Ⅰ.新たな依頼
内容を一部訂正いたしました。
すみません。
「なるほどね」
ここは、とある宿屋の、やや広めのベッドの上。
彼は上体を起こしながら、枕を背にして座った——さりげなくブランケットを引っぱり上げて。
一方、彼女は彼の様子を全く気にする素振りもなく、隣で真剣な瞳のままだ。
彼女の黒いドレスが白いシーツの上で広がる様は、まるで彼に忍び寄る影のようなのに、なぜか触れたくなる。
彼は、少し赤面する状態ながら、気を取り直す。
「単なる夢じゃないってわけね」
突如として現れたこの女性の名はゼフィア。
冥界の王女だという。
「受けてもらえるかしら、私の依頼」
状況を観察できる冷静さが彼に生まれたところで、改めて見る。
彼女は、月を象ったような飾りを耳と首元に付けていた。
黒いドレスの胸元は開き気味で、細い鎖骨が目立つ。
強い意志を感じる瞳が彼を見つめる。
冷静さは簡単にどこかへいってしまいそうだった。
「えっ、そ、そりゃ……」
「でも、君の依頼はミラクル危険な香りがするな~」
胸の内はそうでもないが、少し余裕ありげに笑ってみせる。
ゼフィアが身を乗り出し、嫣然とした唇が近づく。
「あら、あなたなら簡単よ」
彼女の影が彼の顔にかかる。
「だって、私の選んだ、特別な人だもの」
ゼフィアは浮かび上がり、黒いドレスが大輪のバラのように広がる。
彼女は手を伸ばし、その指先が彼の頬を撫でるようにそっと触れ……
姿は、消えた。
まさしく、フッと居なくなった。
だが、彼女が消えた場所から何か落ちてきた。
それは、ゼフィアを思わせる、黒い石の嵌めこまれた指輪だった。
「どうかした?」
ルーティブロンドがさらりと落ちてきて、その感触のくすぐったさで我に返る。
不思議そうにこちらを見つめる瞳。
未だ彼らは、裸体で横たわっていた。
一体、何がどうなってる?
どうやら、彼の理解を超えた事態が起きたようだった。
持ち前の柔軟性で、状況を楽観視する。
この右眼が、シーツの上の黒を忘れていない以上、今回は夢じゃないってことだ。
彼が答えないので不安に感じたのか、
「朝食は用意したほうがいいかしら?」と聞かれる。
「あぁ」
「それと、もう少しゆっくりしていていいかな?」
彼女にチップとしてダイヤモンドの粒の入った革袋を渡すと、すぐに朝食が運ばれてきた。
まずは、やらなければいけない依頼があった。
その後は……
自分の指を見る。
ゼフィアの指輪をはめた指を。
夢の場所は、おそらく、ここ冥界。
‟特別な人”
……もちろん、仕事の腕を買われたのだろうが、それでも誤解したかった。
特に、彼女を愛しいと感じたほどのあの感覚に、珍しく心が躍っていた。
本名はレスト。
彼の両眼と同じようにあらゆる矛盾の集大成。
繊細なようでゴツく、明るいようで暗く、大人のようで子どもで。
彼の人生は手に入らないものばかり。
そんな彼が選んだ仕事……
それは、依頼暗殺だった。
彼はやがて『D』と呼ばれるようになった。
DとはDeath。
彼がやめない限り、死はいつまでも纏わりつく。
それは彼が死を望まない限り、永遠に続く……
◇◇◇◇◇
「なんだ、また旅に出るのか?本当に落ち着きのない奴だな……で、今度はいつまでなんだ?」
豪奢なソファを背景に、絵に描いたような王族。長兄の王子だ。
「兄上……オレ、もう城に戻る気はないんだ」
「何?どこへ行くつもりなんだ?」
俺はただの旅人。
実際、俺は迷惑な人間だ。
「もう飽きたんだよね。それに、こんな形式ばった堅苦しいの、疲れるんだよ」
「レスト、お前泣いて……?」
声が震えてた?
隠しきれなかったようだったけど、誤魔化して笑ってみせる。
「え?……オレにはさ、もっと自由な広野ってのが性にあってるんだよな。こんなとこに閉じ込められて一生終わらせんのイヤだからさ」
畳みかけるように言葉を紡ぐ。もう自分が戻れないように。
「ま、兄上は立派な王様になって、父上に孝行してやってくれよ」
「おいっ、レスト‼ちょっと待……」
兄の言葉の端まで聞かず、足早に部屋を出る。
扉の閉まる音がやけに大きく響いた。
城内にいれば、嫌でも聞こえてくる密やかな噂話。
「まぁ……三男のレスト様が……」
俺が居れば、兄上の継ぐ王位に傷が付く。
原因不明だが、生まれ落ちた時から俺の左眼は視力が皆無に等しい。
見た目のせいか、常に気味の悪い噂の種だった。
悪魔が取り憑いてるだの、不幸を呼び寄せるだの……根拠なんてなくても、人は自分の見たいものだけを見る。
少年時代は歪んだ世界に閉じ込められて過ごし、根暗になる一方、なぜか軟派な性格になってしまった。
問題改善能力の欠如?
確か、お抱え助言者が言ってたっけ。
なんでもいい。どう思われても。
自分の居場所がどこかにあるなら、それを探したい。
少なくともそれは、城内にはないから。
「嫌なことを思い出しちまった……」
レストはシガレットケース出すと、依頼人のところへ歩き出した。
煙と一緒に心の滓が出ていくのを、どこか遠い目で見ながら。
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