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光源氏には向いてない  作者: キョン子
光瀬真琴(♀)、名のみことごとしく広まりたり
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戦の後

「みーつせっ」

 授業後、講師室で項垂れていると、やけに楽しげな兵頭が顔を出した。応える元気はない。軽く手を挙げるだけに留めておく。

「なんだよ元気ねぇなぁ、初授業、うまくいかんかったの?」

「……いや、大量の女子大生と戦って憔悴してるだけ」

「なんだなんだ根性ねぇなぁ。ほら、飯でも食おうぜ」

 ドサ、と目の前に置かれたのは仕出し弁当と缶のお茶だった。そういえば昼食なんて買ってこなかった。ちょうどよく腹の虫も鳴き、ひとまず休戦して目の前の飯を食べることにする。輪ゴムで無地の熨斗紙を挟んだだけの簡素な包装を剥がして、弁当を前に両手を合わせた。


 パンフレットやホームページでこの学校の沿革や建学精神などを繰り返し勉強して来たものの、それは役に立たないということが今日はっきりと分かった。

 ……当たり前だ。女性の社会的地位が圧倒的に低かった時代とは訳が違う。帝女に通う学生たちは女性の社会での活躍云々という帝国女子大学の理念に共感したのではなく、親に薦められて、あるいは自分の偏差値と相談をして普通に受験をして入って来たイマドキの女の子たちなのだ。日本文学科にだって純粋に日本文学を学びたくて入って来た訳でもない。そうでなければ、いくら俺が教え慣れていないとは言え四月の一発目の授業でグースカ寝こけたりはしないだろう。

 別にそれを責めるつもりも悲嘆するつもりもない。ちょっと想像と違っていた、ということだけを述べておく。


「……おまえ、なんで女子大の事務職員なんかになったの」

「ん? 女子大生と合コンしたかったから」

 むぐむぐと卵焼きを口にしながら兵頭はけろりと答える。なんて単純明快な。

「や、前は学生課だったんだよ。学生課ってあれな、下宿とか課外活動とかのお世話するとこ。だからデートにも誘い放題だったし合コンもし放題だったんだけど、うるさ方のばあさん共にバレちまってさぁ。半年前くらいから学生と絡みのない研究支援課に異動させられちまって。知り合いもいねぇし特に文学部なんて教授もババァばっかだし、つまんねーやる気でねーって腐ってたら、おまえが来た」

「……俺?」

「そ。久しぶりに会えて、けっこー嬉しかったんだぜ?」

 腐ってたという割にノリノリで本村さんを口説いていたように見えたが、……まあそれも兵頭らしいと言えば兵頭らしいか。

 会えて嬉しいとはっきり言い切るにはまだ迷いがあったが、俺の正体を知っている人間が一人でも居てくれて助かっているというのも本音だ。

「おまえ、誰か高校のヤツと連絡取ったりしてるか?」

「いや、別に。友達居なかったし」

「マジ? じゃあ森田が結婚したこととか知らん?」

「……森田って誰だっけ」

「おっま、つめてーな! ……でもそっか、高校時代からおまえ『趣味は平安文学を研究することです』とか言ってぶっ飛ばしてたもんな」

 ぶっ飛ばしてなどいないしそれが通常運転だったし、むしろ今も同じだ。なんだかここ最近は女装だのなんだのと色々信じられないようなことばかり起こって中々趣味に費やす時間も取れなかったが、今俺の最大の望みは定期購読している『月刊国文学』の最新号を早く読みたいということだ。

「あん時から将来の夢は大学教授って言ってたし。すげー、叶ったじゃん」

「叶った……っていうのかな、コレ」

 ぴらりとスカートの裾を摘む。

 講師デビューとしては失敗だったが、百五十人の女子大生にも女装が見破られなかったことは成功と言えるだろう。それを喜ぶべきか悲しむべきか、この短期間に心のコンパスはポジティブとネガティブの間を行ったり来たりしていて、針は完全におバカになってしまっている。

「贅沢言うなって。お前院卒だから知らないだろうけど、俺たちの代って結構な就職難だったんだぜ。未だにフリーターの知り合いとかも居るし」

「へぇ」

「女装だろうとなんだろうと、今やおまえは大学教授! な、ちょっとは元気出るだろ」

 教授じゃなくて講師だとか、教授になるためにはまず准教授になる必要があるとか、なんでおまえ五年も職員やってて大学の仕組み知らないんだよとか色々突っ込みどころはあったが、その辺りもお茶と一緒に飲み込んでおく。方法はちょっとアレでも兵頭なりに元気付けようとしてくれているのだろう。

「あ、そういやさ、日文の一年に可愛い子いない?」

「分かるか、そんなの」

「俺入学式の手伝い行ったんだけど、新入生代表の挨拶した子が超絶可愛かったんだよねー、名前なんつったけなぁ、確か南……いや、北……北川……?」

「どっちにしろそれだけで分かるか」

「見つけたら教えてやるよ。なんつーの、清楚で可憐な大和撫子! って感じ」

「ふぅん」

「反応薄っ! なに、女装してる内にもすっかり身も心も女になっちゃった?」

「ばっ……」

 脳みそ直結の物言いに噎せ返った。万一誰かに聞かれてしまっては一大事だというのに、あくまで呑気に兵頭は笑う。

「だーいじょうぶだって。昼休みに一人寂しく講師室にいるのなんて、おまえくらい……」


 ――コンコン。

 次の瞬間、漫画のようなタイミングでノックの音がして、慌てふためいた兵頭が何故か机の下に身を隠した。お前が隠れてどうするんだと思ったがさっきまでの悪行を聞けばそれも仕方ない。声と格好を整えおそるおそる返事をする。てっきり本村さんかと思ったが、と部屋に入ってきたのは見知らぬ女性だった。

「……あら? あなた誰?」

 歳は俺よりも少し上くらいだろうか。顎ラインで揃えられた赤茶色のボブがさらりと揺れ、ブランドもののスーツを着こなすまさしくお姉様といった雰囲気。赤く引かれた口紅が印象的な、とてつもない美人だった。

「なーんだ、雪センセイじゃないっすか。いやー、課長かと思ってびびりましたよー」

「兵頭君、なんでここに?」

 ほっとしたような表情で机の下から這い出てくる兵頭。どうやら知り合いらしい。雪先生、ということはもしかして。

「あ……あの、英文の六条先生ですか?」

「ええそうだけど、あなたは?」

「今年からこちらでお世話になることになった光瀬です」

「ああ、学長のお孫さんね、葵から聞いてるわ」

 やっぱりだ。英文学科の講師の六条雪さん。つまり、同室のもう一人だ。

 葵から、ということは本村さんからもう話が通っているらしい。こちらこそよろしくお願いします、と頭を下げる。

「よろしく。私のことは雪でいいわ。で? 兵頭君は葵がいない日は光瀬先生を口説いてるわけ?」

「やっだなー違いますよ、実は俺たち高こ……いっ!?」

 机の下、兵頭のサンダルの隙間から思いっきりヒールを突き立てた。

 何だよ、と目で訴えに余計なことを言うなと目で返す。高校の同級生なんて言ってしまったら、どこから真実が漏れてしまうか分からない。

「分からないことが多かったので、兵頭さんに色々と教えてもらっていたんです」

「あら、そうなの。でも気をつけたほうがいいわよ、その人、手が早いから」

「……そうなんですか?」

「学生に手を出しまくって左遷されてここに来て、今は葵に絶賛言い寄り中だからね。光瀬先生も気をつけて」

「……」

 デートや合コンどころじゃないじゃないか。何故かへへっと照れたような笑顔を返されて、もうひとつおまけに足を踏んでおく。

「雪センセイ、昼休みに構内にいるなんて珍しいっすね」

 これ、と言って雪先生は手の甲を俺たちに向ける。白くて長い指先がひらひらと揺れた。

「ネイルが剥がれちゃったの。だから早めにご飯を切り上げて、塗り直し」

 ネイル、とはマニキュアのことだ。それは分かるが、見た感じどこが剥がれてるのか俺にはまったく分からない。というか、女性という生き物はマニキュアが少しでも剥がれたら塗り直さなきゃいけないものなのだろうか。

 戸惑う俺を差し置いて、兵頭がなるほどーと手を打つ。

「じゃあ彼氏さん寂しいですねえ。今日は例のオジサマですか?」

「ううん、今日は年下。奢ってもらいそびれちゃった」

「年下もいましたっけ」

「新しく出来たの」

「七人目ですか?」

「八人目。ここで塗り直すと葵がうるさいから、屋上にでも行ってくるわね」

 そう言って、自分の引き出しから数本のマニキュアを取り出した。まさかそれを全部使うのかと女子力の深遠さを見せつけられ呆然していると、振り返った彼女が妖艶に微笑む。

「ねぇ、呼び方真琴でいい? 堅苦しいのは嫌いなの」

「あ、はい、それはもうご自由に……」

「じゃあこれからはそう呼ぶわ。よろしくね、真琴」

 ふわ、と残り香を残して雪先生は去っていった。おそらくシャネルの五番とかそういった感じの香水なんだろうが、俺に分かる訳もない。静まり返った講師室で、俺と兵頭はどちらからともなく大きく息を吐いた。

「ふー、雪センセイで良かったわー」

「……おまえ、いろいろと世間に謝れ」

「雪センセイはな、お昼はいつも外のオシャレなお店で食べるんだよ、だからお昼にここで会うなんて珍しいんだぜ」

「話を逸らすな。……というか、八人目ってなんだ」

「え? 話の通りだけど」

「話の通り……だと、こ、恋人が八人いるって話になるけど」

「うん」

「うん?」

「あの人英文学科の講師なんだけど、フランスからの帰国子女で英語とフランス語とドイツ語も喋れるんだって。いやー最初は俺も是が非でもお願いしたいところだったんだけどさ、あの人一流企業の恋人がごろごろいるらしいから、空気読んでやめときました」

「……」


 この女子大は俺の想像を越えている。


 それが端的な感想だった。

 兵頭のお喋りに適当に相槌を打ちながら、無心に箸を動かしむぐむぐと咀嚼する。

 良く焼けた鮭は心にも疲れた身体にも少しだけ塩辛かった。

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