10歳の約束
ようやく、辿り着いた。今日この時を。待ちわびた。
はやる心を抑えて、機器をセットする。最後にフルフェイス型ヘルメットを被り、横になる。
ヘルメットの電源を入れ、目を閉じる。そして呟く。
「システム起動、フルダイブ」
一瞬、全身をゾクリとした感覚が襲う。そして浮遊感に包まれる。
「システム、正常に起動しました。リンクネットワーク及びバイタル異常なし」
合成音声が頭の中に響く。さらに無機質な声が続く。
「安全確認終了。仮想空間へ接続します」
視界が暗転する。次の瞬間、視界が開ける。
見渡す限りの地平線。雲ひとつない青空と、緑の絨毯を一面に敷き詰めた様な草原。
唯一天空に鎮座する太陽からは、穏やかな陽射しが降り注ぐ。微かに草と土の香りがする風が、優しく肌を撫でる。
そんな世界に、一人立っている。どうやら、うまくいったようだ。
「ようくん?」
突然、背後から声が掛けられた。振り返って見ると、一人の女性が立っていた。
「沙織…」
名を呼んだとたん、彼女が駆け寄ってきた。その華奢な身体を受け止めて、抱き締める。
「ようくんようくんようくん!」
「ああ、どうした?」
「すごい、すごいよ!本物みたい!それに…」
「それに?」
「初めてようくんの顔が見れた」
と言って向日葵のように笑う。
「で、感想は?」
「うーん…まあまあ?」「なんだそりゃ」
「あはは、ごめんごめん。拗ねないで」
「誰が」
「ねぇ、ようくん?」
「何だ?」
「ありがとう。私に『視覚』を与えてくれて」
「…」
「見えることって、こんなに素晴らしいことなんだね。誰かの目を見ながら話すことって、こんなに素敵なことなんだね。私、すごく嬉しい」
そう言って、泣き始める沙織。頭を優しく撫でてやる。
「泣くんじゃない。これからは今まで出来なかったこと、たくさん体験できるぞ。スポーツに映画、読書にサイクリング。挙げればキリがない」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「ありがとう」
顔を上げた沙織は、もう泣いてはいなかった。そこに、突然声が響く。
「ヒューヒュー熱いねお二人さん!いちゃついてるとこ悪いんだけど、後がつかえてんのよね。陽平、さっさと戻って来なさい」
「わーったよ。戻りゃいいんだろ奈央」
お邪魔虫め。しかし沙織の両親やうちの両親、奈央や祐介を待たすわけにはいかないな。
「というわけだ。そろそろログアウトする」
「うん」
「現実世界に戻ったら、奈央によく調べてもらえよ」
「わかった」
「じゃあな。システムコマンド、ログアウト」
仮想世界から現実世界に意識を戻すまでの予備動作。その刹那。
沙織の口が動いた。
「約束守ってくれて、ありがとう」
と。