Ⅰ.第3話
‟眼鏡”の依頼は簡単に片付いた。
仕事上のライバルを消すなんて、よくある話だが、やっぱりあくどい。
これでこの街の貿易仲介業は、やつ一人で仕切ることができる。
報酬は良かったが……
金貨払いは次回から止してもらおう。とにかく重い……。
屋敷で報告を終えた後、宿に戻るとあいつが居た。
兄上の使いだ。
「レスト様」
かしこまって、膝をつき頭を下げている。
長い付き合いなのに、堅苦しいところはちっとも変わらない、この兄の忠犬は。
「……そういうのはいいから。こんなところまで大変だっただろ。休めよ」
どこに行ったって、こいつはいつも探し当てる。
一体、どんな情報網を持ってるんだか。
「で、今回は、兄上はなんて?」
「こちらを」
まただ。ダイヤモンドを幾つも小分けにした袋が机の上に所狭しと並べられる。
いつまでも関係が切れないんじゃ、俺が城を出た意味がない。
「兄上は変わりないか?」
「はい。心配しておいでです」
「もうオレのことは忘れるよう伝えてくれ。国務に集中しろって」
「しかし……」
毎度、この繰り返し。
忘れてほしいっていうのは本音だ。
たとえ、唯一俺を心配してくれる家族だとしても。
だからこそ、その重荷にはなりたくない。
「もう帰れよ」
これ以上、見たくなかった。
自分の過去と繋がるものは。
だが、兄の気が済むなら、このダイヤはもらっておこう。
女性が喜んでくれる物は、どれだけあっても困ることはない。
まだしばらく視線を感じていたが、もう俺が見もせず何も言わないと分かると静かに部屋を出て行った。
いい思い出なんてありはしない。
もう戻らないと決めたからこそ、懐かしく感じる。
その香りを運んできた者が消えて、急に寂しさを覚えた。
拒絶してもこの気持ちを失くせるわけじゃない。
……ゼフィア!
無性に彼女に会いたくなった。
あの日、彼女が残していった指輪はいつも指に嵌めている。
彼女の声が聞きたい。あの肌に触れたい。
せめて、あの微笑だけでも……
窓に何か当たるような音が聞こえた。
まさか彼女が?
微かな期待を胸に窓を開ける。
だが、何もなかった。ただの風か。
そりゃそうだ。そう都合良くいかないよな。
「ハハ……」
ベッドに戻ろうと振り返った俺を、彼女が見つめていた。
「ゼフィア……」
「うそだろ?」
そこには、オフショルダーの黒いドレスを纏った彼女がいる。
想いすぎて幻が見えるようになったのか。
「もしかして……その顔。幻だと思ってるの?」
切望した微笑が、すぐ近くにあった。
「まぼろしでもいい。君に会えるなら」
その頬に触れようと手を伸ばす。
だが、するりと躱され、手は虚空を撫でるだけだった。
「ん」
幻じゃない。俺が描く幻なら彼女は逃げない。
嬉しさに思わずニヤリとする。
今度は本気で手を伸ばした。
素早く彼女の腰を引き寄せると、あの不思議な香りがした。
抗えない。
そのまま惹きつけられるように、その青白く繊細な肌に触れる。
彼女のあごにそっと指を添え、その唇に軽く口づけた。
反応が見たくて目を開くと、ゼフィアはレストを見上げ、魅惑的な瞳で軽くにらんでいる。
続けようとその頬に触れようとすると、彼女はすり抜けて椅子に腰かけた。
「今夜は一緒にいるわ」
瞬間、俺の目は輝いただろうか。たぶんそうだ。
「依頼の話も詰めないとね」
あぁ、依頼ね、そうでしょうとも。
でも。
それでもいい。彼女を近くに感じられるなら。
自然と笑みが零れるのが分かった。
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