四話
クリスマス目前!
後書きのクリスマスプレゼントも忘れずに!
【第四話】
一人の女の子が、柄の悪そうな男たちに囲まれていた。
男たちは全員が強面で、小柄な少女を忌々しげに睨みつけている。
だというのに少女は涼しい顔をしていた。
「オレらのどこが小物だってぇ!? あぁん!?」
「普通に買い物してただけだろコラァ!」
「普通に買い物、ねぇ……」
少女はがなり立てる男たちを見回し、くすりと笑う。
「大の男が五人がかりで果物屋さん脅しちゃって、それのどこが普通だって言うのさ」
「脅してなんかねぇよ! 向こうが勝手にタダにしてくれたんだ!」
「なぁオヤジぃ!」
男の一人が振り返り、大広場を囲むように集った人々の中にいる、一人の禿頭の男性を見る。
禿頭の男性は観衆の最前列で、男の鋭い視線を浴びて萎縮した。
少女はその様子を見て、呆れたように嘆息する。
「はいはいわかったよ、もういいや」
「あぁん!? てめぇがオレたちにケンカふっかけたんだろうが!」
「もういいやで済まされると思ってんのかコラァ!?」
「そういう意味じゃなくてさ」
そして少女は、緩やかな動作で拳を構え、強い眼差しで言った。
「ご託はいいからかかって来いって言ったの。あたしのケンカもタダで買いなよ」
「な……こいつ!?」
うわやべぇ!
事の成り行きをぼーっと見てしまったが、このままじゃあの子やられちゃうぞ!
めちゃくちゃかっこいいこと言ってるんだけど、でも無理だ。
いくら腕に覚えがあっても、さすがに大人五人が相手じゃ腕力で負けちまう。
魔法使いってんなら話は別なのかもしれないが、魔法を使うそぶりなんてまったく無いし……って考えてる場合じゃねぇ!
俺は物見台にしていた空樽から飛び降りて、野次馬の列に突貫した。
ごめんなさいすいませんと謝りまくりながら、おっさんの、ご婦人の、子供の脇を強引に抜けていく。
やがて、最後の一人を躱してようやく群衆を突破した時、聞こえた。
生々しい殴打の音と、人が倒れ伏す音が。
少女が男に殴られ、大広場に横たわった音だ。
いや――違った。
「な、なにぃ!?」
「馬鹿な!?」
地に四肢を投げ出しているのは男。
俺の見間違いでなければ、少女が信じられないスピードで接近し、男の顎を強烈な右ストレートで殴り抜いていた。
「シッ!」
「うわっ!?」
そこから先はあっと言う間だった。
少女はボクシングのように拳を構えながら、素早く二番目の男に接近して再び右ストレートを振るう。
顎を打ち抜かれた男はもんどり打って昏倒した。
続く三番目の男が右側面から襲いかかるものの、少女は足の前後を入れ替えて――つまりスイッチして左ストレートで迎撃。顎を粉砕。
四番目の男が背後から奇襲をかけるが、ほとんど見もせずにバックハンドで顎を破壊してしまった。
つ、強い!
この子めちゃくちゃ強い!
「このやろおおおおっっ!!」
「シッ!」
最後の男が雄叫びと共に少女に殴りかかった。
だがそれは、少女の洗練された体術に比べてあまりにも稚拙だった。
あれだけ鋭い突きとフットワークを見せた少女が、こんなものをもらうはずがない。
案の定、少女は男の懐に潜り込みながら、強烈なアッパーカットをお見舞いした。
「ごふぁっっ!?」
拳で顎を貫かれた男の体が宙に浮き、地面に墜落。
五人の男を問題無く薙ぎ倒した少女は、構えを解除してニッと笑った。
「まいどあり」
その瞬間、一部始終を見ていた野次馬たちから歓声が上がった。
「うおおおおお!!」
「いいぞお嬢ちゃーん!」
「ははっ……」
少女がやられてしまう、と思っていた俺の口からは、安堵の興奮と笑いが零れた。
すっげぇ。
すっげぇ。
すっげぇしか言えねぇ。
「えーっと……あった」
少女は拍手喝采を浴びながら、倒れた男たちのうち一人に近づき、彼が腰にぶら下げていた袋を取る。
それを持って、先ほど男たちに呼ばれた禿頭の男――果物屋さんの店主らしい人に歩み寄った。
「はいおっちゃん、りんご返すよ。この人たちには要らなくなっちゃったから」
「え?」
「しばらくはスープぐらいしか飲めないんじゃない? あの顎じゃ」
少女は、少女によって顎をやられた背後の男たちを親指で刺しながら、ニッと笑う。
そんな少女に、果物やの店主はようやく笑みを浮かべ、ありがとうとお礼を述べるのだった。
周囲の拍手喝采がさらに強まる。
……か……。
かっこいいいいいいいいっっ!!!
なにそれなにそれ!?
しばらくはスープぐらいしか飲めないんじゃない? あの顎じゃ。
とか俺も言ってみてえええええええええええっっっ!!!
ていうかね、もうあれだよ。
戦う前のくだりからかっこよかったし戦闘中も凛々しかったし、言うことなし!
パーフェクト、正義の人!
すごいなー! 憧れちゃうなー!
こういう人っているんだ実際に。
ファンタジーの中のやりとりだと思ってたけど……って、今俺はファンタジー世界にいるんだった。
ううむ、それにしてもすご――
思考が中断された。
俺の視界に飛び込んできた〝それ〟を見て。
少女がやつけた五人の男。
そのうちの一人が、地面に俯せに倒れたまま、ものすごい形相で少女の背中を睨んでいる。
その男はおもむろに腰に手を伸ばし、そこから逆手でナイフを抜き放った。
そして、周囲の誰にも悟られぬよう、ゆっくりと腕を体の前に回していく。
直感でわかった。
こいつ、また少女に襲いかかる気だ。
しかも今度は殺すつもりで。
背後から素早く、奇襲をかけて。
観衆は皆、果物屋の店主と会話する少女に注目している。
俺だけが、ナイフを抜いて体勢を整える男の様子に気付いていた。
俺だけが。
なら……俺が!
俺が地面を蹴ったのと、ナイフを持った男が跳ねるように立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
「本当にありがとう。きみはうちを救ってくれた天使だ」
「いやそんなぁ、照れちゃうよ」
頭に手を当ててあっはっはと笑う少女。
先ほどまでの様子とは打って変わって、まったく気が抜けている。
すぐ背後の男の様子にちっとも気付いていない。
くそっ! 間に合え!
「死ねクソガキいいいいいいいいっっ!!」
「!?」
ナイフを持った男が雄叫びを上げたのと、少女が振り返ったのと――
「とりゃああああああああああっっっ!!!」
俺が助走をつけたスライディングを放ったのは、ほぼ同時だった。
「ぐおおおっ!?」
結果として、男のナイフは少女に届かなかった。
男は走り出した直後に俺のスライディングに引っかかって、びたーんと派手に転倒。
ナイフがその手からこぼれ落ちる。
今だ!
「ふんっ!」
「て、てめぇ何しやが――ぐあっ!?」
男が転んで動揺している間に、有無を言わさぬ勢いでマウントポジションを確保。
そして殴る。
どこをって?
決まってる、顎だ。
なぜならこいつは今、顎を負傷してるからな!
「ふんっ! ふんっ!」
「あがっ!? うぐっ!?」
野球部パンチ! 野球部パンチ!
野球拳! 野球拳!
そらそら痛かろう!
ごめんなさいねぇ! しかしこうでもしないと素人の俺は勝てんのですわ!
君がっ!
戦闘不能になるまでっ!
殴るのをやめないっ!
「どりゃああっ!」
「ぎゃあああああああっっ!」
最後に全力の一発を男の顎に叩き込む。
男は痛みでどうにかなってしまったのか、白目をむいて気絶していた。
はぁ……はぁ……やってやったぜぇ……。
わかる、わかるぞこのあとの展開が。
少女が男たちをのした時同様、俺にも観衆からのスタンディングオベーションが待っているのさ。
すごいぞあの少年、ナイフを持って特攻した男を倒した!
あの少年がいなければ少女はやられていただろう!
ってなもんよ、ふっふっふ……。
が。
いつまで経っても拍手はおろか、くしゃみの一つも聞こえてこない。
あれ? と思って顔を上げると、周囲の人たちがさっきよりも一歩退いて俺のことを見ていた。
「おい……見たかあいつ?」
「なんか男が立ち上がって叫んだと思ったら、いきなりそれを蹴倒したぞ?」
「しかもあんなに殴って……」
「確かに乱暴な輩だったが、ちとやりすぎでは?」
あ、あれ!?
おかしいな!?
なんでみんなそんなに冷たいの!?
と――
「うわー! こりゃたまげたよー!」
そんな風に大声を出したのは、少女だった。
少女は男が地面に落としたナイフを拾いながら言う。
妙に棒読みな声で。
「こいつ! ナイフを持ってあたしに襲いかかろうとしてたのかー!」
「なんだって?」
「じゃあ、あの少年はそれを防いだのか?」
周囲のざわつきが一変。
俺に注がれていた不審の目が消えていく。
あ、ありがてぇ!
「あのっ」
俺は男に馬乗りになるのをやめて、少女の前に立った。
すると少女は、俺がお礼を言う前に俺の手を取って……って、え?
おいおい、この子、俺をどこに引っ張っていくんだ?
「行こ」
少女はニッと笑いながら言った。
「たぶんもうすぐ騎士が来る。そうなったらきみとお話できる時間が減っちゃうよ」
「お、おう」
俺は少女に手を引かれるまま、群衆に注目されつつその場を後にしたのだった。
「あたし、ナツって言うの」
「俺はヒカル」
大広場から駆け足で退場した俺たちは今、大通りから細分化された裏路地をテキトーに歩いていた。
石造りの建築物が並ぶ町並みは迷路のようで、あちこちに階段や歩道橋があったりするので方角を把握するのも一苦労だ。
途中、軽く自己紹介を済ませる。
「ヒカルかぁ、ちょっと変わった名前だね」
「外国から来たんだ」
「外国から? どこ?」
「あー、それは……」
ちょっと迷った末に、俺はナツに外国で奴隷をやっていたがこちらに逃げて来た、という嘘の経歴を話した。
どこの国か、というのは曖昧にしてごまかした。あとで妙な齟齬が出ても困るし。
ナツは俺の話にふんふんと相槌を打って、最後にしんみりした顔になった。
「いろいろ苦労したんだぁ。ごめんね、無理矢理話させちゃって」
「大丈夫。嫌じゃなかったから」
「そっか」
「それより俺の方こそ、さっきは助けてくれてありがとう」
「ぷっ。それはこっちのセリフだよ」
ナツはカラカラ笑う。
「あたしのさっきの当てずっぽう、合ってるよね? あいつ、あたしをナイフで攻撃しようとしてたんだよね?」
「う、うん。そうだけど」
さっき俺をかばったのは当てずっぽうだったのかよ。
よく把握したもんだ。
「なら、お礼を言うのはあたしだよ。ありがとうね、ヒカル。きみのおかげで助かっちゃった」
屈託の無い眩しい笑みを向けられて、一瞬時ドキっとした。
この子、よく見たら可愛いな。
ショートカットの、元気系女子って感じ。
てな調子で俺がナツの笑顔に不意を突かれていると……。
「にしても悔しいいいいいっ!」
「うわっ!?」
びっくりした。
ナツがいきなりその場にしゃがみ込んで、がしがしと頭をかきむしり始めたのだ。
周囲に人が居なかったから見咎められることなどはなかったものの、突然の奇行に俺が驚く。
「ど、どうしたんだ?」
「だってさぁ! 悔しいじゃん! ヒカルくんがいなかったらあたし、死んでたかもしれないんだよ? あんなゴロツキどもに後れを取って! くああああ油断してた! ダメだダメだ修行が足りない!」
なるほど、そういうことか。
にしても、修行が足りないときたもんだ。
「ナツは武術家か何かなのか?」
「違うよ」
「え?」
即肯定されると思ったのに即否定された。
ナツは頭をかきむしるのをやめて立ち上がり、俺に向き直ると、ニッと笑いながら言った。
「あたしこう見えて、魔法使いやってるんだ」
「魔法使いぃ?」
「そ、魔法使い。ギルドにも入ってるんだよ?」
「魔法使いぃ?」
「あれ? また確認された?」
「ご冗談を!」
「ええー?」
だって、ありえないだろ。
拳で男五人を倒しちまった女の子が魔法使いて、明らかに間違ってるよ。
どんな魔法少女(物理)だよ。
サブミッションとか得意なの?
「いや、あれだけ綺麗なパンチ見せられたあとに魔法使いって言われても」
「よく言われるけどさー、でも本当なんだよ。魔法使いって言ったって、ちゃんと戦闘しようと思ったら武術に秀でてたほうが楽なんだもん」
「うんうん、理屈はわかる。でも、そうやって魔法と武術を一緒に嗜んでいるうちに、いつしか武術のほうが得意になっちゃったタイプなんだろう?」
「う、それは否定できないけど……」
「やっぱり」
別に魔法使いってのが嘘だとは思わない。
ただ、さっきの戦いを見る限り、この子は典型的なファイタータイプだと思う。
いや、魔法を使うんだから魔剣士……ならぬ、魔拳士タイプか。
「まあでも、ギルドにも所属できるってことは、立派な戦闘力を持ってるってことだ。何はともあれ、ナツは強いんだな」
ギルドについては先日アーロン神父から教わった。
この大陸全土に普及しているギルドという組織は、いわば何でも屋だ。
例えば行方不明のペットの捜索、あるいはどこそこのモンスター討伐の願いなど、人々はギルドに様々な依頼を持ち込む。
ギルドはそれを解決できる所属員を見繕い、派遣するという仕組み。
ゲームなんかでもよく見るアレだ。
誰でも所属できるという訳ではなく、既に所属している者の紹介やある程度の素養を見出されないと入れてもらえないと聞いた。
だったらナツは、間違いなく実力を買われたのだろう。
「いやいや、それほどでもないよ」
頭に手を当ててあっはっはと大仰に笑うのは、彼女が照れた時のくせらしい。
「さっきも言った通り、まだまだ修行不足なんだなーこれが」
「謙遜するなって。それで金稼いでるってことは、立派なプロだ。すごいよなぁ、ちゃんと職持ってて。俺なんかこれから探そうと……あ」
「ん?」
しまった。
ナツのことがあってすっかり頭から抜け落ちてたが、俺はもともと働き口を探して大広場を目指してたんだった。
掲示板を確認するのをすっかり忘れてたぜ。
「ごめんナツ、俺ちょっと大広場に戻るわ」
「ええ? 急にどうしたの?」
「実は俺、仕事を探してるんだ。それで掲示板を確認しようと思ってたんだが……」
「きみ、仕事探してたの? だったらいいのがあるよ」
「え?」
思いもよらぬナツのセリフに驚く。
と――
「な、なにしてんだ?」
「ふんふん」
ナツは急に俺に近寄ったと思ったら、俺の周りをぐるぐる回りつつ、俺の肩や腕、背中や腹などをぽんぽんと叩いてくる。
「合格! きみ、見た目によらずけっこう鍛えてるんだね。これなら大丈夫かな?」
「いったいどういう……」
「簡単だよ」
ナツは楽しそうに、ニッと笑いながら言った。
「きみもギルドに入っちゃえばいい」
※※※
ナツにつれられて訪れたのは、街の東側にある広場だった。
中心部の大広場ほどではないがそれなりの広さがあり、剣や鎧、火薬などを扱う武器商店が軒を連ねている。
その中で、一際大きな建物があった。
石材と木材をメインに作られた二階建ての建築物。
ただ、他の家屋と違うのは、随所に鉄の補強が施されているところだ。
矢狭間の設けられた凹凸の屋根。
そして極めつけに、正面入り口の上部にでかでかと掛かった看板。
『無翼の帳ギルド連合・ベーツェフォルト公国城下町支部』
つまり、この町にあるギルドってわけだ。
ちなみに俺はまだ、看板の一部しか読むことができなかったが、アーロン神父に名称だけは聞いていたのだ。
訪れるのは初めてだが……でけぇな。
「とうちゃーく」
そのままナツに促されて木製の扉をくぐる。
人々の依頼を受け解決するプロの集う場所。
いったいどんな内装なのか、とちょっと緊張しながらドアを抜けた先に広がっていた光景に、俺は意表を突かれた。
「おーい! こっちにビールのおかわりくれぇ!」
「あいよー」
「だっはっはっは! そりゃおめぇが悪い。女が逃げるのも当たり前だぜ」
「うぅぅぅリンダあああああっっ!」
そこは酒場だった。
学校の教室の二倍ぐらいの広さを持つホールに、いくつかのテーブルがある。
そこでは老若男女が楽しそうに酒を酌み交わし、あるいは泣き、その間をミニスカートのウェイトレスが忙しそうに駆け回っている。
「ここが、ギルド? 想像してたのとずいぶん違うような……」
「あっはっは、最初はみんなそう言うね。でも見て。みんな強そうでしょ?」
「おお」
たしかに。
ナツに促されて人々を観察すると、ある者は鎧を纏っていたり、呪紋の刻まれた杖を携えていたりで、皆それぞれに貫禄がある。
「ギルドは人から依頼を受けて、それを構成員が解決するって仕組みだからね。どうしても待ち時間が多くなったりしちゃうんだ。それに、ギルドに所属している人は一定期間内に所属部署に顔を出さなきゃいけない」
「だから、酒場になってるほうが都合がいいのか?」
「そのとおり。まあ、全部の支部がこうってわけじゃないみたいだけど。でも、こっちの方が楽しいでしょ?」
ニッと笑うナツに「ついてきて」と言われ、奥に進む。
「よぉナツ。お、そいつは知らねぇ顔だな。新入りかい?」
「あらナツじゃない。ご無沙汰。そっちの人は新入りさん?」
ナツは途中、飲んだくれている戦士のおっさんやウェイトレスに、親しげに話しかけられていた。
それなりに長くギルドに所属しており、信頼されているということだろうか。
ナツは彼ら彼女らと二言、三言交わし、俺も会釈だけしてさらに奥へ。
「ロキさん、こんにちはー」
俺とナツは、カウンター席に並んでこしかけた。
そしてナツが声をかけたのは、様々な種類の酒瓶が並ぶ棚を背景に料理を作っている最中の、髪の長い中年男性だった。
「久しぶりだな」
低く落ち着いた声。
体はでかい。たぶん身長二メートルぐらいある。
長い髪を後ろで一つ結びにして、筋骨隆々の体をシャツとパンツ、エプロンでラッピングしている。
その顔には、左目を覆うように一筋の傷跡が走っており、はっきり言って強そう。
「紹介するねヒカル。ここのギルドで一番偉い人、ロキさん」
「初めてのお客さんだな。歓迎する。支部長のロキだ」
この人ボスの風格があるとか思ってたら案の定だった。
別に睨まれたわけではないが、視線をもらっただけでなんとなくたじろいでしまう。
「ご、ご丁寧にどうも。俺はヒカルです」
「ヒカルとはさっき友達になったんだ。あたしのこと助けてくれたんだよ」
「ほう」
ロキさんは俺を観察するような目で見たが、それは一瞬のことで、次の瞬間にはふっと笑って手元の炒め物に集中し始めた。
な、なんすか?
その意味深な笑み、気になる……とか思っていたら。
「金を稼ぎたいのか?」
「えっ!?」
ロキさんがチャーハンっぽいものを皿に盛りつけながら不意にそんなことを言った。
俺はすっごいドキッとした。
「な、なんで? 俺はまだ何も……」
「簡単だ。ナツがここに連れてきたってんなら、それなりにタフな部分があるんだろう。だがナツは、誰彼構わずギルドを案内したりしない。案内するのは望む者だけだが、その微妙に緊張した顔は依頼がある風ではない。どちらかと言えば、他人からの評価を気にしている気がある」
ロキさんは近くに居たウェイトレスにチャーハンを手渡しながら言う。
「ではなぜ緊張しているのか? ここを訪れることがきみの予定になかったからだ。最初からギルドに入るつもりならそれなりの高揚や自信が匂う顔つきになってもいい。だったらなぜナツはここを紹介したのか? こいつは当てずっぽうだが、こんな会話があったんじゃないか?」
そしてロキさんはすぅと息を吸って――
「〝実は俺、仕事をさがしてるんだ〟〝だったらいいのがあるよ〟」
と。
俺が何分か前にナツと交わした会話の内容を、俺とナツの〝声真似をしながら〟言い当ててしまった。
繰り返す。
俺とナツの声真似をしながら、だ。
その低く落ち着いた声で。
全然似てないのに。
ナツの部分は裏声まで使っちゃって。
「……どうだ?」
「あ、合ってます」
「ふっ。そうか」
いや、やってることはすっごいかっこいいんだけどね。
ほんとにすごい推理力だよ。名探偵も真っ青だよ。
でもその声マネだけは頂けなかった。
最後のそれのおかげでなんか台無しになっちゃったよ。
おまけに本人はすっごい満足げだし。
「さっすがロキさん! 相変わらずの観察力と物真似力だね!」
「いつもやってるの!?」
常習犯かよ!
さ、さすがギルドの支部長は格が違いますね。
俺には計り知れません。
「きみは運がいいのかもな」
「え?」
ロキさんはエプロンで手を拭き、俺に向き直りながら言った。
「ちょうど募集していた仕事がある。戦闘力が無くてもいいやつだ」
「えー!? ほんと!? タイミングいいなぁ!」
「ナツにも声をかけようと思っていた。体力と人手が物を言う仕事だからな」
「それはすごい! これはもうイグナ様の思し召しだね!」
大はしゃぎするナツ。
たしかに、出来すぎていると言っていいぐらいに順調だ。
仕事を探しに出てこんなにとんとん拍子に事が進むとは思ってなかった。
「あれ? でもその前に、俺に仕事をくれるってことは、俺はギルドに所属することになるんでしょうか?」
「まあ、そういうことになる。だが心配は無用だ。ギルドは君が思っているほど堅苦しい組織ではない。認められれば、誰でも所属することができる。オレから見て、きみは充分合格だ」
「でも俺、何もしてませんよ? 俺としてはありがたいですけど、いいんですか? そんなにほいほいギルドに入れちゃって」
俺のセリフを受けて、ロキさんはふっと笑った。
「きみはもう充分に〝している〟さ。なんせ、ナツの信頼を得たんだからな」
「え?」
「簡単だ。オレはナツを、ギルドの仲間としてそれなりに信頼している。そんなナツが連れてきた少年だ。実際にこの目でも確認できた。歓迎するに値する、と判断した。それだけの話だ」
「は、はあ」
「さっすがロキさん! 話がわかるぅ!」
な、なんかこう、テンポの速い人だな。
ナツものりのりだし、ギルドってのはこんな調子なんだろうか?
ともあれ――
「さて、きみにその気があるならば、向こうの部屋で詳しく話をしよう。ギルドに所属することについてと、今回の仕事について。どうするかね?」
「よ、よろしくお願いします!」
「うむ。いい返事だ」
せっかくのチャンスを棒に振る手は無い。
やったーと大はしゃぎするナツの隣で、俺は起立してロキさんに深々と頭を下げた。
※※※
数日後の早朝。
俺は数日分の着替えとサバイバル必需品が入った皮の鞄を腰に下げ、アーロン神父とシスター・ケイに見送られながらレオニン教会を後にした。
今日は、俺の初仕事の日だ。
「おっはようヒカル! ちゃんと眠れた?」
「なんとか」
途中、どこからともなく現れたナツと合流し、ギルドを目指す。
ギルドの前では数名のおっさん、あるいは青年、お姉さんたちが談笑しており、その数は次第に増えていく。
午前六時の鐘が鳴る頃には、俺とナツを含む二十名のギルド構成員が集合していた。
「よーし揃ったな?」
鎧を装備し、腰に大剣を携えた金髪のおっさんが前に出る。
この人が今回の任務の仕切り役らしい。
「新顔がいるから説明するが、俺はダニー。今日の指揮を執らせてもらう」
「よろしくー」
「なんだおめぇかよ」
「うるせぇ、黙って聞いてろ」
ダニーさんの言葉に数名が茶々を入れるが、任務の説明が始まると誰もがおとなしくなった。
「今回の依頼は、城下町周辺の街道に時折出没するようになった〝エンペラースライム〟の発見および撃破だ。……ヒカル!」
「はいぃ!」
急に名前を呼ばれたのでびっくりして直立不動になってしまった。
そんな俺を見て隣のナツはくすくすと笑っているが、構っている余裕は無い。
「ロキから聞いたが、おまえ、エンペラースライムと戦ったことがあるそうだな?」
「あ、あります。この街に来る途中、森の中の川辺で遭遇しました」
俺の発言に、周囲からおおーと声が上がる。
ロキさんからギルドについて、また今回の仕事について説明を受けた時に、ジャイアントスライム――もとい、エンペラースライムとのくだりは話してある。
そう、俺と三妖精たちを苦しめたあのでかいやつだ。
エンペラースライム。
スライムが一定間隔で形成するコロニーにおいて、もっとも体が大きく、他のスライムに命令を下すことのできる存在をそう呼ぶらしい。
今ダニーさんが言った通りだが、一ヶ月ほど前より、街道近辺にエンペラースライムが出現して通行人たちが襲われる、という事件が時折発生するようになった。
それを見つけてやっつけるのが今回の俺たちの仕事だ。
ちなみにこれは、商業協会のほうから依頼された任務らしい。
最初この話を振られた時は、他の皆に比べて戦闘能力で劣る俺が参加してよいものかどうか迷ったが、ロキさん曰く――
〝一度遭遇している? しかも弱点を突いて逃げて来た? 充分だ。また遭遇したら、今度はナツに知らせて引っ込んでればいい。そしたらあとは仲間たちがやってくれる。きみの仕事はまず、敵の発見を手伝うことだ〟
とのことで。
ま、確かに、こんな俺でもエンカウントのお手伝いぐらいはできるだろう。
そう思い、引き受けてみることにした。
「みんな聞いたか? ヒカルは森の川辺で遭遇したと言うが、実は川辺での被害報告や目撃証言は他の場所に比べて多い。というわけで、我々もまずは川辺を目指す。具体的にはアーノルド川だ」
アーノルド川。
ベーツェフォルト公国城下町の北東に位置する中級河川。
俺と妖精たちが水浸しになった川はその支流だ。
既に教会で予習済みである。
「俺たち二十名で二人ずつの計十班に分かれ、上流を目指す形で索敵移動。エンペラースライム発見時には速やかに報告、全員で討伐にあたる。捜索期間は最長で三日。その間に見つからなかった場合は仕切り直す。以上だ。何か質問は?」
手を挙げる者はいない。
「ようし! では馬車に乗り込め! 眠たいやつは今のうちに寝ておけよ!」
「行こっ、ヒカル」
当然というかなんというか、俺が行動を共にする相方はナツだ。
そのほうが俺としてもありがたいし。
他のギルド構成員たちと一緒に、四台用意された馬車のうち一つに入り込む。
「おまえ、ギルドの仕事は初めてなんだってな? 力抜けよ」
「は、はい」
「ヒカルなら大丈夫だって」
「安心しろ。ほんとは十人で充分なところを二十人だ。間違っても全滅はねぇよ」
馬車の移動は、他の人たちにからかわれているうちにすぐ終わった。
そこから二、三時間後。
俺たちは打ち合わせ通り、十組ずつにわかれて川付近の森の中を進んでいた。
「点呼! 一班よーし!」
「二班よーし!」
「三班よーし!」
川沿いの森の中を、班ごとにわかれて等間隔に進んでいく俺たち。
時折こうやって、点呼で自分たちの位置を確認しながら前進する。
万が一仲間とはぐれた場合や、エンペラースライムを発見した場合は、魔力を用いた特別な合図を送ることになっている。
俺は最初、いつスライム、ひいてはそれ以外のモンスターが現れるかと緊張しながら捜索していたが、いつしかその緊張は次第に溶けていった。
なんせ、何も現れないのだ。
たまにウサギや蛇などを見かけるぐらいで、あとはさっぱり何も出てこない。
「もともとこのあたり、平和なんだよね」
森の中をナツと二人で進んでいるわけだが、自然と雑談が増える。
「見かけるモンスターと言えばスライムぐらいでさ。スライムって言っても強いのにはそうそう当たらないし」
「じゃあ、今回の仕事って珍しいんじゃないか?」
「うん。すごく珍しい。エンペラースライムだって、そこまで大きくなることな無いはずなんだけどね。ロキさんは突然変異なんじゃないかって言ってた」
「ふーん」
ちょっと不安になったが、でも大丈夫だよな?
なんせ俺以外はみんな、ちゃんと戦闘の訓練を積んでる人たちだって言うし。
ま、今更焦ってもしょうがない。
ここはナツたちを信じよう。
「あ、ねぇねぇヒカル」
「なんだ?」
「ヒカルって、女の子の胸を揉んだことはある?」
「は!?」
「あ、その反応でもうわかった。無いんでしょ?」
いきなりなんだその話題は!?
ナツは動揺している俺を見てくすくす笑う。
くそう、なんだかしてやられた感が。
「ギルドのおっちゃんたちに聞いたんだけどねぇ、実はスライムの体って、女の子の胸と似たような柔らかさなんだって」
「ええ? そうなのか?」
「あはは、わかんない。あたしも揉み比べたことがあるわけじゃないしね。でも、こんな話があってさ」
ナツは倒木をひょいと飛び越えながら楽しそうに語る。
「ある青年がいて、その人は女の子とおつきあいしたことが無かったの。で、スライムの体が女の子の胸の感触に近いって聞いて、スライムを揉みし抱くために冒険の旅に出るわけよ」
「あっはっは、なんだそりゃ。笑えるなぁ」
「でしょー? 本当かどうかは知らないけど、その青年はスライムの感触にやみつきになっちゃって、もうスライムを見つけては揉んで揉んで揉んで揉んで……」
「ほお」
ナツには言わないが、その話の青年には少なからず共感するところがあった。
うん、やっぱあの感触いいよね。
俺も初めてスライムと遭遇したときは我を忘れて揉みし抱き、追いかけ回してしまったもんだ。
「……というわけ。ほんと、気持ち悪いよねー」
「うっ!?」
悪気はないんだろう。
しかし、ナツがケラケラ笑いながら放つ罵倒の言葉が俺の胸にぐさっと刺さった。
「スライムの体がどれだけいいのか知らないけどさ、わざわざ追いかけてまで揉むなんてさすがに悪趣味だよ。性癖を疑うよね。変態だったのかな?」
「それ以上いけない!」
「?」
当たり前だが、苦しそうな表情で抗議する俺に、ナツは不思議そうに首をかしげた。
なんてぐだぐだやっているうちに、その日の捜索は終わった。
俺たちは川沿いにテントを張り、交代で見張りをしながら眠ることになった。
おお、野営……。
こういうの、一回やってみたかったんだよな。
毛布にくるまってたき火に当たって……ザ・キャンプ。
見張りとしてはやや緊張感にかけてしまうかもしれないが、俺はそれなりに楽しみつつ仕事に勤しむことができた。
そして二日目が過ぎ、三日目。
その日も朝からエンペラースライムの捜索にあたっているが、目標の姿はどこにも見あたらない。
あっという間に昼になった。
もう数時間で捜索終了である。
「いやーヒカル、すごいよ」
「ん? なんだよ急に」
「初めての、しかも野営しなきゃいけないような任務で全然疲れてなさそうだし、なんの不満も言わないし、こんな人初めてだよ」
「そ、そうかぁ? 普通じゃないか?」
「その普通をやるのが最初は大変なんだって!」
ナツはやや興奮気味だ。
よくわからんが、何か嬉しそう。
「今まで同年代の子がギルドに入ってきたのは一度や二度じゃないんだけどさ、みんなすぐにやめちゃうんだよね。最初は地味できつい任務ばっかりだからかもしれないけど」
「へぇ」
「ヒカルは薪拾いに行くのもご飯の用意するのも見張りやるのも全然苦じゃなさそうだったね。おまけに一日中歩き通しなのに元気でさ」
いやいや何をおっしゃる。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、まだたった三日じゃないか」
「いやー、音を上げる人はすぐに音を上げるからね。なんていうのかな、」
「うん……」
俺の一歩先を歩いていたナツが、木に手をついてくるっと振り返り、満面の笑みを向けながら言った。
「長続きしてくれそうな人が入ってくれて、ほんとによかったよ。これからも友達でいてね、ヒカル」
俺はナツのそのセリフを聞いて、なんとなく理解した。
ナツはたぶん、寂しかったのかな?
いや、寂しいってのは違うかもしれないけど。
とにかく、ギルドって場所はナツにとって年上が多い。
つーか、俺が見た限りじゃナツが最年少だ。
明るくて奔放に見えるナツだけど、それなりに気を張る部分もあるんだろう。
きっとナツは、同年代の友達がほしかったんだろうな。
気軽に話しかけられて、自分に近い感性を持っている、身近な友達が。
だからこそ、偶然知り合った俺にここまで親切にしてくれるだろう。
「こっちこそ。ナツがいろいろやってくれて、ほんとに助かってる。これからもよろしく頼むな」
「うん」
そして俺たちが互いに微笑み合った、その時。
「おーい! ちょっと来てくれー!」
遠くから、ダニーさんが招集を呼びかける声が聞こえた。
「なんだろう?」
「声で呼ぶってことは、緊急じゃないよな? とにかく行ってみよう」
散会していた俺たちギルドのメンバーは、ダニーさんの声に従い川沿いに集った。
「いや、あれを見てくれ」
「おお?」
「あれは……」
ダニーさんが指さした川の先。
そこに広がっていたのは、ピンク色の球体が並ぶ様。
全長三十センチほどのスライムがおよそ二十体、川の浅瀬で水浴び(?)を行っている光景だった。
「まあ、見ての通りただのスライムなんだが、とりあえず倒しておこうと思う。一匹一匹は非力だが、あれほど群れていると一般人には危険かもしれん」
「了解」
「そういうことか」
「あんなに群れるのは珍しいなー」
なるほど。
エンペラースライムではないが、それ以外の脅威も排除しておこう、ということか。
別に反対する理由は無い。
無いが……。
「一班から十班までは待機! 残りの班で頼む!」
「了解」
「あいよー」
「ん? どうしたのヒカル?」
「いや……」
俺とナツは待機組だ。
だから他の班の人たちが、それぞれ剣を抜いたりしながらスライムの群れに近寄っていくのを黙って見ている。
これでいいはずだ。
ダニーさんの判断は間違っていないはず。
なのに、なんだろう?
何か、嫌な予感がする。
「気のせいだ。相手は普通のスライムなんだから、大丈夫だよな?」
「へ? ああ、うん。みんなが負けることは無いと思うよ?」
そっか。そうだよな。
だったら俺は、落ち着いて見てればいい。
先輩たちの仕事を観察させてもらえ。
「にしても、スライムがあんなに集まってるのは珍しい光景だよねー。前に話したスライム好きの青年が見たら飛び上がって喜ぶかも」
「ははっ」
と笑いながら、違和感。
スライムがあんな形で密集するのは珍しい光景?
だったらそれは、どういうことなんだろう?
水辺にたむろするスライムたち。
それに近づいていく先輩のギルド構成員たち。
そしてスライムが皆の接近に気付き、向き直る。
ギルドのみんなが、小粒のスライムたちを円形に包囲する。
「よっしゃ、一気に行くぞ」
「油断すんなよー」
それぞれが剣や弓、杖といった得物に手をかけ、あとは攻撃を加えようか、といった段階になって――
「!?」
俺は気付いた。
浅瀬で体の半分程度を水に浸らせてるスライムたち。
スライムたちの下半身の透明度が、他の部分に比べて高く、水に接している部分は、もはや完全に透明になっていることに。
「ナツ!」
「うわびっくりした!? な、なに?」
「スライムって水に溶けるか!?」
「え? ど、どういうこと?」
「スライムって水に溶けたりはするのか!?」
急にナツを問いただし始めた俺に、周囲の人々もきょとんとしている?
「そ、それってヒカルが話してくれたエンペラースライムのこと?」
「違う! 普通のスライムだ!」
「ええと、普通のスライムは水と融合したりはしないんじゃないかな? ヒカルが戦ったエンペラースライムは、特別なんだと思うよ」
つまり。
つまりそれって、今目の前にいるスライムたちは……ああくそ。
わかってしまった。
もうちょっと早く気付くべきだったのに、今の今、わかってしまった。
どうして予測できなかったんだろう。
「戻れえええええええええっっっ!!」
「ヒカル!? 何を――」
ダニーさんの制止を無視し、スライムたちに接近していた皆に声をかける。
だけど遅かった。
ギルドのメンツは皆、剣を振れば届くぐらいまでスライムに接近していた。
矮小で、小粒なスライムたち。
攻撃手段が体当たりで、しかもそのサイズじゃあまりダメージも無いスライムたち。
だけど俺は知っている。
ゲームの中の話だけどさ。
「そいつら合体するぞおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」
俺が叫ぶのと、ギルドの皆が頭に疑問符を浮かべるのと同時。
「ぐああああっっ!?」
「なっ……ぐはあっ!?」
「どわあああっっ!?」
蹴散らされていた。
スライムたちに刃を向けようとしていた十一班から二十班までのギルド構成員、そのすべてが。
「ピュグルアアアアアアアアアッッッ!!!」
突如として浅瀬に出現した、エンペラースライムの体当たりによって。
「な、なにいいいいっ!? こいつ、スライム同士の融合で!?」
「なんなの今の!?」
ダニーさんやナツが驚くのも無理はない。
きっとこの世界じゃ、スライム同士が合体してでっかいスライムになることなんて、普通じゃないんだろう。
だが俺は知っていた。
ゲームの中の話だけどさ。
だから、予想ぐらいしてしかるべきだったのに。
時既に遅し。
メンバーの半分がやられてしまった。
「くっ、驚いてる暇はないか……散開しろ! 全方位からあたれ!」
ダニーさんの言葉にはっとなった全員が、動き出す。
ある者は剣を抜き。
ある者は杖を構え。
皆で一斉に、ジャイアントスライムに当たっていく。
「ヒカルは下がってて!」
「ナツ!?」
「こうなったらもう、あたしたちの仕事だよ!」
ナツは俺の前に立つと、すぅと息を吸い、腹の前で小さなボールを抱えるかのように両掌を向かい合わせた。
そして彼女は叫ぶ。
「〝人造神器――昇龍棍〟!」
その途端、彼女が向かい合わせていた掌の間から光がほとばしる。
そして、そこからすらりと伸びてきた。
鮮やかな赤色が目立つ、孫悟空が持っていてもおかしくないデザインの棍棒が、何もなかったはずの空間から勢いよく現れて、ナツの前に浮かび上がった。
「そ、それは!?」
「あたしの人造神器だよ! そういや見せるの初めてだったね!」
ナツは、自分の身長程度もあるそれを勢いよく手に取り――
「はあああああああっっ!」
と雄叫びを上げながらエンペラースライムに突っ込んでいった。
そして。
「どっせいやあああああああっっ!!」
「ピュグルアアアアッッ!?」
ダブァン! という形容しにくい擬音。
棍を思いっきり振りかぶって、側面から叩き込む。
ナツの小さな体が放ったその渾身の攻撃で、エンペラースライムの巨体が揺れた時、そんな音が上がった。
「来たかナツ!」
「うん! あたしが全力であたっていくから、みんなは援護して!」
「おうよ!」
「す、すげぇ……」
すげぇよナツ。
俺が吹き飛ばされてばかりだったあの巨体をいとも簡単に揺るがしちまうなんて。
そりゃ、魔法ってやつで身体能力にもブーストがかかってるんだろうけどさ。
でもそれにしても、この光景は圧巻すぎる。
「はぁ!」
「むぅん!」
「ピュグルアアアアアッッッ!?」
ナツの攻撃のあとから続いて叩き込まれたのは、他のギルド構成員によって放たれた魔法の光弾や火矢だ。
遠距離からのサポートばっちり。
となれば、前衛のみんなも張り切るだろう。
「せいっ!」
「そりゃあ!」
剣士二人による斬撃に次ぐ斬撃。
がりがりと、エンペラースライムの体を削り取っていく。
もはやエンペラースライムは反撃の糸口すらなく、ただただみんなの攻撃に翻弄されるだけとなっていた。
「い、いける!」
傍から見てる俺にはわかる!
このまま勢いで押し込めるぞこれ!
すげぇ!
プロってすげぇよ!
「行けっ!」
自然と声が出ていた。
みんなを応援したいという気持ちと興奮が混ざり合って。
そして――
「そこだナツううううっ!」
「はああああああああああああああああっっっ!」
ナツが全身に赤い光を纏わせながら、右手で棍棒を握ったまま旋回。
そして、足下の岩を砕かんばかりの勢いで踏み抜きながら、右腕と背中のラインに載せるように棍棒を振るい――
「だあっっ!!」
「ピュグルアアアアアアアアアアアッッ!?」
エンペラースライムの胴体に、回転の勢いを載せた強烈な一撃を叩き込んだ。
轟音。
そして貫通。
魔力のこもった一撃により、エンペラースライムの体に巨大な穴が空いたのだ。
風通しのよくなったエンペラースライムは、そのままどちゃりっ、と粘着性のある音を立てて崩れ落ちた。
「や、やったあああああああああっっ!」
「よっしゃあああああああっ!!」
動ける者は皆、天に向かって拳を突き上げ、快哉を叫ぶ。
ナツたちは倒したのだ。
一丸となって、強力なエンペラースライムを攻略してみせたのだ。
そのように、思った瞬間だった。
「!? みんな離れて!」
最後の一撃を決めたナツが、地面から跳び退る。
「う!?」
「くっ、なんだこれは!?」
「負傷者を退かせろ!」
俺たちの見ている前で。
まるでビデオの逆回し映像を見せられているかのように。
粉々に砕いたエンペラースライムの体が、戻っていく。
あるべき肉片が、あるべき場所へ。
「これは……再生!?」
誰かがそう叫んだ頃。
エンペラースライムは、すっかりその全容を取り戻していた。
「ピュグルルルル……」
その目には、先ほどまでは無かった怒りの炎が宿っている。
「も、もう一度戦闘態勢を取れ!」
そして、再び繰り返される。
動ける者全員による連撃に次ぐ連撃。
そしてトドメは、やはりナツ。
「はあっっ!!」
ナツの混を用いた突きが、エンペラースライムの上半身を吹き飛ばして決着した。
と、次の瞬間にはまた再生。
振り出しに戻る。
「ううっ、何コレ!?」
俺も思う。
なんだよこれ?
これ、本当にスライムか?
なんか、この間よりもパワーアップしてないか?
再生再生って、そんなことされてちゃいつまで経ってもきりがない。
向こうのリソースは不明だが、こっちは確実に疲労して、戦える人が減っていく。
「みんな退けぇ! 撤退するぞおおおっっ!!」
ダニーさんもそれを悟ったのか、素早く撤退命令を出した。
賢明だ。
このまま戦っても倒せる確証がない。
だったらまずは、負傷者を確保して無事に逃げ延びることが大事だ。
「怪我をした者には手を貸せ! オレが囮になる! その隙に……!?」
ダニーさんが言葉を失った。
無理もない。
俺も言葉を失っていた。
なぜなら急に消えてしまったのだ。
エンペラースライムが、再生直後、その場から忽然と。
「どこに……っ!?」
気付いた。
地面に巨大な影がかかっている。
「上だあああああああああああああああっっっ!!!???」
こいつ!?
こいつ〝タメ〟なしでジャンプしやがった!?
次の瞬間、エンペラースライムの巨体が降り注いでくる。
――衝撃。
「ぐあああああああああああっっっ!!??」
「ぐはあああああっっっ!!??」
なんの備えもしていなかった俺たち全員を、強力な衝撃と、水しぶきと、岩石のつぶてが襲った。
そのどれ一つにも抗うことができず、皆もんどり打って、転がって、あるいは吹き飛ばされた。
「ぐぅぅぅ……!」
俺も、割と離れたところに居たというのに、衝撃だけで弾き飛ばされて、おまけに木の幹で頭を打ってしまった。
くそっ、みんなはどうなった!?
「みんな……っ!?」
再び川瀬に視線をやった俺の目に飛び込んできたのは、エンペラースライムののしかかりによって粉々になった一部の地形と……。
「うう……」
「が……は……」
方々に倒れ伏す、ギルドのみんなだった。
全滅。
エンペラースライムの攻撃によって、俺以外の全員が、戦闘不能に陥っていた。
「嘘……だろ……?」
ダニーさん。
そしてナツ。
みんな倒れている。
どうしたんだよ?
楽勝じゃなかったのかよ?
なんでこんな……なんで……。
「!?」
また、視界からエンペラースライムが消えた。
タメ無しの高速飛翔だ。
空を見上げると、案の定やつが浮かんでいた。
「マジかよ……」
またアレがくるのか?
一撃だけでみんなこんなになっちまったっていうのに、もう一発もらったら――
死。
それをイメージするのはそう難しいことじゃなかった。
「ぁ……」
声が出ない。
全身に汗が滲む。
体が芯から冷えていくような感覚。
そして、空中で落下し始めるエンペラースライム。
やめろよ。
そんなことしたら、みんな死んじまう。
「ピュグルアアアアアアアアアアアッッ!!」
すべてがスローモーションのように、緩やかだ。
終わってしまう。
このままでは終わってしまう。
今からでも、動く。
誰か一人でも救い出す。
そして俺の重い足が、ようやく地面を蹴る。
だが同時に、俺は悟った。
俺の足じゃ、エンペラースライムの落下速度には間に合わないということを。
そして気付いた。
エンペラースライムの落下地点。
その真下には――
「ひ、かる……」
虫の息になったナツが居ることを。
このままでは確実に、ナツは死ぬ。
「そんなの――そんなこと――そんなもん――」
体が熱い。
全身が沸騰しそう。
景色に赤い霞が掛かって見えるのは、見開いた俺の目が血走ってるからだろう。
認めない。
俺はこの状況を絶対に認めない。
だから思い切り、叫んだ。
「許されるわけねぇだろうがあああああああああああああっっっ!!!!」
次の瞬間。
爆発が起こった。
エンペラースライムが落下したわけではない。
俺の周辺で急に爆発が起こったのだ。
俺を囲むように突発的に発生したその爆発は、俺の体を前方に吹き飛ばす。
俺が〝そう望んだように〟前へ。
「うおおおおおおおおおおおっっっ!!!」
爆音。
爆速。
爆進。
爆砕。
続く二度目三度目の爆発が俺の足下で起こる。
爆発が爆発を呼び、衝撃に次ぐ衝撃が俺を加速させ、コンマゼロ一秒にも満たない刹那の時間の中で、俺を音速以上に加速させていく。
そして――
「だらっしゃああああああああああっっっ!!」
「ピュグルァッ!!!???」
ははっ、わけわかんねぇだろうな。
おまえからしてみればよ。
俺は――さっきまで川沿いの森まで吹き飛んでいた俺は、今。
川のど真ん中の浅瀬で、ナツのすぐ隣に立って。
天から降り注いできたエンペラースライムの巨体を、片腕一本で受け止めていた。
「ぐぐぐぐぐぐ……!」
お、重てぇ!
だが、持てない重さじゃねぇ。
そうだろう?
邪印さんとやらよ!
俺の全身に走るのは。
毒々しい、少し紫がかった黒。
深淵の、宇宙の向こう側。
そのどれもが当てはまりそうな、だけどしっくり来ない不思議な色合いの、刺青。
妖精の森の結界を破った〝邪印〟が、再び俺の全身に広がって、輝きを放っていた。
この圧倒的パワー。
体の中にうずいてしょうがない魔力の奔流。
土壇場で、引きずり出すことに成功した。
たまたまだけどな。
「う……ん……はっ!? ……って、ええええええっっ!?」
「あ、起きた」
俺がエンペラースライムを持ち上げたまま踏ん張っていると、足下のナツが飛び起きて仰天の声を上げた。
そりゃそうだ。
起き抜けにこんな状況見たらわけわからんよな。
おまけに俺がさっき〝爆走〟したせいで辺りは荒れにに荒れてるし……。奇跡的にギルドのみんなは巻き込まずにすんだけど。
「よおナツ。怪我は大丈夫か?」
「ヒカル!? な、なにこれ!? あたし夢でも見てるの!?」
「安心しろ、あとで説明してやる」
こんな現場を見られて。
全身に広がった刺青を見られて。
さすがにフォローしないわけにはいかないだろう。
だがそれも、とりあえずはこいつを片付けてからだ。
「待っててくれ。今、終わらせる」
「終わらせるって……」
ニルベの村から逃げ出した時。
あの時の俺は、本来ならば見えないはずの、掴めないはずの結界を手にとって、力の赴くままに爆破することができた。
ところが今はどうだ?
物理的の元から触れてしかるべき、エンペラースライムをむんずと掴み上げ、あまつさえその自由を奪っている。
まさに俎上の鯉とはこのことだ。
元から触れられて、掴めて、確かめることができる。
そんな存在が相手なら、できないどおりはないだろう。
「爆破できない、理由は無い!」
力よ!
もっと強く、強く蠢け!
心の中で念じた瞬間、邪印の発光がより一層強まる。
突風が吹きすさび、俺を中心に据えて台風のように巡り始める。
来たぜ来たぜ来たぜ、力が!
だがまだだ!
このままそれを弾けさせてはこの前の二の舞。
つまりまた自爆になっちまう。
抑え付けろ!
意識を集中させろ!
俺のターゲットはなんだ?
さっきまでさんざん好きほうだいやってくれた、頭の上のこいつだ!
そして、内で暴れ回るパワーが臨界に達するその瞬間、俺は叫んだ。
「爆発しろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」
途端、目もくらむような強烈な紫色の閃光と爆発が、辺り一帯を支配した。
「ピュグルアアアアアアアアアアアッッッ!!??」
「きゃあああああっっ!?」
エンペラースライムの断末魔と、ナツの悲鳴。
俺がエンペラースライムを持ち上げていた右腕。
その右腕を中心に発生した強力な爆発が、エンペラースライムの体を粉々のぐちょぐちょに吹き飛ばして、周辺に爆発四散させたのだった。
べちゃべちゃと、周囲に雨のように降り注ぐエンペラースライムの体。
そんな景色の中。
光が収まった後、ナツが呆然と俺を見上げていた。
「ヒカル……きみっていったい……」
「あはは、ちょっといろいろあってな……あ」
「ヒカルっ!?」
さっきまでエネルギーに充ち満ちていた俺の体から、ふっと力が抜ける。
そのまま地面に倒れ込むかと思われたが、それをナツが支えてくれた。
「どうしたの!? ヒカル、大丈夫!?」
「ちょっと……疲れちまった……」
いつの間にか、邪印は消えていた。
すべて背中に戻ったのだろう。
「と、とりあえずここを離れなきゃ! みんなも起こして……っ!?」
「なっ!?」
俺とナツが同時に気付き、驚く。
俺はたしかにエンペラースライムの体を爆発四散させた。
それこそ、一つ一つが小指の先ぐらいになるほどに。
だがエンペラースライムの体はそれでもなお、動いていた。
「こ、これって!?」
「くそっ!? まだ再生するって言うのかよ! ……ん?」
エンペラースライムの体がまた一カ所に集まろうとしている。
そして、体が集まろうとしているその中心に、何かきらりと光るものが見えたのだ。
なんだありゃ?
だが確認する前に、エンペラースライムの肉体に覆われて見えなくなってしまった。
どうする?
やつはもうまもなく再生しちまうぞ?
疲労困憊した俺と、なんとか回復したナツと、意識を失ったギルドのみんな。
その全員を救い出すにはあまりにも時間が足りねぇ!
くそっ!
どうすれば!?
そんなことを、考えた時だった。
「〝人造神器――魔本の断片〟」
どこからともなく、その声が聞こえた。
そして――
「え!?」
「っ!?」
突如。
どこからともなく飛来してきたのは、謎の金属片だ。
ちょうど文庫本ぐらいの大きさの、長方形の、薄い板。
それらの表裏には俺の読めない文字が書かれていて、淡く発光している。
「これはっ!?」
俺はこれを、見たことがある。
これは、とある魔法使いが術を行使するときに使う道具だ。
「〝複章連読――1、11、21〟」
地を這う燕のように飛来してきた三枚の金属片が、その声に合わせて空中でピタリと動きを止めた。
そして、それらの金属片から漏れる光の量が増えた、と思った瞬間。
射出。
金属片一枚につき一発。
その表面から溢れる光が凝縮され、一筋の光になって、まっすぐに地を這うスライムの体に振り下ろされる。
「レー……ザー……?」
それは魔力を束ねることによって金属片から放たれた、レーザー光線だった。
レーザーは俺とナツ、そして地面に倒れ伏した他のみんなを器用に交わしながら、地面を忙しなく焼いていく。
正確には、地面を這うスライムの体を。
「再生がやっかいなら、再生させなければいい」
そんな言葉と共に、川沿いの森から〝少女〟が現れる。
「うっ!?」
やっぱりというか、案の定というか。
たしかに予想はしていたけれど。
それでも驚くもんは驚く。
「久しぶりですね、ヒカルさん」
俺とナツの前に現れた少女は――ミナ。
ニルベ村で別れたミナが、金属片を従えながら悠々とこちらに歩いてきたのだった。
だというのに。
それだけでも驚きだというのに。
「お……」
「え?」
ミナを目視したナツが――
「お姉ちゃんっ!?」
「え? ……えええええええええっっ!?」
そんなことを言い出すもんだから、事態の混乱に拍車がかかったのだった。