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神頼みタクティクス Restart  作者: 宇多夢ショコラ
一章・邪神、始めました
2/7

一話

おまた!

【第一話】



 三六九の姿が俺の前から掻き消えて――いや違うか。

〝俺が〟三六九の前から姿を消したその瞬間より、奇妙な感覚が俺を包み込んでいた。

 それは振動のような鳴動のような蠕動のような。確かに衝撃なんだけれども、それでいてどこか浮遊しているかのような。


 ゴーゴーともザーザーともつかないノイズ、あるいは地鳴りのような音が流れ続けているせいで、耳が馬鹿になりそう。

 時間の感覚も麻痺している。

 一分経ったのか十分経ったのか、あるいは一時間なのか。


 顔を庇った姿勢のまま、目を開けることもままならない。

 目を開けるのが、怖い。空を飛んでいる夢でも、その高さに一瞬でも恐怖すれば真っ逆さまに落ちてしまうように、こうして目を閉じて曖昧な状態にいることこそが、俺が無事である唯一の方法であるような気がして。

 この世のどの場所でも味わったことのない感覚。

 ……ならここは、この世の何処でもないんだろうか。

 そんなことを、考えた時だった。


 爆発。


 いや、爆発なんて生ぬるいもんじゃない。

 山が崩れたのか。

 国が滅んだのか。

 天地開闢なのか。


 およそ、平和な日本という国に生きていては一生味わえないであろう規模の、常識を軽く凌駕するレベルの〝ブレ〟が俺を襲った。

 これ、必殺じゃないよな?

 やばいという感覚は頭の中にあるのだが、五感も麻痺してるかのように俺の自由の一切がこの調子なもんだからどうすることもできない。回避とか無理。

 そうやって俺があたふたしていると――


 どすごーん!


 この間抜けな音は解る。なんの擬音なのか。

〝どこか〟に落下した俺が、全身をしたたかに打ち付けた音だ。

 地面に当たった体が、勢いのままバウンドする。

 人間の体がバウンドって、おい。


「はがっっ! ふっ……くふっ……ぐぅううぅぅ……」


 全身がバラバラになりそうなほどの、張り裂けそうな痛みが俺を襲っている。

 背中から打ったっぽい。背面の痛みが半端無い。

 あは、はははは、痛みで顔が引きつって、笑ってしまう。

なんだよもう、こちとら驚きの連続にただただ翻弄されてるだけだってのに、いきなりガード不能技とかやめてくれないか……っ。


「い、痛ぇ……」


この痛みはそう、はっきり言って萎える。

 痛みを堪えるのに必死で、それ以外の意欲が湧かない。

 あれ、体動かないんだけど。

 ……ねぇこれほんとに大丈夫?

 お、折れてない?

 俺のこう、いろいろとこう、折れてたりしない!? 大丈夫俺の体!?


(このままもう寝そべってたい……地面も冷たいし、ちょっと固くて痛いけ、ど…………あれ?)


 ――痛み。

 つまり、俺は……あれから、落ちたってことか?


 まだ目を開けていないからなんとも言えないが、重力を感じる。

 どこかに寝そべって悶絶しているのだとわかる。

 よかった、どうやらさっきまでの謎空間は終わってくれたようだ。


 目を開ける。

 そこは、洞窟だった。

そこかしこに、火の灯った松明が立てられている。

儀式的な祭具のようなものがある。この洞窟は、オペラハウスのように中央に行くに従って低くなっていく人工的な洞窟のようだ。俺がいる場所は、ちょうど舞台に当たる辺りなんだが――。


「……どこなんだ、ここ」


 痛む体にむち打って身体を起こしながら、呟く。

 俺は一体、どうやって、何でこんな所に――、



「誰か、いるのですか?」


 ――え?

 俺は、すぐに反応することができなかった。

 俺じゃない誰かのその声に。

 そして、見た。




挿絵(By みてみん)




 白い景色の中、その少女は驚きの表情で、こちらを見ていた。

 俺も少女の出現に驚いていたから、たぶん似たような顔をしているのだろう。


 綺麗な少女だった。

 白を基調としたどこかの民族衣装? のようなものを纏い、こちらを見下ろしてる。


「……」

「……」


 無言で、しんしんと、雪が降り積もるのを眺めるみたいに、ただただ見つめ合う。

 やがて、少女が言った。


「服を――」

「え?」

「服を脱いでください」


 ……ゑ?

 聞き間違いかな?

 なんだか脱衣を要求されたような。


「脱いでください! 早く!」

「ふぉっ!?」


 まくし立てられちゃったよ!

 俺がまったく反応できないでいると、少女はしびれを切らしたのか、俺にぐわっと迫って目の前にしゃがみ込み、俺の服を乱暴に脱がし始めた。

 もう一度言う。

 俺の服を乱暴に脱がし始めた。


「……ってちょっと待ってちょちょちょちょ!? って痛い痛い痛い!」

「ちょっと! 動かないでください!」

「今俺体を強く打ってて、……いちちちち!?」


 その段階になってようやく意識が追いついた俺は、上着をはぎ取られながら上記のように間抜けな反応。

 だってしょうがないじゃん!

 なんだよこれ!?

 なんでいきなり美少女にこんな……どういうことなの!?


「いいから早く脱いでください!」

「ナンデ!?」

「これは……ベルト? ええい外しにくいっ!」

「あっ、そこは!?」

「……いや、下半身じゃない? ならベルトを取らなくても……ていっ!」

「いやああああっ!?」


 スポポポポーンとすべてのトップスを剥がされ、あっけなく俺の上半身が晒された。

 おまけにズボンのベルトやチャックも解放済みで、もう二、三手で全裸確定。王手剥ぎ取りである。

 つか、普通に恥ずかしいわ。

 見ず知らずの女の子に脱がされ裸を見られるという異様なシチュエーションに、頬がカァーッと熱くなるのを感じた。


「な、なんなんだよきみ(裏声)」

「なんてこと……」


 こっちのセリフじゃ!

 少女は最初に俺を見た時のような、いやそれ以上に〝信じられないもの〟を見る眼差しで、俺の裸を凝視している。

 いったいぜんたいこれは何事か? あんた誰なの? ここはどこなの? なぜ俺は脱がされているの? あれ、そういや痛み止まってるな、なんで?


 そういった疑問が一気に――吹き飛んだ。

 自分で、自分の裸を見て。


「……あ? なん、だ、これ?」


 俺の体に走っているその〝模様〟の色を、なんと表現したらいいだろう?

 毒々しい、少し紫がかった黒?

 深淵の、宇宙の向こう側?

 ああわからない。形容しうる術を知らない。

 でもそれは、確かに存在した。

 俺の腕、胸、腹、つまるところ全身の表面に、刺青のような形で、毒々しい蛇のようで、何かの紋章のような記号的集合を行って、いつの間にか、存在していた。


「〝邪印〟が、移植されている?」


 少女が呆然と呟く。

 邪印? 知らないけど、たぶん俺の体に浮き上がったこれを指してるんだろう。

 星座にも見えるようなごちゃごちゃとした模様が、しかし整然と、一定の法則をもって腹部、両腕、胴体そのすべてに刻まれている。おそらく背中にもぎっしりだろう。


 いやいや待ってくれ、いったいいつの間に?

 もちろん俺にこんな趣味はない。

 ならいつだ? と考えて思い当たったのは、ついさっき味わった強烈な痛み。

 突如として全身に訪れた、反則級の激痛地獄。

 単にどこかから落下したせいだと思ってたのだが、もしかして違ったのか?

 と、その時。


「ッ!?」

「これは!?」


 俺と少女が同時に驚く。

 動いたのだ。

 俺の全身に走っていた謎の刺青がずるりと滑り、ゆっくりと、地面に埋められた植物の種の成長フィルムを逆回しで見ているみたいに、俺の背中側に向かって肌の上を移動していく。そのまま見えなくなる。


 いやでも、消えたわけじゃない。

 見えないからわからないが、たぶん、俺の背中でひとまとまりになってる。俺は今、謎の刺青を背負っているような状態なんだ。なんとなく感覚でわかる。

 背中と言えば、さっき特に痛みがひどかった場所だったよな。

 と――


「どうしたんですか、ミナ様」

「何があったのじゃ?」

「今の音は?」


 舞い上がっていた埃がようやくおさまって、周囲の状況があらわになる。

 ごつごつとした、明らかに大自然の掘削と思われる壁面。

 どうやら俺とこの少女は、どこか、洞窟のようなところにいたようだ。縦横それぞれ三メートルほどの幅があり、歩くのには不自由しなさそう。

 いたるところに松明が掲げられていて、けっこう明るめだ。

 そして俺は、石で作られたと思しき台座の上でひっくり返っている。

 その傍に佇む少女。


 そんなところに、お爺さんやお婆さんやお兄さんやお姉さんが――なにやら異世界ファンタジー物の衣装っぽい服に身を包んだ人々が、いきなりわらわらと現れたのだ。

 誰?

 ってか、ちょっと待て! キャァアアアア俺裸なんですけどぉ!


「長老」


 俺が自分の体を庇いつつ奥へ後ずさっていると、先頭に立っていた白ひげのお爺さんに少女が声をかけた。

 長老? 長老って……いや、たしかにこのおじいさんは長老っぽい顔してるけどさ。

 あと、この女の子は〝ミナ〟っていうのかな?


「ミナ!? その者はいったい!?」


 俺の存在に気づいた長老以下が驚き、ざわざわと騒ぎ始める。


「これは……この人は……」


 少女――ミナは言葉に詰まり、それから俺の方を見て、沈黙。


「……」

「どうしたのじゃ? 何があったのじゃ?」


 長老の問いかけも無視し、ミナはぢっと俺を見ている。

 な、なんなんすか?

 などと、そろそろ敬語で問いかけてみようかと思った瞬間。

 ミナは俺に向かって、にっこりと微笑んだ。

 そして、え? と問いかける暇もなく、彼女は長老以下に向き直り、明るい口調で言った。


「皆さん、喜んでください。邪神様が降臨なさいました」


 ………………………………………はぇ?


「なに?」

「なんですって?」

「どういうことです?」


 ミナの言葉に、長老以下が次々と疑問の言葉を口にする。


「邪神様?」


 かくいう俺もその一人だ。

 ていうかもう、わからないことだらけで何が何やら。

 もうむしろ、考えるのをやめたい。

 いろいろと放棄したい。

 いや、服だけは身につけておきたいのだが。


「いったい誰なんですか、その子供は」

「村の者ではない……」

「どうやって森を抜けて来たんだ?」


 昔の西洋風の格好に身を包んだ老若男女が、俺に訝るような目を向け、口々にまくし立てる。

 なんか俺、お呼びでないっぽいが。

 ていうかこの不穏な空気、明らかにやばいのだが。


「……落ち着くのじゃ」


 長老の言葉を受け、後ろに控えていた西洋ピープルズが一瞬で静かになった。

 さすが、長老と呼ばれるだけのことはある。


「ミナや」

「はい」

「どういうことか説明しておくれ」

「わかりました」


 長老に促され、ミナは一歩前に出る。


「端的に申し上げますと、〝儀式〟は成功しました。しかしそれは、予想外の結果を伴っていました」

「……その少年か?」

「はい」


 皆の視線が俺に集まる。

 やだ俺ったらこんな格好で、ってふざけてる場合じゃないな。


「信じられないかもしれませんが、私が儀式を遂行したところ、邪印からこの方が出現しました」


 ええ!?

 いったいなぜそんなことに!?

 と後ろの人たちがやいやいと声を上げるが、長老が片手をあげて制し、静まる。


「そして邪印は今、このお方に刻まれています。このように」

「ちょっ」


 拒否する間もなく、ミナが俺の両肩を掴んで、強制的に背中を晒された。


「馬鹿な!」

「邪印が巫女以外に!?」


 ああもうわけわかりません。専門用語多すぎる。

 冷静さを失っている人々とは対照的に、ミナは俺をロックしたまま嬉々と語る。


「ご存じの通り、私たちニルベの民は、この祠に安置された〝セラトナの邪印〟を守り抜いてきました。いつか現れる〝滅びの使徒〟へと対抗するために」


 せらとなのじゃいん? 何? 外人?


「そして今代の巫女となった私は邪神となるべく儀式に望んだわけですが、その結果がこれです」

「つまりこう言いたいのか?」


 長老が俺から視線を逸らさずに言う。


「邪印をもって邪神となるはずの儀式が、邪神を〝呼ぶ〟結果に終わった、と」

「その通りです」


 長老以下がざわ……ざわ……。

 つ、ついていけない。

 状況がさっぱりわからない。


「儀式は成ったのです。〝滅びの使徒〟へと対抗するための邪神は、私ではなく、このお方」

「はい?」

「邪神様」


 ようやくミナが俺から手を離した、と思ったら、今度は俺の前に跪く。


「神界より、遠路はるばるようこそおいでくださいました。あなた様の存在がどれだけ尊いものか気付かず、無礼千万な振る舞いに及んだこと、深くお詫び申し上げます」

「は、はあ」

「ニルベ村の巫女、ミナと申します」

「あ、これはどうも。俺はヒカルと言います」

「ヒカル、様……素晴らしいお名前ですね。邪神、かくあるべしといった風格が漂っておられます」


 言い方にぞわっときた。

 どんな名前やねんそれ。

 じゃなくてさ。


「ねえちょっと」

「はい。何か?」

「なんと言ったもんか……。とにかくね、今俺、混乱してるんだよ。一気にいろいろなことが起こったせいでさ」

「心中お察しします。私のような矮小な人間がいきなりお呼び立てしてしまい、神界から人間界へ、なんの心構えもなくお越し頂いたのですから。重ねてお詫び申し上げます」


 ミナは深々と頭を下げるが、違う違う。

 俺は別に謝罪が欲しいわけじゃないんだ。

 ていうか、なんか根本的に認識がずれてるな。


 邪印?

 儀式?

 邪神?

 神界?


 三六九の前から消えた俺。

 ミナの前にいきなり出現した(らしい)俺。

 ミナを含め、現れる人々の服装はどう見ても日本じゃない。顔立ちもまた然り。

 俺の体には謎の刺青が現れるし。しかも動いたし。


 さて、他の人ならどう考えるかな?

 今の俺の状況を、ゲームとか小説とかアニメとか映画に照らし合わせるなら――

 いや、いやいやいやいやいやいやいや。

まさかという思いと、やっぱりこれってそういうことなのかなという思いがせめぎ合う。


 三六九とさんざんどたばたやってきた俺だ。

 もし俺の考えが当たっているとしても、死ぬほど驚くってほどじゃないけどさ。

 けどやっぱり、それなり感じることはあるわけで。

 だから俺は、確認のために聞いた。


「あのさ」

「はい。なんでしょう?」

「ここって何県かな?」

「はい?」

「都道府県を教えてほしいんだけど。この場所の」

「トドー……? ここは一応、ベーツェフォルト公国領ですが」


 うん、この反応は間違いない。

 確信した。

 どうやら俺は、三六九の予言通り、物理的に地球から姿を消した。


 そして、このファンタジー空間に召喚されてしまったらしい。



  ※※※



 洞窟を抜けると、そこは陽光と草の香りに溢れる豊かな空間だった。

 眩しくて、思わず手の庇で目を守る。

 ようやく明順応を済ませたところで、隣に控えているミナが言った。


「ようこそ、ニルベ村へ」

「ふわー……」


 俺の口から間抜けな感嘆が漏れる。

 そこは、煉瓦造りの家が並ぶ村落だった。

 なだらかな平地に、赤煉瓦と木材を活かしたコテージがよく映える。柔らかな雰囲気の漂う場所だ。

 切り妻、鋸、片流れと、屋根の形状はなんでもあり。

 どの家にも煙突があり、そのうちのいくつかからは煙が上がっている。微妙に漂ってくる香ばしい匂い……パンでも焼いてるのだろうか?


 ああ、なんかこう、ザ・ファンタジーの村です。

 いよいよもってここは日本じゃないんだよなーと痛感する。

 イメージ的には冒険が始まる村って感じかな。

 いや、既に大冒険なんだが。


「とりあえず、私の家でおくつろぎください。それから、私たちの事情をお話します。どうぞこちらへ」

「お、おう」

「ちょっと待て!」


 ん?

 促されるままミナについていこうとしたところで、後ろから声がかかった。

 俺たちの背後にぞろぞろとついていきていた長老以下の人々――その中から背の高い、腰に剣をぶら下げた屈強そうな青年が躍り出る。

 青年は俺とミナの傍まで歩み寄ると、ギロリと俺を睨んだ。

 なんだよ? 怖いって。


「どうかしましたか? ガラ」


 ミナの発言から察するに、この青年はガラというらしい。

 ガラは不満そうな、そして不審者を見るような目を俺に向けながら言う。


「ミナ、やっぱりおかしいんじゃないか? こいつは確かに邪印を宿したようだが、どう見ても普通の人間だ。神界からやってきたようには見えない」

「ガラ! 失礼ですよ!」


 いや、ガラさん正しいですよ。

 神界じゃなくて地球からやってきたんですもの。

 ミナは怒りを露わにするが、ガラさんは遠慮せずに続ける。


「こうは考えられないか? その少年はなんらかの方法で森を抜けてやってきた密偵で、ニルベの秘密を探るために――」

「ガラ!」


 ミナの強烈な一喝に、ガラはうっ……と黙る。

 俺もうっ、となった。つーかビビったわ。

 この子、さっきまであんなにニコニコしてたのに、こんな怖い顔もするんだな。


「申し訳ございませんヒカル様。この者はまだ、理解が足りないだけなのです。あとで言って聞かせますから、どうかお許しください」

「いや、許すも何も……」


 なんで二人がケンカしてるのかがわからないし。


「ミナ、おまえの気持ちはわかるが一度冷静に」

「こちらへ。長老、みんなを解散させておいてください。あとで説明します」


 ミナはガラさんの言葉を完全に無視し、村長以下村人たちに一言かけたあと、俺の手を握って強引に進み始めた。


「ミナ!」

「あの、めっちゃ呼んでるけど……」

「いいんです」


 背後の村人たちがざわつき始めるのを尻目に、俺はミナにつれられて村を横断する。長老だけがまったく動じずに、最後までこちらを見ていた。


 そして、一際大きな家の前に連れてこられる。

 どうやらここがミナの家らしい。


「どうぞ」


 重厚感のある木戸をミナが開き、中へ。


「おお……」


 また感嘆。

 そこは本屋だった。

 いや、違うんだろうけど、壁際という壁際が本棚で満たされ、入りきらない分がそこかしこにタワーを形成しているその光景は、まさしく書店を連想させた。


 一応、テーブルやイス、二階へと続く階段なども見えるには見える。ここが生活空間であることを示す証拠だ。

 だが、それ以外は圧倒的に本であり、本を収納するための倉庫と言われても信じられてしまうほど、この空間は本で満たされていた。


 表紙などに書かれている文字は、どう見ても日本のものではない。ルーンとかいうのに似てるような気がするけど、きっと違うんだろうなぁ。

 この世界の文字ってとこか。


「散らかっていて申し訳ありません」

「いや、別に。読書好きなの?」

「物語はあまり。すべて魔法の実用書です」

「はー、魔法のね。やっぱそういうのあるんだ……」

「はい?」

「いえ、何も」


 普通に魔法って言ったわこの子。

 まぁ、さっきの動く刺青現象を見た時からなんとなく察してたけどさ。

 儀式とか邪神とか、普通に会話の中で出てきたし。

 これはちょっと、本格的に説明してもらわねばなるまい。

 あと、こっちもいろいろ説明しないとだし。


「こちらへおかけください。あ、埃が……今拭きますので少々お待ちを」

「えっと、ミナ、さん」

「なんでしょうか? 私のことはミナで結構ですよ」

「じゃあミナ。聞いてほしいことがある」

「はい?」


 ミナはイスに向かってハタキを構えた姿勢で振り返る。

 うーん、理解してもらえるのだろうか。

 だが、とりあえず、やるしかない。


「さっき君は、俺のことを邪神だとかなんとか言ってたよね」

「ええ」

「それはとても尊いものなんだとか」

「はい」

「違うんだ」

「え?」

「俺は、君が考えているような存在なんかじゃない。さっきのガラさん? って人が言った通り、ただの人間なんだ」


 ミナは俺の言葉にきょとんとした顔になったが、やがてぷっと吹き出して、あはははと笑い始めた。


「またまたそんな、ご冗談を」


 ううむ。やっぱりこういう反応がくるのか。

 しかしめげていられない。


「いや、ほんとなんだって。俺は神界なんかじゃなくて、地球っていう、魔法も何も使えないごく普通の人間たちが暮らす世界から来たんだ。だから俺もまったく魔法とか使えなくて――」


 ミナは「はいはい」といった様子でこちらの話を聞いてくれる。内容に関してはちっとも信じていない様子だ。

 しかしあきらめないぞ。こういう勘違いを放置しておくと、あとで絶対に痛い目を見ることになる。

 自分のためにもこの子のためにも、なんとかして納得してもらわなくては。


 俺は熱弁を振るった。一生懸命。乾坤一擲の想いで。

 自分がただの高校生であること。

 少なくとも神様と呼ばれるほど偉いことをした覚えはなく、この世界にやってきたことは明らかに何かのトラブルであること。


 ミナは最初「またまた」などと茶化していたが、俺の真剣なトークが通じたのか、少しずつその表情が変わっていき――語ること一時間。


「す、するとヒカル様は、魔法の存在しない大陸からやって来た、学生?」

「そう! そうなんだよ!」


 よっしゃああああああああっ!

 通じたぉああああああああああああああっ!

 ぜぇぜぇと、肩で息をするまでになってしまったが、それだけの甲斐はあったというもの。


「で、でも、邪印は確かにあなた様の体に……」

「その理由はわからない。きっかけは君の儀式とやらなんだろうけど、なぜ俺がここに呼ばれたのか、それは謎だ」

「そんな……では私は、邪神様をお呼びしたのではなく、祠の邪印をただの人間であるあなたに移しただけ?」

「そういうことになる、かな」

「あ……あ……」


 ミナは青ざめた顔でよろめき、話をしながらはたき終えた木製の椅子に、倒れ込むように腰掛けた。

 うわ、すごいショック受けてるっぽい。

 なんか心が痛くなるけど、でも言わないわけにはいかないし。


「……」

「あの、大丈夫?」


 ミナは茫然自失といった様子で、俺の呼びかけも無視。だらりと両手を下げた力のないポーズで、ただひたすら足下に視線をやっている。

 きっと儀式とやらで邪神をうんたらかんたらするのは、よくわからないが、この女の子にとっての大事なことだったのだろう。

 どう声をかけたもんかなぁ。

 などと考えていると、ミナは幽霊のような表情はそのままに、急にすっくと立ち上がって玄関に向かい、扉の近くに駆けられていたロープを手に取った。


 何する気だこの子? と思いながら見ていると、彼女はロープの片側を輪っか状にくくり、もう片方を天井の梁に投げて通し、電車のつり革のようにぶら下げた。

 やがて、そのロープをぴんぴんと引っ張って強度に問題がないことを確かめると、今度はそのすぐ真下に手近な本を掻き集めて積み、最後に自分がその上にのって、ロープに首をかけてキュッと縛り、足場としていた本のタワーを勢いよく蹴り飛ばし――


「ぐえぇっ!?」

「ってなにやってんのおおおおおおおおっ!?」


 自殺だこれ!?

 首つり自殺だこれ!?

 あまりに淡々と作業を進めて、最後に足場を崩して首をつるすまでの行動にためらいがなかったもんだから止め損なった!


 俺はミナのもとに走り、彼女を腰のあたりから抱きしめるようにして抱え、ピンと張り詰めたロープにゆとりを作った。

 頭の上でぜはーっ! と大きな呼吸音が響く。


「急になにやってんだ君は!」

「と、止めないで。死なせてください。巫女としての責務を全うできなかった私には、もはや生きている価値など……」

「早まるんじゃない! 君はまだ若い! いくらでもやり直しは利くさ!」


 ハヤマルンジャナイキミハマダワカイイクラデモヤリナオシハキクサ。

 まさか、今時の刑事ドラマでも見ないような古の呪文を唱えることになるとは。


「あなたに何がわかるんですか! 邪神様じゃないただの平凡な顔立ちのあなたにいったい何が!」

「サラッと人の顔立ちを貶すな! 痛っ!? こらやめろ! 暴れるなって!」


 離せ、いや離さない、でドタバタドタバタ。なんとも見苦しい図だと思う。

 こんなにかわいい子が相手だったら、どうせなら「私のことなんてほっといて! 嫌よ離して!」「いや離さない! 君を離すものか!」みたいなラブロマンスを繰り広げたいものだが、首をつるかつらないかの騒動なんだから泣きたくなる。


 髪の毛引っ張られるし、腹を蹴られるし。

 いったい俺が何をしたっていうんだ。

 今日は三六九の見舞いに行ってのんびり過ごすつもりだったのにさ。

 どうしてこうなった。


 ていうか俺、なんで異世界に召喚されてんねん!

 泣きたいわボケ!

 今更だが涙が出てきたわ!

 これまでいろんなピンチを経験したけど、これは突拍子もなさ過ぎるだろ!


「うう……いったいどうしてこんなことにぃ……」


 一度気分が落ちたらもうダメだった。

 急にメソメソしたくなった。

 しかし、ミナに鳩尾を蹴られて呼吸が「ひぅ」となって止まったので、別の意味で泣きたくなりながら、それでも俺は彼女を抱え続けた。

 と――


「……ぷっ」

「?」


 ふと気がつけば、ミナは暴れるのをやめていた。

 顔を上げると、彼女が笑いを堪えているような表情でこちらを見ている。


「ごめんなさい。予想外に情けない顔を浮かべてらっしゃるものですからつい」


 な、なんだ?

 この子は何を言ってるんだ?

 ていうか、急に雰囲気が変わった。

 さっきまでの鬱々としたダウナーな空気が消し飛んでいる。


「えいっ」

「!?」


 ミナが懐から何か、カード? のようなものを取り出したと思ったらそれを一閃。自分の頭上に振りかざし、あっという間に懐にしまう。結局それがなんだったのかは確認できなかった。

 ただ、俺がその居合抜きみたいな動作に驚いているうちに、彼女の目的は達成されていた。

 すなわち、自殺用のロープが綺麗に切断されていた。


「もう離して頂いて大丈夫です」

「は、はあ」


 言われた通り、丁寧に床に下ろしてやる。

 ミナは首にぶら下がったロープを外し、先ほどまでの騒乱で乱れた衣服を正しながら、改めて俺に向き直った。


「すみません、今死のうとしてたのは嘘です」

「え? 嘘?」

「はい。あなたがどういう〝人間〟か確かめるための、試験のようなものです。先ほどあれほど熱弁を振るって頂いたのに大変申し訳ないんですが、私は最初から、あなたがただの人間だと気付いていました」

「ええっ!?」


 なにそれ? どういうことだ?


「でもさっき、村のみんなの前では――」

「はい。あれは演技です。とにかくあの場では、みんなを騙す必要がありました。村のみんなのためにも、そして、私やあなたのためにも」

「ど、どういうこと?」

「それを、今から説明させて頂きます。そのためにこちらへお呼びしました。ところでヒカルさん」

「はい?」

「先ほどあなたがおっしゃった、〝地球〟からやってきたというお話。あれは本当なんですよね?」

「も、もちろんほんとだけど」

「そうですか。なら、こちらの世界のことも含めてわかって頂けるように説明します。どうか、聞いてください」


 そして、彼女は語り始めた。


「まず、あなたの世界が科学技術を基礎として発展していったように、私たちの世界は魔法体系を整理することによって進化していきました」

「なるほど」

「魔法が生まれるきっかけや、世界の根本を成す〝神器〟の話は、今は省略させて頂きます」


 なんかまた知らない単語が出てきたが、とりあえず放置系で。


「さて、ではこの世界ですが。おおむね平和です。とくにこのラグナクルト大陸は。海を隔てた外国では神器を巡っての戦争が起こったりもしていますが、今が有史以来、一番平和な時期と言えるでしょう」

「そうなんだ」

「しかし――」

「ん?」

「その平和は時期に崩れ去ります。〝滅びの使徒〟によって」

「滅びの、使徒」

「はい」


 ミナの表情から笑顔が消える。

 彼女はゆっくりと窓際まで歩み、そこに広がっている村の風景を眺めながら語る。


「時に、今私たちがいるこの場所は、ベーツェフォルト公国領の外れに位置する、ニルベという名の小さな村です。結界に守られたこの村は排他的で、他の住民を一切寄せ付けません。なぜそんな風になっていると思います?」

「えっと……」

「この村には、ある言い伝えと使命が課せられているんです」

「え?」

「〝滅びの使徒〟」


 ミナは、こちらに背を向けたまま、ゆっくりとその単語を口にする。

 滅びの使徒。

 たしか、洞窟で長老と話してた時にも出た単語だな。


「この村に代々伝わる教えです。世界はいずれ、突如として現れた滅びの使徒によって終わってしまう」

「それって、何者なの?」

「わかりません。村の祖先は正体を知っていたのかもしれませんが、長い年月の中でその情報は失われてしまいました。あるいは、わざと伝えなかったのかもしれませんが」


 なるほど。まあその、すごく大雑把に考えると、今は平和な世の中なんだけど、もうすぐ恐怖の大王がやってくる。この村にはそんな言い伝えがある。ってとこか?

 あ、でも――


「それが言い伝え? なら使命ってのは?」

「〝滅びの使徒〟を滅ぼすことです」

「え? その、世界を滅ぼしちゃうやつを、この村の人たちで?」

「はい。まあ、正確に言いますと〝村の人たちで〟と言うよりは、この村の〝巫女〟の家系に生まれた〝私が〟なんですけどね」

「君が!?」


 この華奢な、さっき抱えたときにあんまり重さを感じないような、この子が?


「いや無理だろそれ。世界を滅ぼすやつに勝てるわけがない」

「そうですね。生身では無理でしょう。ですから巫女は、村の祠に祀ってある〝邪印〟を継承し、神に匹敵する力を持つと予想される〝滅びの使徒〟を討ち滅ぼすために、自らもまた神――〝邪神〟になるのです」


 邪印。邪神。

 これもまたさっき聞いた単語だ。


「邪印とは、この村を興したとされる祖先が残した〝滅びの使徒〟への対抗手段。それを纏い邪神となるべく、巫女はある程度の年齢に達すると、邪神になるための儀式を行います」


 儀式。きっと、さっきの祠でやってたんだろうな。


「歴代の巫女たちが儀式に臨んできましたが、未だ、邪神となれた者はいません。世代から世代へ、何年にも渡り、私たちニルベの一族は、秘密を守りながら巫女を育て、儀式に臨んできました。そして私が、今代の巫女というわけです」

「な、なるほど」

「今日が、私が初めて臨む儀式の日でした。儀式が成功に終われば、祠の邪印は私に移植され、新たな邪神が誕生するはずだったんです。ところが」

「なぜか、俺が現れた?」

「その通り」


 ミナがこちらに振り返る。困ったような笑顔を浮かべていた。


「ほんともう、どうしてこうなってしまったんでしょうね。なぜか、違う世界のあなたを呼んで、しかも邪印を移すような結果に終わってしまった。こればっかりは、まったくもって理由がわかりません」

「うう、なんかごめん」

「いえ、こちらこそ。まあ、なってしまったものはしかたがありませんから。ですが」

「?」

「まあ、私は諦めというか、何せ目の前で起こったことですから、かろうじて納得もできるのですが、たぶん、他の村人たちはそうもいかないでしょう」

「あ……」


 そうか。それでミナはみんなの前であんなことを?


「君が、邪神様が現れたとか言ってみんなに嘘をついたのは、混乱を避けるため?」

「そうです。ニルベの一族は、〝滅びの使徒〟を討つための使命感に満ちています。だからとても排他的で、よそ者には容赦しません。まあ、森の結界に守られてるのでよそ者が入ってくることはまず無いんですが。ところがですよ」

「儀式の結果、俺が現れて、もしミナが〝誰だおまえは〟って騒いだりなんかしてたら、たぶん俺――」

「吊し上げを食らってたでしょうねぇ。全員が、さっきのガラみたいにあなたを問い詰めてたでしょう」

「……」


 俺はその光景を想像して身震いした。


「邪印はたしかにあなたが持っていますが、今、まったくもって魔力を放っていません。ただの人間だと理解するのにそれほど時間はかかりませんでした。あとはまあ、私はゼシルの平行世界理論とかも、わりと受け入れる派の魔法使いですから、異世界からやってきたって話も信じられなくはないですし……」

「あ、ありがどぉ~!」

「いえいえ」


 なんてこった。

 この子、とんでもない恩人じゃないか。

 知らずのうちに、俺は救われていた。

 俺は感謝してもしきれず何度も頭を下げたが、ミナは「こちらが呼んでしまったのですからむしろ謝るべきは私です」と謙虚に振る舞うばかりだった。

 めっちゃええ子やん!


「だからまあ、私とあなたは結果的に村のみんなを騙すことになったわけですが、これからどうするかは一緒に考えていきましょう。でもまあ、とりあえず――」

「?」


 ミナは俺に向き直ると、こほんとわざとらしく咳をし、ゆっくりと両手を広げて何かを受け入れるようなポーズをとった。

 そのままにっこり。


「遠路はるばるニルベ村へようこそ。歓迎しますよ、異界の学生さん」


 この瞬間にこそ、俺は本当に、涙を流してしまいそうになったのだった。



  ※※※



①みんなに俺の正体がばれないようにすること。

②俺は邪印のを継承したのか(邪神になったのか)たしかめること。

③この世界に慣れること。


 以上を目的に掲げた、俺とミナの共同生活が始まった。

 寝床には、ミナの家の二階の部屋(今は諸事情で出払っている妹さんの部屋だそうだ。そこかしこに剣やら斧やらいろんな武器が吊されていてオーガみたいな女の子を想像したが……)を貸してもらった。

 服も、この世界の住人よろしく、装備の無い冒険者レベル1って感じの衣装を譲り受けた。


 さてそれでは、実際にどんな生活かと言うとだ。

 朝は日が昇る前に起きて、耕作や薪拾いを手伝う。

 日が昇ったらご飯を食べて(ジャガイモ料理がメインだ。ふかしたりスープにしたり、何やってもうまい)、山羊やら鶏やらの家畜の世話を手伝う。

 昼飯のあとは邪印を調べる作業(後述する)に入り、夕方頃にまた農作業。

 夕飯をもらってお湯で体を清めたあと、わりと早い時間にぐっすり眠る。


 すごく、健康です。

 いや、最初、俺はなかばミナのヒモ状態だった。ただひたすら家でボーッとして、飯を恵んでもらい、ミナの邪印研究に付き合う。

 ほんとにそれだけの生活だったのだが、それではあまりにも申し訳ない。そのため各種手伝いを申し出た。

 ミナは、そんなことをしてもらうわけには! 他の人の目もありますし! と言って俺の手伝いを拒否したが、暇でしょうがないから人間生活を真似てみたくなった邪神様の戯れってことで一つ! と強引に押し通し、今に至る。

 おかげですっかりファーマーだ。


 この村に召喚されてから、あっという間に一ヶ月が過ぎた。

 食事にも慣れたし、コンビニに行きたい衝動も消えたし、順調に馴染んできたと言えるだろう。

 ただ、一つだけ悩み事が発生していた。


「今日も農作業、お疲れ様です」

「ミナもね」


 昼下がり。本に囲まれたミナ家の家のテーブルで簡単に食事を済まし(今日はパンとスープだった)、さっそくテーブルを片付けてスペースを作り、準備する。

 邪印を調べる作業の準備だ。


 もう毎度のことなので、俺はミナが魔導書をめくってペラペラやってる間に、上半身に纏っていた服を脱いだ。

 いや、ちゃうねん。

 変態ちゃうねん。

 これ必要なことやねん。


 召喚されたその日の夜に確認したのだが、やはり、邪印は俺の背中に収まっていた。あの時以来、ずるずると体の上を這うような現象は起こっていない。


「では、始めますね」

「うん」


 床の上にあぐらをかいた俺の周りに、ミナが複雑な模様(魔法を発動するための記号らしい)が刻まれた、タロットカードのようなサイズの札を置いていく。

 昨日は五芒星の配置だったが、今日は六芒星でいくらしい。


「いきます」


 カードを配置し終えたミナは、俺の正面に立って背筋を伸ばし、両手を俺に向かってかざす。


「〝魔本の断片(フラグメント)。複章連読――2、14、29、37、48、55〟」


 これがミナの呪文だ。

 この世界における魔法使いとは。

 自身の魔力を鍵として術式を形成し、外界に働きかけ、術式に応じた結果を導き出す者たちのことだ。


 魔法の行使に必要なのは、計算。

 どれだけ優秀な式を描けるかで魔法の効果は変わる。

 たとえば火を放つファイヤーって魔法があったとして、初心者魔法使いはたくさんの術式を描いて、多くの魔力を注ぎ込んで、ようやくちっちゃな火種を生み出すことに成功する。


 だが達人は違う。

 そもそもからして、式が頭の中にたたき込まれている。つまり術式に対する理解度が違うもんだから、いちいち術式を描く必要がなく、また補助のための呪文を諳んじることもなく、無詠唱で、早く、ちょっとの魔力で強力な火を生み出してしまう。


 ミナは、彼女の言葉をそのまま受けるなら、中級クラスの魔法使い、らしい。本人はもっとうまくなりたいんだってさ。巫女として使命をまっとうするために。


 で、だ。

 それで胆になってくるのが、俺の体に移ってしまった邪印だ。

 本来であれば邪印を移植された巫女は、強力な魔法を行使することのできる邪神なる存在にシフトアップできるそうな。

 ところがどっこい。

 ミナが言うには、今の俺からはなんの魔力も感じられないらしい。

 最初、祠に現れた瞬間、もっと言えば刺青――邪印がずるずると動いていたときまではかなり強力な魔力を感じていたそうなんだが、それ以降はさっぱりなんだそうな。


 そのため、現在行っているこの作業は、ミナの術式をもって、邪印に呼びかけるという実験なのだ。


「〝複章連読――8、15、24、33、47、56〟」


 ミナの呪文に応じて、周囲のカードから形成される光の柱が、より一層輝きを増していく。

 はっきり言って、俺はミナが具体的にどういう仕組みで邪印に呼びかけているのかは知らないが、これだけは言える。


 この邪印、まったく反応してない。


「うーん。これもダメかぁ。式を組み直さないとなのかな……」


 ミナは両手をかざしたまま、目をつぶってぶつぶつと独り言。

 ザ・魔法使いって感じのこの光景。

 何度見ても飽きないな。


「今日も、話しかけてもらえませんでしたね」

「あー、そうなんだよなぁ」


 この作業の間に世間話をするのもいつものことだ。


「みんな、未だに不信感ばりばりでさ。こっちに悪意は無いってのに」

「村のみんながすみません」

「いやいや」


 さっき言った、悩み事。

 それは、ミナ以外の村人たちとまったく打ち解けられていないことだ。

 主に農作業の時、当然、他の人たちとも顔を合わせることになるわけなんだが、未だに口も聞いてもらえない。

 みんなジロリと睨んで去っていくか、ガン無視かどっちかだ。

 子供たちは怖がって逃げてくし。


「まだまだこれからですよ。ヒカルさんがいい人なのは私がよくわかってますから」

「そう言ってもらえると救われるよ」

「いえいえ。まじめにやっていれば、何かのきっかけで一気に仲良くなれるはずです」

「そうだね。ありがとう。それよりこっちこそ、ごめんな。邪印、まったく反応してないみたいで」

「あはは、ヒカルさんが気にすることじゃありませんよ。こっちもぼちぼちやっていきましょう」


 ほんまええ子や……。

 俺、召喚されたのがこの異世界で本当によかった。

 呼んだのがミナでよかったよ、まったく。


「うーん、現状ではダメですね。今日はこれぐらいにしておきましょう。明日までに新しい式を考えておきます」

「おう」


 この少女との日常は、とても穏やかで温かい。

 前述した悩み事もあるにはあるが、まったくもって先行き不安なわけじゃない。

 この世界には、かつて、超常的な現象に巻き込まれてばかりの俺が求めていた〝安息〟がある。

 いや、地球育ちの俺にとっては、この世界の存在そのものが超常なんだけどさ。


 生きるために労働して、何事もなく平和に過ぎていく日常。

 素晴らしいよ、それ。

 誰かが死ぬ心配をしなくてもいい。

 殺される心配をしなくてもいい。


 そりゃ、地球がまったく恋しくない訳じゃないけどさ。

 いつかは帰りたいと思っているけれど。

 もうちょっとだけ、のんびり浸らせてもらってもいいかな。

 そんなことを考えながら、今夜もふかふかのベッドに横たわり、眠りについた。


 今思えば、なんて間抜けだったんだろうな。

 ここは確かに異世界だけど、でも、人間が暮らす世界だ。

 坂月ヒカル。おまえは知っていたはずだろう?


 人間ってものが、どういう生き物か。


「……ん?」


 夜中、だと思う。

 時計がないからいまいち時間がわからないのだが(こっちに持って来たスマホはとっくに電池切れだ)、ふと、どこからか話し声が聞こえたように思えて目が覚めた。

 いや、これは話し声というより……言い争い?


 ミナも起きてるだろうか? でも寝てたらあれだな。

 そう思った俺は、特に明かりはもたずに手探りで、ゆっくりと一階に下りていった。

 本に囲まれたミナの生活スペース。当然、ベッドも本の谷を越えたところにある。

 階下は真っ暗で、ということはミナは起きていないらしい。


 確認のため、ようやく暗順応を果たした目でそっとミナのベッドを覗いてみると――


「あれ?」


 ミナはいなかった。

 代わりに、家の外からうっすらと彼女の声が聞こえた。


「ガラ。大声をださないでください」


 なんだろうか?

 俺は窓辺に近づき、そっと表を伺う。

 ミナ家の傍には、数人の人間がいた。村の中で比較的年齢の若い人たちだ。

 その先頭に立っているのは、初日に俺に絡んできたガラさんで、彼らは皆、一様に険しい表情を浮かべている。

 ミナは、そんな彼らの前に立って、なだめるように言葉をかけていた。


「せめて昼間にしてください」

「おまえはこの前もそう言ったが、結局、昼だってあいつにべったりで、近づかせることすらしないじゃないか!」

「だから大きな声を……彼が起きてしまうでしょう」


 ミナがやれやれといった様子でため息をつく。

 あいつとか彼ってのは、たぶん俺のことだよな?

 となると、ガラさんは俺目的でやってきた?

 ……夜這い?

 んなわけないよな、この不穏な感じ。

 にしても――


「ミナ、あんな顔もするんだな」


 俺といる時のミナは、いつも笑顔を絶やさない。

 それが今は、とても冷たい表情。

 ガラさんの言動に心底呆れている?

 にしても、普段とはまったく違う、まるで人形みたいな――


「彼は、探ると言っているでしょう」


 ……え?



挿絵(By みてみん)



「ミナ、おまえのやり方は悠長すぎる。何か取り返しのつかないことが起こってからでは遅い」

「危険は無いと言っているでしょう。私が毎日封印の術を施しているんですから」


 ミナ? いったい何を言ってるんだ?

 ミナが毎日俺にやってるのは、邪印の力を呼び覚ますための術なんじゃ……。


「確かに彼は得体が知れません。村の存続問題にすら直結する危険分子と言っても過言では無いでしょう。今すぐに始末するべきなのかもしれませんが、彼は邪印を受け継いでいます。それだけは、揺るがしようのない事実です」


 今、ミナは〝始末〟という言葉を使った。

 いとも簡単に。

 当然のように。

 冷たい表情のままで。


「このまま彼を殺しても、私が再び儀式に臨める保証はどこにもありません。ならば、まずは彼を洗脳するほうが先です。今はまだなんの魔力も宿していませんが、もし、何かをきっかけにして彼が邪印の魔力を操れるようになった場合、骨抜きにして、手懐けておけば安心でしょう?」

「それは、そうだが……」

「あなたたちが彼を邪険にして、傷ついた彼を私が慰める。一緒に暮らしていく中で親愛の情を深め合う。理想的な構図です。もうしばらくだけ我慢してください。もう一ヶ月のうちに、私に対する恋心、ないし、そのきっかけを与えます」


 固まってしまう。

 なんだよ、それ。

 なんでそんな、淡々と。


 演技、だったのか?

 全部が嘘で、今の彼女の姿が、その言葉が、声色が、本当のことだって言うのか?

 結局俺は、誰からも危惧される存在だった?

 ニルベ村。

 その使命を負った者たち。

 誰一人として、俺を理解してくれた人など、いなかった?


「そうなれば彼は、仮に覚醒しても私のために力を振るってくれるでしょう。〝滅びの使徒〟を滅ぼすために。私の復讐を成し遂げるために。道具として、ね」

「……理にはかなっていると思う。だが、もしその計画がうまくいかなかったら、おまえは彼をどうするつもりなんだ? 彼と仲違いを起こして、制御不能にでもなってしまったら」

「その時は――」


 やめろ。

 言わないでくれ。

 その続きを言わないでくれ。

 半ば予想してしまっている。

 けれど、何かの間違いってこともある。

 だけどもう、君の口から聞いてしまったら。

 もう、後戻りはできなくなる。


 そしてミナは、言った。

 言ってしまった。

 俺は、聞いてしまった。


「その時はまあ、殺すしかないんじゃないですかね?」


 頭の中が真っ白になった。

 ただ、体は壊れた機械みたいに、ギリギリと、ぎこちない動きで後ずさっていた。

 そのままそっと裏口を開けて、足音を立てないように、村を囲む森の淵まで近づく。

 村を出るために。

 ミナから、逃げるために。


 ここにいてはダメだ。

 俺は、殺される。

 それは物理的に死亡するという意味でなのか、精神的に飼い殺されるという意味でなのか。

 どっちに転ぶかわからないが、どっちに転んでも、死ぬことに変わりはない。

 なら、ここにいちゃダメだ。

 逃げないと。

 帰らないと。


 一度森に入ってしまえば、あとは人目を気にすることもない。

 なぜなら村の人たちは、滅多なことでは森の中に入ろうとしないからだ。

 俺は思いきり地を蹴って、走った。

 とりあえずまっすぐ進めば、どこかに抜けるはずだ。

 ここじゃない、どこかに行けるはずだ。


 走って、走って、走って。

 駆けて、駆けて、駆けて。


 木々を避けて、草を飛び越えて、枝葉に体を打たれて傷つきながら。

 何分、いや何時間走ったのだろう。

 くたくたになった俺は、息を整えるために立ち止まった。

 その場に四つん這いになって、荒くなった呼吸をどうにか押さえ込む。


 ここまで無我夢中で走ってきた。

 走るということは野球のトレーニングの一環だったから慣れているのだが、このバテ方は相当な距離をこなしたな。

 たぶん、軽く20キロはいったはず。

 流石にもう、追っ手の心配はしなくていいだろう。


 幾分か冷静になった俺は、次に喉の渇きをなんとかしたいと思った。

 どこかに泉でもあればいいのだが、などと思いながら、周囲を探索するためにとりあえず立ち上がって、見た。


 目の前に佇むミナの姿を。


「……ぁ……?」

「失敗でした。聞いてしまったんですね」


 なんで?

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?

 俺は走った。

 たくさん、たくさん走った。

 しかもたぶん、めちゃくちゃ速く。


 なのにどうしてこの少女は。

 こんなに涼しげな顔で。

 汗一つ掻かず。

 息一つ乱さず。

 悠然と、俺の前に立ちふさがっている?


「まあ、さっきの会話でだいたい察していらっしゃると思いますので、説明は省きますけど――」


 冷たい表情。

 冷たい声。

 それは俺の知っているミナじゃない。

 俺が初めて見る、でもおそらくは、〝本当の〟ミナだ。


「私、あなたを虜にして利用しようとしてました」

「う……うぅ……」

「バレちゃったので正直に言いますけど。あなたは危険です。邪印を宿した人間が、危険でないはずがない。おとなしく村に戻って、このまま言うことを――」


 最後まで聞かず、彼女に背を向けて駆けだした。

 今度はもっと速く。

 誰も追いつけない速度で速く、速く、速く。

 ところがだ。


「お帰りなさい」

「!?」


 俺はミナに背を向けて駆けていったのに。

 なぜか見えてきたのは彼女の〝背中側〟だ。

 ミナはやってきた俺に気付くと、振り返りながらのんびりと言葉をかけてきた。


「どうして? って顔してますね。何度か話したじゃないですか。森には結界が張られてるので、特別なことをしないと外へは出られませんよ、って」

「あ……」


 そうだ。そうだった。

 そんなの、初日に話してもらったことじゃないか。

 俺は村から逃げ出したいあまり、そのことをすっかり失念していた。


「そしてその〝特別なこと〟というのは、巫女たる私が許可を下すこと。つまるところ、不可能なんです。あなたは私無しではこの村からでることが出来ない。私無しでは生きていけない。私の言うことを聞くしか、ない」

「――俺に」

「はい?」

「俺に何をさせたいんだ!」

「……今はまだ、知らなくていいことですよ。とにかく今は、帰りましょう」


 そこでミナは、にっこりと微笑んだ。

 それは、普段俺が見ていたミナの笑顔。

 偽りの笑顔だ。


「村に戻ってくれたら、また優しくしてあげますから。なんなら、村のみんなにも同じ態度を取るように言ってもいいですし」


 その表情を見て。

 その言葉を聞いて。

 やっぱり村には居られないと、確信した。


「あれ? まだやるんですか? 無駄ですって」


 そうだとしても。他にやることがない。

 俺は彼女が見ている前で、彼女の四方八方を駆けた。その前を、横を、背後を通り過ぎて、何度もそれを繰り返した。

 正確には、彼女から逃げるように走っているつもりなのだが、結界とやらの力で結局同じところに戻ってきてしまうのだ。


 畜生!

 畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!

 ふざけんな!

 ぶっちゃけ、俺は君のことをけっこう気に入っていた!

 それが、なんだよ!

 なんでこうなるんだよ!


「めげませんねぇ。ま、でもそういうのは嫌いじゃないですよ。がんばってがんばって、最後に心が折れればいいんです。そしたらそこを、優しく介抱してあげますから」


 されてたまるか!

 囚われてたまるか!


 俺はいつだって、巻き込まれ型だった。

 いつの間にかオカルトな事件に足を踏み入れていて、気がついたときには得体の知れない何かへの対処を求められてる。


 何度も死にそうになった。

 何度も仲間の死を見てきた。


 だけどな。

 俺は一度として、無かった。

 諦めた瞬間なんて、無かったんだ!


 その時――


「!?」

「えっ!?」


 もう何度目になるかわからないが、ミナの横を通り過ぎたその瞬間。

 突如として、周囲が明るく照らし出された。

 なんだ?

 何が光源なんだ?

 と、考えるまでもない。


 俺だ。

 光っているのは俺。

 正確に言うと、俺に刻まれた〝それ〟が、だ。


 感覚でわかる。

 俺の背中でに刻まれた邪印がずるりと滑り、ゆっくりと、地面に埋められた植物の種の成長フィルムを逆回しで見ているみたいに、全身に向かって肌の上を移動していく。

 腹、腕、足、胸、首。

 そのすべてに、蝕むみたいに広がっていく。


 その輝きの色を、なんと表現したらいいだろう?

 毒々しい、少し紫がかった黒?

 深淵の、宇宙の向こう側?

 ああわからない。形容しうる術を知らない。

 でもそれは、確かに存在した。

 圧倒的な力を伴って、確かに。


「これは!? なんて魔力なの!」


 次の瞬間には、暴風。

 俺を中心にして突如として風が吹き荒れ、間髪入れずにミナが吹き飛ばされた。彼女はすぐに立ち上がったものの、顔を庇って、立っているのがやっとといった様子だ。


「これが、魔力?」


 不思議だ。

 これまでミナがどれだけ邪印にちょっかいをかけても反応無しだったのに。

 今は、あとからあとから溢れ出てくる。

 わかる。

 腑に落ちる。


 俺の中で蠢いているこれが。

 猛りくるって出口を求めているこのうねりが。

 魔力なんだ。

 この世界における、最強の力なんだ。


「くっ!」

「何を!?」


 魔法を教わったわけではない。

 でもそれは、言うなれば本能に近い行動だった。

 衝動的に思ったのだ。

 今ならば〝掴める〟と。


 森の向こうに向かって手を伸ばす。

 すると、指先が何かに触れる。

 何も無い空間だが、たしかに感じるものがある。

 俺はそれを、ぎゅっと掴んだ。


「っ、よし! 捕まえたぁ!」

「そんな!? 妖精の結界が!」


 あとはこれを、取っ払ってしまえばいい。

 でも、それをやるにはどうすれば?


「……」


 ええいもうめんどくさい!

 いっそ爆破しちまえばいい!

 この荒ぶる力の赴くままに。

 魔力の奔流に抗うことをやめて。


「いっけえええええええええええええっ!!」


 イメージするのは導火線。

 それにはもう火が点っていて、ジリジリと、ジリジリと火種が火薬に近づいている。

 俺のこのあふれ出す魔力が火薬なんだとすれば。

 導火線の最後の一押し。

 呪文がいるな。


 でも俺は呪文なんて知らないから。

 だからただ、思いっきり叫んでやった。


「爆発しろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」



挿絵(By みてみん)





深夜アニメ一本分くらいのイメージ。

一週間後お楽しみに!

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