えば水でも水鏡になるし、ガラスでもいい。とにかく映ればいいらしい。噂の発生元は学校の裏サイトらしいんだけどさ、噂の主はスマホのミラーアプリを起動した状態でスマホごと渡したら『カガミ様』はいなくなったんだってよ」

「へ~、わりとしっかりしてる話だね」

「あっ、信じてねぇな? ま、俺もだけどさ」

「だったらそんなワクワクすんな」

「アハハ、そんなん他人事だからおもしろいんだろ」

「それはそう」

 ハァ、と晶はため息をついて机の上に置きっぱなしだった麦茶を飲む。『カガミ様』。鏡。

 晶の家には鏡はない。その不自然さを教えてくれたのは目の前の友人、陸兎だ。なんだか不可侵のようになっていた晶の家の異常性に今まで口を出さなかった陸兎が、急に『カガミ様』のことを言い出すのは少し気にかかった。

 特段気にするわけでもないが、自分の家に「鏡」がないこと、『カガミ様』、なんとなくおかしな陸兎、少し嫌な予感が晶の胸をよぎった。

 だからと言って、晶が鏡を持つことはないのだが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ