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備前の獅子

 咆吼が聞こえた、気がした。

 気高い、虎の。

 いや、これは虎ではない。

 獅子だ。

 おそらく、唐獅子であろう。


 

 エリザベートは、ふいに顔をあげた。

 紫苑の地に、花鼓(はなづつみ)の着物。洗い張りしてもらったばかりのものだ。

 着物をほどいて、水洗いで洗って乾かして、また仕立て直す。

 それを洗い張りというのだが、してもらった店の店主の様子がおかしかったことに今更きづく。


「楓」

「はい、お嬢様」

「いま、気づいたのだけど……。舞子(まいご)やさんのご店主、様子がおかしくなかった?」

「ああ……、そういえば。いつもの大口が少なかったような」


 昨日のことだった。

 仕立て直された着物を取りに行ったとき、いつも辛口な主人が、あまりにぼんやりしていた。

 エリザベートがどうかしたのか、と聞くと、彼は「鳴き声が」とだけ呟いていたことを覚えている。


「たしか、鳴き声が、と仰っていましたね」

「いま、何か聞こえなかった? 咆吼のような」

「俺には聞こえませんでしたが……」

「――そう。確かに、獅子のような声が聞こえたのだけど……」

「獅子? それでしたら古備前の獅子の細工物がありますが」

 

 そういい、楓は棚から木箱をとりだした。

 四方左掛できちんと結ばれた箱は、ひさしく開けていないようだ。


古備前(こびぜん)は偽物がおおいから、あまり日の目を見ないのね」


 紐をほどいて、蓋をあける。そこには、たしかに獅子の細工物が入っていた。

 巻毛があるところから、唐獅子だと推測される。


「ねえ、あなた。さっき、私になにか言おうとしなかった?」

『……たしかに。お前さんには聞こえたのだな』


 しわがれた、それでも理知的な声をしている。


『お前さん、舞子やの主人に会ったろう』

「ええ、たしかに。昨日だけれど」

『儂を持って行ってくれないか。舞子やの主人の父親には世話になったものだ』

「あら、そうだったかしら……。帳簿を持ってくるわ」


 楓が取り出した帳簿には、10年前、本宮(りょう)という男性が、たしかに柘榴堂に唐獅子を売っていたことを示す文章が書かれていた。


「たしかに、舞子やさんのご店主の名前、本宮さんと仰ったわね。それからあの言葉……」

『良は、儂が見守ってきたようなものだ。だから、ここに売ったのも致し方ないと思っている。だが、なにかよくないことがおころうとしているのだ』

「そう……。だから、呼んだのね。あなたがそういうのなら、舞子やさんに行きましょうか。よくないこと、というのが気になるわ」


 柘榴堂に鍵をかけて外に出ると、エリザベートの足下に黒いかたまりがすわっていた。


「あら。こんにちは、水破(すいは)

『こんにちは。エリザベート』


 水破と呼ばれた猫が鳴き、金色の目をおおきく見開いて、彼女は驚いたように毛を逆立てた。


『そ、そこにいるのは獅子? エリザベート、その獅子を売ろうっていうの?』

「売るかどうかは分からないけれど。なにか問題があるのかしら」

『私はその獅子がおっかなくてね。なぜかは分からないけど。売ってくれるならありがたいと思ったのよ』

「そうだったの。まあ、人によっては怖いっておもうひともいるでしょう」


 獅子はライオンのことだが、もちろん昔は日本にいるはずもなく、想像上の生きものとして厄除けによく取り入れられる。

 おそらくだが、この黒猫――水破はどこかやましいことでもあるのかもしれない。

 まあ、そこは彼女のプライベートなのだから、追求はしまい。


「そろそろ参りましょう。お嬢様」

「そうね」


 水破に別れをつげ、舞子やに向かう。

 ふと後ろをふりかえると、もう水破の姿はどこにもなかった。


 舞子やに行く道すがら、空から一滴二滴、雫がおちてくる。

 雨だろうか。

 そう考えたとたん、ざっと雨が強く降りはじめた。


「雨ね。天気予報がはずれたみたい」

「お嬢様。ここで雨宿りしましょう」


 楓に連れられてきたのは、しゃれたカフェだった。

 突然の雨で、雨宿りしにきたのはエリザベートと楓だけではなく、若い女性たちも急いで入ってきた。


「……なにか、変ね」

「変、というのは」


 運ばれてきたエスプレッソ・コーヒーに口をつけ、呟く。

 ソーサーにカップを置いた後、エリザベートは外を見上げた。

 そこにはもう、雨のあとはなく、太陽さえでている。


「なんだか、悪い力(・・・)が私たちを舞子やさんに行くのを邪魔しているみたい。さっきの水破とのおしゃべりでも時間を費やしてしまったし」

「……たしかに、もう晴れていますね。コーヒーが運ばれてきてすぐに」

「いやな予感がするわ。はやく出ましょう」

「はい」


 コーヒーをできるだけ早く飲み終えて、カフェから早足で出る。


『はやく。できるだけ。悪いことがおころうとしている』

「わかったわ。楓」

「――かしこまりました」


 ひとがいないことを確認し、エリザベートは帯にいつも差している扇を取り出した。

 扇を開くと、そこからとめどなく花びらがあふれはじめる。

 その花びら――芙蓉の花びらが地面に落ちた瞬間、道が黒く染まり、エリザベートと楓の身体が吸い込まれるようにそこから消え去った。


 次に目を開いたときには、もう舞子やの目の前だった。

 だが、特に変わったことはなさそうだ。


『はやく、店主に儂を渡してくれ。手遅れになる前に』

「――ごめんください」

「……ん?」


 舞子やのガラス戸を開けると、玄関には機嫌の悪そうな店主がいた。

 店主は、エリザベートの姿を見ると、わずかに表情をやわらげる。


「どうかしたかい? エリザベートさん」

「いえ。おつかいを頼まれましたの。この――唐獅子に」


 楓が持っていた木箱を、店主に渡す。


「これは?」

「ご店主のお父様が柘榴堂にお売りになったものです。今日はこれをお返しに」

「……たしかに、古備前の唐獅子……見覚えがありますな。ああ、このかすかな傷。私がつけてしまったものだ。だが、返しにきた、とはどういうことだ?」

「はい。すこし、気になることがありましたので。持っていて頂けるだけでいいのです。お代も結構です。こちらからお返しにきたのですから」

「そうか……。あんたは前から不思議なことを言ってきたな。なんだか、それは正しいことのように思えているのだが」

「ありがとうございます。……!」


 エリザベートがほほえんだ時、楓が強い力で彼女の腕を引いた。

 ガラス戸を思い切り引いたのは、見知らぬ男。


「お前……! また来たのか。何度も言うが、この店は……!」

「ご店主!」

「いけません、お嬢様!」


 その見知らぬ男は、手に拳銃を持っていたのだ。


「お前、いつの間にそんなものを……。この店はそんなもので脅されたってやらんぞ」

「着物なんて時代錯誤なもの、いつつぶれてもおかしくねぇ。それを買い取ってやろうと思ってたのによ、馬鹿な男だ」

「お前が私を殺したって、この店はお前のものにはならん。それくらい分かっているだろう」

「もう、取り返しなんぞつかねぇんだよ。俺は組のもんに追われている。だから殺したって同じことだ!!」


 支離滅裂だ。

 おそらく、この男はなにかに「憑かれている」。エリザベートたちを邪魔した、悪いものに。


「そこの女。警察に知らせるんじゃねぇぞ。知らせたら、お前も殺してやるからな」

「……馬鹿なことはおやめなさい」

「うるせぇ! 女のくせに、口出しするんじゃねぇ!」

「貴様、お嬢様を愚弄する気か!!」

「おやめ、楓」


 楓を制し、じっと男の目を見る。

 淀んでいる(・・・・・)

 やはり、悪いものに憑かれているようだ。だが、もとからそんな気などない人間には決してそれは憑かない。

 

「やめろ、その人たちは関係ないだろう!!」

「動くな!」


 拳銃の引き金を今にも引きそうな男は、相当頭に血が上っているようだ。

 冷静さのかけらもない。


「もういい! もうどうでもいい! 死ね!!」


 男が引き金を引こうとした瞬間、気高い咆吼が響き渡った。

 

「あの子……!」


 そこにいたのは、唐獅子。

 銃弾は、唐獅子の体に当たったようだ。

 それでも彼はひるむことなく、目を静かに男にむける。


「ひ……っ!? な、なんだ、こいつ……!!」

「……お、おまえは……まさか」


『よかった、間に合った……』


 獅子は一歩、男へと足を踏み出す。それだけで男の喉が、ひっと引きつった。


「く、くるな……! くるな!!」


 咆吼。

 その気品のある声は、男の戦意を完全に消失させた。

 手から拳銃がすべり落ち、ふっと気を失ったように倒れる。

 そのうちに、楓はハンカチで拳銃をつつみ、取り上げた。


「ご店主、警察を」

「わ、分かった」


 慌てて店主が電話をかけているあいだ、エリザベートはすでに(かたち)を保てなくなった古備前の唐獅子を手にとった。


「大丈夫?」

『なあに、大丈夫さ。儂は唐獅子。銃弾の一発くらい、気にすることもない』


 たしかに撃たれた体は、傷ひとつない。厄除け、とはよく言ったものだ。弾丸ですら厄として除けてしまうとは。


 やがて警察が来た頃には、男は意識を取り戻していて、ただ肩を落としてパトカーに乗っていった。

 あとで、店主も事情聴取で迎えに来るらしい。



「あの男は一体、どなただったのです?」

「あれは、遠い親戚の一人だ。実家は京都でな、私と同じく、奴は家族で洗い張りの仕事をしていた。だが、客も少なくなって、店をたたむことになった。それからだいぶ苦労をしたらしい。よく私の所に金をせびりにきていたものだ。そして、つい最近、この店をつぶして、居酒屋のチェーン店にすると言い寄ってきおった」

「そういうことだったのですか……。けれど、そうですね、私の着物はすべて、舞子やさんにお世話になっているものだから、なくなってしまうと私も困りますわ」

「そう言ってくれるとありがたい。私もな、もうすこし、あいつに何かしてやれたのではないかと思っていたんだが……。こんな結果になってしまった」

「いいえ、ご店主。あなたのせいではありません。あの男には、悪いものがついていたのです。魔がさして、このようなことになってしまったのですから。ともかく、ご店主がご無事でよかった」


 店主は、なにか気になっているのか、畳の上に置いてある唐獅子を見つめていた。

 そういえば先ほど、「おまえは」と言っていた。

 なにか、心当たりでもあるのだろうか。


「ああ……。昔、悪さをしたときに、夢でこの獅子がやってきてな、私をよく叱ってくれたものだ。父がこの唐獅子を売ってしまったころには、もうそんな夢さえ忘れていたのにな……。ありがたい、この家に縁があってまたやってきてくれるとは」

「やはり、こういう古いものはおさまるべき場所におさまるものです。どうぞ、大切にしてあげてください」

「ああ。そうだな。私の命の恩人だ」




 獅子はもう何も言うことはなく、ただ、満足そうに店主の手の中に収まっていた。

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