いとこのポン酢〔お嬢様騒動〕四
-四-
「透吾ぼんは、透吾ぼんらしい人生を歩いてはるんよ。」
そう言うものなのでしょうか。麗子たちには、まだまだわからないお話です。
いろいろとお土産を買い込んで、京都駅構内で麗お姉様と合流したのは、午後二時を過ぎた頃でした。
「みなさん早よおすなあ。」
「ええ、いろいろ見て回ったんですけど、時間が気になったので。」
「あれまあ、若いうちは時間も忘れて遊ぶもんどす。麗子ちゃんは、堅いなあ。」
「そうかしら?」
麗子たちは、新幹線に乗ると同時に、夢の中に浸ってしまったようです。
笙子さんと寧子さんは双子の姉妹で、やはり若葉と双葉はお二人によく似ています。
「透吾、春菜さんのこと大事にせなあかんよ。」
「ああ、うん。」
「あんたは、お父さんに似せんこと、してしもたなあ。」
「まあ、しょうがないよ寧子さんおばさん。食べさす自信があったよって、みんな面倒見るつもりになってしもた。」
「ホンマに、しょうがないなあ。」
笙子さんは、ため息混じりに言います。
「男の子ならええなあ。」
透吾は、ぼんやりと外を見ながら独り言のようにつぶやきます。
「また、人ごとみたいに。」
寧子さんはあきれて、透吾の缶ビールを奪い取り、一気に空けてしまいました。
「ああ、ぼくの…」
「お金持ちなんやさかい、もっと買うたらええやんかさァ」
「はい…」
どうやら、パリでのお話は、寧子さんにも伝わっているようで、透吾に向かってじりじりと迫りました。
「あんたなあ、ウチにデザイン料くらい出さはったらどうなんやー?パリで、ウチのワンピース・ネタにして儲けはったんやてェ?」
「へえまあ、そこそこ儲けさせてもらいました。」
透吾はすまして言いました。
「ほならやー、ウチの腕がよかったからちゃうの?」
「へえ、そうどすなー、ほな、寧子さんおばさんには、デザイン料出しまひょ。」
「そうかー?わるいなあ。」
「ちょっとも悪いようには聞こえまへんなあ。」
「お姉ちゃん、それは言わへんのー。」
「まあ、透吾、しゃあないから、五〇〇円くらい出したり。」
「子供のお遣いかいな~。」
まったく!この二人は、確かに若葉・双葉の母親であり、伯母です。
ノリとツッコミがホンマにいっしょ。
笙子さんが若葉で、寧子さんが双葉でしょうか…まあ、楽しい姉妹であることに間違いはありません。
「まあ、ホンマに寧子さんおばさんの、お針子としての腕がよかったのは、影響が大きいなあ。パリのお針子がみんな褒めてはったえ。」
「そう?ウチも捨てたモンやないなあ。」
「ホンマ、主婦のお遊びみたいなもんやのになあ。」
「お姉ちゃん、それは言い過ぎどす。これでも、お裁縫は学校出てるんやから。」
「まあ、そうどすな。卒業制作がでけへん言うて、朝までてったわされましたなあ。」
「ああ!それは言わへん約束やろ~。」
横合いで、透吾はなにやらごそごそ…
「透吾、なにしてはるん?」
笙子さんがのぞき込みました。
「まあまあ、はいおばちゃん、これ、デザイン料やよ。」
透吾は、小切手を取り出して、寧子さんに差し出しました。
「なんや、小切手かいな。ゲンナマで渡さはったらええやん。」
「そんなに持ち合わせがないんやさァ。これでがまんしとき~。」
「ありゃ!ホンマに五〇〇円かいな~。」
「ひのふの…アホか!あんたは!よう見てみィな。」
「へえ?…」
二人はじっくりと小切手を見ました。
「ご、ごひゃくまんえん?」
「ごひゃくまんえん…」
二人は顔を見合わせていました。
「なんやこれ~、こども銀行っちゃうやろな?」
「脇坂銀行のホンマモンの小切手やんかいさァ。まちがいないよ。」
「そやし透吾、ごひゃくまんえんって…」
「おばちゃんの仕事が良かったよって、僕は儲かったんやさあ、ほんの気持ちやー。」
「ホンマにこの子は、気前が良すぎやさァ。」
「いや、けちでごめん。こんな少しでごまかそうと思ってるわけやないけど、いっぺんに渡してもな、なくしたら困るし。」
「ええんやー。ウチはこんだけで十分や~。」
寧子さんはにこにこしながら、透吾のことを頼もしげに見たのでした。
「お兄ちゃんが、あんなに病弱やなかったら、あんたもおばあちゃんとこに預けられたりせえへんかったのになあ。ウチは何もできへん自分がふがいなかったわ。それが、こうしてウチにお小遣いくれるようになるやなんて、人生捨てたモンやおへんなあ。」
「まあねえ、丹後のおばあさまは、一度決めたらテコでも動かへんお人やよって、苦労もひとしおやったねえ。友美ちゃんのおかげで、透吾は曲がりもせんと育ってくれて、ホンマ、どれだけあの子と透吾の結婚式を夢に見たことか。」
「…」
「そやけどねえ、あの子は跡取りの一人娘、どないして綾子はんに、ウチのヨメに欲しいて言えます?次男とは言え、透吾はウチの子や、片岡の子ォやねん。ウチには口が裂けても言えなんだ。」
「お母ちゃん。」
「そしたらなあ、綾子はんが言うてくれはったんよ。いずれ、友美は透吾ちゃんにもらってもらいます…」
透吾は、だまってうなずきました。そして、重い口を開きます。
「それ聞いたん、あの晩のことやったんや。」
「透吾…」
それきり、透吾は窓に顔を向けてしまいました。
家に帰った麗子は、雪江に明日のお茶会について準備をまかせて、部屋に入りました。
さっそく雁子とあやの様子を聞くためです。
携帯はほどなく雁子につながりました。
「あ、麗子、おかえりなさい。どうだった?」
「うん、楽しかったわよ~、詳しいことは明日話すわね。そっちはどう?」
「いやいや~、あの宿題の量は問題だよ~。あやはともかく、あたしと富子さまは、ひーひー言いながらやっとこやっつけたんだからさー。」
「へ?」
「二人で、二日かかったんだよ!」
「どうして?私、金曜日の夜にやっつけたわよ。」
「げ、あんたバケモノやん。あやですら、半日かかったのに。」
「さあ?わかりにくかったことは確かだけど…」
「まあいいや、そんでね、富子さまもあたしも、なんとか明日の登校には間に合ったってことよ。」
「そう、特に問題はなかったのね。」
「ばっちり。セキュリティも出動しないですんだし、警察もほっとしてる。」
「よかったわ、あやは帰ったの?」
「ああ、あやも家に帰った頃だと思うよ。寿美はどうだった?」
「まあ、あの子はマイペースだもの、うまくやってるわ。そうそう、明日の午後は、お茶会しましょうね。おみやげのお菓子があるのよ。」
「お菓子?そりゃ楽しみだね。じゃあ、また明日。」
雁子は、快活に言って電話を切りました。どうやら土日の二日間は、宿題で過ぎていったようです。それはそれで、学生らしいと言えば言えますね。
「あ、あや?ただいま帰りました。」
「ああ、おかえりなさい。どうだった?」
「うん、お姉さまといっぱい遊んできたわ。それとね、少し相談があるんだけど、いい?」
「なによ、改まって。」
「ええ、明日の午後、お茶会をしたいんだけど、一年生たちの指揮をお願いできる?」
「ああ、そんなこと。ゆうからも連絡は来ているわよ。準備はオッケーよ。部屋も押さえたわ。」
「そう?さすがあやね。それとね、もうひとつ相談があるのよ、今から来られない?」
「今から?そりゃあ六時だもの、まだ大丈夫よ。」
「じゃあ、お食事がてら話しましょう、赤プリのフレンチをとるわ。」
「雁子は?」
「どうしよう?ちょっと重要な話なのよ。」
「そう、じゃあ現地集合で、みんなに回すわ。」
麗子は、電話を切ると、雪江を呼びました。
「運転手は近藤でよろしいですか?」
「ええ、まかせるわ。」
赤プリまでなど、車いすでも十分かかりませんが、そこは雪江のことです、お嬢様大事で絶対許してくれません。
しかたなく、エントランスから車に乗って、出かけることにしました。
ホテルのロビーには、耶柚が一番乗り。麗子を見つけて、胸の前で手を振りました。
「耶柚、早いわね。」
「ちょうど隣にいたのよ。ごはんおごってくれるって?」
「となりって、なにかいいものがあったの?」
「まあねー、で、今日は何食べる?」
「フレンチよ。」
「うん、ここのフレンチはおいしいねー。」
「そうね、耶柚んちの野菜も入っているし。」
「ありゃ、知ってたんだー。しかも、あたしの無農薬農場の野菜を試験的に使ってくれてるのよ。」
「まあ、それはすごいわ。」
「でしょ?あたしの無農薬農場の野菜が認められたのよ。」
「努力は無駄にならないわね~。」
「うん、もっとがんばって、いい野菜ができるようにするわ。」
そこへ、あや、雁子、寿美の姿が現れました。
「麗子、みんな拾ってきたわ。」
さすがにあやは、行動が早いです。
「帰ってすぐに食事だ~はないでしょ~。」
「ごめんね寿美。でも、どうしても今日中にみんなに相談したかったのよ。」
「わかった、とりあえず店に異動しようよ。」
雁子は、寿美を促して中に向かいました。
「「大学に行かない?」」
図らずも、雁子とあやの声がハモってしまいました。
テーブルには、いま来たばかりの前菜が乗っています。
「ええ、正確には大学に行かずに、パリのオノデラ=オフィスに行きたいと思っているの。」
「オノデラ=オフィスって、なに?」
雁子は、テーブルに乗り出すようにして聞きました。
「透吾お兄さまのスタッフで、小野寺よしこさんが、パリで事務所を開くの。M&Aや輸入の仕事をするのよ。」
「そこがあんたと、どうつながるのよ。」
「もちろん、私が働くのよ。」
「働く?根っからお嬢さまのあんたが?」
雁子は、歯に衣着せぬ口振りで、麗子を責めました。
「私だって仕事がしたいわ。だれかの奥様になって、暇そうに一日時間をつぶすなんて、私はいやだわ。」
「ああ、その意見には、耶柚は賛成する。」
「耶柚!」
雁子は、耶柚に振り返って。厳しく声を出しました。
「そんなににらまないでよ。だって、働くって重要なことだよ。仕事があるって、嬉しいことだよ。」
耶柚は、自分の農場を持っているせいか、働くことにためらいはないようです。
「だって、麗子だよ。麗子が、誰かのために、仕事をするの?」
麗子はたまらず口を開きました。
「そうよ。誰かのためと言うよりも、社会のためじゃないかしら?」
「そりゃあ、きれいごとだよ。誰かの下になって、お給料もらってる麗子なんて、想像できないよ。」
「じゃあ、今から想像して。」
「根っからお嬢様の麗子が、知らないおじさんにアタマ下げるの?」
「そう言うこともあるかもしれないわね。」
「信じらんない。」
「雁子はどうなの?大学出たら、どうするの?」
「う、考えてなかった。」
「あなたこそ、誰かのお嫁さんで、満足するの?」
運ばれたスープにスプーンをさしながら、麗子はのんびりした口調で聞きました。
「た・確かに、それは考えにくい…」
「でしょう?そうしたら、あなたは社会にどう関わるの?私は、少しは役に立ちたいわ。」
雁子は、勢いが消えて、いすに深く腰掛けました。
「…そうだね、あたしもそうなのか…」
「大学で何を学ぶかで、先行き違ってくるものね。」
あやは、麗子を見つめて言います。
「そうなの。あやは、何を学びたいの?」
「う~ん、あたしは跡取りじゃないけど、でも、伊丹航空貨物の仕事には関わっていきたいと思っているわ。」
「そうなの?」
鶏のささみとレタスのごまドレッシングは、香ばしい香りを口の中に運んできます。
「やっぱり、この前のパリまで反物運んだ仕事は、楽しかったもの。社会に関わるって、ああ言うことでしょう?」
「そうね、お兄さまたち、あれで売り上げで五億以上出したのよ。ほんの十日ばかりでよ。」
「実質二日だよねえ、あれ。準備に二日。」
雁子は、指を折って言いました。
「私は、ウチの仕事が、あんなに誇らしかったことないわ。だから、大学に行ったら、経済と流通についての勉強をするつもりよ。」
「へえ~、さすがあや。考えているわね~。」
寿美は、フォークを持ったまま、あやに顔を向けます。
「あんたは?寿美。」
「あたし?いや~、実は考えてなかったのよ。」
西ノ宮海運には、長男がちゃんと居るので、のんきなものです。
「西ノ宮海運の仕事は、わたしとは関係ないと思っていたもの。」
「じゃあ、寿美はどうするの?」
「どっかで適当にOLやろうかと思ってた。私は、みんなとちがって零細企業だから。」
「あんたとこ、フェリー何隻ももっているじゃない。」
「まあねえ、瀬戸内海にいっぱい橋ができちゃって、ウチとしては国内が厳しいのよね。」
「へえ、それは大変だわね。」
雁子は、お水のグラスに口を付けました。
「私はねえ、お兄さまが急に縁談なんか持ってくるものだから、すっかり舞い上がってしまって、肝心なこと忘れていたのよ。」
麗子が言うと、みな一斉に顔を向けました。
「人生はまだ始まったばかりってことよ。」
『あ~』
全員、いま初めて気がついたと言うように、うなずき合いました。
「みんな、そんなこと考えたこともなかったでしょう?」
「そうね、漠然と将来なんて考えてたけど、ほんとうにそうだわ。」
「あやの言うとおりだね、あたしなんて、今日だけで精一杯。ほら、今日も宿題のことだけしか考えてなかったもの。」
「普通なら、あと五年は遊んでいるものね。」
寿美は、神妙な顔になっていました。
耶柚は淡々としたものですが、それは自分の進む道を、自分で決めているからです。
「だから、私は外でいっぱい勉強したいの。」
「麗子がそう言うなら、私は協力するわ。」
あやは、力強くうなずきました。
「麗子が仕事でわからなくなったら、私が大学で調べてくるって言うのはどう?」
「なるほど、そういう大学の使い方もあるんだ。」
「雁子はどうなの?」
「あたし?あたしは、やっぱり大学に行く。そして、仏文とるわ。麗子が、パリで困ったときにこちらで調べられるもの。」
「なんだ、私と同じじゃない。」
「あはは、まあね。寿美はどうする?」
「そうね~、私は秘書でもやろうか?麗子一人、パリに置いておくのは心配だし。」
「ちょっと、新米社員に秘書なんて必要ないわよ。」
「ん~じゃあ、一緒に雇ってもらおうかな。」
「え~、寿美もパリに行くの~?」
雁子は、なにか腑に落ちない顔で、寿美を見ました。
「だって、私はいちばん身軽だもの。西ノ宮海運には、ちゃあんと跡取りがいるから。」
「そりゃそうだけど。」
「ま、パリでのあたしの活躍を期待してよ。」
「なんか腑に落ちないわ~!」
雁子は頭を抱えたのでした。
「まあ、今夜は私の考えを聞いてもらいたかっただけだから、これからどうするかはみんなじっくり考えてね。とりあえず、明日のお茶会は、みんなよろしくね。」
「まかせて。」
「手抜かりはないわよ。」
「準備完了。」
「覚悟完了。」
「じゃあ、今夜は解散しましょう。ありがとうね。」
みな一斉にうなずきました。
麗子は、武藤の運転する車に乗って、帰路につきました。