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この異世界に明日なんて無い  作者: チョコモナカジャンボ
4/8

三日目

鳥の声で目が覚めると、まだ若干の薄暗さが残っていた。


昨日は洞に入ってすぐ寝たから、午後七時に寝たとして今が午前五時くらいなら約十時間睡眠か。


腕の傷が痛くて途中に何度か起きたけどしっかり寝れたと思う。


硬くなった身体をどうにか動かして洞から這いずり出ると、朝の新鮮な空気が肺を潤してくれる。


相変わらず筋肉痛の足腰が悲鳴を上げるが、岩を積んで手を付きやすくなって出入りはかなりマシになった。


右腕は巻いたハンカチが乾いた血で貼り付いてしまっていた。


剥がすと痛そうだから触らないでおこう。


ストレッチとラジオ体操もどきで身体をほぐしながら今日やるべきことを考える。


あの渓流が飯と水の拠点になるだろうから、迷わないように水場までの経路をもっと分かりやすくしよう。


それと狼の死骸の確認。他の獣に食われているかもしれない。


近づくこと自体、本来は避けるべきだろうが、もし死骸に変わりがなければ他の獣はこの近くにいないのかもしれない。


あとは……できれば山の反対方向にも村がないか確認したいが、まずは安全第一だ。


焦らずに時間があればその時考えよう。


鞄からペットボトルを取り出して残り半分ほどまで飲む。


残りを気にせず飲める水がこんなにありがたいとは。


一息ついた後、杖と鞄を持って枝を折りつつ狼がいた場所へと歩き出した。


鞄は置いていくか迷ったけど、もし村人に見つけられたらここにいるのがバレるから持っていくことにする。




狼が横たえていた岩場まで来たが、その狼の死骸が無くなっていた。


引き擦った血の跡があることを考えると、何者かがどこかに運んだらしい。


血痕は水場や洞とは別方角に続いているから、このまま川まで行っても大丈夫だろう。


気を引き締めて前方を警戒しつつ、枝をこまめに折りながら川へ向かう。


途中、ウサギのように耳の長いイタチらしき動物を見つけるが、すぐに逃げられた。


可愛いけど今まで見たことがない動物だった。


その後、迷わずに川まで辿り着けるか不安はあったものの、無事に川のせせらぎが聞こえて胸を撫で下ろす。


しばらく歩くと昨日と全く同じ川原の場所が見えた。


早速下りて腹とペットボトルを水で満タンにする。


やっぱり水がうまい。


次は蟹。


右手使って大きめの石を退けて沢蟹を探すと、思ったよりスムーズに二十匹以上集まった。


昨日と同じ要領で火を焚く。


今日は一匹ずつじゃなく、ある程度まとめて焼いてみよう。


串になりそうな枝を4本用意し、その先に蟹を刺して焼いていくと辺りに香ばしい匂いが立ちのぼる。


消えた狼の死骸のことを考えると、この匂いで狼などの肉食獣を引き寄せる可能性もあるか……。


しかし蟹を焼かずに食うのは御免被りたい。あの生臭い味は頑張っても無理だ。


やっぱり焼かずに食べられる木の実とかも積極的に試していかないとダメか。


蟹二十四匹を全部焼き終えて、二十匹を食べて残り四匹は鞄から取り出したペンケースを空にしてその中に入れる。


昨日は夕方に食べたが、今はまだ昼前どころか朝だし少ないが昼飯分としてキープしておく。


匂いはペンケースと鞄の二重構造だから気にしなくていいだろう。


次は腕を洗う。


冷たい川に右腕を突っ込むと、血で貼り付いたハンカチがフワリと剥がれていく。


相変わらず染みるような痛みが辛い。


一旦右腕を出してからハンカチを解いて血で変色した元紺色のハンカチをしっかり揉み洗いした後は、パンパンと水を切って近くの枝に引っ掛けておく。


右腕をもう一度川に突っ込んで傷口の周辺を出来るだけ優しく洗う。


噛まれた痕は相変わらず痛いが、今のところ、バイ菌が入って腐ったり病気になったりといった感じの変色はしていない。


狂犬病などの感染症は発症までの滞在期間があるだろうけど、それこそ今更どうしようもないので気にしないようにする。


洗い終わった腕を引き上げて、立ち上がりブンブン振って自然乾燥する。


右腕から垂れる血は気にせず、腰を下ろしてから生乾きのハンカチを巻くと血が染み込んでいく。昨日よりも血の流れは少ないみたいだ。


見上げて太陽の位置を確認すると、まだ中天に至っておらず、時間としては午前十時くらいだろう。


ここまでの経路は枝を昨日今日で折ってきたら分かりやすくなったし、これからどうすべきか……。


辺りを見回して考える。


戻るのは少しロスがあるし、下手に経路を分岐させると迷いそうだ。


よし、川上に行ってみよう。


川さえ追っていれば迷うことはないし、水も飲み放題だ。


うまいこと頂上まで登れたら、村とは反対側の方にも出やすくなるはず。


川下は村人と遭遇する可能性があるから、しばらくは近寄らないようにしよう。


これから正午くらいまで進んでみて、そこから引き返せば夕方には洞まで戻れる。


時間に余裕があったら蟹を焼いたり、木の実を探そう。


立ち上がって杖と鞄を持ち、川上へ向かって川原の砂利を踏み出す。


十分程進むと砂利道がなくなり、歩ける場所がなくなってしまった。川と丘で構成された行き止まりだ。


釣りに行っていた渓流は歩きやすかったけど、何十年も地元の人や釣り人が慣らして道を作ったんだろうな。


川は浅いからズボンを脱いで水に入って進むことも考えたが、足を滑らせてびしょ濡れになる未来が待っているだけなので止めておく。


びしょ濡れになって風邪をひいたら最悪だ。


いや、少し深いところで足が攣って溺死というパターンも今の俺ならある。


……自然は厳しい。




結局最初の川原に戻ると、少し疲れたので寝そべる。


程よく太陽の光を浴びた砂利がぽかぽかして気持ちいい。


寝るときは体を曲げているからか、手から足まで全身を伸ばすと関節がパキパキと音を出す。


一休みした後、川上に登るという基本方針はそのままに、水のせせらぎが聞こえる距離を保ちならが川沿いに登っていく。


川沿いで水場が近いからか、木立ちが鬱蒼と繁っていて登りづらいが、筋肉痛に悲鳴を上げる身体を駆使して頑張るしかない。


途中で軽量化も兼ねて保存していた焼いた蟹四匹と水を補給しつつ、一時間ほど進むと川原へ降りられそうな良い塩梅の傾斜を見つけた。


慎重に木や蔦を掴んで坂を下り、手や尻を土まみれにして川原まで辿り着く。


この辺りは水量も少なくなっていて最初の川幅より少し狭く、水深は二十センチ程度の浅さなので向こう岸まで簡単に渡れる。


雨が降ったらどうなるか分からないので、渡るならタイミングを注意しておかないと最悪戻れなくなるだろう。


とりあえず水を補充して蟹を探す。


あまり見つけられず、十匹集まったところでいつも通りの工程で焼いて一匹だけ食べて、残りはペンケースに保管する。


最初の川の蟹を捕り尽くしたらここで探せばいいだろう。


しかし、いつまで蟹だけ食べて生きていくことになるのか。


幕ノ内弁当、焼肉、ラーメン、ビール……当たり前だった食生活が沢蟹だけになるという現実。


……現実?


これは夢の中の出来事で、本当の自分は病院のベッドで寝ているのではないだろうか?


「ハァ……」


深いため息をついて考えることを止める。現状の考察はやめよう。


時間はまだ大丈夫そうなので、この川原の上流へ行けるところまで行ってみよう。


意外にも川原は途切れることなく続き、ほぼ平坦で歩きやすい。


十分程歩いても川原はまだ途切れずに続いていて、少し先がくの字にカーブしているようだ。


行けるところまでとは考えていたが、さすがにそろそろ戻らないと木の洞に戻るのが夕方を過ぎるかもしれない。


今日はカーブの先まで確認したら戻ろうと決め、先へと歩を進める。


しばらく歩くと、川原が続くものだと思っていた光景は果たして裏切られた。


その先はまたしても行き止まり。


しかし、さっきの行き止まりとは違う。こちらも向こう岸もこれ以上進めない。この川原の終着点だ。


正面には岩崖が二十メートルほど高く聳え、崖下の中央にぽっかり空いた洞窟から川の源流が流れている。


自然が生み出した壮大な情景にしばらく魅入りつつ、穴の所まで近づいていく。


洞窟内は足場がなく、とても入れそうにない。


この川原のルートが行き止まりだと分かっただけでも良しとしよう。


流れる水を飲んで落ち着くと、来た川原道を戻り始めた。


同じ川原だが行きと戻りで景色はガラリと変わり、見えていなかったものが見えてくる。


十分ほど歩いた辺りで、川を渡った反対岸の少し上に変なものを見つけた。


地面から白味がかった岩が生えていて、結構大きな穴が開いている。


焼き物の窯……なわけないか。


空を見上げてちょっとくらいの寄り道ならいいかと思い、ズボンと靴を脱いで浅い川を渡る。


川の中の石はツルツルと滑るものもあったが、用心して進んで無事に反対の川原に到着。


そのまま一直線に登り進める地形ではないので、登る経路を確認しながら、遠回りをしながら、時には木の根に足を引っ掛けながら、どうにか目的の岩まで登ることが出来た。


目の前には、子供なら二人は一緒に入れそうな少し横長の穴がぽっかりと開いた灰色の大岩がある。


これは洞窟だろうか?


住処にしている獣や肉食の蝙蝠、デカい虫がいるかもしれないが、その危険以上にロマンを感じる。


そもそも蝙蝠って肉食なのか、と疑問に思いながら、どうするかを考える。


洞窟……雨風を凌げて、足を広げて寝れる、かもしれない。


大樹の洞で丸まって寝るよりは、スペースを気にせず横になって寝たい。


その昔、紀元前の原始人は洞窟に住んでいたはずだ。


要するに洞窟は家だ。家が手に入るかもしれない。


深呼吸をして、杖を構えながら小石を下投げで放るって。。


カツン……。


浅くはないのか、真っ暗な穴の中で小石は少し転がった音を響かせる。


光らせた獣の目が浮かび上がるということもない。


今度は三メートルくらい先へ、もう一度小石を投げてみる。


カツン……。


壁に当たった感じではなく地面に落ちたような音だから、それなりに深いはず。


石の音に反応して獣など出てこないかと身構えるが、穴から何か出てくる様子はない。


杖を握りしめて洞窟内の真っ暗な地面を小刻みに叩いて穴や障害物がないか確認する。


当然といえば当然だが地面も周りの壁同様に硬い岩で、地底への穴が開いているということもなければ急な傾斜もない。


洞窟の中にも普通に地面が続いている。


苔は生えていないようではあるが、奥の方はどうだろうか。


何度も何度も真っ暗な洞窟の地面を叩き、少し身を屈めて中に入り、奥の方まで慎重に進んでみる。


異常なし、異常なし、異常なし。


真っ暗な洞窟の中、入念に地面と側面を叩きながら確認する。


二メートルほど進むと僅かに空気がひんやりとしていて心地良い。


でも日中はいいけど夜は寒いか?


振り向けばすぐそこに出口が外の光景を映しているが、なんだか無性に遠くに感じる。


向き直って何度も何度も杖で地面を叩く。


一メートルほど進むと二十センチ程度の段差があった。


入念に確認したあと、素手で地面を触ってみるが水は溜まっていない。


更に一メートルほど進むと入り口から都合四メートルの地点だが、今のところ動物の糞臭などは全くせず、勾配は緩やか。


これはもう住んでくれと言わんばかりの構造じゃないだろうか。


明かりがあれば一発なのに……。


「あっ」


ふと、ライターを持っていることを思い出す。


……なぜ今まで気づかなかったのか。早速鞄から取り出したライターで火を点ける。


無骨な岩が火に照らされてオレンジ色に染まっている。


しゃがんで地面も見てみるが、穴や急勾配はないし、明かりが届く三メートル先くらいまでは特に何もなさそうだった。


ライターのガスが勿体ないのですぐに外に出る。


思ったよりも時間が経っていたのか、まだ明るいと思っていた空に朱が差しはじめていた。


洞窟は最奥まで確認できていないから不安は残るが、今から急いで大樹まで戻るよりも、今日は洞窟で寝た方がいいだろう。


疲れたからもう歩きたくない、という理由が一番なのは致し方なし。


そうと決めたらまずは寝床の改善だ。


冷たい岩の上で寝るのはキツいので、周りから落ち葉をかき集める。


穴の入り口付近に落ち葉を集めて入れてみるが全然足りない。


もっと広範囲から落ち葉を集める必要があると考え、穴の周辺およそ十メートル四方を目標に外側から落ち葉を寄せていく。


右腕が痛むので足を使って集めるが、なかなかうまくまとまらない。


ほうきか熊手があれば簡単なのに、体一つだと一時間くらいかかりそうだ。


何か楽な方法はないか……葉の生い茂る木を見て思いつく。


葉の付いた幹をほうき代わりにできないだろうか?


なるべく細くて先端の葉っぱが多い木の枝を探し、体重をかけ思いきってへし折る。


結構重いけどこんなもんでいいか。


早速落ち葉を掃いてみると、足で集めるよりはかなり早い。


枝を立てて掃くよりも、横にしてモップのようにすれば広範囲をカバーできる。


小一時間ほど洞窟の前に集めた大量の落ち葉を中に押し込み、しゃがみながら奥へ向けて葉を均していく。


とりあえず入口から四メートルくらいは落ち葉でしっかり埋まったので寝ても大丈夫なはず。


試しに寝てみると、少し土も混ざっているが岩の冷たさは特に感じない。


所々出っ張った部分は落ち葉だと覆いづらいので、割り切って凹んだところにその分厚く落ち葉を詰める。


しっかり落ち葉を詰めた凹み部分に体を収めると良い感じに体重を受け止めてくれる。


岩の凹凸はあるが痛いという程ではないし、寝れれば充分だ。


これでほんのり土の香りがする寝床の完成だ。


一旦外に出るとすっかり夕暮れ時になっており、ペンケースの中でシェイクされて手足がバラバラになった焼き沢蟹を食べていると、腹に覚えのある痛みが生まれた。


思っていたより遅かったじゃないか。


これは紛うことなき便意。


昼くらいには来るんじゃないかと思っていたけど、しっかり焼いたのが良かったのかちゃんと消化してくれたようだ。


とりあえずこの洞窟を拠点にするとして、あんまり近いと臭いが嫌だし、獣を寄せつける可能性も考えると出来るだけ離れた所が望ましい。


望ましいのは分かっているが、腹の痛みは待ってくれない。


蟹を食べ終える間に一旦波が収まったので、杖だけ持って川とは反対方向へと歩き出す。


「イチ、ニー、サン、ヨン……」


念のため歩数を数えながら木々の生い茂る森中をなるべく真っ直ぐの方向に歩く。


既に辺りは暗く、方向を忘れたら戻れなくなるかもしれない。


「……キューロク、キューナナ、キューハチ、キューキュー、ゴヒャクっと」


三分ほど歩いたところで止まり、杖で地面を掘って深さ十センチ位の穴を掘る。


土を掘る間に、腹に何回目かの波が来た。これは大きい。乗るしかない、このビッグウェーブに。


出来れば穴をもう少し深くしたいが、右腕も痛くてどうしようもない。


諦めてズボンとボクサーパンツを下して踏ん張る。


洋式に慣れているため、どうにも違和感はあるがちゃんと出るものは出した。


固いクソ出すときツラいが紙要らず、とは誰の句だったか。


ここまで歩いている間に集めた大きめの葉っぱを何枚も重ね、尻を拭いたら掘った穴に捨てる。


最後に足で落ち葉や土を穴に落として穴を塞いだら完了。


ここまでやれば臭いは漏れないだろう。むしろこれ以上は無理だ。


犬や狼の嗅覚が人間の何千倍とか、そんなのは知ったことじゃない。


しかし、今度からトイレの度に穴を掘らなきゃならんのか。




洞窟まで戻るころには完全に日が暮れて、上空には星が輝きだしていた。


やはり都会で見るよりも星々が大きく見える。


今までは星を見る余裕もなかっただけに、ようやく人心地がつけた気がする。


洞窟に入ると真っ暗なので、ちょっとだけライターに火を点けて、位置が分かりやすいように鞄と杖を入口のそばに置いておく。


落ち葉のベッドに寝そべったところで、雨が降ったら鞄が濡れると気づいたが、さっきの星空なら心配ないだろうと思い直して起きかけの上半身を再び地につける。


寝ている間に冷え込むことも考えて、周りの葉っぱを体に寄せ集める。


動くと葉がカサカサと音を立てて鬱陶しいけど、よく考えたら獣とかが侵入してきたときに音で気づけて一石二鳥かもしれない。


でも、気づいた時には時すでに遅しってパターンだろうから、もうちょっと奥に陣取った方がよかったか?


まぁいいか。


しかし、こうやって横になって寝れるだけでも大した進歩だ。


狼に噛まれた右腕はまだジクジクと痛むが、あまり気にしないようにしてとにかく明日のことだけを考える。


明日は、洞窟の奥の探索と、トイレ掘って、木の実、かに……。




ふと目を覚ます。


岩の凹凸で体の所々が少し痛い。


そうだ、洞窟で寝たんだ。


出口を見るが……どこも暗くて出口がわからない。


ということはまだ夜か。鳥が鳴いていないし。


しばらくして目が慣れると、うっすら明るい出口に気づいたのでのっそり起き出して外に出る。


空を見上げると月の半分が雲に覆われていた。


動く雲によって全部隠れたと思ったらまた顔を覗かせたりを繰り返し、雲が流れていくと綺麗な満月がその姿を現す。


俺はこれからどうなってしまうんだろう?


月を見上げていると、考えないようにしていた思いが次々に溢れ出てくる。


腹が減った、米が食いたい、パンが食いたい、あったかい味噌汁が飲みたい。


ひもじい、いたい、さみしい。


襲いかかる村の男達の憤怒、殺そうと飛びかかってくる狼の血走った眼と剥き出しの牙。


こわい。怖い。恐い。


こらえきれなくなった涙がボロボロと零れていく。


なんで、俺が一体何をしたんだ?


悪いヤツなら殺人犯とか色々いるだろう。何で俺が。


日常を返してくれ。日本に帰してくれ。


止まらない嗚咽。


本当にここはどこなんだ?


答のない疑問だけが次々に浮かび上がっては涙に押し流されていく。


ひとしきり泣いたあと、袖で涙をぬぐい空を見上げるとそこに一つの答があった。


「ああ、そうか」


満月の光を浴びながら飛ぶ巨大な物体が、空を流れていく。


その姿は優雅であり、凄烈であり、完全に現実とかけ離れた存在だった。


夜空を覆い尽くすように大きく広がった翼と、鳥と言うには大きすぎる雄大な体つきは、今まで見た生き物と一線を画す。


人はそれを、ドラゴンと呼ぶ。


「ここ、異世界かよ」




チュンチュンと可愛らしい鳥のさえずりで目を覚ます。


スッと目が覚め、カサカサ、所によってチクチクする新感覚のベッドから起き上がる。


外に出ると雲一つない青空に太陽が燦々と輝いている。結構寝れたみたいだ。


ラジオ体操、ストレッチ、屈伸、前屈と十分以上の時間をかけて入念に身体をほぐす。


当然の権利のように筋肉痛を訴える両脚だが、どうにか慣らして準備を整える。


その後は慎重に渓流地点まで下りて、冷えた水をゴクゴク飲むと空っぽの胃にじんわりと冷たさが広がっていく。


さすがに頭が痒いので、全裸になって腰ほどまで水深があるところに浸かり、頭から顔や首回り、足など気になるところを手で洗って岩場に上がる。


水が冷たいためか、手足がふやけてしわくしゃになっているのがなんか懐かしい。


次は右腕に巻いたハンカチを取り、傷周りとハンカチを綺麗にしたらまた巻きつける。


そして日課となった沢蟹の採取と摂取だが、その前に服を着よう。


岩をどかして蟹を捕まえる作業に没入すると、これまでより少しで大きいサイズの蟹が見つかった。


数はトータル十匹だが、今までで一番大きい十センチサイズが捕れたので、甲羅が黒く焦げるまでしっかり焼いて甲羅を剥がし、身をほじくって食べた。甘みがあってうまい。


腹ごしらえを済ませたら、洞窟まで戻って今日の予定を遂行していく。


まずは洞窟内の探索。


ライターのガスの残りはあと半分に減ってしまったが、未知の生物に脅えて寝るのは御免なので必ずやっておく必要がある。


この洞窟は一体どこまで続いているのだろうか……。


火を点けて一歩進むと、二メートル進んだところから空間が収縮し、更に一メートルほど先で行き止まりになっていた。


気合いを入れて臨んだ探索は、開始一分足らずであっけなく終了。


変な虫や蝙蝠も見つからなかったし、地底湖とかのロマンはなかったが、安全性を確保できただけでも大きな収穫だ。ということにしよう。


やや縦長だが、前に住んでいた狭めのワンルームアパートくらいの面積だと思えば、広すぎず狭すぎず丁度良いサイズじゃなかろうか。


次は外に出てから昨日同様にトイレ掘り。


昨日は問題なかったけど、ピンチになってから掘っていたら間に合わない。


ある程度密集させていくつか掘っておいて、目印を置いておこう。


川に流す選択肢もあったけど、毎日飲む水源でやるのは生理的に無理だった。


腹が痛いときに三百歩はしんどかったので、昨日より百歩少ない二百歩地点で穴を掘る。


昨日よりも深めに二十センチくらいの穴を二メートル間隔で縦方向に三つ掘った。


雨が降ったら穴が埋まることに気づいたので、それぞれに拳大の石を置いて、雨が降らないようにと空に向かって祈って洞窟へ戻る。




再び洞窟に戻って空を見上げると太陽の位置は高く、正午より少し前くらいか。


時間があるので周りを散策するか、それとも頂上を目指してみるか……。


方位磁石などない状況で下手に動いて、迷子になったり獣と鉢合わせるよりも、まずは頂上まで行ってみる方がいいか。


方角は陽の傾きで判断するしかないけど、とりあえず三時間登ってみよう。


杖と鞄を持って川の上流方向へ歩き出す。


川が見下ろせる位置をキープして進んでいくと、昨日見た断崖の上を越えた辺りから勾配がきつくなって結構登りづらい。


右腕の痛みはかなりマシになっているけど、道のない山を登るのがこんなにキツいとは想定外だ。


一時間ほど登ったところで小休憩をとって石に腰掛ける。


まだ陽は高いが、体力的にあと二時間も登るのは無理と判断して、残り一時間に下方修正する。


「ふぅ……」


ペットボトルから口を離して息をつく。


それにしても昨日の夜に見たドラゴンは何だったんだろうか。


寝ぼけたり頭がおかしくなったわけではないはずだ。


あの後に洞窟の外壁で左人差し指の爪にバッテンをつけて寝直したが、今も爪にはその印が残っている。昨夜見たものが寝ぼけたわけではないという証明だ。


シルエットは恐竜のプテラノドンというより、漫画やゲームに出てくるファンタジーのドラゴンの方が近い感じだった。あのサイズだと人間も余裕で捕食対象だろう。


アレはこの辺りを住処にしているのか、知能は高いのか、人や村を襲うのか?


考えても仕方がないことばかりだ。昼間にも飛んでるかもしれないし、なるべく上空にも気を配るとしよう。


重い腰を上げ、再び山を登りはじめる。


傾斜を考えると勾配がキツくなり頂上が近いような気もするが、最初にこの山で目が覚めてから麓の村まで下りたときは、確か三時間くらいかかったはずなので逆算すると短すぎる。時間が合わない。


いや、下りた時は真っ直ぐ下ったつもりでも、途中登ったりもして遠回りしていたから、ルートの違いで短縮できた可能性もあるのか。


それから同じような岩場が続き、明日の全身筋肉痛を覚悟して登っていく。


段々と木の数は減って岩場が増えた。なんとなくだがやはり頂上が近いはず。


山登りは小さいころに親によく連れられて行ったし、社会人になってからも年一回くらいだが会社の仲間と軽い登山イベントをやっていたので、その記憶からすると、大体の山は頂上が近くなると岩場になっていた、と思う。


それから十分ほど進んで後ろを振り返ると、村の周りの景色が広がっていた。


おおよそ想定していた通りの位置に村が見えたので、太陽を基にした方角を信頼できたのは嬉しい。


家の数は……大体三〇軒か。集落というよりも密集していてやはり村という感じ。ボロいし。


それにしてもこの山の標高はどれくらいだろうか?


五百はあるとして、六百、七百、八百、九百……わからん。でもきっとあと少しだ。


まだ山頂は見えないが、気力がぐっと高まる。


村の周りにはやっぱり道のようなものはなく、その奥に広がる景色も緑ばかり。


反対側も同じようなものか、最悪の場合、何も無い可能性さえある。


その時は良い景色が見れたと思うしかないだろう。


期待と不安が混じりながら、足を滑らせたりしないようにして着実に岩山を登っていく。


さらに二十分ほど登ると場所によっては景色が見渡せるようになってきた。


おそらく頂上と思われる地点もおおよその見当がつく。


それから登り続けて約二十分、ようやく頂上に到着した。


ここから村を見ると途中の丘でほとんど隠れてしまうが、なんとか村の位置は分かる。


そして、反対側の方向。


麓には村などはなく、ひたすらに森が続き、途中から草原のようになっていた。


しかし、その草原の遠く向こう、自身の視力でギリギリ見えるところに、灰色っぽい大きな建造物がある。


その手前は少し色が違うので、おそらく畑か田んぼだろう。


目を瞬き、何度も確認する。


建造物の奥にも赤い建物があるように見えるので、多分町のはずだ。


距離は十キロ……いや、二十キロは間違いなくあるとして、近くて三十キロ、遠ければ四十キロといったところか。あまり自信はないけどきっとそのくらいだろう。


わかっていたけど、高層ビルやタワーなどは見当たらない。


残り半分になった水を一口飲んで考える。


スマホさえ生きていれば写真が撮れたのに……。


「あっ」


別にカメラじゃなくても地形の記録は出来るんだ。


鞄を漁ってクリアファイルにはさまった用紙の束とシャープペンを取り出す。


広報用の企画書なので、ホチキスを外し一枚だけにしてクリアファイルを下敷きにする。


太陽の方向を確認しながら、「東」「西」「南」「北」を書いて、現在地の山頂を中心に、まずは村や逆側にある遠くの町らしき位置を描いていく。


さらに登ってきたルートを点線で引いて、山の中腹あたりに拠点の洞窟を描き、そこからさらに点線を引いて曖昧だが大樹の洞までの位置も記しておく。


他にも周りの山々や町近くの畑っぽいところなど、見えているものをざっくりと描いて地図の完成だ。


絵心はないのでかなり適当だけど、これからのサバイバル生活で役に立つことは間違いない。


地図を描き終えて他に何か見当たらないかと山の麓付近を眺めていると、森の隙間に小さく白い何かを発見した。


一瞬自動車かと胸が弾むも、さすがにそれはないと思い直す。


その白い何かはゆっくり動いているようで、木々に隠れて見なくなったかと思えば、また隙間から姿を現す。


先端には茶色の……馬か。あれは馬車で、白い部分は幌か。


進行方向は、どうやら村に向かって進んでいるようだ。


もしあの馬車に一人しかいないなら、どうにかして物資と馬車を……いや、やめておこう。


そもそも今から山を下りても間に合わない。


馬車をもう一度見てから、その進行方向とは逆を粒さに確認すると、わずかに細い線状が確認できる。


やっぱり馬車が通るための道はあったか。


頑張って目を凝らすと草原の途中までは道がなんとか確認できるので、自作の地図に道と馬車のいる位置を追加で描いておく。


太陽の位置を確認すると、あと少しすれば夕方になりそうな気配なのでクリアファイルを鞄に戻して山を下りはじめた。




どうにか夕方と言える間に洞窟に戻ることができ、疲れ果てた身体を地面にのっそりと投げ出す。


疲れた。全身がクタクタでもう動けない。


だがしかし、戻るまでに全部飲み切ったのでペットボトルの水は空だ。


明日起きてからでいいか、という甘い心の声を振り切り、めいっぱい背伸びをして起き上がると、ペットボトルだけを持って川に下りる。


水を入れている際、今日は昼から何も食べていないことを思い出して、腹一杯に水を飲んだ。


明日は沢蟹を焼きまくろう。


洞窟に戻って空を見上げると、茜空には沢山の星が煌めきはじめていた。

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