癒しの丘
見上げれば、遙か遠くまで澄み渡る青。一点の曇りもない快晴の空。
見下ろせば、生命力溢れる緑の景色とそこに緩やかに流れる小川が見える。透明な液体が光を反射し目映い輝きを放っていた。
ゆっくりと、だが確実に永遠を刻む時の流れを連想させる。それらを見渡せる小高い丘の斜面に仰向けになり時の流れに身を任せる……それだけで恒久的に続く在り来たりな“日常”を忘れる事ができた。
この丘は都会の喧騒とは無縁だ。昔からの自然の姿がここにはある。
平たく言えば、何も無い場所。だが、何も無いという事は余計なものが無いという事でもある。
モノが溢れ、様々な情報が錯綜する混迷極まるデジタルな戦場の中を遮二無二駆け回る自分にとって、この“何も無い”という事がどれだけ心休まるか。
膨大な量の情報の波をかき分け、必要な情報を迅速に入手、さらに処理を施す日々……そこに人の営みなど無い。まるで自分も機械になった様な錯覚さえ感じる毎日は、さながら戦場の兵士の如く殺伐とした心境にさせてくれる。
そこは心の拠り所さえを見失ってしまう世界なのだ。
ここに来るという事は……自分にとって『人間に還る』のと同等の意味を為す。
ここに居ると時間の流れを気にせずに済む。景色が、帰る時を教えてくれるから。
ただ、空を見上げるも良し。
川を眺めるも良し。
横になって眠りにつくも良し。
原始的な時をただ過ごせば良い。
それが、何よりもかけがえのない癒しとなる。
雄大な自然の中をたった一人で居ること。
ここに居ると自分という人間がこの世界でいかに小さな存在であるかを再認識する事ができる。それが自分の抱える悩みやストレスがほんの些細なものであるという事も教えてくれるのだ。
――安らぎの時は短い。気持ちのゆとりを持てる時間は稀少だ。
日が沈めば、また戻らねばならない。
生きるために人間らしさを脱ぎ、淡々と仕事をこなす日常に戻らねばならないのだ。
しかし、短い故にその癒しを強く実感する事ができる。
心の安らぎを感じる事ができる。
世界との繋がりも感じる事ができる。
それは、都会では決して味わえない感覚だ。何も無いから実感できるものだと思う。
――だから今は、この時を感じようと丘の斜面に身を投げ、果てしなく広がる空に思いを馳せよう。
空を舞う鳥達の姿を眺めよう。
それに飽きたら身を起こし、静かに流れゆく川のせせらぎを聞こう。
時折跳ねる魚の姿を眺めよう。
――それが、この丘の過ごし方なのだ。




