二話
長くなってしまったので分割!
しょうもないところで筆がノってしまうのは伝統です。
た、ただのパトスやもん! みんなも絶対おんなじ事考えてるもん……。
【第二話】
歩き続けていた。
鬱蒼と木々の生い茂る森の中を、ただひたすらに。
地球世界のものとよく似た広葉樹林。
足を乗せる地面の感触は柔らかい。
そこかしこに、様々な種類の草が群生している。
ジャングルってわけではないみたいだ。ずっと移動しているもんだから暑くて汗をかきまくっているが、気温は至って平均的。たぶん。
頭上に浮かぶ太陽は容赦のない日差しをぶつけてくるが、ほとんど樹木の葉に遮られているので苦ではない。
むしろヤバいのは、疲労感と、空腹と、喉の渇きと、上半身裸な俺の格好。
いや、ちゃうねん。
変態ちゃうねん。
これにはわけがあんねん。
※※※
昨夜、俺はニルベ村を囲む森の中でミナと対峙した。
森の結界とやらで村からの脱出を阻まれた俺は万事休すな感じだったが、なんかこの、俺の背中に刻まれた邪印とやらがおどろおどろしい輝きと共に覚醒。
全身に広がった邪印はとんでもない魔力を放ち、見事、結界を〝俺ごと〟爆破して俺の遁走を助けてくれた。
〝俺ごと〟ってのは、そのまんまの意味。
俺のイメージとしては、この謎魔力で結界だけを爆破してクールに去る感じだったんだ。
が、実際に起こったのは、俺が纏った邪印を中心に据えた、半径10メートル以上にも及ぶ強力な爆発。
つまり自爆だった。
腹マイトです。
いわゆる、メガ●テです。
終わったあとに周りを見渡すと、森がめちゃくちゃになってた。自然破壊よくない。
俺がもし魔法の達人だったなら、ちゃんと制御できてたのかな?
で、その時の衝撃で衣服がぼろぼろになってしまったわけ。
上着はズタズタだし、ズボンは片足だけ短パン丈になっていた。
正直言って、まだギリギリ着られてるのが奇跡である。
世紀末のロックバンドに入れそうなレベル。
さらに、だ。
俺がサヨナラボカーンを決めたその瞬間、傍にいたミナも盛大に吹き飛ばされていたらしい。
いつの間にか彼女は、爆破によって荒らされた範囲の外で『きゅぅぅぅ……』と気絶していた。木に頭をぶつけたとかそんなところだろう。
確かに俺は村から、ひいては彼女から逃げていた。
しかし、森の中で気絶した女の子を放置してトンズラをこくというのは非常に後味の悪いものだ。
だから、せめて体が冷えてしまわないように、かろうじて俺の体に引っかかっていたダメージドな上着をかぶせてやったのでした。
※※※
と言うのが、今俺が上半身裸のぼろっぼろな姿で森を彷徨っている理由だ。
どや?
変態ちゃうやろ?
むしろ紳士やろ?
俺が今、上半身裸で森の中をうろついてんのは、決して、大自然の中で自由に振る舞いたくてとか、そんな理由じゃないのだ。
だが――
「止まれって言ってるでしょう! この変態!」
「……止まりやがれです。変態」
「止まって止まって♪ 変態さん♪」
そんな俺を変態扱いする者がいる。それも三人。
いや、彼女たちを〝三人〟と言っていいものなのか。あるいは〝三匹〟なのか、それはちょっとわからない。
何しろ――――――妖精の数え方なんて、地球じゃ教わらなかったから。
身長はたぶん、十センチぐらい。
金髪でつり目の子と、青髪で無表情の子と、緑髪で元気な子。
あらかわいい、と思うだろ?
ところがこいつら、全然かわいくないんだな。
「だーから変態じゃないって。……まあ、それは置いとくとしてだ。ついてきても無駄だぞ? 俺は戻る気なんて無い」
「そうはいきませんわ!」
「……そうはいかない」
「そうはいかないよー♪」
すると、今まで俺の背後、4、5メートルの距離を保ってちょこちょこついてきてたこいつらが、ババッと俺の前に回り込む。
「ニルベの里を護りし森は、我らが主、大妖精シャルナクア様の森!」
「……母たるシャルナクアはニルベの民と契約した。加護を与え、秩序を保つために」
「でも変態さんは許しがないのに外に出ちゃった♪ さあ大変♪」
「シャルナクアの結界が破られるなど、あってはならないこと!」
「……契約の不履行は、秩序の崩壊に繋がる」
「さあ戻れ♪ 戻るんだー♪」
そして彼女たちは、金髪の子を中心に据えて並び立ち、ドーンと大きく胸を張った。ちっこいけど。
「我が名はチッチ!」
「……我が名はピルチ」
「我が名はマチー♪」
『我ら三人揃って、シャルナクアフェアリーズ! おとなしく、村に帰りなさい!』
↑ここ、三匹のハモり。
三人(便宜上、人で数える)は日曜朝8時からのライダー物よろしく、もしくは8時半から始まるプリティでキュアキュアなアレよろしく、ポーズを決めている。
なんだろうこれ。不覚にもちょっとかわいいと思ってしまった。悔しい。
なので、いじわるすることにした。
俺は大きく諸手を上げて、熊さんだぞーのポーズで三人に急接近しながら叫ぶ。
「爆発するぞおおおおおおおおおおおっ!!」
『きゃあああああああ!!??』
マジ顔だったり、無表情だったり、楽しそうだったり。
本気の悲鳴だったり、棒読みだったり、明るい声だったり。
三者三様にぴゅーんと逃げていくチビたち。
素早く森の中に消えた彼女たちが面白くて、あっはっはと笑いがこみ上げた。
まあ要約すると、だ。
ニルベ村を覆う森の結界ってのは、そこに住む妖精の仕業だったわけだ。
チビたちは結界を張ってニルベ村を守る代わりに(あるいは脱走者を閉じ込める代わりに)定期的に貢ぎ物を受け取ったりしてたらしい。
ところがどっこい、今回、俺が逃げ出しちまった。
そんなわけで、この三人のチビたちが俺をつれ戻しにやってきたらしいのだが……。
「はいはいごめんごめん。爆発しないから戻っておいで」
「ほ、本当ですの?」
木の陰から不安そうにこちらを覗く金髪の妖精――チッチ。その隣に並ぶ青髪のピルチと緑髪のマチー。
どうもこの三人は、俺が森の結界を吹き飛ばすところを見ていたらしい。
そのためこの「爆発するぞ」ネタで面白いぐらいにビビってくれる。
「うう、人間に脅かされるなんて屈辱ですわ……。にしても、あの時の変態的な量の魔力はいったいなんですの? 背中の呪紋から発せられたように感じましたけど」
「さてね」
いや、ほんとは俺も知らない。
ミナは〝滅びの使徒〟とやらに対抗するためニルベの村に伝わってる邪印、とか言ってたけど、その正体がよくわからないんだよな。
ま、今は考えてもしかたない。
「ふぅ、ずいぶん歩いたなぁ」
うん、ちょっと休憩。
ちょうど開けた場所だったので、その場に腰を下ろしてあぐらをかく。
背後のチビたちはピョンと木の枝に飛び乗って、三人並んでこちらを観察していた。
お嬢さんたち、こっちを見過ぎ。
俺も休んでるんだからそっちも休めよ。
彼女たちの存在に気がついたのは、俺がシャルナクアの森とやらを抜けて普通の森へ突入したあたりだ。
今みたいにやたら視線を感じたし、しまいには向こうから声をかけてくるし。
それからずっと俺の背後でピーチクパーチクやっていたわけだが、まあ、今ではありがたいと思っている。
一人で歩き続けてると、余計なことを考えて気が滅入っていたかもしれないから。
あと、普通に寂しいし。
さっき彼女たちに〝戻っておいで〟って言ったのはそういうわけ。
べ、別に何この小さくてかわいいマスコットキャラとか思ってないんだからね!
「ていうかだな、そんなに怖いなら追いかけなきゃいいだろう? もう君たちの森からずいぶん離れちゃったし。その、シャルナクアさん? とかに命令でもされた?」
「いいえ、そういうわけではありませんわ」
あれ、違うのか?
てっきり妖精の主から命令が下ったので怖くても追いかけてる、みたいな感じだと思ったんだけど。
「シャルナクア様はむしろ、変態には近づかないように、とおっしゃった」
「変態さんは危ないからねー♪ 追いかけたりしたらいけないよー、って言われた♪」
「その言い方だと俺の〝危なさ〟の角度がだいぶ変わってくるように聞こえるが……でもそれじゃ君たち、命令違反になるんじゃない? こんなことしてていいのか?」
「いいわけありませんわ! でも、変態を野放しにするのはもっといけませんわ!」
だから言い方ぇ。もういいけどさ。
チッチが熱弁を振るう。
「シャルナクア様は聡明で素敵なお方。なのに〝また〟結界が破られてしまった今、ニルベの民たちがどんな不満をこぼすのかわかったものではありません!」
「ん?」
今この子、〝また〟って言ったな。
てことは、過去にも結界が破られたことがある?
「わたくしは、あなたのような突然変異――突然変態のせいでシャルナクア様が責め立てられるのが我慢なりません!」
「……シャルナクア様、とてもがんばってる。いっぱいお世話になった。なのに、変態のせいであの人が人間に叱られるのは嫌」
「だからわたしたち、内緒で追いかけて来たの♪ で、変態さんを村に連れて帰って、めでたしめでたしだよん♪」
「つまり君たちは、シャルナクアさんのために独断で俺を追いかけて来たんだ」
「いかにもですわ!」
……ええ子らや。
「三人ともおいで。頭を撫でてあげよう」
「なんですのその妙に優しい眼は!?」
「……怪しい。撫でるフリをして、うちらを爆破する気だ」
「わたしたちの脳みそ噴火させる気だー♪ こわーい♪」
「しねぇよ!? おまえらの想像のほうが怖いわ!」
妖精のくせに恐ろしいこと考えやがる。
見た目はファンシーなのに中身は、ってやつか?
と、その時。
俺と三人からそう離れてない、背の高い雑草の茂みが、ガサリと音を立てて揺れた。
「ひぃっ!?」
「……落ち着いてチッチ。びっくりしすぎ。うっとい」
「び、びっくりなんてしてませんわ!」
「してたしてた♪ お漏らしだー♪」
「してませんわよ!?」
「君たち、緊張感ないね……」
おっと、妖精と戯れてる場合じゃない。
草むらはなおもガサガサと揺れていて、だんだんその音が大きくなっている。
こっちに何かが来る?
既に立ち上がっていた俺は、何が飛び出してきてもいいように腰を落として構えた。
逃げる準備はオッケー。
よく考えてみたら、ここは地球とは違う異世界なんだ。
ウサギや蛇で済めばいいけど、既に〝妖精〟が存在しているなら凶悪なモンスター、例えば飢えたゴブリンみたいなやつが出てきたってなんらおかしくはない。
ゴクリと唾を飲み、揺れる藪を凝視する。
俺の緊張が伝わったのか、背後のチビたちも押し黙る。
茂みが一際大きく揺れた。
そして、飛び出してきた。
薄いピンク色の、ゼリーのように透明感のある体。
着地した瞬間にたぷんと揺れる、非常に軟性に富んだ球体のボディ。
キュートなくりくり単眼。
全長は二十センチ程度。
こ、これは!?
「うわあああスライムだああああああっ!!??」
RPG序盤の鉄板!
まさに雑魚キャラの王道中の王道!
「すげえ! 本物だ! 本物のスライムだよ!」
「なーんだ、スライムだったんですの」
「……しかも小さい。これならうちらでも倒せる」
「でも変態さんは嬉しそうだねー♪」
「すすすスライムさんだぁ! スライムさんだよぉぉぉぉっ!」
「こ、この人、なんでこんなに興奮してるんですの?」
「とうっ!」
「ピィッ!?」
俺は素早く急接近し、その弾力抜群の体をぐわしと両サイドから掴んだ。
スライムは愛くるしい鳴き声を上げて俺から離れようとする。
むぅ、驚かせてしまったか。
しかし安心してほしい。害意は無い。
「こんにちは! スライムさん!」
「ピィィッ!」
「俺はあんたと何度も戦って、最初の村を抜ける間ぐらいまでお世話になった!」
「ピィッ! ピィッ!」
「あんたのおかげで薬草を買いだめした! 武器や防具も手に入れた!」
「ピィィィッ! ピィィィッ!」
「なんていうかもう、そんなあんたと出会えて感動だよ!」
おそらく、一度でもRPGにハマったことがある人なら、今の俺の気持ちをわかってくれるだろう。
自分はファンタジー世界にいるんだなと殊更実感する。
スライムを。
あのスライムを。
俺は今、確かに、この両手で掴んでいるのだ!
その現実が俺の興奮を加速させていく。
「つーか柔らかいなおい!? うわぁ、なんだこれ!? こんなの今まで触ったことねぇ!」
グニグニというか、プニプニというか、ムニムニというか。
想像してたのよりしっかりしてるな。液体っぽさはまったくない。
手のひらに訪れた未知の感覚が楽しくて、思わず揉みしだいてしまう。
「ピィィッ! ピィッ! ピィッ!」
「ちょ、暴れんなって! もうちょっと揉ませてくださいよ!」
そりゃまあ気持ちはわかるさ。
いきなり現れたやつに自分の体を弄ばれたいやつなんていないだろう。
だが揉む!
だって……スライムって男の子の憧れだろ!
「うおお、これは……くせになりそうだぜぇ……」
「ピィィッ! ピ――ピィッ!?」
「お?」
今までただただ嫌がる素振りを見せていたスライムの様子が変わった。
彼女(性別わからんけど色的に)の体の裏側。
人間でいうところの背中からお尻にあたると思われる部分の、その下部6時の方向。
「……ここか?」
「ピ!?」
「ここがええのんか!?」
「――!!!???」
間違いない。
俺がその場所を責めると、もはやスライムは声もなく、ただただ悶絶している。
くく、見つけたぞ弱点を。
俺は両掌を、できるだけ優しいタッチで彼女の胸のあたりにもってくる。
左右均等に、円を描くように揉む。
マッサージのリズムが単調にならないよう、時折、持ち上げるようにして離し、弾みをつけ、少し強めの刺激もまぜていく。
彼女の反応は悪くない。
時折、苦悶の表情の間から漏れる切羽詰まった声で、気持ちが昂ぶっているのだということが解る。
そして俺は、彼女の背中側にそっと指を伸ばす。
彼女の驚いた表情。何をする気だ、と言わんばかり。
しかしそれは、本当に驚きだけに満たされた表情なのか?
問いかけるように背筋を撫で、前を揉みしだくことも忘れない。
びくびくと、面白いように反応が返ってくる。
やがて俺は、徐々に指を下ろしていき、彼女の弱点に迫る。
俺の指がいずれどこに到達するか、彼女もわかっているのだろう。
先ほどまで必死に俺から逃れようとしていた体の動きは、いつしか快楽に耐える震えへと変わっており、今ではもう、さらなる快楽への期待に満ちた、誘うような蠕動でしかない。
だが俺は、彼女の弱点の手前で指を止める。
え? という彼女の表情。
それを無視して、弱点の周りを執拗になぞり、つまみ、弾いてやる。
予想していたものとは違う俺の手順に、複雑そうな、しかしちゃんと感じている表情を浮かべる彼女。
その責めを、五分ほど繰り返した頃だろうか。
いつしか彼女は、俺に弱点を差し出すように、自分から腰を振り始めた。
ふふふ、欲しいんだろ?
そう眼で問いかけると、彼女は違うといった風に顔を背ける。
まだ否定するのか。
ならいい。絶対に触ってなんかやらない。
でも、もうわかってるんだろう?
そう遠くない未来。
自分が何をされてしまうのか。
いや、違うな。
何をしてほしいのか、だ。
そして、してほしいことのために、自分が何を言おうとしているのか、でもある。
まったくもって往生際が悪い。でも、かわいいと思うよ。
「ま、時間の問題だけどなぁ」
「ピィィッ……」
「へ、変態ですわあああああああああっっっ!?」
突如、俺の背後でチッチが大声を出した。
なんだよ?
何を叫んでるんだ?
「どうしたチッチ? 変態って誰のことだ?」
「あなた以外に誰がいますの!? まともな人間はスライムをそんな顔で触ったりしません!」
「……スライムを楽しそうに揉みやがる人間、初めて見た」
「あははは♪ 変態だ変態だー♪」
「失敬な! 俺はただスライムさんと戯れてるだけだ!」
今の俺のいったいどの辺に変態的な要素があったというのか。
まったくもって失礼してしまう。
と――
「ピィッ!」
「あっ!? しまった!?」
チビたちに気を取られてホールドが緩んだ。
その隙を突かれ、スライムは俺の手の中から脱出し、草むらの向こうに一目散に跳ねていった。
「待ってくれぇ!」
「あ、こら! 待ちなさい!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら森の中を逃げるスライム。
それを追いかける半裸の俺。
そんな俺を、走ったり跳躍したりしながら追いかけるチビたち。
傍から見てたらなんとも奇天烈な図なんだろうなこれ。
だが、かまうものか。
「おーい! 待ってくれよぉ!」
「ピィィィッ!」
「もう一度、もう一度だけでいい! 揉ませてくれぇ!」
「ピィィィィッ!」
スライムが加速した! なんで!?
ならば俺も加速するまで!
「うおおおおっっ!」
「ピィッ!?」
俺はこう見えて、中学時代、野球部の4番でエースだったんだ。
来る日も来る日も走り込んでは筋トレして、走り込んでは筋トレしてを繰り返す。
投球練習、バッティング練習、その他諸々やり込んださ。
その時培った体力が、脚力が、膂力が今、活かされる。
すべては君を揉むために!
さらに加速ぅ!
「ね、ねぇピルチ、マチー。やっぱりあの変態を追いかけるのはやめにしませんこと? わたし、怖くて近づきたくないですわ……」
「……だけど、あの変態を村に戻さないとシャルナクア様が……」
「そ、そうでしたわね」
「……それに、あの変態はたぶん、村から外に出てはいけない。一生、村に閉じ込めておくべき」
「そうですわね」
「……チッチだけ帰れば。怖いなら」
「こっ、怖くないですわよっ」
「るーるるー大変な変態さんだー♪」
「聞こえてるぞチビども!」
好きほうだい抜かしやがって。俺のどこが変態か。
まあいい。
もうすぐスライムに追いつく。
それ、今だ!
俺は前方3メートルに迫ったスライムめがけ、弾丸ライナーを捕球するような感覚で、思い切り跳んだ。
果たしてスライムは俺の左手、グローブの中に――収まった。
空中でがっちりとスライムをキャッチした俺は、そのまま雑木林の向こう側に跳んでいき、そのまま森を抜ける形となる。
「捕ったどぉ!」
「ピィィィッ!?」
勢いよく着地。
俺はヘッドスライディングよろしく、ズササササと土の上を滑って止まり、ようやく追いかけっこに終止符が打たれた。
「へっへっへっへ、捕まえたぁ」
「ピィィィィッ!」
森から抜けた先に広がっていたのは、幅が10メートルにも達する広い川だった。
水が澄んでいてとても綺麗である。
川底から浅瀬まで広がっている大小様々な岩石を、一つひとつ観察できるほどだ。
川の向こうにもまた森が広がっており、どうやら森を横断する河川らしかった。
水源が近いのか、川の流れはけっこう速い。
「ピィッ! ピィッ!」
「おっと暴れなさんなって」
森の終わりが、逃走の終わりってね。
さあて、マッサージを再開するぜ。
今度こそ逃がさねぇ。俺が満足するまでなぁ。いっそ懐いてくれないかなぁ……。
と――
「ん? なんだ?」
地面に俯せになった俺と捕らえたスライムに、すっと大きな影が差した。
たった今、森を抜けて陽光の下に躍り出たと思ったのにな。
天気が悪いのか?
雲でも出てきたか?
いや、そうではなかった。
「……」
いつの間にかすぐそばで、俺たちを見下ろしていた。
でっかい〝そいつ〟が。
無言で。
薄いピンク色の、ゼリーのように透明感のある体。
地形に合わせて形状を変える、非常に軟性に富んだ球体のボディ。
キュートなくりくり単眼。
知っている。俺はそいつのことを良く知っている。
なんせ、ゲームだったら何度も会ってるし、ついさっき初めて本物を見たところだし、今はこの両手の中に収まってるぐらいだ。
しかし、知らない。俺はこんなの知らない。
全長にして約〝15メートル〟程度。
こんなにでかいスライムさんは、見たことない。
「こ、これは!?」
「大きい……」
「でっかいスライムだー♪」
追いついてきた妖精も、どうやらびっくりしているらしい。
そのジャイアントスライムは、ボーリングの球6個分ぐらいに相当する巨大な単眼で、ギロリと俺を睨んでいた。
俺の両手の中には、必死に俺から逃れようとする小さなスライム。
はは……と、乾いた笑いが口から漏れる。
俺はスライムを解放した。
スライムは一目散にジャイアントスライムの後ろ側へ逃げていき、見えなくなった。
「いや、違うんすよ。これは別に、いじめてたりしたわけじゃなくて、ちょっと異文化コミュニケーションを」
「ピュグルルルル……」
「俺、この世界に来たばかりでしてね、それでスライムさんを見た瞬間にその、ヤックデカルチャーって感じでして」
「ピュグルアアアアアアアッッ!!」
「ですよねー!?」
ジャイアントスライムは、恐らく怒っている。ていうか明らかに怒っている。
仲間をいじめている、とでも思われてしまったのだろう。
強烈な咆吼の後、その体をぐぐぐと収縮させて、何かしらの〝タメ〟を作っている。
「やべぇ!? なんかする気だ! 逃げるぞチビたち!」
「あわわわ!? ま、待ちなさい!」
と大慌てで立ち上がり、背を向けて駆け出したのが良かった。
次の瞬間、ジャイアントスライムは跳んだ。
字の如く、その巨体からは想像も出来ない跳躍力で、たぶん30メートルは舞い上がっただろう。
そんな巨体が、位置エネルギー満載のパワフルなのしかかりでもって、ついさっきまで俺とチビたちが居た空間を破砕した。
豪快な攻撃に地面が割れ、岩は砕け、木々は押しのけられ、川には飛沫と波紋が広がった。
衝撃でバランスを崩しそうになったものの、俺とチビたちはなんとかこけずに走り続けた。
「あぶねえええっっ!?」
「ひぃぃぃ!?」
「死ぬとこだった」
「ぺしゃんこぺしゃんこー♪」
川沿いに、川が流れている方向――下流に向かって全力疾走する俺たち。
チビたちも小さな体でがんばって俺についてきている。
振り返ると、ジャイアントスライムがものすごい形相で、大口を開けてこちらに迫っているのが見えた。
だが――
「お、遅い?」
ジャイアントスライムは、俺たちが走り抜けているのと同じように、河川沿いの岩石群を避けて、柔らかな土が広がる森の淵を走行している。
だが、木の枝が体に当たったりちょっと大きな岩に阻まれたりで、あまりスピードが乗っていない。
なんでまた跳んでこないんだ?
あ、そういやあいつ、さっき跳躍する前に〝タメ〟を作ってたっけ。
さすがにあの巨体で跳ぶのは簡単じゃないらしい。
あれを連発してたら俺たちが逃げちまうから、地道に走ってるのか?
これは――
「いける! このまま全速力だ! ついてこいよおまえら!」
「がってんですわ! ……って、なんで変態が仕切ってるんですの!」
一時はどうなることかと思ったが、なんとかなりそうだ。
背後からはバキバキドガドガとジャイアントスライムが闊歩する音が聞こえてくるが、なにぶんのろい。
やがてその音が聞こえなくなった頃、息を切らした俺たちは川沿いにへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……なんとか撒いたみたいだな……」
「ぜぇ……ぜぇ……ですわね……」
「……疲れた……」
「しんどいよー……」
そのまま呼吸が整うまで休息。
川付近の手頃な岩に、妖精と一緒に腰掛けた。
全員同時に、はぁ、と盛大な溜息が漏れる。
「びっくりしたなぁ。いやでも、たしかにスライムってのは、昔からいろんな種類がいるもんだ。キングとかメタルとかホイミとか」
「わたくし、あんな大きいの初めて見ましたわ……」
「……うちも。シャルナクア様の森にはいない」
「目玉だけでも、わたしたちより大きかったねー♪」
どうやらチビたちも、あそこまでのサイズは見慣れていないらしい。
まあ、三人の反応でわかったけど。
お……?
「おい、見てみろよ」
俺が進行方向――川の下っている先を指さすと、チビたちが素直にそっちを向く。
川に、橋が架かっていた。
木材を中心に組まれ、ロープで手すりが作られている。
皆で近寄ってみると、橋の両端からはそれぞれ道が伸びていた。
そして、それがどこに続いているのかを表しているんだろう。橋の両脇には、俺の身長ぐらい(170センチ程度)はある、これまた木製の、三角錐形の道標があった。
「なになに……って、読めないや」
某かの文字が刻まれているんだが、さっぱりわからない。
「あらあなた、その歳で文字を読むこともできませんの?」
「……〝この先、ベーツェフォルト公国城下町〟と書かれてる」
「ベーツェフォルト公国?」
たしか、ミナの口から聞いたことがあったな。
ニルベ村ってのは、この大陸のベーツェフォルト公国領の外れにあるんだとか。
ならこの道を行けば、人気のあるところにたどり着ける?
「城下町ねぇ……ま、他に当てもないし、行ってみるか」
「あ、こらお待ちなさい!」
「……待ちやがれです」
「待って待ってー♪」
俺とチビたちは、とりあえず川を渡るために橋へと足をかけた。
歩くたびにちょっと揺れるが、うん、いけそうだな。
にしても俺、こんな格好で大丈夫か?
大丈夫じゃない。問題だ。
どこかで服を調達する必要がある。
つかそうなるとお金とか……うわああ問題が山積みで頭が痛い。
「……ん? そういやおまえら、妖精のくせによく文字が読めたな。それとも、そういうもん?」
「ふふん、気付きましたの? たしかに他の妖精は読めないでしょうけどぉ、わたくしたちは特別なんですのよぉ」
めっちゃ得意気だなこの金髪。
「……うちらはシャルナクア様に教えてもらった。人との共存には必要だから、って」
「あ、なるほど」
「読むだけじゃなくて、書くこともできるよー♪」
ふーん、しっかりしてんなぁ。
などと、橋を渡りながら戯れていると、俺たち四人にすっと影が差した。
あれ? 晴れてたと思ったのにな。
四人で一斉に空を見上げる。
すると、空は見えなかった。
川の中で堂々と構えたジャイアントスライムが、橋に並ぶ俺たちを見下ろしていた。
「……は!?」
音など無かった。
気配が無かった。
いつだ?
いつからそこにいた?
――?
ジャイアントスライムの全身へ視線を走らせた俺は、気付く。
スライムの下半身。
その下半身の透明度が他の部分に比べて高く、水に接している部分は、もはや完全に透明になっていることに。
溶けている?
いや、融合している?
そういえばこいつ、最初に出くわしたときもまったく気配などなく、いきなり目の前の川から現れた風だった。
まさか〝水と一体になって川を渡ってきた〟のか?
そうだ。そうとしか考えられない。
いやしかし、そんなことはどうでもいい。
こうなってしまった今、そんなことはまったく問題じゃない。
問題は別にある。
「走れチビたち!」
「え?」
「こいつはもう〝タメ〟に入ってるぞおおおおおおっ!!??」
俺が叫ぶのと同時。
ジャイアントスライムが水底を蹴って、巨大な水柱を立てながら飛翔した。
そして俺たちの頭上から、隕石のごとく降り注いでくる。
当然、俺たちは既に回避行動に入っていた。
だが、間に合わない。
「うおおおおおおおおおおおおっっ!!??」
「きゃああああああああっっ!!??」
紙一重。
ジャイアントスライムは、俺とチビたちの背中をかすめながら、橋にむかって豪快なのしかかりを決めた。
ちゃんと避けられた――と思うだろ?
間に合ってない。全然間に合ってない。
「ぐぅぅっ!」
反動で空中に放り出されながら、見る。
真ん中から派手にへし折られ、バラバラになってしまった橋を。
俺たちは攻撃を避けると同時に、橋を渡りきらねばならなかったのだ。
でなければこうやって、川に飛ばされてしまう。
「こなくそぉっ!」
バラバラになった橋。
俺は途中から千切れてしまった手すり代わりのロープをなんとか掴み、それを頼りに残った足場へしがみついた。
あぶねぇ! 川に落ちたら詰んでた!
泳げる程度の深さがある水場じゃ、走ってのしかかりを避けることもできやしねぇ。
俺はそのままロープをたぐり寄せて、不格好に、しかしなんとか森の淵まで退避することに成功した。
だが――
「た、助けてですわあああっ!?」
「っ!?」
あいつら!
チビたち三人、静かだと思ったら、俺と一緒に飛ばされて、なんとかロープを掴んでいやがった。
だが、俺のように足場を確保することができていない。
チビたちは三人で同じロープを掴みながら、その体は川に投げ出されていた。
つまり、ロープを掴んで、やっとこさ流されるのを堪えている状況だった。
「まずい!」
「死んじゃいますわあああっ!」
「……うちら、泳げない」
「金槌かよ!?」
「森には海がないからー……」
まずい。まずいまずいまずいまずい。
見れば、三人が掴まっているロープは頼りない。
ところどころほつれていて、今にも千切れてしまいそうだ。
もう一回衝撃が来たらアウトだろう。
そしてジャイアントスライムは今、俺よりも距離が近い、そんな三人をじっと見下ろしている。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、こんな考えが閃いた。
このままチビたちを囮にして、自分はさっさと逃げればいい。
チビたちはもともと、俺を連れ戻しに来たのだ。
だから、見捨てて逃げてしまえばいい。
という考えが閃いたんだ。
一瞬だけな。
そんなことをしたって。
窮地を、他人を犠牲にして生き延びたって。
残った罪悪感と寂寥感が、俺の心を殺すだろう。
胸を張って生きられなくなる。
堂々と歩くことができなくなる。
あんな、涙目になって必死に生きようとしているチビたちを、見捨てられるか。
見捨ててたまるか。
俺は助かる。
妖精も助かる。
うん、全部救ってしまおう。
「待ってろおまえら!」
「!」
必死にロープにしがみついていたチビたちが、こっちを向く。
俺は三人に、思いっきり笑顔を向けてやった。
「今すぐ助けてやるからもうちょっと待ってろ!」
「で、でもあなた――」
「大丈夫だって!」
俺の声に反応し、ジャイアントスライムがこちらをギロリと睨む。
もう、チビたちへの興味は失ったようだ。
当然か。最初は俺を追いかけてたんだもんな。
「殺されますわ!」
「……逃げたらいい」
「死んじゃうよー!」
「大丈夫だって言ってるだろ!」
俺はRPGの勇者でもなんでもないけど。
途中でクリアできずに放り出してしまったゲームがあるくらいだけど。
でも、一つだけ言えることがある。
「スライムに負けたことは、一度もねぇんだ」
レベル上げの内容なんていちいち覚えてない。
でも、これだけは持ってないんだ。
スライムに全滅させられた記憶だけは、ただの一つも無いんだ。
だから、勝つ。
「かかってこいやあああああああああああっっ!!」
「ピュグルルルルルルルッッ!!」
「ほんとに来たああああっっ!?」
いやあの、スライムさん、スライムさん。
もうちょっと余韻ってものがあるでしょう。
ここはそう、俺のセリフにチビたちが感動する場面だよ!
「ほんとに大丈夫ですのー!?」
「ピュグアアアッ!」
「くっ!?」
スライムはザバザバと川を横断し陸に上がると、一瞬だけタメを作り、俺に向かって体当たりしてきた。
体当たりと言えば、モンスターの攻撃においてはなんともしょぼいイメージだが、相手の質量が質量だ。
鍋の蓋すら装備してない俺にとっては充分に必殺である。
俺は地を蹴って、真横に飛ぶ。
後先考えない全力の回避だ。
スライムは、かろうじて無傷だった橋の縁はおろか、道標まで一緒に吹き飛ばしながらこちらへと突進。
今まで俺が立っていた空間を貫いて、土煙を上げながら森にぶちかましていった。
轟音。
回避の姿勢から立ち上がると、何本もの木々を薙ぎ倒したスライムが、こちらに反転しているのが見えた。
さあ考えろ。
どうやってあいつを倒す?
地球にいた頃は、こういったトラブルに巻き込まれて辟易しているのが常だった。
さすがにスライムを相手にすることはなかったが、似たようなのなら経験ある。
そのおかげで冷静に状況を分析できるのが、嬉しいことなのか悲しいことなのか。
まあいい。
ポイントは二つだ。
①俺は丸腰装備である。無課金アバターレベル。
②必ずしもスライムを倒さなくても良い。退ければ勝ち。
チビたちを助けてとっとと逃げるのがベストだが、今の三人を助け出すには川に入る必要がある。
だがそれは今、単なる自殺行為にしかならない。
チビたちを助けるのは全部終わってからだ。
まず最初に思いついたのは、シャルナクアの森の結界を吹き飛ばした、この邪印とやらがもたらす謎魔力。
これならたぶん、簡単に勝つことが出来るだろう。
だが問題は、発動条件がまったくわからないこと。
あの時は必死だったから、どうやったのかいまいちよく覚えていない。
これを作戦に組み込むのはあまりも無茶無謀だろう。
何か使えるものがないか、辺りを見回す。
ほとんと全壊となった橋と、川の中頃で命綱に掴まっているチビたち。
スライムによって薙ぎ払われた岩、道標、森の木々。
「……あ?」
そういやさっき――
「……まてよ?」
「ちょっとー!? 何を考え込んでるんですのー!?」
「スライムが来てますわよー!?」
いける、かも。
かなり危ないが、やってやれないことはない、はず。
「よっしゃ!」
この作戦でいこう。
と、決意新たに顔を上げた俺の眼前に、ジャイアントスライムが迫っていた。
「って近っ!?」
「だから言いましたのにいいいっ!!」
うおおおおおっっ!?
再び放たれていた体当たりを、すんでの所で回避する。
だか姿勢に気を遣っている余裕が無かったため、ごろごろと無様に転がってしまう。
「いででででで!?」
石が敷き詰められた川瀬を半裸で転がるのはきつすぎる!
いろいろ擦り切れてる感覚が……たぶん傷だらけだろう。
痛みを堪えながらなんとか立ち上がると、同じく川瀬に降りていたジャイアントスライムは、既に〝タメ〟を終えていた。
「くっ!?」
宙に飛び上がったその巨体を、避ける。
衝撃で大小の石が飛び散り、水が跳ね、チビたちの掴まったロープが揺れる。
「あわわわロープがっ!」
「切れる……」
「流されちゃうよー!」
やべぇ! あいつらが!
と、よそ見をしたのがいけなかった。
俺が目を離した隙に、ジャイアントスライムがタメの少ない、比較的緩やかな体当たりを放っていた。
「ぶがっ!?」
弾力に富んだ体に勢いが乗ると、それは弾丸になる。
まさしく、ハンマーで全身を殴打された感覚だ。
俺はピンポン球みたいに、ぽーんと飛ばされた。
そして、橋の残骸が滞留していた浅瀬に背中から突っ込んだ。
「がはっ……」
痛い。痛い。痛い。痛い。
なんか耳元でぐしゃ、っていった。
全身がバラバラになりそう。
たぶん、粉々になった橋の木材が体に刺さりまくってる。
指一本動かすことができない。
くそ、ジャイアントスライムの野郎、大振りの攻撃をやめて、威力が小さめの素早い攻撃に切り替えてきやがった。
大正解だよこんちくしょう。
なぜならそんなにタメを作らなくても、俺にとっては充分致死だからな。
普通に効いたぜ。
「変態男っ!」
「……へ、変態野郎……っ」
「変態さーん!」
チビたちが俺を呼んでいる。
あいつら、あとで名前を教えてやらないとな。
いい加減、変態呼ばわりされるのはまっぴらだ。
「……逃げて。〝タメ〟てる」
タメてるってのは、ジャイアントスライムが、俺にトドメの一撃を放とうとしてるってことかな?
だが俺は、体を動かさない。
青空しか視界に映らない。
たぶんあれが来る。
俺の動きが止まった今、ためらう理由は無いはずだ。
ジャイアントスライムは間違いなく、最大の威力を乗せた、最強ののしかかりを放ってくるだろう。
俺の考えは正解だった。
一面に青空が広がっていた俺の視界。
その青空の中に、ぽーんと介入する丸い影。
豆粒、とまではいかないが、みかんぐらいのサイズに見えるほど天高く飛び上がったジャイアントスライムが、俺に向かってまっすぐ落下していた。
このまま動かなかったなら、間違いなく死んでしまうだろう。
車に轢かれたヒキガエル。
俺も彼らの仲間入り。
だが、それはいくらなんでもごめん被りたい。
だから俺は、痛覚の存在を恨めしく思いながら、体を動かした。
起き上がって逃げるために?
違うね。
この戦いに勝つために、だ。
「ふんぬっ!」
「あ、あれは!?」
橋の残骸の中。
いくつもの木片が重なり合うその場所から、俺が素早く抱きかかえて立たせたそれ。
それは、戦闘中に吹き飛ばされてここまで跳んでいた道標だ。
俺の身長、170センチ程度はある、木製の、三角錐形のそれ。
両手を回さないと抱えられないぐらい太くて、全身の力を駆使しないと立たせられないぐらい重いそれを、どうにかふんばって空へと向ける。
集中しろ。いつものように。
この程度のプレッシャーなんて、慣れてる。
「そ、それをスライムに突き立てるつもりなんですの!?」
「無茶かも。確かに少しは効くだろうけど……」
「相手が大きすぎるよー!」
そう、たしかにジャイアントスライムにくらべれば、この道標は小さい。
これで仕留めようと思うなら、この三倍の大きさは欲しいぐらいだ。
だがな、別に仕留める必要は無い。
足止めができりゃそれでいい。
その道標の大きさじゃ、足止めにもならないって?
ところがどっこい、どうだろうね?
「ピュグルアアアアアアッッ!!!」
俺は空中の、こちらに向かってヒップドロップを決めようとしているジャイアントスライムを見る。
そして、ジャイアントスライムに向かって突き立てた道標の先端、鋭利な部分の位置を調節する。
たしかにこんなもんが刺さったぐらいじゃ、この巨体には効きそうもない。
だがそれは、普通の場所に刺さったらの話だ。
さっきから俺が、なんのために道標の先端を調節してるんだと思う?
狙ってんのさ。
スライムさんの弱点を。
今、ジャイアントスライムがこちらに向けている体の裏側。
人間でいうところの背中からお尻にあたると思われる部分の、その下部6時の方向。
――野球少年をなめんなよ。こちとら、ただ落ちてくるだけのフライをこぼすようなド素人とは違うんだよ……!
「ここだああああああっっ!」
道標の固定を終えた俺は、急いでその場から離脱。
そしてジャイアントスライムは、地に降り注いで轟音を立てた。
自らの弱点を、太くて固い巨大な三角錐にぶっ刺す形で。
「ピュグルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!???」
道標は、もうブスッと、座薬も真っ青な感じで見事にスライムの尻を捉えていた。
その弱点がスライムにとってどれだけ効果的なのかは、既に熟知している。
「さっき散々責めてやったからな」
ジャイアントスライムは、悶絶してピクピク体を震わせたまま、動かなくなった。
恐らくもう、大丈夫。
「……はぁ、終わったぁ」
「ぶくぶくぶく……」
「っておまえら流されとるがなっ!!??」
地面にへたり込んで休む暇も無かった。
俺は川に向かって走り、そのまま飛び込む。
冷たっ!? そして水が傷に染みて痛っ!?
だが迷ってる場合じゃない。
俺が接近する頃、チビたちは完全に川に沈み、泡だけが水面に浮かんでいた。
俺も合わせて潜行。
水流に負けぬよう必死に泳ぎ、三十秒。
「ぶはぁっ!」
この流れるような連続重労働……きっついきっつい。
果たして俺の両手には、ぐったりとなった三人の妖精が抱えられていた。
俺は水浸しのまま川瀬に戻り、広く平べったい岩の上に三人を並べてやる。
「……う”ーん……」
「……水でおなかいっぱいだよぉ」
「えーっと、ピルチとマチーは異常なしだな。――!?」
やばいかも。
チッチの呼吸が無い。
あれほど輝いていた金髪も、どこかくすんでしまっているように見える。
「うおおおおおマジかよっ!? おいこら死ぬな妖精! ここまできてくたばるんじゃねぇぞおおおおおおおおっ!!」
「ぐばっ!? ごぼっ!? げほっ! げほっ!」
「おおおおっ!」
以前、溺れて水を飲んだ猫を助ける方法、というのをテレビで見たことがある。
猫の両足を掴んで、地面にぶつけないように気をつけながらぐるぐると縦にぶん回すのだ。
その方法をチッチにためしたところ、なんとか水を吐いて息を吹き返したのだ。
よかったよかった。
「おい大丈夫か? 意識はあるか?」
「うぅ……うわーん!」
「おっ?」
チッチは目が覚めて俺の姿を認めるや否や、両目にじんわりと涙をためて、それを零しながら俺に抱きついてきた。
「怖かった! 怖かったですのぉ!」
「あー」
そうだよな。
溺れた子供ってこんな感じだよな。たぶん。
「よしよし、もう大丈夫。みんな助かったんだよ」
「ううっ! ひっく……ううぅぅぅぅ!」
こうして俺は、チッチが泣き止むまで、その小さな体を猫の要領で抱き続けてやったのだった。
※※※
「へーっくしっ!」
「ちょっと、揺らさないでくださる?」
「あーすまん」
くしゃみをした俺をチッチが咎めたのは、彼女と、それからピルチとマチー三人が、俺の頭の上、両肩にそれぞれ載っているからだ。
なんとか回復した俺たちは、先ほどの道標に従って、森の中を横断していた。
目の前には轍の通った道がちゃんと続いており、そこはかとない安心感。
このまままっすぐ進めば、いずれ城下町とやらに出られるだろう。
「疲れている私たちを運んでくださるのは感謝しますけど、まだあなたを連れ戻すことを諦めたわけじゃないんですからね」
「はいはい」
元気になったようで何よりです。
さっきまで泣いてたくせに……とは、言わぬが花だろう。
「でも、そのことなんだがなぁ、大丈夫だと思うぞ?」
「……どういうこと?」
「聞きたい聞きたいー♪」
ピルチとマチーもすっかり元通りだ。
よきかなよきかな。
「俺、もともとあの村の人間じゃないんだ」
「え?」
「今回、俺は偶然ニルベ村に訪れた。魔法関係でいろいろあってこう……うまく言えないけど、森を経由せずに、直接村に飛んできたような、そんな感じだ」
「……転移魔法でも使ったの?」
「まあそんなとこ」
実際のところどうなんだろうな?
召喚された、ってのが近いと思うけど、詳しくはわからない。
「俺が結界を破ったのは、みんなにとって予想外のことだったかもしれないけどさ。そもそも俺が現れたこと自体が、村の人たちにとっては考えてもいなかったことなわけ。だからたぶん、シャルナクアって人は、そんなに叱られたりしないんじゃないかな?」
俺はがよくわかっていないこの邪印の力も、村の人々なら織り込み済みだろう。
という理屈。
ほんとにそうなるかどうかはわからないけどな。
こう言っとけば、この子たちもちょっとは安心できるだろう。
「そうだったんですの」
「うん。まあなんだ。俺は村から逃げた、っていうより、元の世界――いや、元の国に帰るために村を出たんだよ。どっちかって言うと捕まってた感じ? だから、俺のことは見逃してくれるとありがたいな、なんて」
「……ふん」
チッチが不満そうに鼻を鳴らす。
「シャルナクア様の結界を破ってしまったのは腹立たしいですけど、ニルベの一族でない者を閉じ込めておくのは、あの森の妖精としての本懐ではありませんわ」
「……シャルナクア様、もしかして最初から逃がすつもりだった? だからうちらにも、追いかけちゃいけないって言った?」
「だったらわたしたち、約束を破っただけのダメダメ妖精だよー♪」
なんだかなぁ。
結局のところ、俺のせいでこいつらにも迷惑をかけちゃった形になるのかな。
「今からでも引き返して、元の森まで送ってやろうか?」
「結構ですわ」
わりとまじめな提案だったのに、あっさり断られた。
「いい機会です。わたくしたち三人、前々から旅に出たいと思ってたんですの」
「……シャルナクア様が教えてくれた外の世界、見たいと思ってた。あの森退屈」
「えとね、えとね! おいしいもの食べてみたーい♪」
「ほぉ」
なんとも好奇心旺盛なチビたちだことで。
ん? 待てよ?
てことは――
「だから変態男。わたくしたち、あなたが元の国に帰る旅に付き合ってあげますわ。これはしかたなくですからね。文字を読むこともできない男の一人旅では何かと不便でしょうから、慈悲の心をもってしかたなく付き添ってあげるんですわよ? 感謝なさい」
「……チッチがそうするなら、うちもそうする」
「わたしもわたしもー♪」
……ま、こんな感じになるよな。
「な、何を黙ってるんですの? もしかして不満なのかしら?」
頭上にいるから表情を伺えないが、ちょっと不安そうなチッチの声。
そんな声を出すんじゃあない。
置いていったりしないから。
「いや。こっちとしても、一人じゃないのは心強い」
「そう」
チッチの声が一気に弾んだ。
明らかに機嫌がよくなった感じ。
うん、あれだ、小さな子供みたいでかわいい。
「なら、名前」
「え?」
「名前を聞いてあげますわ。変態と呼ぶのにも飽きましたし」
「そういやそうだな」
おお、なんということか。
知り合って半日は経つのに、未だこのやり取りが無かったとは。
「俺は坂月ヒカルだ。ヒカルでいい」
「ヒカル……ヒカル、ね」
「覚えたか?」
「ええ。ねぇヒカル」
「ん?」
ピルチは俺の髪の毛を掴んで、俺に向かって最大限、顔を寄せた。
そして小さな、ほんとに小さな声で、囁くように言ったのだった。
「助けてくれてありがとう」
「……おう」
「……ありがとヒカル」
「ありがとねー♪ ヒカル♪」
惜しいな。
今までつんけんしてたチッチが、この時どんな顔をしていたのか?
彼女を頭の上にのせている俺は、その表情を見ることができないのだった。
一週間後もお楽しみに!