樹
たぶん何十年も前に
埋まってしまった希望とか
土の奥底で種になって
いまの樹になる
樹を植えることは
いま この時間を土の中に埋めて
ゆっくりと顔をだした
ちいさな若い芽のために
ていねいに水をやること
光線のなかに見えた熱で
なにもかもちりぢりになったとしても
ひとは種を植える
◇
僕たちが生きることになんのためらいをもつか。僕たちが生きることになんのとまどいがあるか。そんなもの、僕らが決めるし、だれかにいわれることでもないし、生きる、とか、おおげさすぎて、いやだけど、でも、実際に生きてるわけで、僕は、そんな僕が、いまさらながらすきだ。
大きな樹とか、よく、何千年も生きた樹とか、パワーがあるだのいわれて、で、実際に目の前にしてみると、たしかに、溢れてやまないような隆々としたエネルギーにあてられて、すごい。なんでもできそうな、万能感が、なくもない。
でも、本当は、樹だってくるしいはずで、僕たちがかってに囃し立ててるだけで、もしかしたら、樹はとっても気弱なやつかもしれない。もしくは、そこにパワーとかエネルギーとかなくて、僕たちがかってにつけた付属品で、つまりそこには、生物的であり機械的な魂、いや、たんなる生命の営みがあるだけで、僕たちが期待するように、樹はすごいものではない。そう思わないこともない。
生きる、とは、やはり機械的だ。樹のように、とか、そういうことだ。僕たちが生きることになんのためらいをもつか――樹はためらうのだろうか。僕たちみたいに、樹にこころはあるのだろうか。僕がいま、手を置いているテーブルは、樹だ。毎晩よこたわるベッドも樹だ。なんなら、家は、わりとほとんど、樹だ。これらに心はあるか。樹に心はあるか。僕に心はあるか。君に心はあるか。