犬になった男と白い猫
朝、目覚めたら犬になっていた。
ワンワン、ワンワン
ワンワン、ワンワン
……声が出ない。鳴き声しか出てこない。
訳のわからない事態に困惑。吠えられて隣人迷惑。
これ、どこのCM?
自身の置かれた状況に思わずツッコミを入れる。
困惑したまま部屋の中を動き回る。
普段見る光景がやけに遠くに見える。
体のサイズが小さくなったからか?
見るものすべてが大きい。しかし、小さくなったせいか体が軽い。
狭い部屋の中を駆け回る。ものすごい勢いで流れる景色が新鮮だ。
……いや、そんな事してる場合じゃない。この現実離れした状況をどうにかしなければ。
この状況を家族に見られたら大変だ!
部屋の中に見知らぬ犬がいたらどうする?
まず、驚くだろう。それから保健所に連絡し捕縛され檻に軟禁される。そして、飼い主も引き取り手もいないので薬殺される。
マズい!
命に関わるじゃないか!
早く元に戻らないと大変だ!
とりあえず家族に見つかるとヤバい。事情を話せない今、捕まったら保健所に護送される。
ひとまず安全を確保する事が先決だ。
突然行方を眩ませて大騒ぎになるだろうが、そんな些細な事はどうでもいい。命には代えられない。
さて、家から出るには――やっぱりベランダしかないな。
この姿で廊下に出たらバカだ。
窓を開けて……あ、でもどうやって降りればいいんだ?
この体じゃロッククライマーばりに壁に伝う事なんて出来やしない。
じゃあ、猫みたいに飛び降りる?
うーん、ちょっと怖いなぁ。
着地に失敗したら、その時点で昇天してしまう。あまり危ない橋は渡りたくないな。
とりあえず屋根に上がろう……。
うわー、屋根の上って意外にバランスが取れんなぁ。
傾斜があるから当たり前か。
まぁ、人が上がるのを想定して作ってないもんな。愚痴っても仕方ない。
《……おい、何ブツブツ喋ってんだ? 気味悪いぞ》
バランスを取りつつ思案に耽ってると、突然声を掛けられた。
「えっ?」
一瞬、家族に見つかったのかとビックリしてバランスを崩してしまう。
「あわわ……」
慌てて体勢を整えると声のした方に視線を向けた。
《なんで屋根に上がってんだ? ずいぶん器用だな》
そこには、少し呆れた表情で話す白い猫がいた。
《でも、なんだか今にも転げ落ちそうな……もしかして、上がったはいいが降りれなくなったのか?》
目をクルクルさせ興味あり気に聞いてくる。
(……こいつ、見てわかんねーのかよ)
人の苦労も知らないで、って知る由もないか。
よし、こいつに降り方を教えてもらおう。
《……おい、思いっきり聞こえてるんだが。お前、思った事が口に出るタイプか?》
そう言って近づいてくるといきなり前足で押してきた!
「うわっ、あぶねっ! ちょ、殺す気かよ!?」
慌てて体勢を低くし屋根にしがみつく。
《ははは、ちょっとした冗談だよ。気にすんな。落ちたぐらいじゃ死なないって》
悪びれた様子もなくサラッと言い退ける。ホント、人の気も知らないで。
「猫と一緒にするなよ。言っても信じてもらえんだろうが、さっきまで人間だったんだからよ……」
言ってて悲しくなってきた。
いったい、どうしてこんな目に遭わないといけないんだ?
すると、猫は唖然とした表情で固まった。
《……それ、本当か?》
驚くわけでも一蹴するわけでも無く聞き返す。
「嘘ついてどーするんだよ。起きたら犬になってたんだよ……」
このままじゃラチが開かない。文字通り猫の手も借りたい状況だったので、起きてからの経緯を猫に話す事にした。
人間に戻るためにも、どんな情報でも欲しいから味方は多いに越した事はない。
事情を一通り話すと、猫はおもむろに山の方に首を振ってみせた。
《お前、人間だったんだから山に神社があるの知ってるだろ。あそこの神様に事情を説明してみろ。きっと何とかしてくれるぞ》
猫はそう言うと顔を近づけてマジマジと見つめる。
《確かに人間っぽいな。まぁ、あんましクヨクヨするな。もし人間に戻れなくても、神様のおかげでこの街は住み心地いいから特に困らんぞ》
いや、そういう問題じゃないから。
人間に戻れなかったら……あれ?
《どうした?》
戻らないと困るけど、戻らなくても別に困る事もない。
嫌な勉強や進まぬ就職活動、将来への不安の方が遥かに大きい。
でも、家族に心配掛けるわけにはいかないよな……。
《そうだな。家族は大事だ。家族を悲しませるのは良くない》
「あれ? また口に出てた?」
思ってる事に返事をされ、また無意識に口に出ていた事を知る。
《気にすんな。まだ慣れてないんだろ? そうだ、暇だから神社まで案内してやるよ》
猫は前足で頭を掻きながら少し照れくさそうな表情で言う。
その優しさに胸がジーンとしてくる。
「お前、優しいんだな」
《やめろよ。暇なだけだ》
猫は顔を背けて歩き出した。
《早く来ないと置いていくぞ!》
はは、照れてるよ。
猫のおかげで気持ちが落ち着いてきた。
足早に進む猫についていく。この体に慣れない事を考慮してくれてるのか、歩きやすいところを選んで進む。
気がつけば不安な気持ちは消えていた。しかも、なんか大事なものを知った気がする。
こいつは信用できる。
山に着いたら“神様”に詳しく事情を説明しよう……。




