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桜色の忘却―夢幻の廃跡―  作者: 星利
<廃遊園地の怪>
6/14

まどろんであの夏へ


部室で眠りに落ちていった私の脳裏には、まだ春なのに、いつかのセミの合唱が響き渡っていた。


ミーンミンミン……


(これは、まるで…!)



夢を見た。――あの夏の。…ちぇるしーと出会った日の。



いつものように、高校からの帰宅路の途中にある学習塾のドアを開ける。


すると、そこには何とも言えぬツンとした匂いが広がっている。


…チーフである、曽我(そが)っちがばら撒いた消臭剤の匂いだ。



「くさっ!曽我っち、この部屋臭う!」


私はわざとらしく、声を荒げる。


「えぇやん、俺の選んだ香りや!しっかり嗅いどき。」


「キモっ!」


いつもこんな調子であった。



曽我っちは、30代前半で少しワイルドな雰囲気の、たまに髭をそり忘れている恩師である。私が通っていた塾の長をしていたので、"チーフ"と呼ばれていた。


彼とは高校時代、色々な話をした。


曽我っちは大真面目な顔で「外を全裸で走りたい」、「花柄パンティ男子」などと言ってくる変態だ。


メンタリストの勉強もしていて、"恋愛モテ講座"と題しては変な知識を自慢げに語ってきた。



「あ、そういえば今日は、新しい先生が来るんやった。


春灯さん…、」


何かを言いかけた曽我っちは、1人でうんうんと頷きながら遠い目をしている。


(…?)


首を傾げながら、私は3階の自習室へと向かった。



そして2時間が経った頃、私は苦手な数学の宿題に苦戦していた。


(わっからない…。先生に訊きに行こう。)



自習していて分からないところがあれば、1階で授業準備をしている先生にいつでも質問できるというシステムだ。



「川崎せんせー、この問題分かりませーん。」


私は、"お姉ちゃん"として慕っている川崎先生に質問する。


「春灯さん、そこの新人の先生・智瑠先生に訊いてみ!」


川崎先生にトンと背中を押され、新人の男の先生の元へ。



「あっ、あの…、この問題が分からないのですが…!」


その先生と目が合った。


彼の第一印象は、クールで少しそっけない感じだった。


「あぁ、これはね…」


そうやって意外と丁寧に数学の問題を教えてくれた人が、ちぇるしーである。


背の高い、眼鏡をかけた爽やかな人。


その端正な顔つきに、溢れだすインテリオーラ。


――忘れはしない。夏の夕陽が教室に差し込んで、眩しくて、先生の顔を直視できなかったこと。



…あの日から、何かが始まっていたんだ。ふわふわと雲の上を歩いているような感覚。レモンティーのように甘酸っぱい日々。


(あぁ…!)



「…さん。」


(ん?)


どこか遠くの世界から、途切れ途切れに声が聞こえてくる。



「春灯さん!」


「…?!」


ぱちっと目を開けた私の前にあったのは、ちぇるしーの顔。


私はプシュウという音を立て、真っ赤な顔のまま、倒れそうになった。


「春灯さん、寝てたとこ悪いけど、もう閉館時間だから、帰ろう。」


「閉館時間、ですか?」


「そ。ここは、20時に閉まるんだ。」


「もうそんな時間ですか?!」


ガバッと飛び起きた私の背中には、ちぇるしーの紺色のカーディガンがかけられている。



「せんぱ…!」


そう言ってそのカーディガンを渡そうとすると、ちぇるしーはパッと取り上げた。


「風邪とかひかれると面倒だからな。」


彼はこちらを一瞬見て、目を逸らした。(いわゆる流し目ってやつかな?)



「さ、急いで出るぞ。」


「またあの階段ですか…。」



私達は駆け足で、元来た学習会館の螺旋階段を下っていった。私の息がゼェゼェと切れたのは、言うまでもない。

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