理術
目を開けたら電車の中だったりしないか、アパートの隅に佇むパイプベッドの上ではないか、意識の覚醒と一緒にそんな思いが湧き上がる。
しかし、その希望は瞼を開ける前から肌に触れる枯れ葉の感触で裏切られる。
心の中で小さなため息をついて瞳を開ければ、目に入るのは仄暗い天井の岩肌。
今日で七日目、つまりこの異世界で一週間を生き残った。
ハンカチが巻かれた右腕を上げてじっと見る。最近は傷口にかさぶたができて痛みも気にならない程度だ。
狼に襲われたときは遅かれ早かれ死ぬと思った。でも今はまだこうやって生きている。あれから人を襲うような獣との遭遇はないし、噛まれた傷が腐ったり感染症になったような気配はない。
そして奇跡的にこの世界の少女と出会うことができて、今では異世界語も学べている。言葉さえどうにかなれば現代で培った教養を活かして生きる道を切り拓けるはずだ。
ここまで文化が違うなら何かしらのアドバンテージはきっとある。
それにしても気が付けば山の中、村人に追われ、狼に襲われ、雨露をしのげる住処を見つけ、七日目の朝はここにいる。これまでの過程を振り返ると、まるで誰かが俺を生かしているのではないかと思えたりもする。
厳しい局面もあったが、今の状況はそれくらい恵まれているのではないだろうか。
特に少女との出会いは、運命や奇跡という言葉で片づけるには不自然すぎると思う。
もし俺が大樹の洞から動かなかったら、どこかで進む方向が違っていたら、断崖の行き止まりから戻るときにこの洞窟を見つけられなかったら、きっと俺が生きていない未来もあっただろう。子供のレティシアなら尚更だ。
……いや、考えすぎなのかもしれない。俺は今こうやって生きているんだ。間違いなく一生懸命になって生きようとした証だ。
とりとめのない思考を中断し、上半身を起こして思いっきり背を伸ばしたとき、なにかの臭いに気づいた。
これは……小便?
レティシアの方を見るとまだ寝息を立てている。
洞窟の暗さでは判断できないが、この臭いがするということは……おねしょか。
小動物が入り込んだのかも、と一瞬考えるが、どうも臭いの発生源はレティシアのようだ。
入り口の定位置にあるペットボトルを見ると空になっていた。レティシアが夜中に全部飲んだのだろう。
「おーい、朝だぞー、おーい」
声を掛けると、身じろぎした直後にガバリと勢いよく体を起こした。
『あー、おはよう』
とりあえずは何も知らないふりをして挨拶するが、レティシアはこちらを見ない。
どうしたものかと逡巡したが、子供相手に気を使いすぎるのはどうかと思い決心して尋ねる。
『……洗濯、いく?』
ゼンマイ仕掛けの人形のようにこちらを向き、レティシアは小さく頷いた。
洞窟から出るとレティシアは顔を真っ赤にして俯いている。ワンピースの下半身部分はしっかり濡れていた。
『夜、水、多い、飲む』
昨日頑張って書いた単語メモを見ながら、小さな頭を撫でて沢へ降りる。
ワンピースとパンツ、どっちも洗うと下半身丸出しだし、どちらかだけというのも寝るとき臭いがしそうだと思い、川原に着いてからジーンズを脱いで差し出す。
無言でそれを受け取ったレティシアは、こちらを見もせずに洗濯場へ走っていった。
俺もいつもの場所でTシャツと靴下をゴシゴシ洗う。パンツ一丁だけど今日だけは仕方ない。
ふと流れが停滞している浅瀬に映る自分の顔を覘いて見ると、無精ひげが見事な泥棒ひげまで出世していた。
肉がついていた顔は前より痩せて良い感じになってきているのに、口周りと顎を覆う濃いひげのせいで台無しだ。
童顔にひげって本当にダメだな。この顔で怪しい者じゃないと言っても絶対に信用してもらえないだろう。
町に行ったらまずは髭剃りをしようと心に決めて洗濯したものを干していった。
それからしばらくして蟹と落ち木を集めおわる頃、タンクトップ風の肌着とぶかぶかのジーンズを着たレティシアが、ヨロヨロの足取りで戻ってきた。
「ハハッ、裾くらい折ってよー」
アンバランスな姿がおかしくてつい笑ってしまう。
転ばないよう下を向いていたレティシアが驚いた様子でこちらを見る。
『……笑った』
言われてみれば、この異世界で声を上げて笑ったのは初めてかもしれない。
なんとなく照れくさくて、何も言わずにレティシアの足元にしゃがみこんで裾を折った。
ベルトはウニクロで買ったフリーサイズのやつだが、まだ胴回りがぶかぶかなので締めなおしてやる。
『よし、蟹、焼く』
裾を三重に折りベルトを締めたら朝飯の準備を続行だ。
二人で串用の枝に蟹を黙々と刺していく。最近はレティシアも手馴れてきたのか脚がもげる様なことはあまりない。
準備がおわって焼く段階になり、ポケットからライターを取り出していると昨夜の理術を思い出した。
「レティシア、火、理術、お願い」
火を点けずに着火点を指差してお願いしてみる。
『……わかった』
レティシアが伸ばした人差し指を見つめると、その五センチほど先にライターのより少し大きい火の玉が浮かび上がる。
呪文や予備動作はほとんどなかった。昨日も見たけどやはり凄い。
指を近づけて枯れ木の山に点火すると、指から火がふっと消えた。
『おお、ありがとう』
こんがりと蟹を焼きおわったらバリボリと音を立てて食べる。
昨日は木苺のインターバルがあったからマシだったものの、塩気が乏しくて飲み込むまでは至らず、液状になるまで噛んだら水で流し込むしかない。
レティシアも嫌気がさしているのだろう。摘んだ蟹をつまらなそうな顔で眺めている。
しばらくしてようやく残り一匹になったのでレティシアを見る。力なく首を横に振るので仕方なく俺の腹に収まった。
「ごちそうさまでした、っと」
食後の休憩ということで行儀を無視して仰向けで川原に寝っ転がる。昨日は雲一つなかったけど今日は結構曇っていて、もしかしたら雨が降るかもしれない。
『レティシア。昨日、俺、理術、使える、分からない、言う』
ポケットから単語メモを取りだし、同じように隣で仰向けになるレティシアに理術を使えるか訊いてみる。
レティシアは天に向かって片手をあげて人差し指をピンと立てた。
『レッスンが大変なの。えーと、使える、時間、たくさん必要。でも、使えないかも』
なるほど。修行が大変な上に頑張っても使えない可能性があるのか。
『レッスン、どうする? 知る、お願い』
『昨日言ったけど、理術は、火、水、風、土ね。もう一つある。でも、説明が難しいわ。私は火と水と風ができる。これは凄いこと』
『おおー、三つ。凄いこと』
人によって適性があるのか、それとも修行に時間を要するのか? 両方かもしれない。
『ねぇ、立って』
そう言いながら立ち上がるレティシア。俺も間を置かず立ち上がる。
そして先ほどと同じようにして指先に小さな火を灯した、と思ったらそのまま川の方へと歩き出す。
『これが火術ね。理術は……最初、同じ。でも火は熱い。注意が必要。分かる?』
最初が同じというのはよく分からないけど火傷に注意ってことか。
『……分かる』
『で、これが風術。えーっと、うーん、細かい、力、必要。分かる?』
扇風機なら弱設定くらいのそよ風が俺の顔を撫でる。制御が難しいとか繊細な力が必要ってことかな。
『分かる』
洗濯の際に泥棒ひげを見たときの浅瀬でレティシアの足が止まった。
その場にしゃがみこむと左手を水につける。
『そして、これが水術。生活、とてもいい』
左手が浸かった水面から透明な水がウニョリと触手のように上へ伸び、俺の腰くらいの位置で止まった。
太さは大体……俺の腕くらいか。想像していたけど実際に見ると凄く不思議な感じがする。
『水、動く、できる?』
『できるよ、ほら』
無色透明の触手が音もなく俺の頭の位置まで伸びたと思ったら、右や左に曲がったあと螺旋を描いてバネのように伸縮する。まるで生きているみたいだ。
『ふふっ、私、水術が凄いの』
そう言うと操る水術を解いたのか、触手は形を失ってばしゃりと水面に戻っていった。
素晴らしい。思わず拍手してレティシアを労う。
『凄い、とても凄い、最高』
『まぁね。でも、火と風はまだまだ』
まんざらではないといった風に嬉しそうな顔で謙遜する。
『でも、水、手、つける。つけない、水術、ダメ?』
レティシアは言葉の意味を理解したのか、俺の質問を鼻で笑った。
『水術よ。******************』
ダメだ。後半は知らない言葉ばっかりで全然分からなかった。
首をひねる俺を見て困った顔をするレティシア先生。不出来で申し訳ない。
さっきの反応からしておそらく無理なんだろう。
急に暗くなったので空を見上げると、太陽に厚めの雲がかかっていた。
山は天候が変わりやすいからそろそろ戻ろるとしよう。
雨が降る前に乾いた服を着て洞窟へ帰ってきた。
おねしょのことを思い出したのか、レティシアのテンションが見るからに下がっている。
まぁそんなことより、理術を習得するためにもっと言葉や単語を覚えたい。
洞窟の外壁を背もたれにして腰を下ろし、鞄から新しい紙を出して四つ折りにする。
企画書はまだ余裕はあるけど、追加は望めない以上は大切に使おう。念のため数えると残りは十五枚。
今まで気にしていなかったけど、この世界での計算や数字の概念はどうなっているんだろうか。ふと気になった。
『レティシア、こっち来て』
洞窟に入っていたレティシアを呼んで隣に座らせる。
適当に集めた落ち葉を慣らした黒土の上に一枚置いて、その下にアラビア数字の1を細枝で書き、レティシアに枝を渡す。
何のことか分からず首を傾げたが、すぐにどうすればいいのか分かったようだ。
1の横に同じような線を一本書いた。……本当に分かっているのか怪しいな。
今度は葉を二枚置いて2を書くと、線を二本。3だと線三本。
四枚の葉の下に4を書いて枝を渡すと、次に書かれたのは線ではなく、見たことのない変な字だった。よかった。理解してもらっていた。
これがこの世界、またはこの国で表す数字の4なのだろう。
葉を並べてから5、6、7、8、9と立て続けに書き、レティシアに枝を渡すと対応する異世界数字を書いていく。全部知らない字だ。
さっき四つ折りにした紙にアラビア数字を書いて、地面に書かれた異世界数字を見ながら、その下に世界数字を書き記しておく。
問題はこれからだ。
葉を十枚並べて10を書く。レティシアはどう書くだろうか?
少女は異世界数字の1を書き、そのすぐ横にピリオドのような点を少し大きめに書いた。
さらに11だとピリオドの部分が1に変わっただけだった。
よし、と心の中でガッツポーズをする。十進数ということで間違いないだろう。
これなら普通の四則演算や筆算、累乗なんかの計算がそのまま使える。
こっちの世界の数学の方が発達してたりしたらアドバンテージは無いけど、うまくやれば会計とか数学者という職にありつけるかもしれない。
今度は少し計算式だ。
間隔を開けて葉を二枚置き、そこから少し間をとって葉を二枚、これは少し重なるようにして置く。
その下に細枝で「1+1=2」と書いてから枝を渡すと、記号は違えどそれっぽい式を書いてくれた。
引き算もすんなりできたが、掛け算と割り算はレティシアがなにやら手を使いながら計算してから書いた。
一桁の掛け算割り算で手を使うというのがよく分からない。そこまで詳しくは学んでいないのかもしれないし、インド式みたいに独特の計算方法という可能性もある。
次は葉を使わず、二桁数字の足し算を筆算形式で書いてみる。
レティシアを見るとノーリアクションで、何をどうしたらいいのかすら分からないようだ。
同じ数字を筆算ではなく、普通に横に並べる形で書いてみると今度は反応した。
前のめりになってぶつぶつ言ったあとに答えとなる数字を書いた。なんかドヤ顔してるし。一応さっきのメモと照らし合わせると正解だった。
枝を受け取って適当な二桁数字の掛け算を筆算で書いたあと、その隣に普通の式も書いてからレティシアを見ると、まるでオーマイガとでも言うように頭を抱えだした。
しまった。十一歳って小学何年生だ?
小一で六歳として、小学生だと四年か五年。この世界の教育水準だと教わってないか。
これは訊く相手を間違えた。レティシアしか相手はいないけど。
とりあえず土に書かれた異世界の計算記号をメモして片づける。
なぜかレティシアは不満そうな顔してるし。なんで?
それからトイレ休憩をはさんで昨日同様に単語レッスンをしていると、灰色の空からポツポツ雨が降ってきた。
急いで洞窟に入る。
さすがに夜ほどではないが、中は暗く辛うじてお互いの顔が見える程度だ。
木を燃やして灯りにしたいけど、落ち葉に燃え移るだろうし、一酸化炭素中毒で死にたくないから却下。
雨が止むまでは洞窟でじっとするしかないのか。
『あっ!』
晩飯はどうする。雨の中に蟹を捕りに行って風邪をひいたら大事、この環境なら風邪でも普通に死ねる。
今なら小雨だし行けるか……いや、ダメだ。いつ本降りになるか分からないんだから待機一択だ。
ペットボトルの水は半分以上ある。雨が止まなかったら晩飯は抜くしかない。
『あー、晩飯、蟹、無い、ダメ』
レティシアと向き合って衝撃の事実を伝える。
だが表情に変化は見られない。もしかしてもう蟹は食べたくないとかか。気持ちは分かるけど。
今は時間にしておそらく午後三時くらい。これといってやることは無いが寝るにはまだ早い。
『理術、教えるわ』
突然そう言って俺のすぐ側までやってくる。
『目、閉じる、****、****、頭、中、ゆっくり、口、鼻、***、*****……意味が分からないのある?』
レティシアは両手で数えながら矢継ぎ早に捲し立てた。
『分からない、三番、四番、最後の二つ』
『えーと、****、****、***、*****?』
挙げられた言葉は全部分からないので首肯した。
『よし、分かった。瞑想、呼吸、意識、集中』
かれこれ半時間はかけて四つの言葉を理解できた。
大げさなジェスチャーで何度も説明し続けたレティシアは既に疲れが見えている。
よく考えると呼吸以外は身振り手振りで説明するのが難しすぎた。
理術の修行が前提になかったら、一時間あっても理解できなかった自信がある。
『はぁ、疲れたわ。目、閉じる、瞑想、呼吸、頭、中、ゆっくり、口、鼻、意識、集中、全部分かる?』
『ああ、全部分かる』
『まずは瞑想ね。寝てから目を閉じて』
早速ですか。まぁいいけど。
仰向けに寝て目を閉じた状態で指示を待つ。何も言われないから仰向けでいいんだろう。
『次は呼吸。ゆっくり、ゆっくり呼吸。十吸って、十止めて、十出して。ゆっくりね』
深呼吸のように、大きくゆっくり息を吸っていく。
『ダメ。吸いすぎ。鼻から。もっとゆっくり。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。このくらい』
なるほど。分かりやすい。
一旦息を吐き出し、少しセーブして遅めに頭の中で十数えつつ、ゆっくり鼻から空気を吸いこむ。
『息止める』
限界まで吸ったら止める。腹まで息が入っているのがはっきり分かる。
……八、九、十。結構苦しい。息が出口を求めて脳にSOSを訴えてくる。
『吐いて。口から。ゆっくり。一、二、三、四、五、六、七、八、九……』
吐くのもキツい。長く持つようにゆっくり吐き出すペースが掴めない。
『ない、ゆっくり吸って、前と一緒』
息を吐き出し切ったらまた鼻から吸う。
鼻からゆっくり吸って、しばらく止めて、口からゆっくり吐き出す。
単純なはずなのに苦しい。酸素の供給が足りていないのか?
それから五回、十回と繰り返すがレティシアは止めずに呼吸を促す。
『頭、考えない。意識は手のひら。ゆっくり、あったかくなる。ゆっくり、少しずつ、ゆっくり、ちょっとだけ、あったかくなる』
いつまで続くのかと思っていたとき、ふいに新しい指示がとんできた。
手の平が、ゆっくり温かくなる。なんだか催眠術みたいだ。少しずつ、ちょっとだけ、温かくなる。
慣れない呼吸の息苦しさに意識を持っていかれながらも、手の平に集中して、ちょっとずつ温かくなっていくように思念する。
するとどうだろうか。本当に少しだけ手の平がじんわり熱を持ったような気がする。
それから呼吸を繰り返す度、僅かだが手の平は温かさを増していく。今は少しぬるめの風呂に両手だけを入れているような感覚になっている。
『体、動かすのダメ。次は足もあったかくなる。ゆっくり、少しずつ、あったかくなる』
少し尻の位置が気持ち悪くてちょっと動いたらダメ出しされた。
ゆっくりと呼吸を続けながら、今度は足に意識を向ける。少しずつ少しずつ温かくなる。
足に意識を持っていっても手はまだ温かさをキープしている。なんとなくだがこの呼吸が続く限りは熱を維持できる気がした。
念じながら呼吸を何度も繰り返し、時間の感覚がなくなってきたころ、ようやく足も手と同じような温かさを感じるようになった。
『今度はおへそ。おへその下。ゆっくりあったかくなる』
レティシアは俺が温かさを感じていることが分かっているのか?
ダメだ。今は余計なことを考えずに集中しよう。そうしないとなんとなくだが今までの苦労が無駄になりそうだ。
へその下。丹田か。
これまでと同じようにして丹田を意識する。普段は気にもしない部分だが、なぜか熱を集めるべき箇所がはっきりと分かった。
『ゆっくり、ゆっくり、あったかくなる。腕、足、お腹、体、あったかくなる。冷たいの、頭だけ。頭だけ、冷たい』
まだ丹田は温まっていないが、レティシアから新しい指示がとぶ。
言われた流れで意識する箇所を広げていく。
じわりじわりと手足から腕と脚、そして胴体、丹田へと少しずつ温かみを帯びて、全体が温かくなる。
でも首から上は冷たい。まるで頭と体が分離しているんじゃないかと錯覚しそうだ。なんか面白い。
呼吸の息苦しさはまだあるが、かなり落ち着いてきた。
『頭、おでこ、中、意識、集中する』
おでこ……意識を集中。集中……。
意識をおでこに向けていると、ふと額の中心を触られた。
『ここ、ここに集中。息、吸う、出す、ここ、集中』
指が離れる。なるほど、漫画でいう第三の眼のところか。
体は全体がぽかぽかと気持ちよく、呼吸の度に意識の焦点を額の中央へ絞り込んでいく。
そうしていると、意識した部分にチリチリとした感覚が芽生えてくる。いや、もとからあった部分に気づいたと言うべきなのか。
凄い。意識するだけでこういうことができるのか。
額の中心は呼吸する度にズキズキと血管か何かがうごめいているようだ。
『はい、おわり。ゆっくり目を開けて』
呼吸と額への意識はそのままに、ゆっくり瞼を開ける。
暗い。どれだけ時間が経ったんだろう?
『大きく息を吐いて。……うん、これでおわり』
最後に全部を吐き出すように息を出し尽くす。額のズキズキはまだ残っているが次第に弱まっていくのが分かった。
『これ、なにか見える?』
意識して普通の呼吸に戻していると、レティシアが俺の眼前へ手の平を向けてくる。
『……手の平しか見えない』
『そう……』
それだけ言って手を下ろす。
本来なら何かを別のものが見えるのか?
もしかして適性がないのか。そう思ったときにレティシアが口を開いた。
『たぶんタチバナ、理術使える。でもいっぱいレッスン必要』
『マジか!』
凄く嬉しい。額がズキズキする感覚があったときにそんな気はしたけど。
『さっきのレッスン毎日する。きつい』
『オッケーオッケー。頑張る!』
瞑想のおかげか頭がスッキリした気がする。
ふと洞窟の外を見ると真っ暗で、雨がしとしと降り続いていた。
二時間。いや、三時間くらいはやってたのか。
長いとは思っていたけどこんなに時間が経っているとは……。
ガサガサとレティシアは自分の位置に戻り、こちらを向く形で体を横たえる。
『つかれた。おやすみなさい』
『ああ、ありがとう。おやすむなさい』
ペットボトルの水を一口飲んで俺も体を休めた。
『……ふふっ、おやすみなさい、ね。おやすむじゃなくて、おやすみ』
『おやすみ、なさい』
『よくできました』
そう言ってレティシアが目を閉じると、雨の音だけが響く。
さっきの復習をしようかと思ったけど、なんだか脳が変に疲れたから明日にしよう。
『さっきのレッスン、最初、一回で呼吸おわる、凄いこと』
声のする方を見るとレティシアが目を閉じたまま呟く。
『レッスンいっぱい時間が必要。でも、タチバナ、早い、がんばる……』
何も言わず次の言葉を待っていると可愛い寝息が聞こえだした。言いながら寝たのか。漫画みたいだな。
いや、そんなに疲れるくらい頑張ってくれたのか……。
こんな小さい子供が二、三時間もぶっ続けで俺の面倒を見てくれたんだ。大変だったはずだ。
そう思うと感謝の気持ちと愛しさが溜まらず溢れてくる。
感情が思うままにのっそりとレティシアへ近づき、ゆっくりと頭を撫でた。
『ありがとう。レティシア』
企画書の枚数多い……多くない?(提案)
よく考えたら企画書じゃなくて広報資料でした。
話の大筋には関係しませんがいつか修正します(修正するとは言っていない)。
うぅ、許し亭、許し亭……。