プロローグ
初めての方は初めまして。お久しぶりな方はお久しぶりです。
またよろしくお願いしますね!(>_<)
【第一章 プロローグ】
――今日も、泣き顔の夢を見る。
それは、特別な光景じゃない。
毎日、毎時間、毎秒と、世界のどこででも起こっている、ありふれたこと。
消える事なんて、永遠にない。
奇跡は起こらないし、神様もいない。当たり前のことだ。
善意は悪意に踏み躙られるものだし、事故は永遠になくならないし、不幸はどうやっても訪れるものだ。そう、当たり前のことだ。
消える事なんて、……やっぱり永遠にない。
――今日も、泣き顔の夢を見る。
何度も、だ。
だから、そんな夢を見ることを、以前友人に相談してみたことがある。
つまらなそうな一瞥と共に返ってきた答えは、人の不幸をネタにした自慰行為だろう、という痛烈なものだった。
また別の友人が、答えの代わりに薦めてくれたのはネット小説やライトノベルだった。
『ヒーロー成り代わりとか説教モノとかチート転生とか異世界ハーレムサクセスストーリーとか俺TUEEE系小説ならいくらでも溢れてるからきっと退屈しないぜ!』とそいつは笑っていた。
後から気づいた。
前のヤツも後のヤツも、結局のところ、同じ事を言っていた。
確かに、俺は無力で、みんなに助けてられてばかりで。
時には、そうしなければいけない状況だったとはいえ、目的のためにと見捨ててきた。
でも……自分の力で誰かを慰め、その悲しみを払拭する解決をしてやれることを、心のどこかで望んできた。
だから性懲りもなく同じような夢ばかりを見るんだ。
誰かを不幸にしたて、それを慰めてかっこよく解決してやる機会をうかがっている。
それで、何もできなかった過去が、なくなるわけでもないのに。
――今日も、泣き顔の夢を見る。
――だけど、一度として、夢の中で人を慰められたことはない。
辛いなら当たってくれたっていいんだ。
恨み言をぶつけて、何もかも吐き出してくれたっていい。
でも現実は夢の中では自由がきかず、泣かれ続け、俺は見ているだけ。
彼ら彼女らには見えていないかのように。
いや、俺を頼りにするという選択肢こそが彼女らには見えていないのかも知れない。
嫌な夢だ。
他人の悲劇ながら、自分の醜い部分を見せられ続ける夢。
一晩で消える、目を覚ませば忘れてしまい、夢の中で前の夢を思い出す。
それの繰り返し。
見たくない。
でも、これからもずっと、そんな夢を見続けていくんだろう。
――今日も、泣き顔の夢を見る。
※※※
一月上旬。
全国の小中高の学生なら冬休みの真っ直中の今日この頃、俺こと坂月ヒカルも休日を満喫していた。
そうだ、ここでちょっと自己紹介しておこう。
名前は坂月ヒカル。
先月17才になった高校二年生だ。
実家が大きな病院やってる関係で、成木大学・成木中高一貫部っていう……いわゆるお坊ちゃま学校の寮で暮らしている。
成木中高一貫部は、金の成る木、なんて事も言われるくらいの拝金主義なとこだ。
成績的には結構難関校で、加えて卒業生や在籍する生徒の親の関係で、たかだか学生の界隈に経済界、政界の干渉もあるくらい、大人の思惑が入り乱れている物騒な学舎。
でもそこはまぁ、住めば都ってやつなのかもしれない。
好きなスポーツは野球。こうみえても中学の頃は全国大会三連覇で、四番ピッチャーで最優秀賞もらいつづけたくらいには得意だったりする。漫画の話じゃないぞ。
色々あって、高校に入って部活をしなくなってからも、時間の合間を見つけてはバッティングセンターにちょくちょく足を運んでたりする。
今お土産片手に向かっている病院のお見舞いの帰りにも、また寄るつもりだ。
……色々あって、か。
……。
なぁ。
君は、オカルト、って信じるか?
そう、オバケとか魔法とか、予言とかそういう話のことな。
俺がそのオカルトの一つ――『予言者』が実在すると知るはめになったのは、その成木中高一貫部に編入してからだった。
※※※
難関、成木大学・成木中高一貫部。通称、成木学園。
難関というのも、偏差値が高いこと、何より授業料が高いこと。
学内に、ボディーガードの黒服が銅像のように突っ立っていたり、防弾シャッターなんて代物が当然のように設置されていたり。
物々しさに溢れた学園生活を望むのだったら、国内でも指折りなのは、間違いなかった。
周りは、将来の付き合いのために愛想笑うようなクラスメイト。
そんな周りの学生達と違い、路傍の花のような普通の小学校から上がってきた自分だから、気後れもしていたんだろう。
生き急ぐような、下心の見えるようなやり取りに、どうしてか馴染めなかった。
編入したての五月初頭。
化学、教室移動の時だった。
俺はトイレから帰ってきた所だった。
さぁ教科書を持って皆を追わないといけない。焦り気味に教室のドアを乱暴に開いた。
「すぴー……」
寝ているやつがいた。
「って、おい……」
息苦しい学校でも、爆睡してる奴がいれば、声もかけたくなる。
クラスメイトは点数競走のためか、机に突っ伏している彼――綺卿三六九をそのままに、化学実験室へ移動していたのだ。
黒髪の、線の細い男子だった。
女子をも羨まさせる陶器のような白肌に、冷たい理性を感じさせる輪郭。
どれだけ自分を着飾り、演じたところで、黄色人種には到底真似できないような、澄んだ空気を纏っている。
後に聞いてみれば、英国貴族の厳かさを血筋に持つと言った通りに、居眠りしている姿すら気品を感じさせる。
清らかさではなく、その身が既に無類の財宝なのだ。
生まれる前から、遙か高みから、常に他者を睥睨ろしてきた人間が出す、干渉を拒む独特のオーラ。
金持ちや名家が集うクラスの中でさえ、綺卿三六九の存在感は、いつも雲一つ上にあった。
つかみ所なく、浮いていたのだ。
「……んん」
「お前な、教室移動だって言ってるの。さっさと起きろー」
他のクラスメイトがどうだから、なんて、俺には関係ない。
他が不干渉を決め込んでいるからといって、その時の俺は、三六九がどんな人間かも知らないのだ。
遅れてる生徒がいたら、普通起こすだろう。
「さっさ起きろよー」
「…………すぴー……」
「いや起きろって」
「……ん?」
「やっとお目覚めか。ほれ、授業遅れてるから行こう……ってお前!」
起きたかと思えば、寝ぼけ眼を擦りながら、俺を無視して出て行く。
待てと言えども、聞く耳持たずだ。
――でも、最初の数回こそ俺を無視して教室を出て行ったが、ずっと起こすのを繰り返しているうちに、奴は廊下に出ると俺を待つようになった。
「コレってフラグなのか?」
「君は何を言ってるんだ」
これが綺卿三六九と初めて会話が成立した瞬間だった。
……それからは三六九とは色々あった。
生死を賭けた境地に立たさされた。
作り話に聞こえてしまうような、冒険があった。
たくさんの人の死に立ち会った。
精神的にも、体力的にも追い詰められもした。
科学では説明できない魔法みたいな不可思議な現象に出くわしもした。
この世は不条理で溢れていた。
でも、何となくやってこれた。
綺卿三六九が、紛れもない本物の超能力者――『予言者』だったことも、俺達のアドバンテージの一つだっただろう。
眉唾物ではない、本物の予言。正確無比なる予知のことだ。
正確に言えば予言じゃなくて予知らしい。とはいえ、詳しい内容を話してくれないんだから、俺もあまり区別が分からない。
しかし、地震の正確な発生時間を当てたり、ビルの倒壊を見切ったり、その光景を目にしないと分からないような現象を予言するのを、何度も見た。
だから、他にもオカルトって奴が世界に存在していることに、何の疑問もない。
今では、むしろそうであることが正しい、とすら感じている。
夜道を吸血鬼が彷徨う。
影が起き上がる。
オーパーツ。
歴史の矛盾。
隠されていた闇。
何もかもの、真相。
そんな不思議なオカルトの一つ。
綺卿三六九は、俺の友達で、予言者だった。
そしてそれ以上に、――俺の大切な親友になったのだ。
※※※
――日比先医科大大学病院 一三階・隔離指定病棟――
エレベーターから出ると、ちょうどナースステーションのドアからやかん片手に出てくる受付看護婦と鉢合わせした。
「ありゃららー、誰かと思えばま~たヒカル君じゃないの」
「あはは、お疲れ様です」
ばっさり切りそろえただけの茶髪ワンレングスカット、ノーメイク。
この24才独身看護士は、酉富さんだ。
彼女はこの13階に関わる唯一の看護士さんだったりする。
「最近みんなも実家やらに帰ってしまうとかで暇なんで。そこは酉富さんと一緒ですね」
「ナマイキ言うな高校生。あー冬休み羨ましいわっ!」
バインダーの角を振り下ろしてくる。ボールペンを入階表の上に投げ出しながら、ひょいっと首を傾けて避けた。
三日前に学校の先輩の名前(←文字は判別できないけど、ヘタクソ過ぎて一目で分かった)があるが、基本的に俺の名前が、表を埋めている。
「飽きもせずによくくるよヒカル君は。どうなのそこらへん、みんなを見習ってみては? ――病院なんて通ってたら寿命縮まるよ?」
精神的にね、と、酉富さんは延命施設の看護婦とは思えないセリフを、渋い顔で言う。
確かに、入院当初は半ば面白がって、みんなで毎日押しかけていたもんだ。
……次第に人数は少なくなっていったけど。
みんなの何と飽きっぽ――いや、み、みんな忙しいだけに違いないんだ。うん、そうに違いない。
酉富さんは、ナースステーションの受け付け台に立て肘をついた。
手で頬を押しへこませて、ぐてーっと、いかにもだらしない。
片目をぴくぴくと吊り上げたりして、妬ましそうに見つめてくる。
ずいぶんとカゴの中からは、俺が自由に羽ばたいて見えるらしいや。
実際羽ばたいてるけど。
「どっかに旅行とか行かないんですか? 年がら年中病院にいるみたいじゃないですか」
「みたい、じゃなくて、本当に年中いるんだよ私は。はぁ……磨り減るのが若さじゃなくてお腹だったら、どんなに良いものか……」
溜息までよどんでる。鬱が、鬱がうつる!
「まぁまぁまぁ。はい、黄桃缶でも食べてさ。あ、ミカン缶やアロエ缶もいります?」
「それはほしいぃ~……」
唯一の手荷物であるビニールから缶詰を数個取り出すと、受付台に置いて、懇願する顔の酉富さんの懐に押しやる。
酉富さんの背後には、薬品棚、書類棚、貨物用の小エレベーター、リネン一式……だけなら普通のナースステーションなんだけどね。
畳張りで、茶ぶ台と、湯気上がるお茶と煎餅、お昼のコント番組の騒々しい笑い声。
もはや看護婦ではなく、用務員のおっさんの詰め所だ。
「……もらえる物はもらっとくさ。はぁぁ……最近私、院長とヒカル君と、あのクソガキとメイドしか見てない気がするよ。出たいよ、私だって若いツバメだよ、監獄だよ、ここぉ……」
額を、ぐじぐじぐじぐじっ、と小突きながら年寄り臭い溜息をする酉富さんだった。
たまにここに寝泊まりもしているらしい酉富さんは、院長と俺と、この階の主以外に会わないんだから、まぁ無理ないよな。
まだ二〇歳半ばだってのに、可哀想なもんだ。
真っ白な壁。白磁じみたリノリウムの床。
ガラスから差し込んだ日光が乱反射して、階全体が淡く発光している。
テレビの音、そして俺と酉富さんの話し声以外は、カナブン一匹飛べる隙もないほどに、下界の音は殺されていた。
左右に果てしないほどに長く続く廊下があり、辿っていけば、この階を一周できる構造になっている。病室を含めたら、ちょっとしたパーティーホール程度の広さにはなるんじゃないだろうか。
病院のエレベーターにも表記がない、あるはずのない一三階。
この階に存在する病室は、全て個人病室であり、存在するのはわずかに三部屋。
住人として使っている人間は――――ただ一人。
「三六九、俺が来なかった一週間の間、一度くらい外出しました?」
「するわけないじゃないの。あの肌の白さはもう日光知らずとしか言いようがないわよ。かー、閉じこもっていたいなら自宅か刑務所に行けっての。ヒカル君、説得して連れ出してくんない? 病気でもない人間が病院にいること自体、おかしいんだから」
「ひきこもりってやつですね」
「読書か寝るかメイドと一緒にパソコンばーっかりしてるの。ホント不健康」
苦笑いする酉富さんに、同意を込めて笑って返す。
綺卿三六九は治療や療養ではなく、『自身を無菌状態におくため』に、ここにいる。
一年前までは、皆と一緒に成木学園で過ごし、――オカルトと戦い、共に走り抜けた仲だ。
まぁ、三六九からすれば、予言者としての名誉を自ら失墜させたからこその、つかの間の自由だったのだけれど。
世界の中枢が、綺卿三六九の保有を主張する、今。
地球上に存在する先見能力の頂点に立つ三六九は、現代における貴族として与えられた絶大な権利やお金や立場の代わりに、その義務を果たさなければならないらしい。
三六九は、高校二年生になった四月に、成木学園を去った。
それからここ、日比先医科大大学病院に入院し始めたのだ。
学校では何の問題も起きちゃいない。
暇を見つければ屋上で、キャッチボールして遊ぶ日々。
事件続きだった、嵐のような一年前とは打って変わって――気味が悪いくらい平和だった。
「じゃ、そろそろ病室のほうに行ってきます」
会釈をして踵を返す。酉富さんがひらひらとやる気のない手を振って見送ってくれる。
「はぁ、もう通い妻じゃんね、ヒカル君は。行ってらっしゃい」
「妻って言わないでください、妻って。……行ってきます」
通ってるのは、まぁ否定しない。
親友だし。
※※※
三六九の部屋のドアにたどり着いた。
「ん? お、」
俺がノブに手をかける間もなく、内側から開かれる。
狙って計ったようなタイミングに、俺はたじろいで一歩足を引いた。
「お待ちしておりました。坂月様」
ドアをそのまま全開するなり、背の高いメイドが深々とお辞儀をする。
地に着かんばかりに長く、長く、もみ上げを垂らした、後ろ髪をやや多めに残したショートボブカット。黒髪を覆う細やかな白カチューシャは、まるで彼女の自由を奪う拘束具のようだ。
怜悧な輪郭とは裏腹に、自己主張に乏しい色のない瞳。
肩のパフスリーブ、目の覚めるほど真っ白なフリルエプロン、綿でも織り込んでいるかのような、二重レースのロングスカート。
すらりと一八〇に届きつつある長身は、俺も隣に並びたくないほど。
物静かな所作。黒金の眼は、逸らすことなく見つめてくる。
どこか頑固そうな頑なな物腰は、堅物を通り越して人形の域に達しているように思う。
鬼神原理生さん。
この凄い字面な名前の人は、現在、三六九の側に仕えるただ一人のメイドさんだ。
「お疲れ様、理生さん。また三六九のお見舞いに来ましたよ」
俺は、缶詰入りのスーパーのビニールを持ち上げつつ言う。
「ありがとうございます。早速ではございますが、中身のほうを検めさせていただきます」
いつものように、お土産は先に理生さんに手渡す。三六九の手に渡る前に、危険物がないかをこうして確かめるのだ。
「失礼いたしました」
理生さんはすっと一礼して、また俺にビニール袋を返した。
「それでは坂月様、お入りくださいませ」
理生さんの手に促されて、俺は病室に足を踏み入れる。
「あれ、理生さん入らないんですか?」
「本日は、来られた後は、私は席を外すように命ぜられております。お迎えのお持てなしが満足にできないことをご容赦ください」
「へぇ、どうしたの今日は。大事な話でもあるの?」
「いえ。私は何も。三六九様が直接お話しすると思いますので」
――――ご武運を。
なぜか、そんな言葉を、呟いた。
呆気にとられていた俺を残して、ドアを閉めてしまった。
ドアが閉まる音が、異様なくらいに響く、静寂。
破ったのは、一人の少年の、呆れ声だった。
「――ヒカル。……ツナ缶また忘れただろう」
「…………あ、」
言われて中身を見直してみるが、確かにない。
俺がいるそこは、公民館の一室くらい、広々とした病室だった。
こいつとつきあい始めてから感覚が麻痺してるが、度が過ぎるようなVIP待遇は、今に始まったことではない。
声の主は、入って左端の窓際を小さくベッドが陣取っている。
そこで半身を起こしてこちらを見ている少年は、またもや大げさに溜息を洩らす。
「人の楽しみをなんだと思ってるんだ」
「お前は人の善意を何だと思ってんだよ」
「ハ。突き詰めれば、たかが労働力じゃないか。よこせ」
「そんなこと言う三六九に、お土産なんてありませんからね!」
「わかったわかった、僕の負けだ。良いからさっさと土産をよこせ」
「ったく」
俺は、布団の掛けられた膝の上に、袋ごと投げ渡してやる。
「前から言ってるけど、缶詰って保存食だからな。あんまり身体に良いものでもないんだぞ。ツナ缶とか特に脂っこいし」
「その庶民的なチープさがいいんじゃないか、ヒカル。缶を開けるだけで瑞々しい食品が食べられるお手軽さ。バリエーションも多い」
「相変わらず変なヤツ。ステーキとか食って体に肉つければいいのに」
その気になれば最高級の肉とシェフだって、地球の裏側からだってすぐに取り寄せられるのに。
「乾物も良いが、僕の繊細なアゴには少々堅いんだよ。病院の療養食はもう飽きた」
とかなんとか、何だかんだ言って、今日の缶詰も嬉々として一つ一つ手に取っているのをみて、苦笑する。
高級品暮らしが常のこいつには、保存食系は本当に珍しいらしい。
とある事件をきっかけに食べ物が缶詰しかない状況に陥ったことがある。
三六九は最初は豚のエサ等々喚き散らしてくれたが、渋々口にしてみれば、見事にハマったのである。
「あー、ならツナ缶は今度買ってくる」
ツナ缶くらいで機嫌が良くなるんならね。こいつもこいつで苦労してるんだから。
「いや……いいよ。どうせ今日が、最後だったしな」
「最後? どうしたんだ、いやに神妙だな」
「ああ」
寝間着の懐から取り出した、銀の懐中時計を見ながら、三六九は目を細める。
元々身体も弱いせいで薄幸少年を思わせるが、三六九が少し気を入れて一睨みすれば、筋骨隆々の強面でもたじろぐほどの、圧力を持った眼光を放つ。
俺からすればもうどこら辺が病弱よ、と疑いたくなる。
そんな三六九が、まるで胸のつかえがとれたような、優しい目をしている。
「ふぅ……………これも、よしみだ。ヒカル。願い事を一つ聞いてやる。何でもいい。言え」
三六九は、疲れたように眼を閉じて俯く。
「は? どうした急に」
「お前は今日ここで消える」
「……なんだそりゃ」
訳が、分からなかった。
消える? デリート? 何かの騒動に巻き込まれる?
例えば三六九が誘拐されるとしてその際に邪魔者扱いされて撃たれる、とか……。
だめだな。一年前からの、事件一連のどたばたを経験したせいか、いちいち冷静に考えちまう。
突拍子もない事柄にも瞬間的に頭が回ってしまうのは、もう三六九側の人間になってしまってるってことだ。
「あー、そのなんだ。所謂、死ぬってこと?」
「分からない。だが、物理的にも消えることは確かだ。それ以上は分からない」
「いや、お前の言ってることが既に分からないんだけどさ」
「聞けヒカル。……僕は君と会った日から、今日の日があるということを知っていた」
「……今日の出来事があるから、僕は君に興味を持ったと言っても良い。君は僕を超能力者と言うが、僕にとっては君の方がよっぽど不思議だった。
……考えても見ろ。何せ、人が消えるんだからな。何か秘密があると思った。何か隠してるんじゃないかとも思っていた。
――でも分からなかった。君は前日にも何もアクションを起こさなかった」
そう言って三六九はミカン缶のフタをパキャッと空けた。
「今日だってただの見舞い。だから、今やっと確信しているんだよ。君は『巻き込まれただけ』だったって。……これでも理生も使って散々調べたんだ。散々な」
「つまりあれだ、三六九は俺を心配してくれてるってわけだ」
「……ふん、好きに解釈すればいいさ」
「そりゃね。どんだけお前のツンデレ具合に付き合ってるって思ってるんだ。喜びもひとしおってね」
いつの間にかミカン缶をフォークで食べ始めてる三六九が言う。
「んで、願いは」
「ああ……」
――正直実感とか、わかない。
言ってる内容がいきなり過ぎる。
確かに俺が三六九に隠して超能力を持ってる……なんて展開は、ない。
こいつは今までそれを心配していたんだろう。
変な力があるならそれを話すまで待っていてくれたのだ。――まぁそんな力は結局なかったんだが。
三六九の言い方が、理解出来ない。
理解できないのはきっと、こいつも分からないんだ。
こいつは予言者だ。それが『職業』にもなっている今、三六九の状況説明を聞いて、人に『分からない』と思わせるはずがない。
どのような現象が起きるか、事件が起きるか、断定して言葉にできる人間だから、なおさらだ。
三六九自身もずっと考えていたはずだ。俺と出会った時から、俺が消えるのを知ってたという。
俺と初めて会話をなした時、こいつは何を考えていたのか何となく分かった気がした。
俺と付き合ってからなおさら分からなくなったに違いない。
明らかにオカルトの領域。
消える、なんていうのもきっと事実をそのまま言っているだけだ。
それ以上に説明がつけられない。
知識の限界。
どうすることも出来ない未来。
予言者にも分からないことが俺に分かるわけがない。
「…………そっか」
「いいからいえ」
「いや、特にないな。もう、こうして生き残ってる今があるだけで十分すぎるくらいだ」
「――……っ」
軽口を、言ったつもりだった。
だが、三六九は相変わらず笑みながらも奥歯を噛みしめてる感じがしたので、俺も耐えきれずに窓に目を逸らした。
「消えるんだな、本当に」
「ああ」
「残り時間は?」
「……もうない」
「じゃああれか。願いって言うのは、」
「そうだ。残り五分足らず。僕が聞いている願いは、君の残された家族やその友人達に向ける遺言、とその贈り物、形見渡しの約束、だ」
今や、その予知なる目は開かれ、俺をきつく見据えている。
本気なのだ。まだ1月。エイプリルフールはまだまだ先の話だ。
「……痛いのかな」
「表情は悪くはなかった」
三六九は物憂げに視線を落とし、薄笑みを浮かべて言う。
今まで黙っていて悪かった、と謝りたくて仕方がないって顔をしている。三六九をいつも見てきた俺だから分かる。コイツは、そういうヤツだから。
――だから俺は、
「意外と、いつも通りなのかもね。心配ないかも」
「はあ?」
「俺って今まで十数回こういうトラブルに巻き込まれてるけどさ、ほら、こうして生きてるわけじゃない? 今回も大丈夫だって」
だから俺は、三六九と同じように、強がって言った。
内心は、この身にせまる何かが、怖くてたまらない。
消えるって何だよ。死ぬのか。神隠しか。
ずっと今日のことを隠してきた事に対しても、何で俺なんだと、どうして早く教えてくれなかったのかと、三六九に問い糾して叫びたい。みんなと会えなくなるなんて嫌だ、と未練たらしく訴えたい。
でも。
もう一年前の、ただ弱い俺じゃないと、少しは成長したことをコイツに見せてやりたいと思ったから。
「な? なんとかなるって。そこは信じろよ。親友だろ」
「……バカめ」
もうすぐでお昼だ。看護婦が病食をもってくる頃だろう。
問答とは全く別の所で……なぜか一瞬気を失いそうになったが、頭を振ってかき消した。
いつのまにか、きーん、といつの間にか耳鳴りが始まっている。
リノリウムの白濁とした床が何となく波立ってきているような感じがする。
目眩かと袖で目を擦った。
「お前の妹とかには僕から伝える。祖父母にも手紙を書こう」
「よろしく。学校の手続きってどうなる?」
「全部丸々留学とでもしておこう。…いきなりいなくなるより、どこかで生きてる、と言う感覚を経て言った方が残された者のショックも少ない」
――風もないのに、俺の前髪が、ふわりと浮き上がった。
「……――ヒカル」
「ん?」
「黙っていたこと云々は忘れろ。僕は少なくとも君という人間に好意を抱いていたことに変わりはないよ」
「なんだ今更」
「僕にツナ缶を教えてくれた。でも、それでも僕は世界が広がったのを感じたよ。なかなか世界は面白い。人は醜くて嫌いでも、なるほど、こんな発見があるというのなら話は別だ。大体、この僕にお前みたいな奴ができるなんて、過去の僕は思えなかっただろう。
――ヒカル。これから君はどうなるか分からない。死ぬかも知れないし、どこかに飛ばされるだけかも知れない。
……でも、確かにヒカルの通り、死ぬ、と考えるよりその先がある、と考えた方が建設的だな」
「だろ」
三六九の心中を察して、俺はできるだけあっけらかんと答えた。
「…………………怖くないのか」
「いや、もう覚悟できたしな」
覚悟するしかないのだ。三六九にそこまで言わせて、俺が重荷をこれ以上背負わせるわけにはいかない。
「――よろしい。確かにその気概は、僕の友としてふさわしい」
ジジ、とベットの土台の金属部から地面に電気が走っているのが見えた。
異質な音が発せられたから、きっと三六九も気付いている。
キ――――ン……。
「ぅ…あ」
気を失う一〇秒前、という感じがした。精神が剥離する。
すがるように三六九を見た。
三六九は、何年も前から見続けてきた光景を見届けようと目を強く見開いていた。俺を。――いや、
「……後ろかっ!?」
咄嗟に振り返った。ボーリング状の重力を模したような黒々しい玉が電気を巻き込んで俺の背後で暴走を始める。一秒ごとに一回りも二回りも大きくなり、俺は逃げる術もなく半身を飲まれ、
「(くそっ、何だよこれ、離れな……っ、誰か助け、)」
三六九を見た。
嵐に髪やパジャマをはためかせながらも、顔は背けず、唇を噛みしめてるのが分かった。
針の飛んだレコードのような、ギリジリと耳に痛い音の向こうで、病室の外が騒然としているのが分かった。
どんどん、とメイドがノックをしている。
入り口にいたはずの理生さんは何をしているのだろう。鍵はしていないはずなのに、ドアが開かないらしい。
朦朧と。
呼吸も出来なくなる。
否、必要がなくなる。
消えるのが怖い。でも
どうなるのか怖い。でも。
想像がつかない。でも。
もう、助からない……!でも!
「三六九!」
「な、んだっ…」
「絶対帰るから!」
まだ諦めなきゃいけないわけじゃない。
帰ってくればいいんだ。自分の力で!
「(みん、な……)」
その意識を最後に、坂月ヒカルの身体は、この世界から消失した。
現代におけるヒカル君は、何の超能力や特殊能力も持たずに、現代異能バトルラノベの主人公のような凄まじい活躍をした経歴の持ち主。やっぱ主人公補正は違うぜ!
次回もお楽しみに!