冬に咲く花
燦々と降り注ぐ日差しと時折吹き荒れる風のコラボレーション。
路面は所々凍っており、車の流れはいつもより鈍い。道行く人の流れも今日は少なく途切れがちになっていた。
駅前のカフェで彼女は待ち合わせの時間よりも早く来て窓の景色を眺めていた。
時計を見れば、まだ約束の時間まで一時間もあった。
「早く来すぎちゃったなぁ……」
彼女は小さくため息を漏らすと頬杖をついた。
窓から見える景色に思いを馳せるも、すぐに時間が気になって携帯電話のディスプレイ画面に目が行ってしまう。
そわそわして気分が落ち着かない。冷めた紅茶を口にするが味も感じられない。
(……なんか、おかしいわね。いつも一緒なのに、こうして外で会うと緊張しちゃう……)
慣れ親しんだ相手なのに、何故か意識している自分がいる。
その事に疑問符が湧き出る。
――いや、本当はその答えを知っている。しかし、まだ素直にその気持ちを受け入れられず無意識のうちに心の奥底に押し込んでいるのだ。
「ホント、早く来すぎちゃったなぁ……」
何度目かのため息。
時間は五分と経っていない。
モヤモヤする気持ちと共に苛立ちが沸々と湧いてくる。
(なんで、こんなに悩まなくちゃいけないのよ。いつも通りにしてればいいじゃない)
首を振って心の曇りを払拭しようとするも一度意識してしまったものはなかなか拭いきれない。
気持ちの置きどころをまだわかっていない彼女は、そのモヤモヤを怒りに転嫁する事でしか落ち着きを取り戻せないでいた……。
「――遅いっ!」
席に着くなり、揺れ動く気持ちを一気に吐き出すかの様に彼女は怒りを爆発させる。
彼はチラリと時計を見る。五分も遅れていない。
それなのにこの仕打ち?
彼は思わず首を傾げてしまう。
「……そ、そんな。五分も遅れて……ハッ」
いけない。この状況で口答えはマズい。しかし、時すでに遅し。
「何よ! 遅れておいて言い訳するつもり!?」
頬を膨らませ、立ち上がらんばかりの勢いでまくし立てる。こうなったらもう彼女の小言を黙って聞くしかない。
「デートで女の子を待たせるなんて……まったくもう、少しは気を利かせて早めに来なさいよ」
「ごめん。今度から気をつけるよ」
彼は頭を下げて謝る。
なんとか機嫌を直してもらわねば。内心、このまま帰られる事を想像し焦りが生じる。
「あ、あのさ、今日は映画を観に行こう。ほら、美咲が観たがってたやつ……」
そう言って慌てた手つきでポケットからチケットを取り出し、ようやく怒りを収めた彼女―美咲―に差し出す。
ポケットの中でくしゃくしゃになったチケットを手渡された美咲は、その作品を見て表情を綻ばした。
「……あら、学ちゃん。よく覚えていたわね? これ、観に行く機会なかったのよ〜」
チケットをまじまじと見ては嬉しそうに笑みを浮かべる。
そのあどけない表情に学の鼓動は大きく波打った。
(か、かわいい)
前もってクラスの女の子から情報を聞き出した甲斐がある。彼―学―は心の中でガッツポーズして彼女の機嫌が直った事を喜んだ。
猫の目の様にコロコロ変わる彼女の態度にいつも振り回される学にとって、この些細な変化でさえ大きなカタルシスを生む。どちらかと言えば引っ込み思案で小心な彼は彼女に主導権を完全に握られているのだ。
彼女もまた、学の意外な行動に胸の高鳴りを感じていた。いつもは少し頼りなく見えるのに今日はちょっと違って見えたから。
遅刻してみたりチケットをくしゃくしゃにしたり、と不器用なトコは相変わらずだったけど一生懸命なところに美咲の心は再び揺れそうになった。
(……やだ、ドキドキしてきちゃった)
美咲は不意に目を閉じると、高鳴る鼓動を落ち着けようと小さく息を吸い込むと内に溜まった熱とともにゆっくりと吐き出す。
だが、その間も自分を見つめる視線を感じてしまい緊張はほぐれない。
今、彼は何を考えているのか。
黙って見つめる学の表情に美咲は自分のペースが保てなくなってくる。だから、つい攻撃的な態度に出てしまう。
「何見てんのよ! 恥ずかしいじゃない!」
そう言って視線から逃れようとそっぽを向く。
「ううっ」
ぞんざいに扱われ学はうなだれる様に視線を落とす。端から見ても落ち込む様子が見て取れた。
せっかく良い雰囲気になりかけたのに。
美咲は言ってから後悔の念に駆られる。
(ああーん、調子狂っちゃうな……)
こんなはずじゃなかったのに、と美咲は自分の思いと態度の違いに頭の中がグチャグチャになっていた。
――まるで、魔法にかかったかの様に感情が湧き出てくる。
その感情に振り回され、心にも無い言葉を浴びせている。
いったい、何がそうさせてしまうのだろう?
今までそんな事はなかったのに、いつからか自然に接する事ができなくなっている。
視線を戻せば、少し不安げな表情で自分を見つめる学の姿が映る。その切なげな表情に美咲の胸は痛みを覚えた――。
……記憶を辿れば思い当たる節がある。
あの日だ。
特に意識していなかったクリスマスのデート。
久しぶりに二人で遊ぼうと誘ったあの日から、お互いに意識し遠慮がちになった気がする。そして、そんな微妙な空気が苛立ちを募らせては学に当たっている。
――本当は気づいている。それなのに素直になれないだけ……そんな自分を情けなく感じる。
目を逸らし続けた想いを受け入れられない自分に腹が立つ。
(……もう、誤魔化しきれない。やっぱり、学のこと好きなんだ!)
ここに来て美咲は目を逸らし続けてきた想いを受け入れる。
(……あれ?)
そう思った途端、憑き物が落ちた様に自然と気分が軽くなった。
(……あれれ?)
これまで胸の辺りがモヤモヤしていたのに。今は澄み切った青空の様に何故かスッキリしている。
その変化に美咲は逆に戸惑ってしまう。
(ああ……)
だが、美咲はすぐにその意味を悟り笑みを浮かべた。
「――学ちゃん、ごめん。ちょっと言い過ぎたね。せっかくチケット取ってきてくれたんだもん、映画観に行こう!」
美咲は両手を合わせて笑顔で学に謝る。
その変化に一瞬、学は反応し切れず呆気に取られた表情になった。
「ふふふっ」
その表情もかわいい。学のそんな間抜けた顔に美咲は思わず声を漏らした。
そして、席を立つといまだに不思議そうな表情で美咲を見る学の手を取る。
なんだか気分が軽い。心の中が晴れやかだ。
一度受け入れてしまうと気分がこんなに軽くなるんだ。
そう思うとちょっと大人になった気がする。
(……気がつけば、単純な事ね……)
美咲は戸惑う学を引っ張る様にして店から出た。
手の温もりを逃さぬ様、強く握り軽い足取りで歩く。それとは対照的に、凍った路面に足を取られぬ様必死に歩く学の姿が微笑ましい。
時折吹く風も気にならない。
路面を照らす冬の結晶も二人を導く光の道に思える。
(ちょっと詩人かな)
恋する気持ちも知った事でひとつ成長した彼女は、妙に晴れやかな気持ちで今日という日を楽しもうと考えを巡らせはじめた……。
冬に咲いた花。
冷たい風にも、雪の囁きにも負けぬ花が美咲の心に芽生えた。
華やかな色彩を宿した花の名は恋。
冬の午後に咲き乱れる花は吹き荒れる風も何のその、力強い輝きを放っていた――。




