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とどまる水は白く濁りだす

わたくしは考えます。

どうして野薊の神様はわたくしをこの世界に招いてくださったのかを。

わたくしはこの世界でなにをなすべきなのかと…

それというのもわたくしは、以前の世界で何もできずに、何にもなれずに、何かをすることから逃げ出して…走り抜けて、逃げきれずに、もがき苦しんだ挙句の果て…気が付いたらこの世界に’存在する’権利を与えられてたどり着いていたから。

わたくしは初めて野薊で息をした瞬間に、なにか黒くうずまいていたものが身体からすべてが抜け落ちた気がしてただ涙を流しました。


逃げ出してしまったことへの’罪悪感’を感じる権利がないわたくしは、もう以前の世界を思うことはありません。

野薊の神様はわたくしを必要としたからこの世界に存在する’権利’をくださった。

それはとても光栄なことで、信じるに値するただ一つの真理なのです。


みなは本当に器用なのに…惜しいんだよなぁ。

 いいかい、’こなせる’だけの人ならたくさんいる。

 そこで何か一歩他者との違いがないと、君はすぐに埋もれてしまう。-


父がよくわたくしに話した言葉です。

幼いころから、わたくしは大抵のことは難なくこなしてまいりました。

ピアノ、お習字、ヴァイオリン、お琴、お花、お茶、お料理…それこそ数えだしたら両の手では足りないほどの物事に触れる機会をいただいて…どれもそつなくこなしてきました。

先生方はみなわたくしの習得の速さを褒めてくださりました。

ですが、わたくしには悪癖がありました。


みなちゃん、ただ弾けばいいだけじゃないのよ?心を込めて弾かないと…-

みなさん、もっとうまくなりたいと思わないのですか?全く練習をしていないのが見え見えですよー


一通りのことができるようになったあと、必ず先生方はそう言いました。

わたくしは頷き、形だけの謝罪と約束をします。


ーごめんなさい…次はもっと頑張ります。-


そう答える頃には、わたくしはその行為に飽きてしまっているのです。

興味はすでに新たな物へと移っていて…そして平均を超えることのない成果に呆れた母がわたくしに新たな興味を与えてくれたのです。

できるようになったことがわたくしの完成。

それ以上の上達を望むことなどなく、ただ人並みにできることだけが増えていく。

それが快感でした。

できるものの数を紹介すると、周囲の人はわたくしを褒めてくださりました。

わたくしはそれが嬉しくて、父の言葉など聞かずに’できること’だけを増やしていきました。


ある時、それなりにできる学校へと転校したわたくしは、自信満々にできることを羅列しました。

称賛の言葉が返ってくるのを待っていると、そこでわたくしは聞いたことのない言葉を聞くのです。


みなちゃんもピアノ習っていたの?もう子犬のワルツは弾ける?今度私発表会でね…!-

みなちゃんもお花好きなんだ!私はね、今度街の…-


あらあら?おかしい。

誰も驚きません。それどころかみんな’できて当たり前’。

そして人並み以上にできるものを持っているのです。

わたくしは急に自分を築いていたものがなんの意味も持たなくなるのを感じました。

そんなことが続いて、このままいったらわたくしには何も残らないのではないかと…ただ漠然とした不安と焦りだけが心を締め付けていました。


父の言葉の重みが…わたくしを押しつぶします。

あんなに言われたのにわたくしは、父の言葉を聞いたふりをしていたのです。

これはきっと罰…世界を自分のものだと思い込んでいた愚かな女の子は、絶望のあまり涙すら流せずに黙り込んでいくしかありませんでした。

父に相談しようと、その背中に問いかけようともしましたが

ーだから言っただろう、みな。-

…言われていないはずなのに、そう言われることが目に見えていて、そういわれたらもう自分は息をする自信もなくて…誰にも相談できずに…逃げ出したのです。


それがわたくし水瀬 みなせみなの終わりと始まりでした。





今、わたくしの横には世の中のすべてともいえるほどの’権利’を享受されたのに、それを使おうともせずにただ失った‘双子‘としての権利だけを求める少年のむすっとした顔があります。

彼を’案内’することが決まった時、わたくしは言いしれない感情に襲われました。

わたくしは…見たくて仕方がないのです。




この少年が’権利’につぶされて絶望する姿を。

野薊の神様に愛されたことに感謝すらしないこの少年が欲しても欲しても手の届かないものに気が付いて、落ちていく姿を、一番間近で、見たいのです。


「なに、にやにや笑ってるの?いいからさっさと案内してよ」


どこまでも残酷なまでに自己を主張する少年が愛おしい。


「えぇ、申し訳ありませんした。てん様、さぁ、始まりの街はもうすぐです。」


「なんでもいいよ、くぅ…どこにいるんだよ。」


「きっと見つかりますよ…。」


見つかった先で望む権利が戻ってくるとはかぎりませんがね。

無知は罪ではなく、夢なのです。


野薊色…まるではじけ飛んだ果実のような色。

美しいその色に染まる瞬間まで…わたくしは彼を案内し続けるのです。


あぁ、野薊の神様本当に本当にありがとうございます。

私に存在する権利と彼を案内する権利を与えてくださって…本当にわたくしは…


「感謝しております…」


そう口にして、わたくしは神様にそっと微笑むのです。

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