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last voice〜時は動き出す〜

 


「――憲広の言いたい事って、将来のビジョンが見えないから流されるまま惰性で生きてる、ってコトだよね? それってさぁ、事なかれ主義が招いた結果じゃないの?」

 そう言って長い髪に指を巻き付けながら彼女は少し険を含んだ目で男―憲広―の顔を一瞥する。

 店に流れる音楽がやけに耳障りに聴こえてならない。憲広は気まずそうな表情で彼女の言葉を反芻した。


 ――自分でも“それ”に気づいてる。

 何をすれば結果に繋がるのか、目先の事にとらわれて“その先”を見通す事が出来ない。だから見に徹してしまい機を見逃す。失敗を恐れ、すべてを惰性で受け流してきたツケが……心の空虚感となって返ってきたのだ。

 一歩前に進む勇気が無いから何も手にする事が出来ない。それ故に愛した人の心はいつの間にか離れ、自分の不甲斐なさを突き付けられ、そして夢も希望も無い生きた骸の様に目先の安寧を求め打算的な選択に終始する。

「……ここにきて、行き詰まってしまったのね。それでどうするの? せっかく決めた就職蹴って自分探しの旅にでも行く気? それとも就職を機に自分を変えていく?」

 結局、自分で解決していくしか方法はない。彼女の言葉が憲広の心の中に“現実”を突き付ける。

 時は止まらない。どんなに足掻いても過ぎ去った日々は戻らない現実が彼の心に焦燥感を与える。

 そこには、これから社会に飛び出す若者の“将来への苦悩”が顕著に現れていた。

 惰性という楽な選択を繰り返し、立ちふさがる困難を避け続けてきた報い。檻の中の鳥の様に与えられるままに甘えを享受してきた彼の人生において、決して避けて通れない初めての“壁”となって立ちはだかる。

 自立を目の前にして、彼は自分の生き方に疑問を感じていた。そして、こんなにも自分の存在が小さく弱いものであるかを痛感させられる。

「――俺、今まで何してきたんだろうな……」

 憲広は自嘲気味な笑みを浮かべうなだれる。

「もう、開き直って行くしかないのか? でも、何をすればいいんだ? 何から手をつければいいんだ? 真由、お前は自分のしたい事や将来へのビジョンは見えてるんだろ? ずっと一緒だったのに……俺とお前で何が違ってたんだ?」

 憲広は幼い頃から一緒だった彼女に思わず問い掛けていた。それもまた“甘え”だという事に気づかずに。

 その言葉に彼女は呆れ顔になる。軽い失望を覚えると同時に彼の真剣さが胸を締め付ける。

(……でも、責任の一旦は私にもあるわよね。いっつも甘やかしてきたもんなぁ……)

 幼い頃から一緒だった故に、真由は憲広の甘えや我が儘を許してきた事を思い出す。

 付き合っていた頃、彼のその自分勝手な行動や言動に苦い思いをさせられてきたのに。それでも彼を決して戒めようとはしなかった自分がいた事を思い出していた。

(――そう、私は彼をほったらかしにしてきたんだ。徐々に気持ちが冷めていって、最後の方なんか理解しようとしなかったもんねぇ。でも、もう遅いのよ。これから二人は別の道を歩くんだから、もう二人の道は交わる事は無いんだから、もう何のフォローもできないのよ)

 真由は憲広の情けない姿に思わず同情しそうになった。だが、ここまで来て同じ過ちを繰り返させるわけにはいかない。

 それに、もう二度と会う事は無いのだ。最後にひとつ、彼に何か残してあげてから旅立とう。

 彼女は胸中を駆け巡る複雑な想いを抑え、最後まで話をしようと彼に向き直った。

(……こんなダメ男にしたのは、ある意味私のせいでもあるからね……)

 冷めきった思いの中に残ったひとかけらの愛情。

 決して悪い思い出ばかりじゃなかった。本気の愛を自分に向けてくれた時も確かにあったのだ。


 目の前でうなだれる彼の手を取り、真由は静かに口を開いた。

「――憲広、あれこれ考えるのはもう止めましょ。私達、まだまだ子供だもん。答えなんてわかるわけないじゃない。それに私はただ、夢を追い続けただけで特別な事なんて何一つしてない。ハッキリ言って将来へのビジョンなんて見えないし、あっけなく夢破れて日本に戻るかもしれない。でも、先がわからないからこそ希望を持って前に進めるんじゃないかな? 憲広、だから今はあれこれ考えずに自分に出来る事をしてみたらいいと思うよ。これからの人生の方が遥かに長いんだから、ね?」

 言い終えてから真由は憲広の手を握り締める。

 これが最後。だから、頭の片隅にでも残る言葉を伝えたい。

 ――その思いが彼女の気持ちを振り切らせ、彼への決別を固めさせた。


 彼女の眼差しが痛かった。それとともに今までの弱気な自分に苛立ちを覚える。

(ホントに情けない奴だ。真由に甘えてばかり……俺は、彼女の愛にしがみついていただけだったんだな。もう自立しなくちゃダメだ)

 憲広は、彼女の言葉を決して忘れないと心に誓った。

 もう会いたくなかったであろう自分の話に最後まで付き合ってくれた事。それだけでも感謝の念を抱かずにいられないのに、彼女は自分を正しい道へ導こうとしてくれた。

「……真由、ホントありがとな。俺、お前の言葉で目が覚めたよ。なんて言うか、道が開けた様な気がする。何も知らない若造が、先の事考えてクヨクヨしても仕方ないよな。ありがとう。お前の言葉、決して忘れないよ」

 憲広は真由の眼差しを受け止め、これが最後の会話になると思い素直な気持ちを吐露した。

「俺なりに頑張ってみるからお前も外国で頑張れよ。お前と出会えてホントよかった……」

「そう……」

 軽く受け流す様に素っ気なく答えると真由は席を立った。

「……私も同じ気持ちよ。もう少し早くこうやって話してればよかったね。ま、失った時間は戻らないから……このまま行くね。あなたと出会えてホントよかったよ」

 そう言うと真由は振り切る様に憲広には見向きもせず足早に店を後にした。


 飲みかけのレモンティーは互いの心を表す様に冷え切っていた。それでも甘さが消える事はない。

 憲広はコーヒーカップを手に取ると冷たくなった液体を喉に流し込み、彼女の未来が輝けるものになる事を静かに祈った。

(……さよなら、真由)

 告げなかった最後の別れの言葉を胸にしまい、憲広は過ぎ去った日々を思い、まだ見ぬ未来に思いを馳せた――。








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