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いとこのポン酢〔お嬢様騒動〕五

― 五 ―


 クラス全員に声をかけましたが、やはり何人かは用事があったようです。

 それでも、放課後のお茶会はまずまずの出席。

「けっこう盛況ね~。フルーツとかはあやの指示なの?」

 麗子はお茶室(約三〇畳敷き)を見回して、雁子に聞きました。

「まあね、イギリス式ティーパーティって訳じゃないけど、お土産だけじゃ少し寂しいものね。」

 雁子も、心得たもので、麗子のたてたお茶を運びながら、満足そうにうなずきました。

「ま、派手好きな精華の生徒にしては、こんな地味なお茶会の方がめずらしいのかもね?」

 どちらかと言えば、お茶会の名を借りたおしゃべり会です。

 学園で正式に英国式ティーパーティを始めると、準備に三日ほどかかります。

 並ぶ料理や御菓子も吟味されて、とんでもなく派手になります。

 たまたま、気が向いたので買い込んだ御菓子が、おいしかったのが始まり。

 でも、みなさん気に入ってくれたようで嬉しいわ。

「麗子、麗子、私にもお茶を点てさせてくれんかのう?」


「富子さまもお茶を?」

「うむ、私のお茶もけっこうおいしいと思うのだが…」

「左様でございますか。それでは、交代いたしましょう。みなさま、富子さまがお茶を点ててくださいますよ。ご希望の方はどうぞ。」

 クラスでも有力者の何人かが前に出て、富子さまからお茶をいただきます。

「こうしてみると、さすがに富子さまは、堂々としたもんだね。」

「まあ、お仕込みがちがうわよ。こんなこと当たり前にこなせる環境だもの。」

「そだねえ。おっと、お客さんだよ。」

 戸口には、下級生の姿がちらほら。ウワサを聞きつけて、のぞきに来たようです。麗子は、あやに聞きました。

「御菓子のよゆうはある?」

「ええ、あるわよ。そう言えば、麗子のきんつばも、まだあるわよ。」

 あやは、笑いを含んだ答えをよこしました。


 麗子は、ほほえんで下級生に手招きしました。

 馨にくっついてやってきた少女たちは、麗子の前におずおずと進んできました。

「お、お姉さまがお茶会を開くと言いましたら、どうしてものぞきに行きたいと、クラスのみなさんがおっしゃるので、おじゃまかと思いましたが、やってきてしまいました。」

「馨、あなたが遠慮することはなくてよ。それに、ほら、ゆうも遥もお手伝いにきてくれたわ。」

「まあ、ゆうさん、遥さんも、ひどいわ、馨を呼んでくれないなんて。」

「だってあなた、ちっとも携帯に出ないんですもの、時間は来るし、遥と二人やきもきしてたわ。」

 馨の携帯は、電池切れを起こして、見事に沈黙の艦隊でした。

「はう~、活動限界。」

「まあまあ、それでは、馨もお友達も参加なさいな。」

「よろしいのですか?」

「もちろんよ、お菓子も余裕があるし、みなさんとお近づきになるといいわ。」

 麗子は、一年生を連れて、おしゃべりの輪の中に入って行きました。


「あの麗子が、一年生連れておしゃべりの輪に入って行くなんて、半年前には考えられなかったね~。」

 雁子は、あやにそっと言いました。

「そうね、麗ねえさまのおかげで、明るくなったわね。」

「なによう、あたしたちのお陰だい。」

「はいはい、あんたもがんばったわよ。」

 あやは、雁子にうなずいてお菓子のテーブルに向かいました。

 お茶をいただきながら、はずむ会話に一年生たちは、夢見心地になっていました。

「麗子お姉さまって、見かけに寄らず気さくな方だったのね。」

 ひとりの声を受けて、馨は驚いて見せました。

「まあ、見かけに寄らず?」

「だって、お父様は国会議員でらして、あの脇坂の縁続きなんでしょう?もうもう、雲の上の方だと…」


「ふうん、で、どう?お話しした印象は。」

「ええ、馨さんのおっしゃるとおり、おやさしくて明るい方だったのね。」

「でしょう?そうそう、この誠最中、昨日麗子お姉さまが、京都で買い求めてらしたのですけど、お味はいかがですか?」

「ええ、とってもおいしいわ。鶴屋さんっておっしゃるの?お菓子司ではありませんのね。」

「ええまあ、創業は新しいところですから、御所にご用を受けてはおりませんね。」

「そうですか、でも小豆がぴんとして、歯触りがふつうとは違いますわ。」

「私も、麗お姉さまに着いて行って、初めていただいたんです。おどろきましたわ。」

「まあ!麗さまにご一緒されたのですか?脇坂の?」

「本当に?」

「脇坂麗さまって、都市伝説じゃなかったの?」

 一般組からは、あからさまに妙な声も挙がっています。


「ちゃんと存在していらっしゃいます。そりゃあもう、お美しくて気品があって、ウワサなどあてになりませんよ。」

 馨は誇らしげに胸を張って答えました。

「へえ~、馨ちゃんはお会いしてどうでした?」

「ウワサなんて当てにならないものですね。」

「そうなのですか?」

「ええもう、ウワサ以上の方です。麗お姉さまと麗子お姉さまとは、母方のお従姉妹にあたられますので、目元などよく似ていらっしゃいますよ。」

「まあ!」

 一同いっせいに麗子の目元に視線が向かいました。

 麗子は、にこにこと人の良さそうな笑顔を向けるので、一年生はつい下を向いてしまいました。

「あら、なんのお話?」

「ええ、お姉さまの目元が、麗さまによく似ていらっしゃると、お話ししていたんです。」


「あらまあ、そう?」

「ええ、とても。」

「だったらうれしいわ。麗お姉さまは、私のあこがれですもの。」

「麗子は、人気者じゃの。」

「富子さま。」

 富子が近寄ってきたので、一年生はみな頭を下げて迎えました。

「よいよい、あいさつはさきほど受けた。麗子の周りにはいつも人が集まるのじゃな。」

「恐れ入りましてございます。」

「さてのう、知らぬ間に人数が増えて、様子がわからなくなってきたのう。」

「まあ、来ていただける生徒は、制限していませんでしたので、よろしいんじゃありません?」

「そうじゃの、私も皆の顔が覚えられてうれしいしのう。」

「それはけっこうですわ。お友達が増えるのは楽しいことですもの。」

 富子は、悠々として、部屋の中を見回しました。そこには、学校の中とも思えないような、豪華なテーブルといすが並び、英国風のアフタヌーンティーセットが設えられて、また、一角には毛氈のかかった床机が並んでいて、和洋同時にお茶を楽しめるよう工夫してありました。


「そろりてぃとか申す者たちが見たら、なんと申すかのう?」

「さあ?私どもにとりましては、たまのことでございますから、まあ、さして意見もございませんでしょう?」

「そうかのう?」

「そこで、遠慮などいたしますと、彼女たちにも不快でございますから、せいぜい派手すぎないように、でも、賑やかに行うのがよろしいのですわ。」

「なるほどの、いたずらに刺激しすぎず、遠慮しすぎずかの?簡単なようで難しい宿題じゃの。」

「宿題ですか?」

 麗子はきょとんとした顔で、富子を見つめました。

「あれで、殿上などというところも、窮屈なところでの、そういう心遣いが機能しないと、情けないことになるものじゃ。」

「さようでしたか。この学園は社会の縮図のようでもありますね。」

「そうさの、親の権威や地位など、学生には関わりのないことであろうにのぅ。」


「まことに、さようでございますね。この学園を創設された、山根佐間之助さまとおっしゃるかたは、リベラルな英国風な校風をめざしたと、学校の説明に書いてありましたわ。」

「リベラル…のう。」

「まあ、社会的・政治的に制約されていないと言うような意味に受け取っていたようですが。あながち間違って居るとも思えませんもの。」

「そうじゃな、親の身分など子供にはさしたる意味はもたんものじゃ。それが、大きくなるにつれて、どんどん重くなってくる。不便なものじゃのう。」

 だからこそ学園は、モラトリアムなんですけどね。

「そうですね。今年初めに、フランスに居たとき、お兄さまに言われましたわ。」

「ほう、なんと?」

「パリでは不自由なことがたくさんあるけど、それを楽しむことができないと、暮らしていけないよって。たとえば、交通機関のストライキ、いつも突然に実行されるんですって。このまえの、グリーンランドの火山噴火、空港が閉鎖されて帰国できない人が、山のように空港にたまっていたんですって。そう言った、人為的だったり、自然であったり、不自由なことも、楽しんでいれば過ぎていくのだそうですわ。」

「あはは、それはよいことを聞いたのう。楽しんでいるウチに過ぎてゆくか…人生もそうなのかのう?」

「さあ、お兄さまはそれも楽しんでいらっしゃるようですわ。」

「ふむ、会って話を聞きたいものじゃ。先日、麗子の家で会った御仁じゃろ?」

「はい、そうです。」


「さもありなん。あの御仁は、ものの道理がわかる御仁じゃ。」

「はい、さようでございますね。」

 富子さまが、麗子のそばを離れて、生徒の輪に入っていくのを待っていたように、声がかかりました。

「白峰さん、よろしいかしら?」

「あら、遠埜さん、どうかなさいまして?」

「いえ、白峰さんがお茶会をお開きになるとうかがいましたので、ご様子を見てみたく、おじゃましましたの。」

「あら、こんな些細なお茶会に?遠埜さんが?」

 ソロリティ、『銀の鈴』の派閥領袖である、遠埜(とおの)弥子(やすこ)その人が、顔を出すなど考えてもいませんでした。

「あら、あなたはご自分で思っているほど、小さな勢力ではありませんのよ。」

「はい?」

「だって、あなたが脇坂麗さまのお従姉妹さまだなんて、今年になって知りましたわ。どうして隠していらしたの?」

「はあ、だって自慢するほどの血縁でもございませんもの。母が脇坂の外子(そとご)の妹だっただけですから。」


「それって、自慢できますわよ。」

「そうなんですか?」

 遠埜(とおの)弥子(やすこ)は、あきれた顔をして、ため息をつきました。

「まったく…これだから、気が抜けると言うのです。ご自身が、ご自分の価値をわかっていらっしゃらないなんて。いいですか、あなたはクラスに、四人のお館組をかかえ、一年生にもお館組がいらっしゃるのよ。こんな勢力は、学園のほかの方にはいらっしゃいません。」

「あら、遠埜さんだって、お館組が…」

「あれは、お館組ではありませんわ。ただのお友達よ。」

「そうですか?」

「だって、彼女たちは私どもの系列会社ではございませんわよ。」

「あらまあ、それは…」


「遠埜グループは、脇坂ほど手広くはございませんの。」

「そうですか…」

 脇坂には三七八社の系列会社があります。

 これはすべて、脇坂要を中心に、同心円的なつながりを持った会社群で、深く関連付いた一大グループなのです。

 すべての社員を合わせると、四万五千人を超えます。

 それに対しまして、遠埜グループは四十二社と若干出遅れています。

「でもでも、私は傍系ですよ。」

「本家だろうが、分家だろうが、姻戚だろうが関係ございませんでしょう?あの、脇坂麗が認めた従姉妹があなただということが重要なのですわ。あなた、今年に入ってからずいぶんお変わりになったわ。明るくなったし、行事などにも積極的に前に出て参加するようになったし。下級生も、よく面倒を見ていると思いますわ。そう言うあなただからこそ、このお茶会も、地味なものなのに、人が集まったのでしょう?」

「はあ…」

「あの脇坂唖莉洲でさえ、直系脇坂とは言え、お館組はたったの二人ですのよ。七人を抱えるのは、学園でもあなただけ。つまり、白峰麗子は精華学園で唯一にして、最大派閥と言えるのですわ。」

「あらあら、お話が大きくなってしまいましたわ。学園で最大派閥は、銀の鈴の領袖である遠埜弥子さまでしょう。私など、ほんの片隅に置いていただければ十分ですわ。」

「そうはまいりませんわよ。もう、あなたは一つのグループを立ち上げてしまいましたわ。」

「へ?」


「このお茶会に参加した方々ですわ。」

「いや、だって、この方たちはクラスの、ほんの気のあった方たち…」

「ええ、銀の鈴だって、ほんの気のあった方たちが集まったにすぎませんわ。ただ、名前が付いているだけ。そろそろあなたたちも『白峰会』とでも名乗ったらいかが?」

 横合いから雁子が口を挟みました。

「ヒネリもなんにもないねえ。」

「まあ、会の名前はおいおい考えるわ。」

 あやも、悪のりしています。

「そうだね、学園一のソロリティから認められるなんて、こりゃ考えを変えなきゃだわ。」

「あなたは、まずそのお口からかえたら?」

「またそう言うことを言う~。」

「ともかく、次の文化音楽祭には、あなたたちのデビューを生暖かく見守らせていただくわ。」

「対抗戦じゃないんですから。」

「銀の鈴は、優勝を目指してがんばっているのですわ。」


「あらまあ、では、私たちは準優勝を目指して…」

「そんな志の低いことでどうなさるの!」

「はあ…」

「まあ、お茶でもいかがかな?遠埜どの。」

「と、富子さま!」

「気分が変わるぞよ。それ、そこにお座りなさい。」

「は、はい。」

 遠埜弥子は、富子に勧められて、床机に腰を下ろしました。

「これはの、麗子が京都のお土産に賄のうてくれたものじゃ、なかなかよいお味じゃぞ。」

 富子様のお茶器の横には、かわいらしい誠最中の包みがありました。


「富子さま手ずからお茶を?」

「久しぶりなので、自信はないがの。ささ、冷めぬうちに。」

「はい、いただきますわ。」

 ざっくばらんに供されたお茶を手に取り、弥子は軽く息をはきました。

 自分を落ち着かせるためです。

「おいしい、おいしいお茶ですわ、富子さま。」

「それはけっこう。御菓子もどうぞ。」

「あら、おいしい。麗子さん、これはどこの御菓子司ですの?」

「京都の四条大宮です。司ではなくお菓子処ですけれど。」

「まあ、これで?」

「麗お姉さまに教えていただいたのですわ。」

「そうそう、みんなで一緒に歩いて行ったのよ。」


「まさか、脇坂の麗さまと、ご一緒なさったの?芦屋さんも?」

「ちがうよ、行ったのは寿美と、一年生三人。」

「い、一年生が?麗さまと?」

 そこへ、近藤ゆうがやってきました。

「はい、親しくお話させていただきました。いろいろな場所へ、案内していただいて、楽しく過ごさせていただきました。」

「んまあ、うらやましいですわ。」

 ゆうの話に、弥子は目を見張って聞いていました。

「清水寺や高台寺に行って、四条通の小さなお店でごはんを一緒にいただきました。」

「まあ、ご一緒に」

「はい、それから四条川端の、新しい旅館で、お風呂もご一緒していただきました。」

「まあ!まあまあ…」

 富子はくすくすと笑いながら、弥子に言いました。


「そうじゃ、雁子は私と宿題をしていたのじゃ。」

「と、富子さまと宿題?それはまた…」

「いやいや~、あれは大変じゃった。私も、頭から煙が出るかと思ったぞよ。あはははは」

 ころころと楽しそうに笑う富子を見上げて、弥子は心配顔。

「あら、富子さま、そんなに宿題など出ましたの?」

 弥子は、最中の皿を持ったまま、富子に聞きました。

「ああ、弥子さんのクラスはまだですのね。数学の愛鷹(あたか)先生の宿題ですよ。私も、手こずりましたもの。」

 あやが、間髪を入れず、話をすくい取ります。

「伊丹さんが?それはまた…かなり厳しい内容ですの?」

「そりゃあもう、うふふ…」

「い、いやな笑いですわね。クラスの皆さんにも、気をつけるよう念押ししますわ。」

「まあ、気をつけても、宿題だから逃げようがないんですけどね。」


「それでは、どうしたらよろしいんですの?」

 弥子は悲痛な顔で、あやに迫りましたので、あやも困って麗子に視線を向けました。

「では、後ほど私にお電話いただけますか?対策をお伝えしますわ。」

 麗子の言葉に、弥子はあきらかにほっとした顔になりました。

「ああ、ありがとうございます。助かりますわ。」

 愛鷹先生の宿題は、たぶん目前に迫っていることですものね。

 ましてや、この宿題はみんなが土日かけて必死で取り組んだと言う曰く付きのものです。

 たぶん、次の土日は遠埜さんたちのクラスが犠牲者になるのでしょう。

「上級生のお姉さまのノートがあれば良かったのでしょうけど、生憎、そんなものもいただいておりませんので、私たちも困っていたのですわ。」

「ああ、そうでしょうね、今度の宿題はみんなが土日かけて必死に解いていましたもの。たぶん、いままで出されていないのだと思いますわ。」

「それで対策がないのですか?」


「そうですね。」

 麗子は涼しい顔で、弥子に言うものだから、弥子は怪訝な顔で麗子を見ました。

「おう、麗子は数学が得意じゃでな、麗子のノートなら万全じゃろうの。」

 富子は、鷹揚に笑いながら、弥子に助言しました。

「富子さま、そのようなことを申されましても、私も自信があるわけではございませんわ。買いかぶりでございますよ。それに、私のノートは、今朝、先生に提出してしまいましたわ。」

 がび~んと、弥子はショックを受けたようです。

「なあに、麗子のことじゃもの、下書きだけでも十分その効果はあろうよ。遠埜どの、麗子は、宿題の出た金曜日の夜に、すべて片付けたそうじゃぞ。」

 弥子は目を見張りました。

「ま、まことでございますか?」

「まことまこと、藤田まこと。あたり前田のクラッカーじゃ。」

 いやそれ、ネタが古すぎるし。今時の女子高生でそんなこと、誰も知りませんよ。

 この前お亡くなりになりましたし。


「下書きでよろしければ、お渡ししますわ。」

「ありがたいですわよ~、助かります。」

「ほほほほ、なにやら私の方が誇らしいのう。」

 富子が、金の扇子を取り出して、扇ぎ出す始末。

「さようでございましょうか?」

 麗子は、それを見て、思案顔。

「侍ほどの者は、この秀吉に肖りたく存ずべし。」

「私は、秀吉ですか?」

 麗子の驚いた顔を見て、雁子は大笑い。

「いやもう、戦国時代だしー、富子様は信長さまだ~。」

「た、楽しいクラスですわね。」


 弥子の声に、あやも含み笑いをこらえきれず。

「そうですね、こんなに楽しいクラスになるとは、思いませんでした。」

 クラスを構えたあと、半年も停滞していたクラスとは思えないほど、よくまとまってきています。

 いずれ劣らぬお嬢様ばかりですが、こと数学に関してはやはり、苦手ということでしょうか。

 クラスでのお茶会とは言え、そこかしこの友人知人を交えて、教室に入りきれないほどの盛況を見せたお茶会は、こうして二時間ほど過ごしてお開きとなりました。

「いや~、麗子主催でこんなに人が集まるとはね~。」

 雁子は、上気したほほを輝かせながら言いました。

「予想外ですよ、こんなに集まるなんて。これは、一年生をもう少し増やした方がいいですね。」


 あやは、少し思案顔です。

「一年生?」

「ええ、警護のお館組をもう少し、増やしたいです。」

「そうだね、腕の立つ子ならありがたいな。二年生は、私一人では、頼りないし。」

 寿美は、あやに向かって相談しました。

「じゃあ、一年生じゃなくて、二年生を?」

「そう、あやも雁子も、武道はからきしじゃない。もちろん、耶柚は体力や腕力はずば抜けていても、それだけだしね。」

「じゃあさ、麗子の車いすにバルカン砲でも仕込んだらどう?」

「雁子、冗談で言っているんじゃないのよ。」

 寿美は、めずらしく真顔です。

「へい、すんません。」

「私も、このお茶会で、こんなに集まるとは思っていなかったんだ。せいぜい、クラス単位のお茶会だから、二〇人くらいかと…ふたを開けてみれば、五〇人以上が集まって、部屋に入りきらないくらい。」


 寿美は、あやに向かって考え深そうに言いました。

「そうね、私も予想外。だから、警備体制が重要よ。」

 麗子の、進路問題を聞いたあやは、余計に警戒心を高めているようでした。

「だね、麗子は自覚してよ、あんたが希望する進路は、麗お姉さま直結の、すごい道なのよ。もちろん、カタオカという集団が、どのくらい伸びるのかはわからないわ。でもね、もう一方は、まぎれもなくワキサカなんだから、あなたの立ち位置は今以上に高くなるわ。」

 麗子は、目を丸くして驚いています。

「ど、どうして?私は、ただのOLとして…」

「やっぱりわかってない…傍系とはいえ、母方の従姉妹である麗子は、れっきとしたワキサカの一員として、外からは見られるの。よしこさんの考えは、たぶん、あなたを手元に置いて、ワキサカの援護を受けるための橋頭堡とするってことだと思うわ。」

「そんな、政治的な思惑なんて…」

「さあ、どうかしら?私も、寿美の意見には賛成。あの、小野寺さんよ。片岡のお兄さまの片腕で、西ヨーロッパ方面を舞台に暴れてこようって言う人よ。戦略的に、ないわけじゃないわね。」

 あやは、めがねをきらりと光らせて、麗子に言いました。


「も~~~、あんたたちは考えすぎ。よしこさんは、親切で言ってくれているのに。」

「はあ~、ひとがいいにも程があるわね。あや、やっぱり私は、麗子についてパリに行くわ。」

「それがいいわね。お願いできる?」

「うん、あと一人くらい欲しいね。」

「私もそう思うわ。今から物色しましょうか。まだ、二年あるし。」

「そうだね、そうしよう。」

 たぶん、あやと寿美の予想は、半分は当たりかもしれませんが、この精華学園に通う生徒は、みんなおっとりとしたお嬢様ばかりで、あやや雁子のように物事を深く考える人は少数派です。

 みんなその日その日を楽しく過ごすことばかり考えています。

 かと言って、まるでばかと言うこともなく、みんなそこそこ頭はいいんです。もちろん、子供の頃から英才教育を施されてきた子もいますし、家庭教師が付いているのは当たり前ですから。

 さて、麗子はみんなと別れ、一人タクシーに乗って学園から浅草にやってきました。

 もちろん、地下鉄の方が早いのですが、地下鉄に車いすで乗るのは、今の時間ははばかられますので、タクシーにしたのです。


 透吾の事務所のある、浅草の古ぼけたビルに着いて、麗子はしまったと顔をしかめました。

 そのビルは、五階建てなのですが、あまりに古いのでエレベーターまでのスロープが付いていないのです。

「こまりましたわ…」

 麗子は、かばんから携帯電話を取りだして、よしこに直接電話をしました。

『あれまあ、麗子ちゃん。へ?いま、ビルの下どすか?いや、たいへんやわ~、かんにんなあここスロープがあらしまへんにゃもんなあ。すぐ、降りますよって、ほんの少し待っといやして。』

 よしこは、高速で階段を駆け下りてきました。ドップラー効果が尾を引いて、ソニックブームが起こりそうです。

 セル○オ・ロッシの黒ヒール履いて、よくまあこんなに走れるものです。


「ああ、よかった。麗子ちゃん、一人で出あるいてはアカンえ。このへんは、お年寄りばっかしかと思うと、変な外人さんも居てはるよってなあ。」

「はい、よしこさん、早いですね~。」

「まあねえ、麗子ちゃんが来たて聞いたら、飛んできてしもたわ~。お茶でも飲まはる?」

「ええまあ、そうですね。」

 よしこは、ビルの近くにある古くさい喫茶店に、麗子の車いすを押して入りました。

 木枠の窓が年代を感じさせます。

 床も家具も黒光りするほど磨き込まれて、裸電球の明かりをはじき返しています。

 マスターは、黒いベストも粋な五〇代。椅子をよけて、車いすの入るスペースを作ってくれました。

「ここのブレンドはお勧めやよ。」

「では、それを。」


「めずらしなあ、ゆうか、初めてやねえ、麗子ちゃんが事務所に来てくれたんは。」

「ええまあ、思い立ったが吉日と申しますので、急で申し訳ないのですけど、お邪魔してしまいました。」

「へえ、ほんでご用は?」

「ええ、この前のお話、本当に私がパリに行っても、大丈夫ですか?おじゃまになりませんか?」

「へえ、せいだいこき使わせてもうて、一人前のうちとこの社員になってもらお、思うてます。」

「では、私もそのつもりで、準備します。語学も、かじっただけですし。」

「へえ、そうどすなあ。習うより慣れろと申しますし、現地で暮らして、どうどした?」

「ええ、入院していた一月で、かなり意思疎通ができるようになりました。」

「麗子ちゃんは、基礎がおましたよってなあ、覚えるのも早かったみたいどすな。透吾ぼんがほめてはったえ。」

「まあ、お兄さまが?」

「へえ、そやからまあ、安心して来てくれはったらええと思います。うっとこは、まだこれから事務所も決めて、住むとこも決めてと、することがぎょうさんおますよってにな。」

「はあ、これからなんですね。」


「そやから楽しんどす。もうじき、サネイもウチのもんになりますし、そしたら気に入った下着が、いつでも手に入るんどすえ。」

「そうですね。そう言えば、一緒に京都に行った寿美が、自分もパリに行きたいと言うのですけど、私とセットでもよろしいですか?」

「セット?あはは、おもしろいなあ。まあ、あの子なら使えるんとちゃいますか。よろしい、一緒においない。」

「ありがとうございます。喜びますわ。」

「そやねえ、パリに行くまでに、麗子ちゃんの言葉を、関西に戻しておいておくれやす。あの子も、出は関西方面どすやろ?東京の言葉では、うっとこの社風に合いません。」

「しゃ、社風ですか?」

「そうどす。カタオカの女子社員は、京言葉が基本(スタンダード)どす。日本のおじさまたちはなぁ、こう京言葉で、はんなりと『どうどすやろ?』て聞かれたら、ほわほわ~ってならはるんえ。そらもう、おもしろいくらい。」

「でも、京言葉でどうどすやろって、アカンってことやないですか?」

「そうどす。みんな気ィ付かはらへんのどす。笑いますえ~。」

「うわ、えげつなァ。」

「まあ、基本、祇園言葉がグローバルスタンダードっちゅうことで、二人とも双葉ちゃんレベルになっとくれやす。」

「双葉ちゃんですか?ほとんど、舞妓ちゃんやないですか!」


「まあ、そうどすな。おきばりよし。」

「はあ、仕事に使う、ツールですね。さすがよしこさんお姉さん。ネイティブに、京言葉のバイリンガル…いったい何カ国語話せるんですか?」

「ほほほ、ま、少なくとも十カ国くらいはこなしますえ。ウチを一筋縄でどうこうしよ思うても、ムリムリ。」

「そうですねえ。コワイお姉さんですー。」

「あら、そねえにおイタを言うのは、この口どすか?」

 よしこは、麗子の唇を横に引っ張ってみせました。

「いひゃひゃいれふ。」

 ぱちんと音がするように手を離して、よしこはほほえみました。

「ま、その調子でお願いしまひょ。」

「それと、もう一つ。」

「へえ、なんどす?」


「私が、麗お姉さまの従姉妹だと言うことで、ワキサカになんらかのつながりがあると言うようなことはありませんね。」

「なんどす?それ。ウチは、そこまで含んで考えてまへんえ。まあ、ウチのかわいい妹言うことで、連れていきたいとは思ってますけど。」

 麗子は、すうっと息を吐いて頷きました。

「それを聞いて安心しました。私の身ひとつで参加ということですね。」

「そうどす。ま、衣食住はお世話させてもらいますよって、安心しとくなはれ。」

「はい、安心してお任せします。」

 麗子は、頭の中で今後の計画を練り始めていました。足りない部分は、あやに助けてもらおうと思います。

 寿美と二人で、旅立つ日を思い描いてみました。でもまあ、今は高校二年生、あと一年半も時間は先です。それまでに、準備することは、まず語学でしょうか。いままでも、そこそこ話せるようにはなりましたが、やはりもう一度、習いなおそうと思いました。

「小野寺さん…」

「よしこでよろしおす。まあ、これからはよしこさんお姉さんと、呼んでおくれやす。」


「わかりました、よしこさんお姉さん、カタオカではM&Aのほかに、陶器の輸入もしてますのね。」

「そうどす。ほかには、株の売買もしてますが、これはまあ片手間どす。お正月の、ショーモンの女将さんの織物も少しやってますけど。」

「はあ、ショーモンでは、どのくらい流通していますの?」

「へえ、まあ週に十本程度どすな、なにしろ一反百万を下回るようなもの、出してしまへんよって。」

「そ、それは総絞りとか…?」

「それもありますが、大島にせよ結城紬にせよ、超一流を探して運んでます。もちろん、伊丹航空貨物さんにお願いしてますけど。」

「なるほど。」

「麗子ちゃん、早よぉ一人前になりよし。この世界は、楽しおすえ。」

「はい、がんばります。」

「おきばりやっしゃ。ほな、また。」

「へえ、おおきに。あら…」

 よしこは、くすりと笑って、ビルに戻っていきました。

 ま~、なにしろ古くて汚れていて、まさかここがカタオカの本拠地とは、だれも思わないのではないでしょうか。


 麗子は、元来た道を戻っていきました。

「家庭教師?」

「ええ、フランス語の家庭教師を、雇っていただけませんか?」

「まあ、そのくらいならいいんじゃないか。お母さんと相談しておいで。」

「ありがとう、お父さま。」

 その夜、帰宅した父親をつかまえて、さっそく勉強の相談を持ちかけました。

 良い返事に気をよくした麗子は、そのまま母親に相談に行きました。

「まあ、フランス語?どうしたの、急に。」

「麗お姉さまとお約束したのですわ、お母さま。フランス語のお勉強をすると。」

「あらまあ、麗さんが?じゃあさっそく探しましょうね。お兄さまのつてで、推薦していただきましょう。」

 長男は、あれで東大を出ているんですよね。

「わかりましたわ。よろしくお願いします。」


 まだ、よしこさんお姉さんの事務所に行く計画は、話していません。

 そのうち、麗おねえさまに来ていただくつもり。

 なにごとも、外堀から埋めなければ…ね。

 麗子は、わくわくする気持ちが、押さえきれなくなっていました。

 自分の力を伸ばすことが、こんなに楽しいことだったと、初めて気がついたからです。

 どこまでよしこさんと同じ土俵に上がれるか、たぶん、今現在では足下にも及びませんが、同じ歳のよしこさんには負けたくない。

 彼女は、私の目標。

 麗お姉さまとは違う。

 あこがれではなく、目標。

 無理なんて考えない。

 やってみる。

 なんでもやってみて、そして、マスターする。


 恋のつかまえ方までは、一緒にはできないわね。

 『たぶん、ウチの恋は、最初で最後。そう決めたんよ。』強い意志…よしこさんの決めた道は、遙かに厳しい。


 でも、とても潔い。

 そう思えるのは、身びいきかしら?

 外から見れば、ただのシングルでしかないのだし。

 そんなよしこさんお姉さんは、新富町の新大橋通にほど近いところにマンション(億ション?)を持っていますが、ほとんど住んだことはなく、築地のお姉さまの家に居候しているそうです。単なる税金対策でしょうかね?

 そして、よしこさんは、今日は久しぶりに板橋の実家に戻って行きました。

 築十年ほどの建て売り住宅。四LDKですから、両親と弟の四人家族には、そこそこの家と思われます。

 よしこの横には茶トラの猫。

 もう五年あまり、この家とつきあっていますが、居着いたときからのんびりと昼寝ばかりしています。

「あんたも少しは散歩に行けばええのにね。」

 よしこは、猫のあごに手を添えながら、やさしく言いました。


「なによその話し方。よしこいつから関西人になったの?」

 お茶を持ってアイランドから出てきた母親は、怪訝な顔で聞きました。

「今年から。ウチの会社は、みんなこの話し方で通すようにしてますのんや。」

「ウチの会社?」

 母親はいぶかしい顔をして、ヨシコを観ました。

「へえ、こんどパリに拠点を移しますよって、その報告に寄らしてもらいましたん。」

 とたんに慌てる母親、両手を前に出して、よしこを押しとどめるようにしています。

「ちょっと、パリってあなた、そんなことお父さんが聞いたらどうするか…」

「そやし、もうはい家も用意して、事務所も用意してしもうたもん。」

「してもうたもんって、そんなかんたんに…」

 すでに母親の両手は降りてしまっています。


 外は暗くなっていますが、なにやら暖かい春の夜。

「かんたんやないよー、何度も足運んで、お正月から交渉して、やっとええ物件が手に入ったんやから。」

「ふうん、そうなんだ。」

 キッチンのテーブルにお茶を並べて、母親はため息をつきました。

「そう言えば、さっき荷物が届いたわよ、部屋に上げて置いたけど。」

「おおきに、ちょうど良かったわあ。」

 よしこは嬉しそうにお茶に口を付けました。

 よしこの母親の自慢は、お茶がおいしくいれられること。

 よしこのお茶がおいしいのは、この母親がいたからです。

 これだけで食いっぱぐれはないと言い切りますが、さらに、おいしい料理とおいしいお味噌汁が作れたら、生きる場所はどこにでもあると言っています。

 お湯飲みを持ったよしこの指先には、質素な単色ピンクパールのマニキュア、ルビーのピアス、ネックレスもルビーっぽいのですが、母親にはどうもジルコンに見えているようです。


 実は、全部本物。着ているスーツも、地味なものながら、仕立ては超一流です。

「ほんでねえお母さん。」

「なに?」

「一緒にパリに旅行せえへん?」

「私が?」

「そうえ~、せっかく親孝行するって言うてまんにゃから、いっしょにどうどす?」

「そりゃあ行きたいわ。お父さんと、新婚旅行でハワイに行ったきり、海外旅行なんてしたことないもの。」

「ほな決まりどすな、日取りは追っておしらせしますよって、パスポートは申請しておいてな。」

「そうね、もう三十年も経っているから、失効しているわね。」

「お父さんも行けたらええねんけどなあ。」

「さあ?あの人は、仕事ほっぽり出して、旅行なんか行かないわよ。」

「そうやろかー?全部ウチが出してあげるよって、ええやん。泊まるところは、ウチのアパルトマンやけど、ゆっくり出来るよってかえって楽やよ。」


「そりゃあ、ホテルなんかよりは、ずっと気楽かもしれないわね。」

「そうそう、お小遣いだけでええねんもん。心配せんとき。」

「じゃあ、夕飯のときにでも相談しようか。」

「それがええわ、俊樹の学校のことも相談があるし。」

「俊樹の?」

「うん、お母さん、ぼやいてはったやん、私立で学費が高いって。」

「そりゃあねえ、お父さんの収入はけして安いとは言わないけど、でも生活に響くわよね。」

「そうどすなあ。」

「ちょっと、ほんとうにやめてよそれ、調子が狂うわ。ほんとうにうちの子か、疑っちゃうわよ。」

「へえ、そやし、これもクセどすにゃわ。」

 やがて、父親が帰り、弟は遊び歩いているので、三人で夕食となりました。

「パリって、おまえ、そんなところに一人で行くのか?」


「う~ん、一人っちゅうかスタッフ何人か連れて行きますけど。」

「だからと言って、一人は一人だろう?」

「まあ、そうどす。カタオカの仕事どっさかい、M&Aとか輸入とかの基礎調査が本来の仕事どす。」

「そんな所に、娘一人送り出すのは気が気じゃないよ。」

「そやし、これは仕事どす。」

「そんな仕事、さっさとやめて、結婚したらどうだ。」

「そうよ、片岡さんは別の人をお嫁さんにしたんでしょ?あなたは、それでもいいの?」

「あ~もう、そう言う話をしに来たんとちゃうでしょう。結婚やらせんでも、ウチは十分生きて行けます。」

「いやしかし、経済的にも…」

「経済的?ほほ、そんなもんどすか…」


 よしこは身を翻すと、二階に上がって、自分の部屋に入りました。

「お父さん、そんなに頭ごなしに言うと、あの子反発しますよ。」

「うん、もう少し穏便に話そうか。」

 やがて、二階から戻ってきたよしこの手には、昼に届いた段ボール箱。食卓の椅子に乗せて、ふたを開けます。

「お父さん、お母さん、これ全部あげますよって、ウチの結婚のことはあきらめてください。」

 テーブルに積み上げられたのは、札束。

「よ・よしこ…これは…」

「年末に少し儲けましたん。お父さんとお母さんに、ほんのお裾分け。これで、俊樹の学費も出してあげて。」

 少なく見積もっても一億円はありそうな札束が、山盛りにされました。


「そやし、経済的なことは、もうええのん。ウチは、自分の生きたい道を行こうと思ってますのんや。」

「よしこ…」

 母親は、目を見開いて、娘を見つめました。

「お父さんとお母さんの好きなように使ってくれてええねんよ、そのかわり、ウチと片岡の関係については、あきらめてもらえんやろか?」

 二人は顔を見合わせて、沈黙しました。

「いままでどおり、ウチはお二人の娘どす。そやし、今は、何百人何千人の生活も背負っているんどす。この半年で、ホテルを四軒、旅館を二軒買収しました。製造業などの会社はすでに二十社以上手に入れました。これは、カタオカの仕事のうちどす。」

「そんなこと、今まで一言も言わなかったじゃないの。」

「へえ、あんまり話が大きゅうなると、お母さんに話してもなかなかわかってもらえまへんよってな。ウチとこの、ヨーロッパのスタッフは、現状二百人くらいどすけど、やがては何万に増えます。」

「何万人…」

 父親は、薄くなったアタマにアセをかいています。

「あ~、おかあさんのサトイモの煮っ転がしがいちばんおいしいわあ。これ、自分で作ってもこういう味にならへんのえ~。」


「ちゃんと強火で炊いてる?」

「強火?強火なんか~、ウチ、てっきり弱火で炊くもんやと思ってたわ~、失敗しっぱい。」

 母親は、ためいきひとつ吐き出すと、快活に言いました。

「そうそう、パリに行くなら、モンサンミシェルにも行きたいわ。」

 よしこも、お箸を持ったまま答えます。

「ええよ~、ウチも見たことないし。」

 ようやっと現実に戻ってきた父親が、聞きました。

「なんだそのパリって。」


「こんど、よしこにくっついて行ってこようと思って。」

「なんでおまえだけ行くんだ?」

「あら、あなたはお仕事でしょ?」

「俺も行くぞ。パリ!ルーブルでモナリザを見るんだ!」

「あらまあ。」

「ホテルはどこに泊まるんだ?コンコルドか?リッツか?」

 パリの有名どころですね。

「バカね、よしこのアパートよ。」

「なんだよー、シケてんなー、それで、よしこの料理を食べるのか?」

 よしこは、苦笑して見せました。

「ん~、ちょっと違うんやけど、まあ、それは行ってからのお楽しみっちゅうことで。」

「なんだそれ?」



 父親は、さかんに首をひねっていました。



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