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酒呑童子編1

 京の都にある宿屋に逗留して早三日。

 深手を負った桃はまだ目を覚まさない。

 医者の話では今こうして生きていることが奇跡なのだと云う。

 高熱が続き、布団を濡らす大量の汗。表情は常に苦しそうにしている。

 桃の世話はかぐやがした。理由は男に桃の着替えなどをやらせれないということだったが、最初はかぐやが毒でも盛るんじゃないかと心配された。けれど、そんなことなどなく献身的にかぐやは看病を続けた。

 ――別に優しさでやってるんじゃないんだからね。恩を売るためにやってるんだから!

 それがかぐやの言葉だった。

 この三日の間、雉丸だけが別行動を取っていた。桃の病を治すためらしいが、どこに行くのか告げずに旅に出た。

 残された三人では頼りない。桃の看病をやっているかぐやはまだいいが、雉丸のいないポチは挙動不審、猿助は魂の抜け殻のように若い娘が目の前を通っても反応ゼロ。

 病室に使っている個室から隣の部屋にかぐやが移動してきた。

「あのさー、大事な薬が切れちゃったんだけど誰かもらってきてくんない?」

 『誰か』と言っても『どちらか』しかいない。

 猿助かポチ。

 ちなみに今は真夜中だった。

 魂の抜け殻の猿助は論外。

 かぐやの目がポチに向けられた。

「ボ、ボクは無理ですぅ」

 すでにガクガクブルブル震えている。

 猿助がゆら〜り立ち上がった。

「オレが行く」

 今にも消え入りそうな声だった。

 こんな奴に行かせて大丈夫なものかと思ったが、ポチもあんな常態ではどっちもどっちだろう。

 なんだかんだで猿助が薬を取りに行くことになった。

 宿屋の外はすでに真っ暗だった。

 人はすでに寝静まっている時間だ。跋扈しているのは魑魅魍魎くらいなものだろう。

 行灯を片手に猿助はゆらりゆらりと歩いた。まるで幽霊だ。

 月明かりと星が優しく照らす晩。それでいて月光は妖しくもある。

 堀川にかかる一条戻橋にさしかかると、橋の手前で腰を下ろしている女がいた。

 腐っても猿助。それがすぐに二十歳前後の若い娘だとわかった。けれど、今の猿助は両手を広げて駆け寄るようなマネはしなかった。

 若い娘は足をくじいたのか、足首を押さえている。無防備にも怪我をした脚は、はだけた着物から惜しげもなく覗いている。その美しい白い肌と脚線美の見事なこと。

 紅梅のうちかけを身にまとう上には艶やかで色っぽい顔。その表情は少し眉尻を下げて苦しそうにしているが、その表情がまた男をそそるのであった。

 しかも、なぜか上着が少しはだけて片方の肩が夜風にさらされていた。

 猿助は生唾をゴクンと呑み、体の底から生命力が沸き上がってくるのを感じた。

 けが人を放っておくわけにはいかない。

 いや、真夜中に美人のねーちゃんが苦しんでいるのに、放っておくのは男として間違っている!

「何かお困りですか美人のねーちゃん!」

 猿助は鼻の下を伸ばして、さらに両手まで広げて娘に駆け寄った。

 復活!

 すっかり魂の抜け殻から復活した猿助。

 娘はゆっくりと顔を上げた。目の前で見ると、さらに悩ましい顔だ。

「足首をくじいてしまって……こんな夜更け、人も通らず困っていたところですの」

 少しハスキーな声だったが、それが猿助の体を痺れさせた。

「そんなことならオレに任せといてくれよ。ちょうど今から医者のところへ行くとこだかんよ、背負っていってやるよ」

「それはそれはありがとうございます、カッコイイお兄さん」

「カッコイイだなんて、そんな正直に言われると照れるぜ」

 頭を掻きながら猿助は鼻の下伸ばしっぱなし。

 さっそく猿助はその娘を背負った。

 少し猿助の表情が曇る。

「見た目よりガッチリしてる体つきだなぁ」

「おほほほ、少し武道をたしなむもので……」

「へぇ、そうなんだ。オレ強い女って好きっスよ」

 自分を売り込むことで必死。

 橋を進んでいると、前方に人影が佇んでいるのが見えた。明かりも持っていないため、男か女かもわからない。

 こんな夜更けに二人も人に会うなんて、珍しいこともあるものだ。そんなのんきに構えていた猿助だが、前方にいる人影は明らかにおかしい。

 そう、まるで猿助を待ち構えているようだ。

「そこまですわよ」

 凛とした女の声が響いた。

 月明かりに照らされた女の顔、それは鈴鹿だった。

 猿助を待ち構えていたのは鈴鹿だった。ここまで猿助を追ってきたのだ。なんともしつこい。

「うぉっ、またお前かよ。お前とは結婚しねーっつんだろ」

 猿助はあからさまに嫌そうな顔をした。

「今すぐ離れなさい!」

 鈴鹿は強い口調で命じた。

 猿助はあっかべーをして応じた。

「オレがどんな女といようとオレの勝手だろ!」

「今すぐ離れなさい。さもないと命無いものと思われよ」

「ま、まてよ……別にお前と付き合ってるわけじゃないんだから、殺すなんてヒドイじゃねーか!」

 これじゃストーカーもいいところだ。勝手に嫉妬して、勝手に命を取られては死んでも死にきれない。

 だが、少しようすは違うようだ。

 鈴鹿の鋭い視線は猿助ではなく、その背中にいる娘に向けられていたのだ。

「耳や尻尾を隠していても、貴方からは鬼の臭いがぷんぷんする。それも雄の臭い」

 ぎょっと眼を剥いたのは猿助だった。

「雄?」

 相手が鬼かどうか以前に、雄?

 背負われていた娘は急に眼を紅く光らせ、鋭い鉤爪を猿助の首に突き付けた。

「おーほほほほっ、正体がバレてしまっては仕方ないわね。ただし、男というのは気にくわないわ。体は男でも心は乙女よぉん!」

 ガーン!

 猿助痛恨のショック。

 そーいえば、ケツの辺りに何か後ろから当たってますよ。それってきっと男にしかついてないアレですよ。

 ガッビーン!

 燃え尽きたぜ猿助。

 猿助は顔面を真っ白にして魂を離脱させた。

 鈴鹿がゆっくりと前に歩き出す。

「ダーリンを早く解放なさい。死にたいのですか?」

「おほほほ、アタクシにこやつを解放するいわれはないわ。元々こやつは桃とかいう危険分子の情報を調べるために捕らえようとしたまで。さもなければ、殺してしまうつもりだったのだもの」

 オカマは鉤爪にたっぷりと生唾を落として舐めた。オカマだって知らなければ、オカマだって言われなければ、ものすっごい肉欲的でエロイのに!

 もはやオカマと知れた今は、なにをやられても精神的ショック。

 鈴鹿はまた一歩前に出た。

 それに合わせて鉤爪が猿助の首の皮を軽く突いた。

「殺しちゃっていいのかしらぁん。アナタの大切な人みたいだけどぉ〜」

「ダーリンを殺したら貴方も死にますわよ?」

 激しい殺気。

 それは鈴鹿のみならず、左右からも感じた。

 オカマは素早く左右に視線を配った。そこには大通連と小通連が、オカマを串刺しにせんと構えていた。

「なかなかやるじゃなぁ〜い。でもぉ、この男が殺されたあとにアタクシを殺して何になるのかしら?」

 これはどちらも手が出せない状態だった。

 鈴鹿がが攻撃を仕掛ければ猿助が殺される。また、猿助が死ねば鈴鹿がオカマを殺す。

 誰かが走ってくる音が聞こえた。

 行灯を持った小柄な影。

「うわぁ〜ん、暗いよぉ怖いよぉ!」

 ポチだった。

 その一瞬、オカマはポチに気を取られてしまった。

 今しかない!

 大通連と小通連が宙を舞う。

「ぎゃぁぁぁぁっ!」

 醜く悲痛な叫びが月夜に木霊した。

 鉤爪の付いた腕が橋に落ちた。

 血が噴き上げる腕を押さえてオカマがよろめく。

「おのれ、今日のところは退散してやるわ。でも覚えておきなさい、アタクシの名は酒呑童子さまの腹心――茨木童子よ。絶対に復讐してやるからね!」

 捨て台詞を吐いて茨木童子は闇の中に姿を消した――片腕を残して。

 ポチが瞳をウルウルさせながら猿助に抱きついた。

「うぁ〜ん、怖かったよぉ。サルたんひとりじゃやっぱり心配だからって、かぐやたんに宿屋から放り出されたんだよっ。それでね、それでね、ここまで来てみたらなんかスゴイことになってたし。うあ〜っ、そういえばなんでここに鈴鹿たんまでいるのっ!?」

「ダーリンの命を救ったのは妾なのですよ」

「えっ、じゃあ鈴鹿たんって本当はいい人なんですかぁ?」

「もとより無駄な戦いはしたくありませんことよ。最初に刃を向けたのはそちら、そのあとは妾からダーリンを奪おうとしたから仕方なく」

 そのダーリンは真っ白な灰になっている。

 鈴鹿は猿助を優しく抱き寄せ、頬に軽く口づけをした。

「ダーリン、起きてくださいまし」

「……、……、……うわっ!」

 猿助は驚いて飛び起きた。

「て、ててててめぇ、オレに何するつもりだ」

「んもぉ、ダーリンまで。茨木童子とかいうオカマを追い払い、ダーリンの命をお救いいたのは妾なのですよ?」

「へっ?」

 目を丸くして口をあんぐり開ける猿助。

 ポチもうなずいた。

「うん、ボクも見てましたけど、鈴鹿たんが頑張ったんだよっ!」

「……そうなんか」

 うつむいて考え込む猿助。

 すぐに顔を上げた。

「けどよ、お前のせいで姉貴は今も死にそうなんだぞ。どう責任取ってくれんだよ!」

「あの女……まだ生きてるのですか。なかなかしぶとい」

「まだってなんだよ、絶対死なせるもんか!」

「妖刀大通連に受けた一撃。そうたやすく治るものではありませんわ。あの手応え、絶対に仕留めたと思ったのに、生きてるほうが不思議ですわね」

「なんだよその言い方。お前なんか大っ嫌いだ!」

 鈴鹿ショック!

 粗塩を塗った矢を乱れ打ちで心に喰らった。

 明日にも世界は滅びますみたいなくらい絶望を背負う鈴鹿。あまりのショックに四つんばいのまま立ち直れない。

 ポチがしゃがみ込んで鈴鹿の顔をのぞき込む。

「元気だしてっ、ファイト!」

「……もう妾は生きていく希望もありませんわ」

 鈴鹿はすっかり老け込んだ顔をゆっくりと上げて、憂いを含んだ瞳で猿助をしっかりと見つめ、こう尋ねたのだった。

「あの女はダーリンにとって……そんなに大切な人なのですか?」

「そうだよ、大切に決まってるだろ!」

「妾よりもですか?」

「…………」

 この返答には困った。答えは決まっていたが、それを言ったときに鈴鹿が何をしでかすかわからなかった。

 鈴鹿はさらに口を開く。

「……それが答えですのでね。仕方がありません、ダーリンがそこまで想う人なのであれば助けなければなりませんわね」

 ビシッとシャキッと鈴鹿は立ち上がった。

「でも妾はあきらめたりしませんから、こうやって乙女は大人の階段を登っていくのですのよ。たとえダーリンに好きな人がいようと、いつかは絶対に振り向かせてみせます!」

 鈴鹿は涙を拭いて歩き出した。

「さあ、あの女のところへ案内してください」

 すっかり立ち直った鈴鹿。

 猿助はなんだか置いてけぼりだった。

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