霧の街
白、白、白。
見渡す限り白で覆われている。
吐く息も見えず肌に凍み入る冷たさも無い。故に雪ではない。
手を動かすも視界に映る事は無く、感覚だけがそこに在る事を教えてくれる。
さらに地を踏みしめ、土の感触を確かめる。逞しき大地の存在を再認識すると思わず安堵のため息がこぼれた。
――白に覆われたのは、ほんの数分前だ。だから正体は初めからわかっている。恐れる必要なんて無い。
それでも瞬く間に白の世界と化したこの現実に畏怖を禁じ得なかった。
いかに高度な発展を遂げた偉大なる科学でも、瞬く間に世界の景色を一変させる事はできない。一瞬にして異世界に誘う事はできないからだ。
この幻想的な白の世界は、数分あるいは数十分で消え去る。そして、人々を現実の世界に戻す――。
この幻想的な世界は、毎朝この時間にこの街だけに訪れる。なので、街の住人は慣れた様子で現実までの時を静かに待つ。
無論、視界が利かないのでその様子を実際に確かめる事はできない。だが、目に見えずとも意識すれば気配を感じる事ができたので、彼等の平静さを感じ取る事は容易にできた。
――時が経てば現実に戻る。しかし、わかっていても慣れる事はできない。
たかが、霧なのに。
たった数分の出来事なのに。
突然の世界の変化に慣れる事はなかなかできない。だから毎朝この時間は精神的な苦痛を感じてならなかった。
しかし、出勤を遅らせるわけにもいかないので、今日もまた目を閉じて早く現実に戻るのを祈り続ける……。
「――おはよう、もう霧は晴れたよ。いつまで突っ立てるの、危ないわよ」
闇の中、聞き慣れた声が現実に返す。
目を開けば、そこには毎朝会う女学生がにこやかな笑みを浮かべながらこっちを見ていた。
……この街の住人は意地悪だ。
慣れぬ者がそばに居ると、声を潜めて白の世界に置き去りにする。
慣れた者には何でも無い現象でも、慣れぬ者にはまさに異世界へ飛ばされた感覚になるのに……この街の住人ときたらこの時間になると揃って沈黙する。
いつになれば、この現象に慣れるのだろうか。一瞬にして世界が変わるこの白の世界に順応できる日は果たして来るのだろうか。そして、この街の住人みたいに慣れぬ者に意地悪をする様になるのだろうか。
それはわからない。いや、そんな事は考えるだけ無駄だろう。
毎朝繰り広げられる異世界への冒険に慣れたら、その時は自由にその世界を闊歩する事もできる。
その時になってから考えよう。
まだ、その日は遠いだろうが……。




