鈴鹿御前編3
板の間にある祭壇に飾られた鏡。
鏡には六人が映り込んでいた。
あぐらを掻く桃と合流した下僕三人と売り物一匹、それと後から現れた晴明だ。
「約束の金三〇〇枚だ」
晴明は布袋を解き中身を見せた。
これで契約成立だ。
ポチが泣きそうな顔をして声をあげる。
「ひどいよぉ姉御さん!」
「アタイのやることに文句あるのかい。かぐやだって金持ちに貰われたら幸せだよ」
桃はかぐやに目を向けた。
「うーうーっ!」
かぐやは猿ぐつわを噛まされ、手足を縛られ呻いていた。イモムシのようにくにゅくにゅもがいている。
それを見た桃がかぐやの気持ちを代弁。
「かぐやだってあんなに喜んでるじゃないか」
絶対に違う。
猿助と雉丸も別に止めようとしてなかった。
「オレは最初からガキと一緒に旅なんかしたくないんだ。ついでにポチもここに置いて行っちゃえよ」
「ならガキのお前も置いていこう」
と、雉丸は猿助を睨みつけ、話を続ける。
「かぐやを置いていくのは俺も賛成だ。危険な旅に巻き込むわけにはいかないし、何より桃さんの判断が第一だ」
この会話を聞いていた晴明の目つきが急に変わった。
「もしかして……怪物退治をしている絶世の美女とその下僕がいると噂を聞いていたが……君たちがそうなのかい?」
「アタイらも有名になったもんだね」
「噂で聞くほど美女じゃないな」
吐き捨てた晴明に桃が殴りかかろうとしたの雉丸が後ろから押さえ込んだ。
「桃さん、彼に喧嘩を売ったら王朝まで敵に回すことになりますよ」
「おうおう、やってやろうじゃないか!」
「別に桃さんがやるというなら俺はどこまででもついて行きますが、王朝を敵に回してもめんどくさいだけで、なんのメリットもありませんよ?」
メリットがない。この言葉は桃の胸の響いた。
すーっと力を抜いた桃は再びあぐらを掻いて座った。
晴明はあざ笑うように桃を見下した。
「辺境じゃ美女って言われてるのかもしれないけど、僕に言わせればただの野蛮人だね」
「なにをぉ!」
再び桃が殴りかかろうとしたとき、急に床が揺れた。
特に祀られていた祭壇の揺れは激しく、丸い鏡が床に落ちて転がり、桃の足音で止まって真っ二つに割れた。
あたふたする晴明が割れた鏡を拾おうと手を伸ばす。
「ああっ、大事な鏡がぁぁぁっ!」
そのとき、鏡が急に激しい閃光を放ち一同は目をくらませた。
鏡に映し出される黒い影。それはだんだんと形をつくり、なんとそこに小袖に鮮やかな紅の袴を着た美少女が現れた。
鳥のくちばしのようにツンと天に伸びる黒塗りの立鳥帽子。遊女や盗賊が好んでかぶるこの帽子をトラ耳の間に乗せた黒髪の美少女。桃に負けず劣らずの美形だが、その顔は桃と違って清楚な貴族風、年の頃は一六歳くらいだろうか。
美少女の姿を確認した晴明が息を呑んだ。
「……っ、鈴鹿御前だ!」
桃も鏡の中をじっくりのぞき込んだ。
「ほう、これがかの有名な鬼女の鈴鹿ちゃんかい。綺麗な顔してるけど、アタイの足下にも及ばないねぇ」
その横では猿助が鼻の下を伸ばしていた。
「綺麗な娘だなぁ。マジでこの娘を退治するのかよ?」
相手が美少女と知って猿助は乗り気じゃないようだ。
しかし、この都に来た第一の理由は鈴鹿御前の情報を集めるためだった。
桃と別行動をしていた雉丸はすでに多くの情報を仕入れていた。
「旅人や貨物を運ぶ大切なルートになっている山に、鈴鹿御前という盗賊が隠れ住んでいるらしい。そのため、その山では昼夜を問わず謎の光が現れ、運んでいる物資や旅人の荷物、帝への貢ぎ物までも盗まれているらしい。それがすべて鈴鹿御前の仕業だと云われている」
謎の光とは桃たちが見たあの光球だろう。
晴明はうなずいた。
「君の云うとおりだ、そのことで大変困っている。そして、今まで僕が張った結界のおかげで大丈夫だったんだけど、ついに都の中にまでその光の球が……」
鏡の中い動きがあった。
鈴鹿は畳の部屋で優雅にお茶とお菓子を摘みながら、自分に届いた手紙を読んでいるようだった。
新しい手紙を手に取った鈴鹿が急に嫌そうな顔をして、鏡の向こう側から歌うように綺麗な声が聞こえてきた。
《『親愛なる鈴鹿ちゃんへ、お願いだから早くおらのところへ嫁に来てくれ。天竺第四天の魔王の娘の鈴鹿ちゃんが嫁に来てくれたら、ジパングもおらたちのもんになったも当然だべ。追伸、こないだ鈴鹿ちゃんが黙って持って行った妖刀を返してくれ、あれがねえと困っちまうべ』……キモッ!》
手紙を読み終えて最後に感想を吐き捨てた。ついでに手紙をビリビリに破って捨てた。差出人のことをだいぶ嫌っているらしい。
しかし、手紙の差出人はいったい誰なのだろうか?
鏡の中の映像を見た晴明は青い顔をしていた。
「大変だ、あの噂は本当だったのか……。鈴鹿御前と大嶽丸が手を組んでジパング転覆を狙っているというのは!」
桃が晴明に尋ねる。
「その大嶽丸って誰だい?」
「大嶽丸も知らないなんてバカだなぁ。ジパングでも三本の指に数えられる凶悪な鬼に決まってるじゃないか」
「バカとはなんだいバカとは。鬼の名前なんて知らなくても退治しちゃえばいいんだろう」
再び桃の怒りが晴明に向かって手が出そうになる前に、雉丸は補足説明をくわえて気を引いた。
「三本の指に数えられているのは、海の魔女『温羅』、北東の魔王『大嶽丸』、そして最強の鬼神と云われている『酒呑童子』ですね」
その大嶽丸が鈴鹿と手を組もうとしているのだ。一方的な求婚だが。
三本の指に入ろうが入るまいが桃には関係ない。
「温羅だって倒したんだ、他の二匹もそのうち倒してやるさ。鈴鹿のことも手を組まれる前に、さっさと倒しちまえばいいんだろう?」
強気な桃のことを晴明は気に入れないようだった。
「簡単に言ってくれるじゃないか。僕だって手をこまねいてるわけじゃないんだ、それでもまだ敵の本拠地すら見つけられないんだからな。僕ができないことを君ができるわけないじゃないか」
「てめぇこそ言ってくれるじゃないか。本当は見つけられないんじゃなくて、見つけなくないんだろう?」
「どういうことだよ」
「相手が美少女じゃ鼻の下が伸びるのも無理はない。あの鏡でいつも盗撮してハァハァしてんだろう?」
挑戦的な目で桃は背の低い晴明を完全に上から見ていた。身長差からしてすでに負けているが、晴明も言われたままでは引き下がらない。
「盗撮って失礼だな、高等な術なんだぞ。それに鈴鹿御前が映ったのはこれがはじめてだし、僕はあんな女よりも……」
桃から視線を外し、別の場所に目をやった晴明がハッと息を呑んだ。
「いない?」
と、呟いた晴明。
そこにいたハズのかぐやがいない?
しかもポチまで消えていた。
拘束されていたハズのかぐやが自由の身になり、ポチを拉致して逃げようとしていた。
「売られてたまるかっコンチキショー! 近づいたらこのガキをケチョンケチョンにするからなバカ!」
「うわぁ〜ん、せっかく自由にしてあげたのにぃ、ひどいよぉ〜!」
かぐやを自由にしたのはポチだったらしい。
人質を取って部屋を出ようとするかぐや。
床に置いてあった物干し竿を握った桃。
物干し竿が大きく薙ぎ払われた。
見事に足をすくわれてかぐやはコケた!
すぐに桃は床に這い蹲るかぐやの首に物干し竿を押しつけた。
まったく身動きできなくされたかぐやが喚く。
「バカバカバカ!」
「キーキー喚いてんじゃないよ。金持ちで仮にも都の陰陽師さまにもらわれるんだ、幸せだと思いな!」
「絶対イヤ! ロリコン趣味のガキに何されるかわかんないじゃん!」
幼い年同士だったらロリコンではない。
だが、ロリコンと言われては黙ってはいられない。
「僕はロリコンなんかじゃないぞ!」
「それでも絶対イヤーッ!」
嫌がるかぐやと積まれた金。桃の眼中には金しかない。
ここでポチがまん丸の瞳で桃に訴えかけた。
「かぐやたんのこと売らないでよぉ」
「あんたかぐやに酷いことされたのに、どうしてかばうんだい?」
「だってかぐやたんが可哀想なんだもん」
潤んだ瞳で上目遣い。精神攻撃だ。
が、桃に人情なんてものがあるのだろうか?
桃には効かない様子の精神攻撃も、雉丸の胸にはグサグサきたようだ。
「ポチ……大丈夫だよ、かぐやは決して売ったりしないからね。ですよね、桃さん?」
「まあ雉丸が言うなら仕方ないねぇ。その代わり、雑用から何から体を張って尽くすんだよ?」
桃の視線がかぐやに向けられた。
「そんなこと誰が……ぐあっ!」
物干し竿がかぐやの首を絞めた。
「わかりました、ごめんなさい……絶対復讐して……ぐわっ!」
かぐやは口から泡を吐いて気絶した。
金三〇〇枚を積んだというのに、晴明は少しご立腹だった。
「この妖魔を売ってくれないなんてヒドイじゃないか、詐欺だよ詐欺!」
桃がキッと晴明を睨む。
「まだ金をもらったわけじゃなんだ、グダグダ言ってんじゃないよ!」
「売れったら売れよ!」
「うるさいクソガキだねぇ」
「僕はクソでもガキでもない。こう見えても二二歳なんだぞ!」
やっぱりロリコンだ!
一同は唖然としたまま沈黙。そのまま桃の視線は雉丸に向けられた。
「たしかあんたも二二だったねぇ?」
訊かれた質問を雉丸はさらりと流した。
「そんなことよりも、俺たちが鈴鹿御前を退治するということでかぐやをあきらめて欲しい」
晴明はう〜んと唸って腕を組んだ。
かぐやをあきらめるのは不本意だが、人々を苦しめる女盗賊を退治できるなら。それに鈴鹿御前は帝の貢ぎ物にも手を出している。京の都の陰陽師としては、帝に忠義を払わなければならないだろう。
「いいだろう。退治できるものならして来いよ」
晴明の言いぐさに桃は自信満々の笑みで答えた。
「おう、やってやるよ」
しかも、桃はこんな注文までつけた。
「見事退治した暁には当然、報酬をもらえるんだろうね?」
「心配しなくても鈴鹿御前は賞金首だよ。朝廷から報酬が出る」
そうと決まれば出発だ!
「野郎ども行くよ!」
桃は下僕を連れて行こうとしたのだが、その中の一匹が動こうとしない。猿助はずーっと今まで鏡を覗いていた。
「ちょっと待って、今いいとこなんだ」
その場を動こうとしない猿助の首根っこを桃が掴んだ。
「さっさと行くよ!」
「今から風呂に入るとこ……ふがっ!」
ゴン!
猿助の顔面が鏡ごと床に強打された。もちろんやったのは桃だ。
ゴナゴナになった鏡にはもう何も映っていない。
桃は鼻血ブーの猿助と気絶しているかぐやを引きずって部屋を後にした。すぐに雉丸も何事もなかったように後を追う。
最後にポチがペコリと頭を下げて部屋を後にした。




