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いとこのポン酢〔お嬢様騒動〕六

― 六 ―


ボクっ娘登場

 六月の音楽祭に向けて、クラスはもりあがりを見せ始め、怪しげな情報が飛び交い始めました。

「聞きました~?お隣のクラスでは、合掌の伴奏にイヌ響を雇ったらしいですよ。」

「イヌ響?じゃあウチは東○フィルでも雇いますか?」

「それより、三組は全員がお琴で出るそうですわ。」

「一般組も交えてですの?」

「すべて、用意したようですわ。」

「あなどれませんねー、ウチのクラスは、どうしますの?」

「さあ、クラス委員の伊丹さんが、放課後の会議で決定すると…」

「それなら安心ですわ。」

「ぶるじょわ組は、派手だね~。」

「このクラスは混成だから、まとめるの大変よね。」

「まあ、心配いらないんじゃない?ほら、ウチのクラスには二枚看板、フルート全国大会二位の白峰麗子さんと、オーボエ第三位の芦屋雁子さんがいらっしゃるもの。」

「そうね、尼ヶ崎さんと西ノ宮さんも、ピアノとヴァイオリンで賞をおとりになったんでしょ。」

「あのグループは、芸達者でいらっしゃるもの。」


「でも、室内楽ですと、ビオラとチェロが足りませんわ。」

「あら、あなたお出になったら?」

「まあ、とてもあのレベルにありませんわ。」

「チェロと言えば、ほらあの方…」

 二人の視線の先には、くるくる巻き毛を頭の横で二つに束ねた、女の子が座っていました。なにやら、真剣な目で机の上のものを睨んでいます。

 背は、馨と同じくらいでしょうか、一五〇センチを出るかでないか、やせてはいますが健康そうな頬の色をしています。

 ミルク色のほっぺは、薄いピンクが差して、表情を豊かにしています。

 なのに、おムネはけっこう自己主張がはげしいようで、少しアンバランスな感じ。

 でも、けっして下品な印象はありません。


 制服は少し短くて、膝の上すぐくらいで、ペチコートでふわりと広がっています。

 きれいにレースを見せているので、おしゃれな印象ですね。

「真剣な眼差しがすてきですわ。」

「近寄りがたい雰囲気がありますわね。」

 一般組も、ブルジョア組も、一緒になって盛り上がるのは、この音楽祭の目標にかなっています。

 ヴァイオリンが二台とビオラとチェロで、弦楽四重奏ですが、さてなにを演奏すればいいのでしょうか。

「ふむ、ビオラかの、私も得意じゃがのう。」

「と・富子さま!」

「あやは、どうするのかのう?」

 伊丹あやは、悩み抜いていました。

「うわ~、どうしよう、麗子や雁子のレベルが高すぎて、ほかの子が着いていけない~。これは…でもレベルを落としたら、入賞が狙えないし…」


 どうせなら、クラス全員を参加させたいと思っているのです。

「唱わせるか…でも、隣はバックがイヌ響だし…三組は三五人で琴の連弾だし…ああ~、どうしよう。」

『Quand nous chanterons le temps des cerises

Et gai rossignol et merle moqueur

Seront tous en f?te

Les belles auront la folie en t?te

Et les amoureux du soleil au c?ur

Quand nous chanterons le temps des cerises

Sifflera bien mieux le merle moqueur 』

 富子は、鼻歌を歌いながら、あやの机に近づきました。

 振り返って、あやは目を見張りました。


「さすが富子さま、すばらしい発音ですね。」

「そうかのう?ほんのうろ覚えじゃもの。」

「そんなことありませんよ。私も、麗子について一週間ほどパリにいましたけど、こんなきれいな発音は始めてです。」

「そうか?では、家庭教師を褒めてやらねばの。」

「これで行きましょうか。」

「これで?」

「シャンソンですよ。ウチのクラスは芸達者は多いのですが、ひとりひとりの技量に差が激しくて、合わせるのに苦労するんです。」

「なるほどの。」

「これで行きましょうよ。伴奏に麗子たちを使うわ。一般組もみんな前に出て唱えばいいもの。」

「目新しいの。」

「でしょう?私もそう思います。クラシックに偏っているみなさまには、新鮮に映りますよ。」


「では、さっそく伴奏と、合唱の編曲を頼まなくてはいかんのう。」

「そうですね、どうしましょうか…みんなで相談しましょう。」

「うみゅ。それがよいの。」

 麗子は、図書館のテラスでその話を聞きました。

「ふうん、あやは前例は調べたの?」

「前例?」

「ええ、合唱の出場で、どんな曲を使ったかとか、どのくらいの評価だったとか。」

「ああ、そうね、まだだわ。」

「そんなものが、重要なの?」

 雁子が、首をひねって麗子に聞きました。

「ええまあ、優勝狙いましょうって言われたら、そのくらいは知っておかないと、話にならないでしょう?少なくとも、遠埜(とおの)弥子(やすこ)さんはそのくらいでは、許してくださらないのではないかしら?」

「そりゃあ困ったもんだね、あの子と競り合おうなんて、こちらは考えていないのにさ。」


「そうね、困ったものだわ。でもね、売られたケンカは買うのが筋ってものじゃない?」

「うわ、お嬢様のくせに、なんちゅう武張ったこと言うのかしら、このシト!」

「うふふふ、ウチは公家と言うよりも、海賊というか…村上水軍の村上定国が起源と言われているのよ。だから、武家気質がきついのよね。保元の乱(保元元年(一一五六年)七月に皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変。)のあと、淡路島に住み着いたらしいわ。」

「そ、それとこれとは意味合いがちがうじゃない。」

「ま、どちらにせよ、賽は投げられているんだから、勝ちを取りに行きましょう。」

「なんか、今日の麗子は伝法だよ~。」

 そこへ、寿美が女の子を一人伴ってやってきました。

「麗子、このまえ話してた子を紹介するわ。ほら、前にいらっしゃいよ。」

 ほっそりした体に、主張の激しいおムネ。

 先ほどの机に向かっていた子です。


「御崎ケ花響子さんよ。」

「あら、御崎ヶ花さんって、ずっとクラスにいたじゃない。」

「そうよ、再三誘っていたんだけど、なかなか首をタテに振ってくれなかったのよ。なんとか説得して、グループにスカウトしたの。」

「御崎ヶ花です…。」

「私がこんなだから、迷惑をかけてごめんなさいね。」

「いえ、そんなことは…」

 響子は、麗子がいきなり口を切ったのが、体のことだったので面食らったようです。

 車椅子の上から、響子を見上げて笑う顔には、マイナスイメージは微塵もありませんでした。

 どちらかと言えば、響子のほうが暗いイメージで、少し引っ込み思案なところが見て取れます。

「あはは、でもね、この車いすもダイシン工業の特注品で、けっこう良い物なのよ~。ほら、パワーも市販のものとは比べものにならないくらい強いし、電池の持続時間も延びてるのよ。」


「はあ…ダイシンですか?」

 麗子の反応がめずらしいらしく、響子は目を丸くして見つめました。

「リミッターを外すと、この状態で百二十九キロも出るし、ジョイスティックで方向も自在に変わるのよ。」

「それ、本当に車いすなの?」

「えへへ、実はダイシン工業って、アルミの溶接では世界的な技術者が集まっていて、レースの世界でもダイシンのアルミ集合管って言ったら、一目置かれているんですって。お兄さまの紹介なのよ。」

「なるほど、CBXのダイシン集合管でしたか…それなら納得です。」

「なっとくするんかい!」

 あやの鋭いツッコミ。

「プロダクションレースの世界では、有名ですよヨシムラ・モリワキ・ツキギ・ダイシン…」

「そうなの?」


 かえって麗子が聞き返すぐらい。

「私のマシンはツキギです。」

「へえ、御崎ヶ花さんって、バイクに乗るんだ。」

 雁子は、感心したように腕を組みました。

「乗りますよ、車よりおもしろいですから。駐車にも気を遣わなくていいですし、景色の良いところで急に止まっても、迷惑になりませんからね。」

「ふうん、御崎ヶ花さんって、ずいぶんいろいろなところに行っているのね。」

 麗子の屈託のない笑顔に、響子は気圧されたように呆然と見つめ返しています。

「白峰さんって、もっとおとなしい人だと思っていました。」

「残念?」

「いえ、そう言うことなら、ボクもお手伝いします。」

「ぼく?」


「ああ!」

 御崎ヶ花は、自分の口を覆って後ずさりました。

「まあ、いいんじゃない?ボクでも。」

 雁子は、自然な調子で言いました。

「そうだねー、それも個性のうちだよね。」

 耶柚にそう言われて、響子はほっとした顔を見せました。

「御崎ヶ花さんは、バイクで遠出するのが趣味なの?」

 麗子は、何の気ナシに聞いてみました。

「響子でいいです。ボクは、普段は一三〇〇に乗っているんだけど、レースをしていて、単気筒の四〇〇を使っているんだ。」

「まあ、レース?楽しそうね。そうそう、透吾お兄さまがこんど、ROVAというチームにスポンサードすると言っていましたわ。」


「ROVA?F-1チームじゃないですか。それは、四輪ですよー。」

「まあ、そうなの?ロバって、遅い感じがしますわね。」

「確かにそうですね。でも、原宗右衛門というレーサーは、外国人にもひけをとりませんよ。ものすごく速い人です。」

「そうなの?じゃあ、お兄さまの出資も無駄にはなりませんわね。」

「もちろんですよ、いま表彰台に一番近い日本人ですよ。」

「まあ、知りませんでした。」

「だって、女の子はあまり興味のない話しでしょう?ボクも、この学校では初めて話しましたもの。」

「レースですか…こんど、お兄さまに連れて行っていただきましょう。」

「そのときは、ボクもお供しますよ。」

 御崎ヶ花工業という会社は、神奈川県の逗子市にある精密機械の会社で、最近は携帯電話の部品などを作っているため、成長著しいと世間で評判です。

 事実、株価も昨年より二十三ポイントも上がっていて、隠れたベストセラーです。

 ワキサカのグループの中では、中堅どころとされていますが、それでも年間百五十億円の売り上げは堂々としたものです。

 脇坂商事や脇坂フーズなどの売り上げが年間三百億円を超えるため、埋没しがちですがなかなかどうして検討していると言えるでしょう。


「おかげで、ボクの道楽も少しは潤っているということですよ。」

 響子は濃いめの眉を持ち上げて、からからと笑いました。

「でも、そのおムネは皮のスーツに納めるのが大変ね。」

 雁子が、まじめな顔をして聞きました。

「そうなのねー、皮スーツって硬いからこすれて痛いし…って、なんでそうなるのよ。」

「響子さんもひっかかってるわ。雁子の悪いクセよね。人にノリツッコミさせるワザなのよね。」

「ワザなの?それ。」

「まあまあ、いいじゃない。響子は、コルネットを使うのよ。」

 寿美は、響子の肩を抱き寄せるようにして、響子の顔の右側からぬっと自分の顔を突き出しました。

「うひゃああ!どこから顔出してるの!」

「べつにいいじゃん、おマタから顔出したわけじゃなし。」


「おマタ…それじゃ、変態でしょ!」

 盛大にいじられている響子でした。

「まあ、それは置いといて、コルネットですか?ピアノが所望と聞いて担いできたんですけど。」

「コットンクラブかい!」(リチャードギアが、粋にこんな台詞を言っていましたね。)

「金管が増えますねえ。」

「じゃあ、『ハト○少年』を入れようよ。」

「雁子、その曲知っている人、何人いるの?」

「いいじゃない、芸能界じゃみんな知っているわよ。」

「そうなの?」

「うん。」

「でも、できたのは、私たちが産まれる前なんでしょう?」

「そうだね、でも何度もリバイバルされているし、あなたたちだって知っているでしょう?」

「まあそりゃあねえ…」


「ハトと○年って?」

 寿美が聞くと、雁子はげんなりした顔になりました。

「題名は知らなくても、曲はきっと知っているわよ。響子、やって。」

「やるの?」

「できるでしょう?」

「そりゃあ、かんたんよ。ちょっと待ってて。」

 響子は、コルネットを自分の鞄から出すと、軽く吹きました。

「あ、この曲?知ってるわ。」

「でしょう?」

 麗子は、響子の軽快な音色を聞きながら言いました。

「さすがねー、軽々と吹いているわ。私とは、肺活量が違うわね。」

「麗子さんこそ、よくもまあその体であんな音色が出るものだと、いつも感心しているわ。」


「そう?秘密はね、呼吸法にあるのよ。」

「へえ、そのへんをじっくり教えてほしいわ。」

「じゃあ、こんどご一緒しましょうよ。」

「ぜひ。」

 音楽祭当日は、麗子たち高等部の順番は午後三番目になりました。

 午前中は、幼年部小学部の演奏が中心で、午後からは中学部高等部の演奏が入ります。

「う~どきどきする~。」

 雁子が、楽屋で麗子にすがるようにしています。

「ちょっと、もっとどきどきしているのは響子のほうよ。」

「そりゃそうだけどさ、やっぱどきどきするよ。」

 舞台袖から進み出た響子は、幕が閉じたまま高らかにコルネットを鳴らしました。


 もちろん『ハ○と少年』です。

 曲が進むと同時に、合唱の伴奏が流れ始めました。

 もちろん、麗子を中心とした管と弦のクラスメイトです。

 富子が一歩出て、ソロパートを受け持ちます。

 マイクなしでも音楽堂の隅々まで届くような、骨の入ったソプラノは、来場者の度肝を抜きました。

 合唱パートでも周りとのバランスを崩すことなく、張りと芯を持たせた見事な演奏となりました。(歌詞書きたいけど、著作権があるしなあ…)

 万雷の拍手に送られて、楽屋に戻った一同はハイタッチしながら、階段を駆け下りました。

「やった~、間違えなかったよ!ねえ、麗子。」

 コルネットを片手に持った響子は、麗子の車いすに歩み寄って元気な声を響かせました。

「ええ、上手だったわよ、響子。」

 麗子も、上気した顔を上げて答えます。

「そうだよ、すごいよ響子は。大地先生のオルゴールものだよ。」


「今年こそもらえるかなあ。」

 大地先生のご褒美オルゴールは、生徒たちが心待ちにしている表彰です。

 もちろん、これは大地先生だけのオリジナルですので、ほんとうはたいした権威ではありません。

 が、人気のある先生のご褒美ともなれば、女学生がゴキゲンなことも間違いはないでしょう。

 朴訥とした丸顔の、取り立てて美男子と言うわけでもないのですが、やさしい語りと、やわらかい物腰には人気があります。

 センスの良い美男子に慣れている精華学園の生徒たちには、かえって新鮮なのではないでしょうか?

「あ、富子さま、すばらしいソプラノでしたわ。」

「そうかのう?高音の伸びがイマイチ足りなかったような…」

「いいえ、よく響いておいででいたわ。音楽堂の隅々まで響いていましてよ。」

「そうかの?それはうれしいな。」

「ええもう、まるで天使のようでしたわ。」


「そう言ってもらえると嬉しいの。麗子の役に立ったようじゃな。おお、麗子たちの演奏も際だっておったぞ。合唱のパートを崩さぬよう、細かい気配りがあったのう。」

「恐縮ですわ。今年の優勝は、ウチのクラスでいただきですわ。」

「そうあれば嬉しいのう。」

 富子もずいぶんとクラスに馴染んだ様子で、次々とクラスメイトの祝福を受けています。

「富子様もなじんだもんだね。」

「雁子やあやが、気を配っていたからよ。」

「あれま、知ってたの?」

「私の視線は、みんなより低いのよ。」

「なるほどね。さあ、客席に移動しようか。」

「そうね、お願い。」

「まかせて。」

 雁子は、麗子の車いすをつかむと、はしゃいだ様子で楽屋廊下を進みました。


「白峰さん、すばらしい演奏でしたわね。」

「あら、遠埜さん、ありがとうございます。あなたたちは次の次ですわね、楽しみにしていますわ。」

「ええ、失望はさせませんわよ。かえって、意欲が増しましたわ。」

「それは楽しみです。私たちは、客席で楽しませていただきますわ。」

「ええ、では後ほど。」

 遠埜弥子は、緊張をほほに貼り付けて、少し上気した顔を上に向けて、楽屋の階段を登って行きました。

 この精華学園という大規模な学校は、その規模に見合ったように多士済々、いろいろな才能に満ちあふれています。

 今回の音楽・芸術にかぎらずスポーツや勉学に関しても、突出した才能が集っているのです。 

 遠埜弥子は、その中でも群を抜く才能の持ち主で、勉学・スポーツ・芸術と標準以上の才能を発揮する、いわゆるスーパー女子高生とも言うべき存在です。

 この日の演奏に関しても、麗子が舌を巻くほどの出来でした。

「圧倒されるわね、遠埜さんには。」


「うん、やっぱり別物だねえ。あの才能は。」

 麗子は、音楽堂のいちばん後ろに車いすを止めて、生徒たちの舞台を見ていました。

「大地先生のご褒美オルゴールの行方が、わからなくなってきたね。」

「ほんとうね。」

 やがて、麗子の車いすを見つけた遠埜弥子は、薄暗がりの中するすると近寄ってきました。

「いかがでした?白峰さん。」

「ええ、すばらしかったわ。いま、お話ししていましたのよ、きっと大地先生のご褒美オルゴールは、遠埜さんのものよって。」

「あら、優勝ではなくて?」

「ええ、今日いちばんできの良かった生徒には、きっと大地先生のご褒美オルゴールがいただけると、ウワサに上がっていますのよ。」

「あら、どちらのほうが栄誉なのかしら?」

「さあ、どちらも嬉しいでしょう?」


「大地先生は、特別ですわ。」

「ではそういうことで。」

「ああもう、そんな意地悪をおっしゃって、ひどいですわよ白峰さん。」

「麗子でけっこうですよ。」

「では、私も弥子(やすこ)と。」

「はいはい、まさか弥子さんまでが、大地先生に惹かれていらっしゃるとは、思ってもみませんでした。」

「そうでしょうか?権謀術策・有象無象・魑魅魍魎などを見続けていますと、大地先生のような方はほっといたしますわ。」

「そんなものでしょうか?私にはわかりませんわ。」

「あら、政治家のお嬢さんが?」

「ええ、私は政治とは関わりのないところで育ってまいりましたもの。」

「まあ、そうでしたの?」

「ええ、長女とは言え、上に兄が二人おりますので、政治向きはみなそちらで。」


「まあ、うらやましいわ。私は三姉妹の一番上ですので、それはもう小さい頃から、いやな現場に連れて行かれていましたのよ。」

「ご同情申し上げます。」

 弥子は少しむっとして、麗子を見ました。

「遠埜グループの中には、なかなかいい殿方がいらっしゃらないご様子。」

「言いますわね。脇坂グループの中には、よほど好い人材がそろっていらっしゃるの?」

「さあ?脇坂と言えば、透吾お兄さまはそりゃあすてきな殿方ですわよ。」

「そ、それは反則!麗さまの旦那様でしょう?」

「ええ、先日も京都までおつきあいくださって、楽しんで参りましたわ。」

「そのお話は伺いました。」

「夜は、芸舞妓を呼んで、透吾お兄さまが三味線をお弾きになって…」

「まあ、お三味線?」

「ええ、良く通るお声で、祇園小唄などをお唄いになって。」


「まあ!まあまあまあ!なんてすてき。」

「ですから、脇坂には多士済々なのですわ。」

「く、くやしい。こんど、もっといい殿方を見繕ってまいりますわ。」

「それは、本末転倒と申せましょう?」

 弥子は、悔しそうに唇をかんでいます。

「ぷ、あははははは、弥子さんもおもしろい方ねえ。」

「はいはい、私はすっかり三枚目ですのね。」

 弥子はすましてその場を後にしました。

「いずれまた、どこかの空の下で相まみえることになりそうね。」

「願わくば、そのときは敵でないとうれしいな。」

「どうかしら?」


 やがて、あやも響子もやってきて、麗子の車いすの周りに立ちました。

 それを見て、ゆう・遥・馨の三人もやってきました。

 総勢九人が固まっていると、それだけで華やかな集団に見えます。

 ただし、狭い通路にふくらんだスカートが邪魔なんですが。

「もうこうなると、勝ち負けなんてどうでもいいわね。」

「そうね、勝ち負けにこだわっているのは、遠埜さんのほうだもの。」

「じゃあさ、図書館に行ってお茶しない?あたし、のどかわいちゃった。」

「じゃあ富子さまも誘って、お茶にしましょう。」

「わかりました、私、呼びに行ってきます。」

「ゆう、お願いね。」

「はい!」

 自分の出番が終わったからって、勝手なこと言ってますね。

「いいのよ、みんなも適当に息抜きしているんだから。」

 そうですか?


 麗子の言うとおり、図書館前のカフェテラスは賑わっていました。

 あいかわらずおさぼりの常習犯、安田の若様や三津井の若様と、その取り巻きが騒がしくたむろしていました。

「おや、これは麗子さん、もう出番は終わりましたか?」

「あら、安田の若様、麗子なんかに声をかけると、取り巻きのみなさまににらまれますわ。」

「麗子さんは特別ですよ、みなさんわかってくれますよ。」

「そうでしょうか?ほら隅鞆(すみとも)のお嬢さまがにらんでいらっしゃいますわ。」

 見れば緩いウエーブのかかった茶髪の娘が、ジト目で麗子を見ていました。

「戻って差し上げてはいかがですか?」

「ええまあ、あ、富子さま、すばらしいソプラノでしたよ。」

「そうかえ?ありがとう。」

「僕は、聞き惚れてしまいました。」


「それはありがとう、あや、私はほっとチョコレートがよいな。」

 あからさまに無視されて、いささかプライドが傷ついたご様子です。

 でも、富子さまとは身分がちがいますし、モンクのつけようもないんですね。

「ああ、そうそうお父さまに伺いましたわ、ご縁談のこと。脇坂の麗おねえさまのところから、異議が入りましたので、ご遠慮させていただくことになりましたそうで。」

「そのことですか…」

 安田の若様は、ばつの悪そうな顔をして、返事しました。

「申し訳ありませんわ、麗お姉さまは一度言いかけると、誰の意見も聞きませんの。」

 麗にかこつけて、無理矢理縁談を断ってしまったのは、実は透吾なのでした。

「脇坂の…それでは、僕にもなにもできませんね。」

「あら、麗子をさらって行くくらいの気概で、申し込まれたのではありませんの?それは、残念ですわ。」

 安田の若様は、さらに苦虫を口いっぱい噛みつぶしたような顔になりました。


「では、ごきげんよう。」

 後ろで、三津井の若様が爆笑なさっているのが聞こえてきました。

「顔だけの若様なんて、願い下げよ。」

「うひゃ~、麗子言う言う!」

 横から雁子が破顔一笑、麗子に言いました。

「だって、私の車いすがくぼみにひっかかって困っているのに、あの人知らん顔して行ってしまったのよ、許せる?そんなこと。」

「あ~、そりゃあ若様が悪いな。」

「顔がいいだけの若様なんか、なんの役にもたちゃしない。情と実のある殿方でないと。」

「そうだねえ。」

 それを横目で見ながら、富子が口を挟みました。

「麗子は、透吾どのを引き合いにしておるのかの?あの御仁は特別じゃぞ。いかにも重い人生を歩んできておるからの。一介の高校生にそんなものを求めるのは残酷じゃのう。」

「はあ、はい、富子さま。でも、お兄さまは高校時代から、ずっと未来を見据えて行動していらっしゃったようですよ。」

「それが出来る高校生など、ほんの一握りじゃろうて。まだまだ彼らは子供じゃもの。」

「そう言うものでしょうか?」


「そうじゃ、まだまだオモチャが似合うのじゃ。」

 富子は、ガトーショコラにホットチョコレートという、甘党にしても歯が溶けそうなメニューを、黙々と口に運んでいます。

「シュークリームもよいな~。」

 まだ食べるんですか?

「私も、いま、未来を見据えていますのよ。」

「そうかの?我らもまだまだ子供で良いのではないかのう?」

「ええ、そう思いますが、少し見えてしまいましたもの、目を背けることができないくらいに。」

「それはしょうがないのう、麗子は、はやく大人になってしまったようじゃ。さみしいのう。」

「富子さまったら。麗子にはやりたいことがいっぱいできたのですわ。語学も数学も、そのための備えをしたいと思ったのですわ。」

「それが、大人になると言うことじゃ。緻密な計画と、不断の決意がなければ、何事も進まぬものよ。」

「富子さまこそ、大人でいらっしゃるわ。」


「なに、受け売りじゃ。」

 そう言う富子は、いろいろなしがらみにまとわりつかれて、いままで過ごしてきたのでしょうか。

 短い指を器用に動かして、ケーキを口に運びました。

 麗子は、そんな様子を黙って見つめました。

 いったい何度希望を打ち砕かれてきたのか、その小さな手は語ってはくれません。

 が、耐えに耐えての十七年だったのではないかと、勘ぐってもしまいます。

 ガラスのカップを持ち上げて、ため息をひとつ。

 箱入り娘も、楽じゃないなあと…

「さて、そろそろ三年生のお姉さまたちの出番ですよ、聞いていないとあとでお目玉がきそうだわ。」

「響子はまじめじゃのう。」

 雁子が、富子のまねをして言いました。


「かりこ~、それをボクに言うか?」

「あははは、じゃあおねいさまがたに叱られるから、音楽堂に戻ろう。」

 みなぞろぞろと、来た道を戻っていきました。

 各クラス出し物は十分以内と決められていますが、中高全クラスが出そろう頃には、夕方五時を回ってしまいました。

「うひゃ~、なんだか疲れたねえ。」

「私はおなかがすいたぞよ。」

「富子様、さっきチョコレートケーキとシュークリームを召し上がったじゃないですかー。」

 雁子は驚いて、思わず富子に聞きました。

「でも、おなかがすいたのじゃ。しかたなかろう?」

「そうですね、今日はみなさんがんばったもの。」

 あやも、富子の意見には賛成のようで、自分のおなかを押さえていました。


「でも、まだ審査発表があるんでしょう?」

 耶柚が心配そうに声をかけました。

「まあ、出たとこ勝負ですよ。弥子さんのところか、ウチか。あと何組かできの良かったところがあるし。」

「そっかー、今日はなんだかつかれたよ~。」

「あと少しよ。」

 壇上には、各クラスの代表が並んでいます。

 麗子のクラスからは、当然あやが上がっていました。

 弥子の顔も見えます。

「あはは、緊張してる。」

「ほんとだ、みんな目のあたりがひくひくしてるよ。」

 音楽堂の一番後ろに陣取った麗子たちは、ひたすら校長先生の発表を待ちました。

 結果は…優勝は三年生に持っていかれたようです。


 後日談ですが、やはり大地先生に呼ばれたのは、響子でした。


 響子は、うれしそうにオルゴールの入った箱を抱えて帰ってきました。

「やったね、響子!」

 雁子が、自分のことのように喜んでみせるものだから、響子もますます嬉しくなってしまいました。

「さあって、弥子さんを出し抜いたご褒美に、透吾さまへの紹介もお願いね、麗子。」

「わかったわ、さっそく連絡を取りましょう。」

 六月の空はからりと晴れていて、もうじき梅雨だということも忘れそうでした。



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