ノアザミ色の空の下
………?
地面に叩きつけられるであろう強烈な痛みを覚悟していた僕は目をつぶっていた。
でもいつまでたってもその衝撃は訪れなかった。
不思議に思いながら、瞼を開けてみると、朝焼けの空が視界一杯に広がった。
「…ノアザミ色…」
「…あ、目を覚ました!良かった、君ね、急に降ってきた上に全然起きないからびっくりしたんだよ。
どこも痛くない?ダイジョーブ?」
朝焼けに負けないくらいに鮮やかな桃色の髪を二つのお団子にした女の子の顔が急に目の前に現れて、僕はびっくりして自分の状況も分からないままに、跳ね起きてしまった。
次の瞬間、ごっつん!!と言う間抜けな音があたりに響いた。
「ふぁ!!?」
「い、いたぃ…」
どうやら僕は寝転がっていて、お団子頭の女の子は上から僕の顔を覗き込んでいたようで、僕が驚いて頭を起こしてしまったせいで盛大におでことおでこをぶつけることになってしまった。
「あはははは、火花が散ったかと思ったよー!」
「ご、ごめんなさい!!あの、その、僕…」
女の子は笑っていたけれど、どうしたらいいのかわからなかった。
そもそも僕は人見知りなところがあって、だから天ちゃんといつも一緒で…
…あれ?天ちゃんは?
周りを見渡してみても、お団子頭の女の子以外の人は見当たらない。
あの時、僕らは二人そろって、夜空にほおりだされたんだ。
二人はいつだって一緒だから僕だけがここにいるなんてありえない。
「て…天ちゃんは…僕…あの、天ちゃんは!?」
「えーっと、ものすごく分かりやすく慌てているけど…落ち着いて、深呼吸してみて!
とりあえず私は君を食べたりとかしないし、周りも安全だから。
えっと、まず私は海。
今回初めて迷い人を‘案内する権利‘を使うことになった‘案内人‘だよ。」
「迷い人?案内する…?」
「あ、そっか、えっとね…君は違う世界からこの野薊の世界に来ちゃったの。
迷い込んだって言うのかな、だから迷い人。ここでは結構よくあることだから安心して大丈夫だよ。
何かのはずみで、元いた世界から外れて野薊に来ちゃうみたい。
かくいう私もね、ずーっと前にこの世界に迷い込んだから先輩と思ってほしいな。」
えっへんと胸を張っている海と名乗った女の子。
しゃべり方とは釣り合わないくらいに発育した胸に一瞬、自分のぺったんこな胸と比較してしまって…
うらやましいと気を取られてしまったけれど…今はそれどころじゃないんだった!
「僕は高いとこから落ちたんだ…僕は…生きているの?それとも死んだの?」
「うーん、その辺は私よくわからないんだけれど、とにかく君はね、
前の世界からちょっとズレちゃったんだよ。
でも、今君がここで息をしているのは本当だよ。
だから質問の答えとしてはこの世界で生きてるで良いかな?
この世界はね、なんにでも‘権利‘が必要なんだよ。
その点では、君は野薊の神様から‘この世界で生きる権利‘をもらったからここにいるとも言えるかな。」
神様?この世界で生きる権利?…しっちゃかめっちゃかだ。
「…ごめんなさい…僕、本当に意味が分からないよ。
迷い込んだとか…前の世界とか…野薊とか…だってさっきまで天ちゃんと一緒に星を見ていて…なのに今は朝になってて…天ちゃんはいないし…」
「ふむふむ、ねぇ、さっきから何度か出てきているけれど天ちゃんってだーれ?」
「天ちゃんは僕の双子の…あれ?」
言葉がうまく出てこなかった。
それどころか指先から足先まで、天ちゃんと分け合ったはずの身体が今では別物のように感じる。
この場で、この世界で間違いなく…僕は…一人だ。
「…うん、やっぱりか。ごめんね。でも今、感覚的に分かったんじゃないかな?
私は双子じゃないからそういう感覚ってわかんないけど…双子ってなにか不思議な繋がりがあるんでしょ?離れていても通じるなにか…みたいな。
その不思議な繋がりもだけど…今のあなたには双子の片割れはいない、記憶にはあっても今はいないの。
今のあなたには‘双子である権利‘がない。
あなたは野薊に落ちた一つの種。今のあなたにあるのは…‘存在する権利’だけ。」
僕は…今、双子じゃない。
それならば一体僕は…誰?
芽を出せずに土の中にいる種。
「ねぇ、君!名前…教えてくれないかな?」
意味が分からないままだった。
僕は生きていて、でも双子ではなくて、双子でない僕には…なんにもなくて…なんでもなくて…
不安で押しつぶされそうで。
ただ目の前で女の子が差し出してくれた手にすがるように手を重ねるしかなかった。
「…僕は…天空寺空…。」
「空…可愛い名前だね。それじゃぁ…早速だけどそうだなー…くぅちゃんって呼んでもいいかな?
私のことはカイって呼んで!」
「かい…?」
「違う違う、カイ!」
「か…カィ!」
「惜しい、カイ!」
「カイ!」
「うん、いい感じ宜しくね、くぅちゃん!」
「宜しく…お願いします…?」
僕の前にいるカイが、今の僕が正気でいることをかろうじてつなぎとめてくれていた。
もし、本当に誰もいなかったら…きっと僕はその’存在する権利’とかいうものすら受け取れなかったと思う。何度も名前を呼ぶことでカイという存在を受け止めることができた。
ノアザミ色の空の下で、海の色をしたカイの瞳だけが違う色をしている。
「…ここは、すごく朝焼けが綺麗だね。僕はどれくらい寝ていたの?」
「ここは、迷い人が最初にたどり着く始まりの場所。くぅちゃんは落ちてきてから2時間くらい寝たままだったから…本当に心配したよ。」
「…二時間?それならまだ夜は明けていないはずだよね?」
「くぅちゃんはまだ、現状を把握できていないみたいだね…仕方ないけれど。
くぅちゃん、この空の色は朝焼けの色じゃないよ。この世界でほとんどの人間はずっとこのノアザミ色の空の下で生き続けるの。」
「それって…どういう意味?」
「この空はね、人工的に作った空なの。
その昔当たり前にあると思って、空を大切にしない人たちが空を汚してしまったから、野薊の神様が怒って人々から‘空を見る権利‘を奪ってしまったのがこの世界の‘権利‘のはじまり。
もっと言っちゃうとね、私もくぅちゃんも…そしてこの世界の多くの人は‘空を見る権利‘がないの。
でも、私たちはみんな元の世界で空を知っていて、空を望んだから…だからこれは人工的に作った空。
いつでもこのノアザミ色をしているの。」
カイと名乗った女の子が話している内容は全く分からなかった。
でも、一つだけ確かに分かるのはさっきからこの空は少しも変化していないということ。
もしかしたら僕が寝ていた二時間の間に天ちゃんになにかあったのかもしれないけれど、僕は自分を双子と表現できなくなっていることに恐怖を覚えていた。これ以上、天ちゃんのことを聞くことが怖くて仕方がなかった。
天ちゃんのことはちゃんと覚えているのに天ちゃんとの関係は答えられない…すごくもやもやした気分。
なにも知らない世界で…天ちゃんがいない…天ちゃんがいない世界で僕は生きたことがない。
「分からないことばかりで不安だよね…でも、大丈夫だよ、私もそうだったから。
安心して、‘案内人‘の私が付いているから!野薊の世界ではまだくぅちゃんはなにも持っていないけれど、これからなりたいものややりたいことの‘権利‘たくさんもらえばいいんだよ!
天ちゃんさんのことも大丈夫!‘双子の権利‘だってきっと見つけることができるよ!
だから、私にしっかり案内人の仕事をさせてね!」
満面の笑みで‘権利‘、‘権利‘というカイ。案内人と自身を表現する女の子。
僕はその言葉の本当の意味も、この野薊の世界の本当の空も知らないまま立ち尽くすしかなかった。
僕の始まりはこのノアザミ色の空の下、海うみ色の瞳に見守られて小さく、一人で細い芽を出した。
この先にどんな未来が待っているのかは、誰も知らない。