4 絶え間ない絶望
俺は、波武邸のチャイムを鳴らした。
――はい。
ドアホンの向こうから、成実の母親が返事をした。
「成実の友人の、要弥です」
――そう。ちょっと待って。
しばらくすると、玄関から成実本人が出て来た。
「育。どうしたの?」
俺を見て成実は表情を明るくした。
「いや、たまには家に来てみようかなぁ、と思って」
そう言って笑おうとしたが、上手く笑えていたかよく分からない。成実は俺の様子に、少し訝しげに首を傾げていた。
「育……?」
「ん?」
「どうかした?」
「いや?」
努めて平静を装って、白を切った。
「そう……ならいいんだけど……。まあ、とりあえず中に入ってよ」
「いきなり来てすまんな。でも、成実の家に来たのは初めてだよな」
「育の家にはよくお邪魔させてもらってるけどね」
そんな他愛のないことを話しながら、俺は成実の部屋に通された。
成実の部屋には、クローゼットが一つと天井に届くほどの本棚が一つ、ベッドと机が置いてあり、比較的質素な印象を受ける。彼のイメージに合っていると思った。本棚には教科書などの学校で使うものや、文庫本や、ハードカバーの本がいくつか置かれている。小説は、同じ作家のものが目立つ。
漫画の類はほとんどないようだったが、ベッドの横のサイドテーブルに携帯ゲーム機は置いてあったので、ゲームはやるようだ。なんだか、知らなかった成実の一面が見られて、新鮮な気分だった。しかし今はそれを楽しめる状況ではない。
「座るとこなくてごめんね」
そうして俺はベッドに、成実はキャスター付きの椅子に、向かい合って腰を下ろした。
俺は今日一日、成実を見張っていることに決めた。こうして目を離さないよう一緒にいれば、何かあっても助けることができるはずだ。
そう思っていると、つい険しい表情になってしまっていたのだろう。成実は俺の顔を心配そうに覗き込んで言った。
「やっぱり、元気ないみたいだけど……大丈夫?」
俺は慌てて笑顔を作り、首を振った。
「大丈夫だ」
俺は誤魔化すように部屋を見渡した。本棚に目を止めると、そこにある本について話題を振ることにした。
「成実は、ミステリが好きなんだったよな」
「あ、うん。そうだね」
「どの作家が特に好きとかあるのか?」
質問をして、自分のあまり振らないような話題だな、と自分で思い、内心で苦笑した。
「一番好きなのは、この作家さんかな」
成実は椅子から立ち上がって本棚に向かうと、目線当たりの段から一冊の本を取り出した。
成実と出会う前は図書館に通い詰めていたため、その作家の名前も見たことがあった。特徴的な著者名だったので興味がわき、一冊手に取ってみて読んだことがある。犯罪学者と作家が登場する本格ミステリで、なかなか面白かった。
推理小説は、話の中で探偵役の人間が、死者の声に耳を傾ける。死者はもちろん何も語らないが、作家にとっては死体すらも登場人物。探偵を媒介として、作家は死者を「生かして」いるのだ。
物語の中では死者も生者も変わらない。しかし、現実ではどうだ?
今まで見てきた成実の死が脳裏を過り、途端に苦しくなった。自分で死を連想させるような話題を振ってしまうとは、我ながら間抜けだと思った。
死者は語らない。ならば今、生きている間に聞けばいい。
「なあ、成実」
「ん? 何?」
成実は本棚に本を戻し、ベッドに腰掛ける俺の方を向く。
「もし……もし、自分の大切な人が今日死んでしまうと知っていたら……どうする?」
成実は一瞬きょとんとしたが、元のように椅子に腰かけると、いつものやわらかい笑みを浮かべて答えた。
「もちろん、その人を助けるよ」
「じゃあ、もし……自分が死ぬ側だったら?」
聞こうと思っていなかったことまで、口について出てしまった。あまりに不自然な質問に、成実が何かを察してしまうのではないかと焦った、しかし成実は、特に気にしていない様子で言った。
「ああ、そういえばこの前テレビでそんなのやってたね。育も観てたの?」
「あ……、ああ」
実際は観ていないが、そう言って誤魔化した。
「そうだなあ。もし自分が死ぬって分かってたら、お世話になった人たちに、今までありがとう、幸せでした、って伝えたいな。どうせその日死ぬって分かってるんだったら、そういうことやりたいよね」
本当に、成実はお人好しだ。自分のやりたいことやして欲しいことではなく、周囲の人間に感謝の気持ちを伝える方を優先するとは。
でも……。
「……死なれる側は、そうはいかない」
俯いて、そう呟いた。
「育?」
何か言おうと思った。もっと明るい話題に切り替えようかとも考えた。しかし、今までに見た成実の死が頭から離れず、何も言えなかった。
そんな俺の様子に、成実は何かを察したのかもしれない。
落胆して俯いている俺に、成実は優しく語りかけた。
「育、ありがとう。僕と一緒にいてくれて。育に会う前は、毎日がつまらなくて、自分なんてどうでもいいやって思いながら生きてた。でも、育に会って、灰色だった世界が、いろんな色で溢れていくような、そんな風に思えて、つまらない日常も、育がいるだけでとっても楽しくて、幸せだった。本当にありがとう」
成実はそういうと、俺の頭にぽんと手を乗せた。
俺は顔を上げて成実を見る。成実は、満面の笑みで俺に言った。
「育、大好きだよ」
「……っ!」
胸の中から、愛しさと悲しみがないまぜになった、どうしようもない感情が込み上げてきた。
何とかしたい、彼を死なせたくないという思いが溢れてくる。そんな彼に対して、俺は何も言えなかった。
重い沈黙を破って、成実が明るい声で言った。
「そうだ、昨日親戚から、ちょっと高めのクッキーもらったんだ。持ってくるね」
そう言って成実は俺の頭を軽くぽんぽんと撫で、部屋を出ていった。
俺は、成実からもらった言葉で頭がいっぱいになってしまっていたため、成実が部屋から出るのを止めることが出来なかった。成実が部屋を出た後ようやく我に返り、急いで彼を追いかけようと立ち上がった瞬間、階段の方から、何か重いものが転げ落ちる音がした。
――5.階段から転落し、死亡。
*****
俺は再度成実の家に訪れると、先ほどと同じように成実の部屋にあがった。
さっきのは完全に俺の失態だ。成実から目を放し、あろうことか部屋から出るのを許してしまった。家の中にも、死の危険は沢山潜んでいるのだ。
なら、死の危険のない場所に行けばいいのではないか?
死の危険のない、つまりは、何もない空間に行けば……。
「どうしたの? 育……」
「成実」
座る場所を勧められる間もなく、俺は成実の腕を掴んだ。
「逃げよう」
この世界から……!
俺は成実の手を引き、異空間へと飛び込んだ。
これでもう安心のはずだ……!
「い……く……」
後ろから、成実のうめくような声が聞こえた。
「成実?」
異変に気付いて後ろを向いたときは、もう遅かった。
空間に関する能力は、二つ『吸収』している。
一つはグリアの空間操作。もう一つは、テレポートだ。その二つは、別空間に移動できるという点で共通しているが、別物である。空間操作では基本的に、二つの空間の間を圧縮して繋げているが、テレポートは自分自身が別空間に飛ぶため、二つの空間は断絶している。
そのため、複数人でテレポートする場合、慎重に行わなければ、テレポートが失敗することがあるのだ。
掴んだ腕の先には、成実の上半身だけがあった。
支えを失った体は、鮮血を滴らせながら、異空間の地面にずり落ちた。
次の瞬間、異空間に誰かの叫び声が響いた。
それが自分の声だと気付くのに、俺はずいぶんと時間を要した。
――6.空間の断絶で胴体を切断し、死亡。




