2 時間の再生
葬儀場を出た俺は、その足でここ〈ツウィス界〉の『城』にやって来た。
俺は、実の兄であるエンデギル――エンデや、彼の同僚のキャンタシア――キャンに一連の出来事を話した。
エンデの部屋で、ナルミが死んだことを打ち明けると、エンデは無言ですぐに席を立ち、部屋を出て行った。一方キャンは、複雑な表情で俺の様子をうかがっていた。
「……あんまり思い詰めないでよ? イクちゃん」
キャンはそう言って俺に一輪の花を差し出した。俺はそれを受け取らず、そっぽを向いた。
「お前には、俺の気持ちは分からない」
「そうだけど、俺は、イクちゃんにはいつも通りでいて欲しい」
真摯な口調でそう言うキャンに、俺は声を荒げて言い返した。
「いつも通りでいられる訳ないだろう!」
俺は革張りのソファの上で膝を抱えた。
「あいつは……ナルミは、自分の世界に閉じこもっていた俺を連れ出して、色んなものを見せてくれたんだ。今の俺があるのは、あいつのおかげなんだ……」
「ふ〜ん」
俺の言葉に、キャンは不満気に口を尖らせた。俺はそんなキャンを睨みつけたて言った。
「ナルミがいなければ、お前も俺と会えなかったんだぞ?」
「うぐっ。そうだけど……」
キャンは子供のように頬を膨らませて小さく呟いた。
「ナルミは俺の……恋敵なわけだから……」
キャンは、俺に対して随分屈折した恋心を抱いているらしい。彼としては恋敵の死というものは、俺のハートを射止めるめったにないチャンスかもしれないが、俺にとってはそんなこと関係ない。そもそも俺はキャンに対して何の想いも抱いていない。これから何か新たに想いが芽生えることも、断じて、ない。
俺は、今までにない深い悲しみに囚われていた。そもそも俺は、身近な人の死というものを今まで体験したことがなかった。そんな中、初めて失う人がナルミとなると、喪失感は並大抵のものではない。
自分の一部が欠落してしまったような、そんな気持ちだ。自分にも、こんな感情が存在したのだと、呆然と感じていた。
「恋人が死んだくらいで、そんなに落ち込むな。お前らしくない」
部屋の入口から飛んできたその声に、俺は声のした方を睨みながら反論した。
「ナルミはただの恋人じゃない! もっと特別な存在なんだ!」
しかし感情的な俺とは対照的に、声の主――エンデは平然とした態度で言った。
「どちらでも同じだ。お前なら大切な人の死ぐらい、乗り越えられるだろう」
「無理だ」
俺は即座に断言した。
「滅多なことでは動じない。大胆不敵な要弥育エクシリアはどこへ行った?」
「それは、ナルミがいてくれたからだ」
苦々しく言い返す俺に、エンデは溜め息を吐いた。
「ここでじっとしているつもりか?」
そう言って俺の前に立つエンデを、俺は睨むように見上げた。
「どういうことだ」
「ただ逃げてきただけじゃないんだろう? あいつの死から」
エンデの言葉に、俺は彼から視線を逸らした。確かに俺は、目的があってここに来た。ナルミを助けるための手立てを探しに来たのだ。
しかしいざ何かしようとすると、その目的が果たせる可能性があまりにも低いと思えてきた上、今の冷静さを欠いた自分に、どうにか出来るか不安だった。
要するに、一人で何か行動することに自信がなかった。
そして少しだけ……誰かに弱音を吐きたかった。
「ナルミは死んだ。考えてみれば、死者を蘇生することなんて不可能だ。こればっかりは、俺にもどうにも出来ない」
俯いてそう言う俺に、エンデはいつも通りの落ち着いた声で言った。
「本当にそうか? どうにか出来るんじゃないのか?」
あまりにいつも通りの彼の様子に、妙に腹が立ってきて、つい憎々しげな声で言い返してしまった。
「随分簡単に言ってくれるじゃないか」
「おまえならそう難しいことではないだろう」
「今回は本当に無理なんだ! 俺が以前『吸収』した、自分の“願い”を叶える能力を使おうとしたが、無理だった! 何度願っても、あいつは……ナルミは生き返らなかった」
あの日、霊安室で何とか我を取り戻した俺は、真っ先に成実の蘇りを願った。しかし、ナルミが息を吹き返すことはなかった。それからずっと彼の蘇生を願い続けていたが、とうとうナルミは、灰になってしまった。いや、正確には俺はそれを見届けてはいないが、もうそうなっているだろう。
そもそも、成実が死んだと知らされてから、頭の芯が鈍ってしまっているようで、思考に霧がかかったように、頭が正常には働いてくれていなかった。成実を生き返らせるための方法が……思いつかなかった。
言葉を詰まらせる俺を見て、エンデはまた呆れたように溜め息を吐いた。
「まったく……。私達の『作戦』の鉄則まで忘れたのか? 私達の『作戦』は、一つが駄目でもまた別の方法を試していくものだろう」
「別の方法って言ったって……」
俺が言い返そうとすると、目の前に一冊の本が差し出された。
「これは……?」
「グリアの部屋にあったものを借りてきた」
グリアイダ――グリアはエンデに負けず劣らず読書家で、たくさんの書籍を自室に所持している。俺も赤子の頃そこにあった本を読んで日々を過ごしていた。
「こんな本あったか?」
読んだ本は大抵覚えているのだが、エンデから受け取ったその本に、見覚えはなかった。
「お前が居なくなった後に買ったものだそうだ。キャンについて街に行った時、古本屋で偶然見つけて買ったらしい」
エンデがそう言うと、キャンが口を挟んだ。
「てか、何でグリア本人は来てないんだよ?」
キャンの質問に、エンデは平然と答えた。
「お前がいるからだそうだ」
「あっ、そう(怒)」
俺は本を開いてページをパラパラと流し読みした。
「時間についての本……?」
それは、とある賢者の、時間についての研究を綴った本だった。
時間はなぜ不可逆なのか、空間と時間の関係性など、興味深い記述が並んでいた。落ち着いてもう一度読んでみたいと思えるほどだ。
しかし今はそんな場合ではない。
俺はこれを期待していた。
命の喪失と同じで、時間の経過もまた不可逆。再生は基本的に、失われたものと同じ物が新たに生まれるのであって、本当にそこにあったものが戻るわけではない。ある種コピーだ。
なら時間も同じことが出来るのではないのか? その時間を、過ぎてしまった、失われた時間をもう一度、そこに生じさせたとしたら?
遡上ではなく、再生させるとしたら?
無論、それに伴う弊害というのもあるだろう。時間は一直線状のものだ。それを歪めて出来るのは、パラドックス、パラレルワールド。何にしろややこしいものだけだ。
それでも、ナルミを助けるには、それしかないのだ。
しかし、時間を再生するすべなど、俺は持っていない。それならば、それを持っている者に、会うしかない。
『時間』を操作するスペシャリストは、今の所発見されていない。しかし、もしこの本にそれらしい記述があれば、当人はもう死んでいるかもしれないが、同じ能力を持った人物が今いるかもしれないという希望が生まれる。
そうすれば、ナルミを――。
俺の視線が、ある記述に吸い寄せられた。勢いよくページを繰っていた手を止める。
「あった……」
そこには、とある時間魔法使いが作った、不思議な家が存在すると書かれていた。本によれば、その家の中に入ると任意の過去に行けるのだそうだ。
その家から、過去に、ナルミの生きていた時に行って、ナルミを助ければ……そうすれば――。
俺の中に、小さな希望の光が灯った。
「行ってくる」
そう言ってソファから立ち上がる俺に、エンデは鋭い声を掛けた。
「過去に戻ったとして、今のお前はどうなると思う?」
エンデはすでに、この本の内容を知っているのだろう。そして俺が何をしようとしているのかも、エンデにはお見通しらしい。
「エンデはそれを覚悟でこれを俺に見せたんじゃないのか?」
「お前なら、今のお前を保ったまま、過去のナルミも助けられと思った」
「どうやって?」
「過去のナルミを、連れてくるんだ」
「今のナルミは、死んでるのに?」
「お前達の世界ではそうだが、こっちではそんな事実誰も――私達以外――知らない。こっちの世界で暮らせば、何とか誤魔化せるだろう。そもそも、お前が過去に行けば、過去にお前が二人存在することになるんだ」
エンデは俺の目を見据えて言った。
「絶対に、戻って来い」
エンデのその言葉には、真摯な願いがこもっていた。
「分かった」
俺は力強く頷いて、部屋を飛び出した。
この世界の真ん中に広がる、広大な森の中の、光の届かないような暗い場所のその先に、その家はあった。
人気はなく、木製のその家は、まるで新築のように綺麗なまま建っていて、そこだけ時が止まっているようだった。いや、実際この家は時間が止まっているのだ。
この家に入れば、行きたい過去に行ける。そこにすでに『吸収』している空間操作を組み合わせて、ナルミが死んでしまうその前の、あの場所に行けば――。
俺は、過去のナルミを助けるために、家の玄関扉に手を掛け、中に入っていった。
イクの居なくなったエンデの部屋の中で、キャンはソファに寝そべっていた。
「お前、早く自分の部屋に帰れ」
そう言って顔を顰めるエンデに構わず、キャンはイクが読んでいた時間についての本を、読むことなくパラパラとめくっていた。
「なあエンデ」
「何だ?」
「過去のナルミを連れて来ちゃったらさ、その過去ではナルミが居なくなるわけじゃん。そしたら今度はその過去のイクちゃんが悲しむんじゃないの?」
「……そうだな」
エンデはキャンに背を向け、言った。
「それってさ、結局繰り返しにならない? そのへん大丈夫なの?」
「…………」
エンデは何も言わなかった。
「イクちゃんもそうだけど、エンデも大事な人のことになると、ちょっと頭の回転鈍るよね。それとも、今のイクちゃんが喜べば、それでいいって思った?」
「……違う」
エンデは、かすれ気味の声でそう言った。
「私は……エクよりも……冷静だ」
そう言ったエンデの目に浮かんでいるのは、不安と、恐怖だった。




