五話
あけましておめでとうございます!
ことよろー!
先週間に合わずごめん!
では更新です。
【第五話】
川瀬は混乱の最中にあった。
俺とナツの視線は、一人の少女に集中していた。
「ふぅ……こんなところでしょうか」
少女――ミナがゆっくりと手を挙げる。
それまで宙を舞い、スライムの残骸を焼き払っていた三枚の金属片――ミナが操る〝人造神器――魔本の断片〟が、光線の射出をやめ、音もなく滑空し、ミナの袖のうちに収まった。
「ふむ。これが再生の原因だったようですね」
すっかり消滅してしまったエンペラースライム。
そのエンペラースライムが居た場所に、なにやら金属片が転がっていたのだ。
ミナはそれを拾い上げ、しげしげと観察する。
「腕輪、ですか。何かしらのマジックアイテムでしょう。魔法使いが丹精込めて作った人造神器かどうかはわかりませんが、それなりに強力なものなのでしょうね。ま、売るか何かはできるでしょう。
――で、」
ミナはそれを懐に収め、こちらを向く。
ミナと目があった俺は、思わず身体を震わせてしまう。
「……そんなに怯えずともよいではありませんか。別に、とって食うわけじゃありませんよ。それはまあ、私とあなたの間にはいろいろありましたが、とりあえず話を――」
「ダニーさん! 無事ですかダニーさん!」
「お、おう。なんとかな」
「無視ですか」
俺はミナの話を最後まで聞かなかった。
とりあえず近くで呻いていたダニーさんに声をかけて助け起こす。
次いで、エンペラースライムにダメージを受けていた皆の様子を確認し、一人ひとり起こしていく。
よかった。
そりゃ無傷ってわけじゃないけど、でも致命傷を負った人はいないみたいだ。
みんな気絶してたせいか、状況を把握できずにきょとんとしている。
「ヒカル、状況はどうなったんだ? それにこの子は?」
「エンペラースライムなら倒しました!」
悪いけど、悠長にやっている余裕は無い。
起きたばかりの皆には悪いが、説明は割愛させてもらう。
あと、テキトーに嘘もつかせてもらう。
「なにっ!? 本当か!?」
「はい! えっと……ナツがやりました!」
「そうか! よくやってくれた! ……ん? ところでそのナツはどこだ?」
「あれ?」
本当だ。居ない。
さっきまで俺の後ろにいたと思ったのに。
ミナが現れたことに気をとられて、っていうかあれだ。
さっきの〝お姉ちゃん〟ってのはいったい……。
「ナツならさっき、こそこそと逃げていきましたよ」
ミナが呆れ顔で言う。
逃げた? いつの間に?
ミナに対して何か後ろめたいことがあるのか?
俺みたいに。
ニルベ村の邪印を背負ったまま、邪印を宿した俺を利用しようとする悪巫女からすたこら逃げてきたような――。
「……ま、とにかくそういうことなんで! みんな大丈夫ですよね? 回復の魔法使える人いましたっけ? とにかくまあ、野暮用が入ったんで、俺は一足先に帰らせて頂きますから! ほんとすいません! このお詫びはいつか必ず!」
「え? おいちょっと、ヒカル!?」
ほんとごめんなさい! マジごめんなさい!
みんなが無事なことに甘えてこの場を放棄する俺をお許しくださいイグナ様!
でもやばいんだよぉ!
エンペラースライムを倒せたと思ったら、またモンスターが現れたんだよぉ!
ミナ……ちくしょうミナ!
あいつはどうにかして俺を――この邪印の力を利用しようと企んでる!
そのためなら俺を殺すことすら……ええい、嫌なこと思い出した。
「みなさんお元気でー!」
「おいいいいっ!? ヒカルうううっ!?」
三十六計!
戦略的撤退!
みんな頭に?が浮かんでいた。
そりゃそうだ。
わけわかめだろう。
今度説明するから今は許してもらおう。
「やれやれ。往生際の悪い……」
浅瀬を脱して森に踏み込んだ時、背後からミナの声と溜息が聞こえた気がした。
※※※
職を求めて放浪し、ナツと出会い、ギルドに所属することになった俺ことヒカル。
俺はナツ、その他のギルド所属員たちと共に、巷を騒がせているエンペラースライムの討伐に出発し、任務は失敗しかけたが、あわやというところでミナが乱入。
命は助かったものの、ミナの出現こそが俺にとっては又ぞろ危機なわけで……。
「……もう、いいよな?」
俺はギルドの皆と別れた後、かなり大回りをして城下町まで戻り、レオニン教会まで戻って三日ほど息を潜めた。
教会のみんなには任務は大成功と伝えてある。
アーロン神父やシスター・ケイを始め、子供たちやチッチたち妖精らも大喜びしてくれた。
その後、俺は細心の注意を払いながらギルドに出頭し、皆に説明を行った。
どうやらあの後、ミナはギルドの人々には特に何も告げずに去ったようで、そのことについても殊更説明を要求された。
俺は〝彼女とは昔、同棲していたが、見解の相違から一緒に居られなくなった。しかし彼女はそれをよしとせず追いかけてきた〟と説明した。
「へぇヒカル、やるじゃないか」
「ま、生きてりゃ男にはいろいろあるわな」
ギルドの皆は、何やら意味深に笑いながら俺の話にうんうんと頷いてくれた。
どうやら何か勘違いをしているようだが、都合がいいので黙っておく。
「にしても、いきなり走っていった時はどうしたのかと思ったぞ?」
「それに関しては本当にすいませんでした。なんせあの時は焦ってたもので……」
「ま、今回は大目に見てやる。なんせ、おまえとナツのおかげでみんな助かったんだ」
「いや、だからアレはナツが……」
「ナツから聞いたぞ。謙遜するな」
「え?」
ダニーさんが笑いながら言った言葉。
思わず問い返してしまう。
「それはどういう……?」
「俺たちが倒れちまったあと、二人でエンペラースライムを倒したそうじゃないか」
「ナツは、むしろヒカルのほうが活躍してたって言ってたぞ?」
「おまえ、強いの隠してたのかー? とにかくやるじゃん!」
お い 。
ナツも俺になすり付けたのか。
「あの、ナツはここに来たんですか?」
「おお。つい昨日な」
「そうですか。……あの、ナツってどこに住んでるか知ってます?」
「んん? おーい、誰か知ってるか?」
『知らねー』
ギルドの中、話を聞いていた者たち全員の大合唱。
酒が回っているのか皆、気分がよさそうだ。
一番奥のカウンターでグラスを磨いていたロキさんを見る。
ロキさんは俺と視線が合うと、目を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。
「……ま、悪いな。あいつはけっこう神出鬼没なんだ。どこを宿にしているのやら」
「そうなんですか」
ミナが出現した瞬間、ナツは間違いなく〝お姉ちゃん〟と言った。
そしてすぐさま逃げた。
いったいこれはどういうことなんだろう?
ミナには事情を聞けない。どころか、会うこと自体勘弁なのだが、ナツには話を聞いてみたい。
俺はここ数日、ナツと行動を共にして、彼女のことがけっこう気に入っていた。
そんなナツがミナを姉と呼び、そして遁走。
気にならないわけがない。
それに、逃げたってことは、俺と同じような理由があるのではないか?
もしかしたら何か協力し合えることがあるのかもしれない。ほら、姉の悪の所行が許せない正義の妹とかいう筋書きはどうだ? また、ナツ越しにミナの事情を何かしら聞き出せるかもしれない。
しかし、どこにいるかわからないんじゃなぁ……。
「あ!? そうだ忘れてた! おまえこの間の仕事の報酬受け取ってねぇだろ!」
「報酬? あー」
そういやそうだ。
報酬があるからこそギルドのみんなは働くのだ。
ミナから逃げてたせいですっかり忘れてた。
「ほらこれだ。受け取りな」
「ど、どうも」
ロキさんが店の奥から持って来てくれたその袋を、ダニーさん経由で受け取る。
う?
なんかずしっと重いんだけど?
思わず口紐をゆるめて中を覗くと……!?
「こ、これ多すぎじゃないですか!?」
銀貨が少しと、後は銅貨がたんまり詰まっていた。
この世界の通貨は銅貨が1シシリー、銀貨は100シシリーである。
ひぃふぅ…560シシリーもある!
※1シシリーで安い果物が一個買える。
「何言ってんだよ。俺たちがしてやられたエンペラースライムを倒してくれたんだ。みんなと話し合って、おまえとナツの分はちょっと増やさなきゃ割に合わねぇってことで落ち着いた」
「いや別にいいですよ!」
「よかねぇよ。おまえたちが敵をやってくれなきゃ、俺たちは全滅してたかもしれないんだぜ? ……改めて礼を言う。ありがとう、ヒカル」
「ありがとな!」
「ありがとー!」
「みんなの気持ちだ。受け取ってやれ」
「ロキさん……ダニーさん……みんな……」
うう……あったけぇ! あったけぇ!
俺はみんなの優しさを噛みしめながら、金の入った袋を握り、思いっきり頭を下げまくるのだった。
しかし思わぬ大金を得てしまった。
これで教会への恩返しもできるってもんよ。
まあでも、ただお金をぽんっと渡すだけってのも芸がないな。
お金を渡すのは決定として、こう……そうだ、一緒に土産でも買って帰ろう。
「うん、それいいな」
教会であまり出ることのない甘いものなんか、子供たち喜ぶんじゃないか?
……そう決めた俺は、ギルドを出た後、いくつかの通りを経由して大広場へ向かう。
まだ日は高い。
いろいろ吟味してもいいだろう。
とりあえず俺は、この前ナツが助けたおじさんがやっている果物屋から見てみることにした。
※※※
「ま、こんなもんでいいだろ」
俺の両手には、クッキーみたいな焼き菓子が詰まった袋と、砂糖菓子の詰まった袋が一つずつ抱えられていた。
砂糖菓子のほうは、りんごとかくるみなどに砂糖をまぶして作られたもので、つまみ食いしたんだがけっこういける。
何より、こっちの世界に来てから甘いものなんてまったく取ってなかった俺の心がものすごく満たされた。
はぁー、ほんとコンビニとかファミレスって偉大だったんだな。
こっちの世界にフランチャイズ展開してくれたら、仕事帰りにふらっと寄って焼きプリンを……ってわけにもいかないか。
ま、何にせよいい土産が買えたと思う。
思ったより時間も使わなかったから、三時のおやつにちょうどいいだろう。
俺は意気揚々とレオニン教会へ帰る道を辿った。
「たっだいまー! ……んん?」
あれ? 誰もいないのか。
普段は宿舎の扉を開けてただいまと言えば、誰かが迎えてくれるのに。
みんなでどっかでかける用事なんか無いだろうし、どうしたのかな?
「おーい? 誰かー?」
俺は荷物を抱えたまま宿舎をうろつく。
と――
「あ、なんだ、こんなところにいたのか」
「ひ、ヒカル兄ちゃん!?」
「しーっ! 静かに!」
「なにやってんだおまえら?」
俺が宿舎の一角で見つけたのは、教会で面倒を見ている子供たちだ。
だが、なぜか男の子しか居ない。
そしてその男の子たちは、なぜかみんなでこそこそと、宿舎の陰から場所を奪い合うように中庭を覗いている。
「こんなところでなにやってんだ? 他のみんなは?」
「神父様は用事! シスターとみんなは買い物に出かけたよ! だからしーっ!」
「聞こえちゃう! それに見えちゃうからしゃがんでしゃがんで!」
「お、おう」
ほんとになにやってんだこいつら……あ。
わかった。一発で状況を把握した。
皆がこっそり覗いているその光景を見て。
なんということでしょう。
水を滴らせた、まさしく瑞々しい乙女の柔肌。
髪の毛先からこぼれた雫が伝うその身体は、ほどよい筋肉と脂肪のバランスによって保たれた健康的な色香を漂わせている。
中庭の井戸から水を汲んで、一人の女の子が水浴びをしていた。
って!?
「あ、あれはナツじゃないか!」
「兄ちゃん声でかい!」
「わ、悪い……」
「兄ちゃん、ナツ姉ちゃん知ってるの?」
いや、知ってるも何も……。
「ギルドでちょっとな。ていうか、おまえらがナツを知ってるのが驚きなんだが。どういうことだ?」
「ナツ姉ちゃんはいい人なんだぜー?」
男の子たちは得意げに語る。
「ナツ姉ちゃん、自分で稼いだお金を貧しい人たちに配ってるんだ。あと、病気の人とかにも」
「たまーにうちの教会にも来て、寄付してくれてる」
「あと、一緒に遊んでくれるしさ。とにかくいい人なんだ」
「そ、そうだったのか……」
「ん? 兄ちゃん?」
「……」
ほ……。
ほんまええ子やでぇ……!
なんという義侠人!
なんという菩薩様!
涙が止まらない。
初めてあった時からまっすぐな物言いをするいい子だなとは思っていたけれども。
ナツ、きみは笑いながら俺を助けてくれて。
おまけにこんなことをしていて。
それを誇るような、それに驕るようなことは一言も口に出さなくて。
それも。モラルや生活の安全が整った現代日本じゃなくて、食って食われるの異世界で、それをやってのけているのだ。
もう、ナツの後ろから光が差しているようにすら見える。
「ありがたや……ありがたや……」
俺は思わずナツに向けて両手を合わせ、それを擦り合わせながら拝んでいた。
どうでもいいが、中学生っぽい見た目な割にはいい尻してる。
「に、兄ちゃん、なにやってんの?」
「そんなにナツ姉ちゃんの裸が良かった?」
「違うわ! ていうかだな」
俺がナツの所行に感動しているのにおまえらときたら!
「おまえらはそのいい人の裸を覗き見て、なんとも思わないのか?」
「う……」
「それは……」
「むむむ……」
「なにがむむむだ」
悪いことをしているという自覚はあるのだろう。
三人ともばつが悪そうだ。
まあ、ばつが悪そうにしているが、その視線は水浴びを続けるナツからいっこうに外れることがないのだけれど。
「そ、そういう兄ちゃんだってずっと見てるじゃないか」
「俺は……適正年齢だからいいんだよ! おまえらはまだだめだ!」
「ずるいぞ兄ちゃん!」
「あっ、ナツ姉ちゃんのタオルが今はらりって!」
「「なにっ」」
ナツを凝視して押し黙る俺たち一同。
気持ちよさそうに体を清めるナツ。
うおお、今のしゃがんだ時の腰の動きエロ……。
あと、尻が見え……じゃなくて!
やれやれしょうがないな。
ここは年長者として、紳士的な男代表として、こいつらを諫めてやらねばなるまい。
言うぞ。おまえたちいい加減にしておけよ、と。
それ息を吸って、せーの――
「……女体に興味があるのかね?」
あれ!?
今俺なんつった!?
(くくく、ぬるいな俺)
な、誰だ貴様は!?
(俺はおまえの中に眠っているもう一人の俺だ)
なんだその後付設定は!
そんな話聞いてないぞ!
(貴様の煩悩が俺を揺り起こす。俺を起こしてしまったからには後戻りできない)
待て貴様!
くっ……体の自由が!
おのれ、俺の体を使って何をする気だ!
(何もしないさ。ただ、人生の先輩として、この子供たちに未来を示してやるだけさ)
なにをっ!?
まさか貴様……やめろおおおっ!
(もう遅い。貴様は黙ってそこで見ているがいい)
よせっ!
くそっ、みんな逃げろおおおっ!
「に、兄ちゃん、どういうこと?」
「女体って……」
「そりゃ、そうでなきゃ覗いてなんかないけどさ……」
「うんうん、男なら当然のことだ」
ああ、なんということだ。
俺の口から紡がれるのは、俺の言葉であって俺の言葉でない。
そう、これはもう一人の俺のせいなんだよ。
だからどうか許してほしい。
俺は悪くねぇっ!
「でもなおまえたち。普通に考えたら、女の人の裸を盗み見るなんて行為は許されない。それは立派な罪なんだ。教会にいるおまえたちならわかるだろう?」
「う、うん……」
「心の中に罪悪感はあるか?」
「あ、ある」
「ほう。悪いことしてるって自覚があるんだな?」
「ま、まあ」
「甘いな」
『!?』
子供たちがナツから視線を切って、仰天した顔を俺に向けてくる。
俺は別にナツから視線を切らない。
ずっとナツの裸体と仕草を凝視し続けたまま言う。
「いいかよく聞けおまえたち。どうして覗きに罪悪感が伴うと思う? それは覗きが罪だからだ。でもな……そんな行為に満足する輩は犯罪者であって、ただただ、イグナ様に滅ぼされるべき悪逆の徒であると知れ」
「で、でも兄ちゃん」
「さっきは覗いてこそ男だ、みたいなことを……」
「然り」
「ええ? わけがわからないよぉ」
ま、言いたいことはわかるさ。
でも違うんだよ。
「簡単なことだ。ただ覗く者は犯罪者。されど男は、そこに見晴らしのいい女体があったなら覗くべき。いやむしろ覗いて当然。となれば、今のおまえたちに足りないものはなんだと思う? そう、男気だ」
『男気ぃ?』
口をそろえて聞き返す男の子たち。
俺は男の子たちに併せてしゃがみ、視線を合わせながら言う。
「そうだ。さっき言ったろ? なぜ覗きには罪悪感が伴うのか? それは覗きが罪だからだ。でもな、逆説的に考えると、もしその覗きに罪悪感が伴わなかったら? そうさ、それは罪じゃない。讃えるべき神聖な行為だ。清濁併せのむ、大人ってやつなのさ!」
「む、むちゃくちゃな……」
「いいや、むちゃくちゃなんかじゃないさ。ほら、見てごらん」
俺の合図で、また全員でナツの水浴びに目を向ける。
「綺麗な裸体だろう? ほどよく鍛えられた女体ってのは、動くだけでエロい。筋肉の隆起が原始的な魅力を醸してるんだな。水でタオルが張り付く桃肌、薄くも恥らしい乳房、その先でぷっくりとふくらんださくらんぼ。極めつけは、かぶりつけと言わんばかりのケツだ」
「う、うん……」
「ごくり……」
そうだ。魅入れ魅入れ。
ナツの女体に魅入れ。
ただ健やかに魅入れ。
「こんなに素晴らしい光景に、罪悪感なんかで水を差すのはもったいない」
「そうは言ってもさ……」
「いいから見るんだ。ただ静かに目を開いて、他のしがらみを一切捨てて、心の眼でナツの体を見るんだ」
「心の、眼で?」
「ああ。いいからほら、俺みたいに〝ただ〟見てみろ」
『……』
そしてみんなで見る。
場には、ナツが桶から水を零す音だけが響いている。
春の陽気を含んだ風が、頬を温かく掠めていく。
この時、俺たち男の心は一つになった。
ナツの体に魅入り、それ以外のことをいっさい放棄する。
四人がそれを行えば。
それはもう、四人という形態を取った個の思考、と言っても過言ではないだろう。
タイミングを見計らって、俺は言った。
「女体を覗く時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独りで、静かで、豊かで……」
「……オレ、兄ちゃんの言いたいこと、わかったよ」
「ボクも」
「オレも」
全員が全員、アルカイックスマイルだ。
ああ……わかり合えたんだね。
「ナツ姉ちゃんの裸を見て、悪いことしてるなぁって思ってばかりだからダメなんだ」
「感謝とか、敬意とか、もっと他に感じるべきことがあったはずなのに……」
「ナツ姉ちゃんの綺麗な裸を見て幸せになる……うん、それだけでいいんだ」
「そうさ」
罪は、時にそれを感じる心こそが元凶になり得る場合がある。
「男ならね、女の子の裸を見てただ幸せになりなさい。そこに罪の意識があるようじゃ、まだまだだ。何も恥じることなんてない。ただありのままの光景を見て、微笑んで……ほら、世界はこんなにも満たされてる」
見上げれば、雲一つ無い青空。
蒼穹に浮かんだ太陽が、俺たちを祝福するかのように日差しを注いでくれている。
「そっか」
「そうだね」
「うん」
「ああ、そうだ」
そして俺たち四人は、穏やかな表情でナツの裸を見ながら、声をそろえて言った。
『覗きは別に、悪いことなんかじゃないんだ』
「いや、覗きは悪いことでしょう」
『ふぁっ!?』
なななななななぁっ!!??
背後から即座に返事が返ってきた!?
俺たちは一斉に振り向く。
するとそこには――
「いやはや、ヒカルさんを探して来てみれば……」
げぇっ!? ミナ!?
そう、俺たち男子の背後には、いつの間にかミナが立っていた。
あまりにも簡単に。あっけなく。
「お、おまおまどどどどどど……!」
「おまえはどうしてここにいるのか、ですか?」
「に、兄ちゃん、この人誰?」
俺は混乱極まっていたが、女体を覗いていた場面を見られた子供たちもそれなりに動揺している。
「にしても、まさか我が愚妹を視姦中とは思いもしませんでした」
「ち、違う! 俺たちはただナツの体に感謝の視線を注いでいただけだ!」
「兄ちゃん、声がでかいよ!」
いや、ちゃうねん。
捻り出すべきはそんな言葉ではないとわかっているのだけれど、とりあえず反射的に答えてしまった。
ミナは完全に呆れ顔だ。
「感謝の視線ってなんですかそれ。言い訳にしたってもう少しましなものがあるでしょうに」
「いや、だから――」
「いいですか?」
ミナが溜息混じりに、俺の言葉を遮って言う。
「あなたたちはナツの裸にムラムラきて、みんなして覗いてた。……素直にそれを認めれば、ナツには黙っててあげますが?」
「ぐ、ぐぬぬぬ!」
「ひ、ヒカル兄ちゃん!」
「屈しちゃダメだよ!」
「俺たちは犯罪者なんかじゃない! ただナツ姉ちゃんの裸を見て幸せになってただけなんだ! そうだろう!?」
「この馬鹿野郎どもがぁ!」
『!?』
俺の一喝に、男の子たちみんな仰天。
「何が幸せになってただけ、だ! おまえたちそれでも男かよ! そりゃ俺たちは満たされたかもしれないがなぁ、裸を覗かれる女の子の気持ちを考えたことがあるのか!?」
『さっきと言ってることが違う!!??』
「というわけでミナ! 俺はナツの水浴びを覗いていたと素直に認める! だからこのことは黙っていてくれ! 他の三人についてはバラしてもかまわん!」
「あっ、ヒカル兄ちゃんずるいや!」
黙れ小僧!
こんな状況で卑怯もクソもあるか!
ミナはぎゃーぎゃーと騒ぐ俺たちを見て、腕を組みながらふむと唸る。
「……いいでしょう。今回のことは、ナツには黙っておいてあげましょう。ヒカルさんだけでなく、全員の覗きを秘密にすることを保証します」
「ほんとかっ!?」
「やったぁ!」
ありがとうミナ!
なんだ、ミナっていいやつじゃん!
「ただし――」
ミナがそう言った瞬間。
俺たちの背後にゆらり、と何かの気配が。
あ……。
察した。
これあかんやつや。
「私は秘密にして差し上げますがね……」
寒くもないのに立つ鳥肌。
襟足に痛みが走りそうなほど感じる視線。
そしてこの、周囲に陽炎が昇ってしまいそうな圧倒的殺気。
俺たち男子四名は、猫背になりながらそーっと振り返る。
ゆっくり振り返っても結果は同じなのに。
「あ・ん・た・た・ちぃぃぃぃ!!!!」
案の定、そこには怒り心頭のナツが立っていた。
濡れた体にかろうじて巻き付けられたタオルがとってもエロい……じゃなくて。
タコでもこんな具合にはいかないだろうというぐらいに、顔を真っ赤――を通り越して紅蓮に染め上げながら、こめかみに血管を浮かべて、その身をぴくぴく震わせている。
「あれだけ大声で騒げば、いかに愚妹であろうと気付くでしょう」
ミナのセリフを最後まで聞くことはできなかった。
なぜなら俺は、ナツに殴られて文字通り空にぶっ飛んでいたから。
ああ……お日様が眩しいんだぜ……。
※※※
「信じらんない! ほんっっと最低!」
「はい、ごめんなさい……」
教会の宿舎、お客さん用の一室(俺が教会に担ぎ込まれた時の部屋)で。
俺は、まだまだ顔を赤くして激おこぷんぷんなナツに土下座していた。
傍らではやれやれといった様子のミナが控えている。
ちなみにナツは裸ではなく、とっくの昔に服を着ている。
俺が居て、ミナが居て、ナツが居て。
わけのわからん状況だが、とりあえず今の俺には土下座しかやることがない。
「ま、その辺でいいでしょう」
「よくないよお姉ちゃん!」
「確かによくはありませんが、でも、堪えてもらわないと話が進まないでしょう?」
「むぅぅぅ……」
ナツは思いっきり不機嫌な声を出していたが、しぶしぶといった様子で「もう土下座やめていいよ」と言ってくれた。
「い、いや、ほんとにすまんかった。ナツの裸が素晴らしくてつい出来心で……」
「ヒカルさん、話を蒸し返すようなことを言わないでください。ほら、ナツも拳をおろしなさい」
また虐殺されるところだったが、俺とナツの間にミナが入って止める。
「……で、なんでお姉ちゃんがここに?」
「ヒカルさんを追いかけて来たんです」
「ヒカルを? どういうこと?」
「それは……」
「俺から話すよ」
さっきまでの騒動は置いといて、だ。
ようやくまじめな話ができる。
「でもその前に、一つ聞いていいかな?」
「なんです?」
「二人は姉妹なのか?」
『そうです/だよ』
二人が同時に答えてセリフが被ったが、姉妹は気にした様子も無い。
そっか、やっぱり二人は姉妹だったんだな。
いろいろ聞きたいけど、でもまずはナツに事情を説明しておこう。
「わかった。じゃあその……ナツ、信じられないかもしれないけどさ」
「なに?」
「実は俺、この世界の人間じゃないんだ」
そして俺は、ナツにこの世界に訪れたきっかけから今に至るまでをすべて話した。
ミナの儀式によって召喚されて、そのミナから逃げて、この街に流れ着いて。
ナツは最初「まさか」と疑ってきたが、ミナのフォローによって、最後には俺が異世界人であるということを認めてくれた。
「はぁー……なるほど。ヒカルはなんか普通の人と違うと思ってたけど、そういうことだったんだねぇ。それにエンペラースライムを倒した時のあれ……邪印だったんだ」
「うん、まあ」
ナツはベッドに腰掛けながら、俺をしげしげと観察する。
改めてそんな風に見られても、なんも変わらないけどな。
「ごめんね、お姉ちゃんが迷惑かけて」
「いや、いいよ」
良くは無いけどさ。
今のところなんとかなってるし、ナツが謝ることじゃない。
「ていうかお姉ちゃん、どうしてヒカルを脅すようなマネしたの? 一緒に暮らしてたんなら、ヒカルがいい人ってわかってるよね? ヒカルに村の事情とかバレちゃったなら、なんで素直にお願いしないの?」
「あの時は……村のみんなの手前もあったし……。それに、あの状況でさっきの話は嘘です殺しません、なんて言ってもますます怪しさが増すばかりだし……」
ん?
なにやら初めて見るミナの表情だな。
困ってる、というかばつが悪そうだな。
ていうかその物言い、まさか……。
「……あのさ、ミナ」
「はい?」
「ミナは俺を利用するために、最悪殺すことも厭わないみたいなことを言ったけどさ」
「はい」
「それは本心じゃなかったってことなの?」
俺の言葉に、ミナは溜息を一つ。
そして言う。
「本心ですよ。しかし、もっと平和的に迫れなかったものかという後悔はあります。恐怖に縛られた協力より、友好の気持ちで力を貸してもらったほうが、気持ちがいいに決まっているでしょう」
「……そっか。なら、言うこと聞かないからって、俺をすぐ殺したりしないか?」
「しませんよ。あんなのハッタリです」
ハッタリと来たもんだ。
そのハッタリに俺は体の芯から凍り付いていくような恐ろしさを感じたもんだが……いやはや、もう言うまい。
「村に連れ戻したりは?」
「村を出た今となっては意味がありません」
「じゃあなんで俺を追いかけて来たんだ?」
「あなたと話をするためです。それと、謝罪も」
ミナは俺の正面に立ち、眉をハの字に曲げた、珍しく申し訳なさそうな表情をつくって言った。
「あなたに村の総意がバレて焦り、あなたの優しさを裏切るようなマネをして申し訳ありませんでした」
「……ははっ」
「?」
肩から、足から力が抜けた。
背後に置いてあったイスにどかっと腰掛ける。
何も意識しなくても笑ってしまう。
「どうされました?」
「いや、もう逃げなくていいんだと思ったら、な」
それだけじゃない。
脳裏によみがえってくるのは、ミナとニルベ村で過ごした穏やかな日々だ。
たしかにミナは、巫女としての使命を背負った女の子なんだろうけど。
でも、安らぎに満ちた毎日の中で見せてくれた彼女の表情が、一度は嘘だと思った彼女との生活が、嘘だけで作られたものではないと知って。
なんだか肩の荷が下りた。
というか、それを認めたくなかった俺の中の変な意地と折り合いをつける必要が無くなったことに対する安堵というか……ああもうどうでもいい。
とりあえず安心したってこと。
「ふむ……よくわかりませんが、私のことについて納得してもらえたなら幸いです」
「うん。幸いだ。話し合いだったら俺の望むところだし」
「そうですね。私とヒカルさんは、村の――ひいては私の使命と邪印について深く話し合う必要があると考えます。ですがその前に……」
「?」
なんだ?
ミナがナツに向き直る。
そのじっとりとした、批判を湛えたような視線を向けられたナツは、「うっ」と後ずさっていく。
「ナツ、今までどこをほっつき歩いていたんですか? 巫女として使命を放り出して」
「え? 巫女?」
思わず口を挟んでしまう。
ミナが巫女ってのは聞いたけど、ナツも巫女なの?
「そうです。ナツは私と共にニルベ村に生まれ、幼少のみぎりより巫女としての修行に励んでいました。いつか世界を滅ぼすとされている〝滅びの使徒〟への対抗策――邪印を纏って邪神となるために」
なんとまあ。
「ですがナツは、時折この街に下りて、ギルドに所属して戦闘の訓練を積んでいるうちに変わってしまいました。大局を見据える眼を失ってしまったのです」
「大局とか!」
ナツの大きな声。
「あたし、村の考えを否定するつもりはないよ。でも、いつ現れるかもわからない〝滅びの使徒〟ってやつのために、本当に使い物になるかどうかもわからない邪印のための修行を積んでるだけなんて嫌だったの」
ナツは自分の両手をじっと見る。
「村から出て、街でギルドに入って、わかったんだ。この両手で武器を振るうだけで救われる命が、目の前にあるってことを」
「私もあなたの考えを否定することはしません。ですが、眼前の小事に囚われてしまっていては、世界を救うことなどできません」
「病気で苦しんでる人や貧しい人たちを、小事なんて言うのはやめて!」
「そういった人たちが〝滅びの使徒〟に滅ぼされては意味が無いでしょう」
二人の口論は熱を帯びていく。
二人とも、自分が正しいと思う意見を主張している。
割って入ることができなかった。
どちらの言い分もただしいと感じたから。
「それに、こうやって教会にも入り浸っているようですね? あなたは知っているでしょうに。私がどれだけイグナ教を忌み嫌っているか」
「あたしは別に嫌いじゃないし! なんでお姉ちゃんに遠慮しなくちゃいけないの!」
どっちも頭に血が上っているようだ。
だんだん内容が理性的でなくなっている。
「もう! お姉ちゃんなんか知らない!」
「待ちなさいナツ! まだ話は――」
「したって無駄だよ! どうせわかってくれないんでしょ! じゃあ!」
「こらっ!」
結局、またナツは激昂してしまって、部屋の扉をぶち抜かんばかりの勢いで出て行ってしまった。
「……いいのか? 追いかけなくて」
「今追いかけて、うまくいくと思いますか?」
「いや」
「でしょう」
「……座れば?」
「ええ」
ミナは大きく嘆息しながら、目頭を押さえつつベッドに腰掛けた。
「今、お聞きになった通りです。私とナツは、等しくニルベ村の巫女として生まれましたが、確執がありましてね。呆れるでしょう?」
「そんなことないぞ。ミナにはミナの、ナツにはナツの考えがあるだけだ」
「そう言っていただけると救われます」
ミナの口からまた溜息が一つ。
この場限りじゃないんだろうな。
その様子じゃ、ミナはナツのことについて、もうずっと前から頭を悩ませているのだろう。
「あー、なんだ。とりあえず今日はもう日が傾いてるからさ、いろいろ真面目な話をするのは明日にしないか?」
「……そうですね。では、私はそろそろお暇しましょう。宿を探さねばなりません」
「え?」
「もちろん逃げないで、ここに居てくださいますよね?」
「そりゃ逃げないけどさ。泊まっていかないのか? 神父さんに、ミナの部屋を用意してもらえないか頼もうと思ってたんだけど」
今の俺ならお金もあるし、ミナのこともお願いしようと考えたのだが。
ミナは、静かに首を振った。
「私は教会が嫌いなんですよ」
そういやさっき、ナツと言い争ってる時にそんなことを口走ってたな。
「正確に言うとイグナ教が、ね」
「理由を聞いてもいいか?」
「……」
「やっぱりいい」
今の一瞬で、ミナが何を考えたのか知らない。
あるいは何を思いだしたのか、俺には見当もつかない。
だが、拳をぎゅっと握りしめながら、神妙な表情で俯いたミナに、それ以上何かを語らせるなど俺にはできなかった。させたくなかった。
「なあミナ、やっぱりおまえ、泊まっていけ。今から宿取りなんて面倒だろ」
「だから私は――」
「おーい! 誰かいるかー!」
「ちょっと!?」
ミナの制止を振り切り廊下に出る。
大声で呼びかけると、ほどなくして「はいはーい」とケイさんがやってきてくれた。
女の子たちと出かけていたケイさんは、俺がナツにしかられる直前に戻ってきて、さっきの部屋にミナとナツを通してくれたのだ。
「どうしたの? 修羅場は終わったのかな?」
「だから修羅場じゃないですって」
「大丈夫。皆まで言わずとも、全部わかってるよ」
「違うって! 聞けや!」
思わずタメ口で突っ込んでしまう。
あいっかわらずこの尼(←二重の意味で)人の話聞かねぇな。
「いやいや、否定しなさんな。私にはわかる。私にはすべてわかってる。きみも男の子だから、ここに来るまでに恋愛の一つや二つこなしてたって、二股かけてたってなんらおかしなことはない。さっきはナっちゃんの裸覗いてたって言うし」
その話を持ち出されると反論できないから困る。
ちなみに俺と男の子たちはすでにケイさんからもお説教を食らっており、俺はナツから更なる折檻を受けるため免除されたのだが、男の子たち三人は今もなお宿舎の裏手の木に蓑虫スタイルで吊されてます。
O☆SHI☆O☆KIってやつだね。
「そうやナっちゃんはもう帰ったのかい?」
「ええ、ついさっき。それでケイさん、実はミナをここに泊めてやりたいと考えてるんですけど……」
「ミナちゃんって、ナっちゃんのお姉さんなんでしょ? 別にいいよ。神父様だって反対はしないでしょう」
「本当ですか? ありがとうございます」
「にしても……ねぇ……」
「?」
なんだかケイさんが不機嫌そうな顔をしている。
「あのさぁ」
「な、なんですか?」
「ヒカルくんがわけありなのは今に始まったことじゃないし、ナっちゃんやお姉さんのことについてもあんまり深くは聞かないけどさぁ、一つだけ言わせてもらっていい?」
「ど、どうぞ」
するとケイさんは、思いっきり息を吸って、俺に浴びせかけるような大声を上げた。
「おまえノンケかよぉ!? ミロクくんとやらはどうしたんだよぉ!?」
「ミナの部屋は用意してもらえるんですね? じゃあついでに夕食もお願いします。いいですよね? ありがとうございます。では」
「人の話聞けよぉ!」
あんたがそれを言うかあんたが。
あの状態のケイさんに関わってもろくなことにならないからな……。
俺はわめき立てるケイさんに背を向けて、ミナのいる部屋に戻って扉を閉めた。
ケイさんも大概不機嫌そうに叫んでいたが、ミナはミナで俺のことを睨んでいた。
怖ぇーよ。やめれ。
「部屋、用意してくれるってさ。ついでに晩ご飯も」
「頼んでませんが」
「まあその、イグナ教が嫌いってのはわかった。だから教会が苦手なのも。だけど、別に神父さんとかケイさんとか、ましてや子供たちに何かされたわけじゃないんだろ? ここにいるのはみんないい人たちばかりだ。変に意固地になってると疲れるぞ?」
「……」
ミナは答えなかった。
が、結局泊まっていくことにはしたらしい。
その後、俺は教会のみんなにミナを紹介して(ナツの姉で辺境暮らしということ以外ははぐらかしたけど)、みんなで仲良く夕餉を囲んだ。
ナツはほとんど喋らなかったが、不機嫌そうに振る舞って空気を壊すようなことはしなかった。
やがて夜。
何を勘違いしやがったのか、ケイさんはベッドが二つある客間を用意して、俺とミナに宛がった。
つもる話と気持ちがあるでしょう、とかなんとかのたまってた割に残念そうな表情だったのは、まだ俺×三六九を諦めていないからとみえる。
ミナは嫌がるかと思ったら、普通に俺との同室を受け入れた。
俺が襲うとか思わないんだろうか?
いやそれ以前に、この状況に対してちょっと捨て鉢になってるんだろうな。
なんか放っておけない雰囲気だったから思わず泊まれなんて言ったけど、嫌いな教会に置いておくのはさすがに無茶だったか?
「……ミナ、起きてるか?」
「……なんです?」
暗闇の中。
ベッドに横になったまま小声でミナに話しかけると、彼女はまだ寝ていなかった。
「眠れないのか?」
「いえ。考え事をしていただけです」
「なんか悪かったな。無理矢理泊めて」
「ここまでしておいて、今更何を言うんですか」
あ、ちょっと笑ってくれた。
よかった。
すっごい不機嫌ってわけじゃないみたいだ。
「考え事ってのはナツのことか?」
「……」
当たりだな。
「……実はさぁ、俺にも妹がいるんだよね」
「そうなのですか?」
「うん。で、実はその妹と昔ケンカしちゃったことがあってね」
「はあ」
「よく考えたらほんとうにくだらない、原因が思い出せないぐらい些細なことがきっかけのケンカでさ。謝ろうと思ったんだ。だけど、もう謝れないんだ」
「……もしかして妹さんは、お亡くなりに……」
「いや、元気だぜ?」
「ちょっと」
さすがのミナでもツッコミ待ったなしだった。
そりゃそうだ。
しかし、別にからかったわけじゃない。
この話には続きがある。
「でも謝れないんだ。いわゆる、記憶喪失になっちゃったんだなこれが」
「記憶喪失? ……ヒカルさんのことを忘れてしまったのですか?」
「ま、近いかな」
「それで〝謝れない〟と……」
「うん」
妹は今でこそ元気だが。
もう、俺とケンカした妹は、どこにもいなくなってしまったわけで。
「仲直りって、タイミング逃すと難しい。どんなに言われたって、あの時に謝っときゃよかったって心の底から思った」
「……」
ミナは黙って俺の話を聞いている。
「ミナとナツの場合、その……使命ってやつに対してそれぞれの主張があるわけだから難しいと思うけどさ。でも俺は、せっかくの姉妹なんだから、二人が手を取り合って協力してるほうがいいなって思うよ」
「手を取り合って、ですか」
「うん。どっちかが悪いわけじゃないしな。ミナだって、ナツが協力してくれたら嬉しいだろう?」
ナツはしばらく何も言わなかったが……。
「あの子は……」
「うん?」
「あの子がいつまで経っても私に賛同してくれないのは、気付いてるからかもしれませんね」
「気付いてる、って何に?」
「私が巫女としての使命より、復讐を強く望んでいることに……」
「復讐? どういうことだ」
「……なんでもありません。もう寝ましょう」
それで会話は終わった。
復讐、か。
どういうことかわからないが、まあ、今はいい。
一緒に行動していれば、そのうち話してくれる、かな?
にしても復讐ねぇ。
また疲れそうなものを抱えてらっしゃる。
もしかしてイグナ教を嫌ってることと、何か関係があるのかな?
まださっぱりわからないけれども。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
こうやって声をかけ合ってミナと寝るのはニルベ村以来だな。
なんてことを考えているうちに、いつしか俺は眠っていた。
※※※
翌日の朝。
井戸水で顔を洗って部屋に戻ると、ミナが神妙な面持ちで俺を待っていた。
「さて、昨日おっしゃられた〝真面目な話〟についてですが」
「早いな。もうかよ」
「時は金なりです」
そりゃそうだけどさ。
「……で、結局ミナは、俺にどうしてほしいんだ?」
「邪印を宿したあなたに私が望むこと。それは〝滅びの使徒〟捜索の旅へ加わって頂くことです」
「旅に、ねぇ。要はその滅びの使徒とやらを探して、先にとっちめようってわけ? 当てはあるのか?」
「あります。とても曖昧模糊とした、無いよりはまし、といった程度のものですが」
まあ、あるにはあるんだな。
でも――
「旅に加わるだけじゃ済まないだろう? 俺に邪印を使って何をしてほしいんだ?」
「邪神となったあなたに望むのは、いつか出会うでしょう滅びの使徒の抹殺です」
「……滅びの使徒って人なのかな?」
「わかりません」
「わからんのかい」
人か魔物か。
はたまたそいつこそ邪神にふさわしいって言うような化け物みたいなやつか。
この世界を救う旅ってのは別にいいけどさ。
その果てに待ってるのが殺戮って展開に、俺はついていけるのか?
誰かを殺すことで世界を救える、って選択肢を突きつけられるようなことになったら、果たして俺はどうするんだろうな?
「……ま、考えてもしょうがないか」
そんなもの、今の俺に判断できるわけがないでしょう。
本当にどうなるかわからないのだから、ミナの望みを無碍にするのもなんか違う。
「とりあえずさ、一緒に旅してみようか」
「本当ですか?」
「うん。どうなるかなんてまるでわからないし。それに、なんとなくだけど、ミナと一緒に居ると見つけられるような気がするんだ。帰る方法とか、そもそも俺がこの世界に呼ばれた理由とか、さ」
「ヒカルさん……」
なぜ俺はこの世界に来た?
なぜミナに喚ばれた?
なぜ俺なのか?
なぜ邪印を宿したのか?
考えても考えても切りがないのは、考えているだけだから。
だったら行動してしまえば手っ取り早い。
当たって砕けてまた当たる。
そのほうが効率いいでしょう。
「ま、改めて言うのも変な感じだけど、よろしくな、ミナ」
「ええ」
俺たちはどちらからともなく手を差し出して、握手を交わした。
ミナはまだ、俺に黙っていることがありそうな気配だけれど。
もう裏切られたりするようなことはないだろう。
かなり適当だけど、なぜかそんな予感がするのだった。
「さて、さっそくですがヒカルさん。街へ行きましょう」
「ん? いいけど何するんだ?」
「路銀稼ぎです」
「え? お金無いの?」
「逆に聞きますが、どうして私がお金を持っていると考えたのです? さすがに無一文ではありませんが、宿に何日も逗留できるほどの蓄えはありません」
たしかにニルベ村に住んでるだけじゃ、儲かるような気がしないな。
あそこは基本的に自給自足って感じだったし。
「じゃあ、ギルドにでも行ってみるか?」
「ギルドというと、ナツが所属している?」
「ああ。ミナの実力なら問題無いだろ。俺が紹介してみるよ。それに、ギルドで管を巻いてりゃそのうちナツと会えるだろうし」
「……ま、稼げるなら文句はありませんね。案内をお願いします」
俺は神父さんやケイさんに断って、ミナと共に街へと繰り出した。
ついでに神父さんに生活費(昨日ギルドでもらった金だ)を渡し、しばらくミナも一緒に面倒を見てもらえないか頼んだところ、快く了承してくれた。
最初は生活費の受け取りを拒否されたが、俺の良心が許さないので強引に受け取ってもらった。
いくらバステロリッチ氏からの寄付があると言っても、さすがにお世話になりっぱなしはダメだろう。
そのためにギルドに入ったわけだし、むしろ生活費を受け取ってもらわねば困る。
「ヒカルの紹介なら問題無いだろう。ちょうど仕事があるんだが、やってみるか?」
ミナは、ギルドですぐに受け入れられた。
ナツの姉ってのがポイント高かったらしい。
ロキさんはさっそく魔物討伐の仕事を回してくれて、もちろんミナは大活躍。
クールに淡々と任務をこなすミナはすぐに話題になり、ナツ同様、ギルド内の人気を占領することとなった。
「ちぇー、俺いいとこ無かったなー」
「まあ、邪印の力が無ければあんなものでしょう」
俺とミナは、ベーツェフォルト公国城下町周辺の街道を歩いていた。
二人でこなしてきた小規模の任務の帰り道だ。
農耕地区を荒らす大型の狼が出るんで根城ごと追っ払ってくれ、という仕事だったんだが、ミナがあらかた一人で片付けてしまった。しかも時間をかけずに。
「ふむ……」
ミナは歩きながら、彼女の主武装である〝人造神器――魔本の断片〟を一つひとつ手に取り、様々な角度から眺めて問題が無いかをチェックしている。
「なあ、思ったんだけどさ、人造神器って何?」
「おや? まだ知りませんでしたか?」
「ああ。国が保管してる神器については神父さんから聞いたけど、魔法使いが使う人造神器ってのはよくわからないな」
「そうですね……ではせっかくなので、軽く教えて差し上げましょう」
「言ってしまえばこれは杖ですね。太古の魔法使いが術式を安定させ、より強力な魔法を速く放つために使っていたクラッシックタイプの杖と、まったく役割は変わりません。最初は絶大な力を持つ神器を真似て作られたことから、いつしか人造神器と喚ばれるようになりました」
「なるほど」
魔法使いでいう、魔法の杖みたいなやつか。
そりゃ、神器なんてすごいものが世界にあったら誰もがお手本にするところだろう。
「ミナの場合、その鉄板一つひとつに術式が刻まれてるんだっけ?」
「そうです。それを組み合わせて様々な魔法を放ちます。汎用性に重きを置いた装備ですね」
なるほど。
たしかナツの人造神器は〝昇竜混〟だったっけ?
あれはどう見てもパワー重視っぽいよなぁ。
「魔法使いにとって、人造神器は己を強化するための道具、というだけでなく、一人前の魔法使いである証明にもなるのです」
「どういうことだ?」
「魔法使いは自分に合った人造神器を自分の手で生み出して、初めて一人前と認識されます。つまり、自分の人造神器も持っていない者は立派な魔法使いではない、ということですね」
「そんな風潮があるのか」
まあ、魔法使いと杖は切っても切り離せないイメージだし。
杖も無いのに魔法使いって言われてもピンとこないのはしょうがない。
「ですが昨今は、人造神器といえば魔法使いのもの、という認識は無くなりつつありますけどね」
「なんで?」
「作った人造神器を、便利なアイテムとして一般の人々に売ったりすることが増えたからですよ」
「ははあ」
うん、高額で取引されてるのが容易に想像できる。
「そういった行為は、昔は蔑まれたりもしたものですが、今ではそんなこともあまりないでしょう。おかげで魔法の効能とその恩恵は、限定的ではありますが、魔法使いだけでなく一般の人々にも広く普及することとなりました」
「あれ? でもちょっと待ってくれ。人造神器って、魔法の発動を助けるためのものなんだよな? 普通の人たちがそんな簡単に魔法を使えるものなのか?」
「使えません」
ですよねー。
ああ、限定的ってそういうことか。
「ですが、その人の素質――魔力に任せて発動できる簡単な術式を刻んだものならば、見込みのある人は自由に使うことができます。そのために少しずつ、市場に流れていったのでしょう」
「なるほど。誰もが魔法使いになれるわけじゃないけど、素質のある人は人造神器の助けを借りて魔法が使えるかも、ってことか」
「はい」
魔法って便利だしなぁ。
みんなが憧れる気持ちはわかる。
「そうだ。だったら俺も、人造神器を使えば魔法が使えたりするんじゃないか?」
実は、ニルベ村にいた頃、ミナにせがんで魔法を教えてもらったことがある。
だがその時は、いくらがんばっても何も起こらなかったんだよな。
「ふむ……試してみますか?」
そう言いながらミナが懐から取り出したのは、金属の腕輪だ。
あれ?
なんかそれ、どっかで見たことあるな。
「今まですっかり忘れていましたが、これはあなたとナツが戦ったエンペラースライムが核にしていた人造神器です」
「ああ! あの時の!」
なんかミナが拾ってるなー、とか思ってたが、どたばたしていたせいですっかり記憶から抜け落ちていた。
「拾いもので銘もわかりませんが、あのエンペラースライムを見た限りでは、水化とか再生とか、そのあたりの能力を宿した人造神器でしょう。使える魔法は限られていると思いますが、つけてみます?」
「お、おう」
なんかいきなりな展開にドキドキする。
そして俺は、ミナから受け取ったそれを、ゆっくりと腕にはめて――
「!?」
「うわっ!?」
バギィィィンという、金属の弾ける音。
辺りに一瞬だけ迸った紫の波動。
それは、今し方ミナから受け取った腕輪が、俺の腕にはまった瞬間、粉々に弾けて砕け散った音と輝きだった。
「ななな、なんだよ今の!? 壊れちまった!?」
「あーあ、やっぱり」
「やっぱり!?」
どういうことだ?
「おそらくヒカルさんが魔法を発動できなかったり、ましてや人工神器をこんな風にしてしまうのは、邪印が関係しているのでしょう」
「邪印が?」
「ええ。原因は定かではありませんが、普通の術式の組み方だと拒絶反応のようなものを起こしているように見受けられます」
「うええ、じゃあやっぱり俺は、普通の魔法使いにはなれないのか?」
「はい」
即答されて軽くへこむ。
せっかくファンタジー世界なのに……いやまあ、邪印とか背負ってますけど。
「にしても、まさかここまで極端な反応を示すとは……やはり売りさばいて路銀の足しにするべきでしたか」
「……」
ミナって意外と金に意地汚いのな。
「とにかく、まずは邪印を操れるようになることが先決ですよ。もっとも、その方法も未だわからないせいで、今日の狼狩りも私が活躍するはめになったわけですが」
「ピンチの時とか、ほんとにごく稀なタイミングでしか発動してくれないからなぁ」
先はまだ長いということか。
とほほだぜ。
まあいい、地道にいこう。
そんなことを話しながら、俺とミナはギルドに帰還し、みんなに温かく迎えられた。
ナツは今日もいない。
ちょうどミナと仲違いした日以来、ギルドには顔を出していないらしい。
「大丈夫だって。またすぐ会えるさ」
「……」
ミナは何も言わなかったが、さすがに心配になってきたのだろう。
その表情には明らかに不安が滲んでいたが、俺はなんとか励ました。
そして――
報酬を受け取って、教会へ帰る途中。
ミナと並んで通りを歩いているところで、その声が聞こえてきた。
「おおおおっっ!? そこにいらっしゃるのはヒカルさんっ!?」
「え? バステロリッチさん?」
俺たちの脇で急停止した馬車から慌てた様子で飛び出してきたのは、でっぷりお腹と低い背丈が目立つかの貴族さんだ。
「よかった! ちょうどあなたを探していたのですよ!」
「俺を? いったいどうしたんですか?」
「おおお、落ち着いて聞いてください!」
いや、あんたがね。
などと茶化すことはできなかった。
バステロリッチ氏が次に放ったセリフが、あまりに唐突で予想外で、笑えない内容だったから。
「教会の子供たちが……盗賊にさらわれてしまったのです!」
それでは、また一週間後をお楽しみに!
食べるラー油おいしすぎる…!