Ⅲ.第1話
冥界の出入り口は洞窟のように深く暗い。永遠に続くかと思われる階段が地下まで続いていて、覗き込めば、それはまるで深淵だ。
ギアはホテルに残った。
彼は、邪魔はしないという言葉を守ったことになる。
ひとりで通るのは二度目。
ここは、幼いころに過ごした場所を彷彿とさせる。
冷たく暗い、壁と床が唯一の視界の部屋。
でも、今はゼフィアに繋がる道程でもある。
冥界を今のままにはしておけなかった。
王による暴挙。
ゼフィアの依頼の理由でもある。
そんな父親だ。
もしかしたら、彼女への扱いも悲惨なものかもしれない。
あの優雅な微笑からは計り知れないような。
レストは自然と足が早まるのを感じていた。
彼の心配通り、彼女は王宮内に幽閉されていた。
王家の石を嵌めた剣を持つブレイカーの噂は瞬く間に広がり、予期していたより早く王の知るところとなった。
『D』の活躍の賜物だが、ゼフィアの誤算でもあった。
彼女は当然、追及を受けたが、頭を低くして慎ましやかに言ってのける。
「お父様には感謝こそすれ、そのような、恐ろしい大それたこと考えるはずがございません」
「可愛い娘がわたしの死を望むわけがない。全ては妃の仕業であろう」
「このような企ての前に死なせておけばよかった」
彼女は、耐えた。
長い年月を積み、作り上げた笑顔の仮面は精巧で、王はすっかりゼフィアが自分の傀儡と信じ込んでいるようだった。
だが、付け加えた。
「ゼフィアも狙われる恐れがある。王宮からは出るなよ」
彼女は頷くほかない。
監視はより強まり、彼に伝える術はなかった。
ここは、相変わらず真夏のような暑さだ。
疑似太陽だから、日焼けはしない。
ゼフィアがそう教えてくれた。
考えてみれば、地下に光が届くわけはないのだけど。
宿屋のオネーサンが威勢よく接客しているのが見えた。
不思議なことだが、随分前の景色のように思える。
「やぁ」
声をかけると、「あぁ、ダイヤの人!」と明るい声が返ってきた。
なぜだか懐かしい気分に浸りながら、彼女に王宮の場所を尋ねる。
「王宮は今、厳重警戒で、厳戒態勢だよ。旅人なんて入れてくれないって」
「一体、何があった?」
「それがね……」
だいたい把握できたところでオネーサンにお礼をして、レストは王宮へ向かった。
この指輪を付けて入るのは危険か。
レストは、ダイヤモンドの小袋のひとつに忍び込ませた。
でも、今は見つかった時のことより、ゼフィアのことが気がかりだ。
確かに、王宮の門と思しき場所は、厳つい門番が複数いて物々しかった。
仕方ない。
彼は、営業スマイルで近づいた。
ゼフィア様に呼ばれた、と言うと、どうやら本人に確認を取っているようだった。
彼女は、王宮にいるということか。
それが分かれば、ここで門前払いされても、後で忍び込んで彼女に会える。
近くで彼女の声が聞こえた。
「私が頼みましたの。質の良い宝石が欲しくて」
レストに気づいて機転を利かせてくれたようだ。
門番は、大門ではなく通用口を開けて通してくれた。
この警戒態勢をものともしない、王女の一言の重さに少し感心する。
扉の先に、彼女がいた。
「どうぞこちらにいらして」
艶やかな髪は緩く後ろで編みこまれ、美しいレースが首元を覆うデザインの黒いドレス姿。丈はいつもより短めで、彼女の美しい脚が見る者の目を惹く。
だが、レストは彼女の目を見ていた。
ゼフィアの深紅の瞳の奥で、輝きが増したのを。
彼を映したその瞳の奥で。
彼女は、客室に宝石商の彼を招いた。
自室より監視の目が緩いことを期待して。
扉を閉めた瞬間、彼女は小声で非難を浴びせる。
「なぜ来たの?!……危険すぎる」
「拘束されていたわけじゃなくて、安心したよ」
「分かってない。皆、あなたを探してるのよ」
こんな彼女は初めてだ。
こんな、感情を露わにした彼女は。
「心配しなくて大丈夫。自分の身は守れるよ」
安心させるように、笑って余裕を見せる。
「オレは暗殺者だよ」
彼女はこんなにも必死に俺を心配している。
ヘンな気持ちだ。
嬉しい。けど、それだけじゃない感情が胸を激しく叩いていた。
「……だとしても、注意してね」
レストの手に指輪がないのに気づいて、少し安堵したようだ。
「私は、しばらく王宮を出れそうにないの。あまり長くいると怪しまれるから、もう行くけど……今日はこの部屋に泊まってくれる?」
「君がそういうなら」
去り際の彼女に、小さな箱を渡す。
「何もなかったら怪しまれるだろ?」
ゼフィアは驚いて彼を見上げる。
レストは、その瞳の輝きに見とれた。
「このためじゃなかったけどね。なんだか君のようだと思って。もちろん、比較にならないくらい君の瞳の方が美しいけど」
こんな形で渡すことになって残念だった。でも、役立てるなら今しかない。
「ありがとう……助かったわ」
彼女の返事は素っ気なく、なんだか早く部屋を出たがっているようだった。
レストは、ずっと抱きしめたい衝動を抑えていた。
やっと会えたのに。会うために来たのに。
胸の中を何かが震わせる。
「まだダメだ」
引き寄せて彼女の腰に両手を回す。
腕の中に閉じ込めて、じっと見つめる。
引き留めたい一心で。
彼女は、はっきりそれと分かるように目を逸らした。
「もう行くわ」
それだけ言うと、彼の手を解いて部屋を出て行った。
明らかな違和感を残して。
今日のゼフィアからは不思議な香りはしなかった。
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