広瀬家と明石家の長い一日
相変わらずの『息子が彼氏を連れてきた!』シリーズです。本作は過去作を御存じない方には、ストーリーがわかりにくいと思います。数時間の限られた空間での話ですが、色々な人の会話に飛んじゃいます。過去作を読んで下さった方には、なんとなくご理解頂けるかと思います。無責任な作者で申し訳ありません。
同居を開始して2年目、同性の恋人明石実央に早く指輪を渡したい広瀬暁人。両家の関係の仕切り直しも兼ねた食事会を開くことに。家族に加え会社関係など知人も招いての食事会となったが、なんだかカオスな状態に?
オープニング
ここは都内某区にある、”le Soleil”という落ち着いた雰囲気のレストラン。8月のある1日、貸し切りで広瀬・明石両家の食事会が行われている。派手な装飾はなく、やわらかいライトに窓の明かり、ワンポイントで各テーブルには可愛らしい花が飾られている。
「本日は広瀬・明石御両家の皆様、また御両家とゆかりのある皆様に当レストランをご利用頂き誠にありがとうございます。私は当店オーナーの大野尊と申します。そこにおります大野武は私の弟です。大室精密(株)の方々には愚弟が大変お世話になっております」
大野武は冒頭いきなり自分が紹介され、少々気恥しいといった体である
「こちらは当店の料理長篠原修吾でございます。本日は心を込めて皆様へのおもてなしをさせて頂きます。テーブルには一応お名前のプレートをご用意しましたが、ご自由にお席を移動してご歓談下さい。あちらに立食用のテーブルも設けておりますので、よろしかったらお使い下さい。なお、本日スパークリングワインは当店からサービスさせて頂きます。ご存分にお楽しみ下さいね」
そう言うとオーナーと篠原は拍手を合図に一礼して厨房の方へ下がって行った。彼らと入れ替わりに若い青年二人が正面に立つ。参加者たちは各テーブルの席で、起立したままである。
「本日は暑い中広瀬・明石両家の親睦会にお集まり頂き、ありがとうございます。私たち広瀬暁人と明石実央についてはここにいる皆様方はご存じなので、改めてご説明は致しません。私たちがここに至るまでお世話になり、応援して下さった皆様への感謝の気持ちでお招きいたしました。今日は気楽に食事を楽しめるスタイルにして頂きましたので、ゆっくり召し上がって下さい」
暁人が代表して挨拶すると、二人そろって頭を深く下げた。暁人は身長185cm・実央は170cmといったところか、身長差のある二人が仲良く笑顔で並んでいる。彼らは今日の主役、食事会の中心にいるカップルである。
二人は同じ大学の先輩後輩で、暁人が3年生実央が1年生の時に交際を始め、この夏で丸5年になる。現在暁人は大室精密(株)広報部に勤務し、実央は私立三輪春学園という男子校で社会科教師を務めている。お互い社会人になった今都内のマンションで同居しているが、決して平穏な5年間ではなかった。特に暁人の母静子が同性同士の交際に猛反対していたため、騒動や対立があった。
その母が色々な経緯があって最近二人の仲を認める風向きとなり、それなら改めて親睦を深めようと今日の食事会の運びとなった訳なのである(※これまでの色々な経緯は、恐れ入りますが過去作をご覧下さい)。広瀬家の方は暁人の父明・母静子に姉の綾乃・弟の篤紀、明石家の方は実央の父匠・母実和子と実和子の妹北原真知が揃っている。
「おい、あいつなんであんな所に立ってるんだ?」
暁人の挨拶を聞きながら、さっき紹介されたオーナーの弟大野が隣に立つ同僚の山下に話しかけた。
「さあ…なんか二人の近くに立ってるよな…あ、真ん中に移動した?」
「あいつ」と言われたのは、暁人の同期岩城諒である。暁人と岩城は現在別部署だが、入社して2年ちょっと共に営業部に所属していた。大野と山下はその時二人が世話になった先輩である。暁人の勤務先は大室精密本社ビルだが、社内では暁人に同性のパートナーがいる事は皆知っているので、当然大野・山下両名も承知している。彼らは二人の新婚家庭?に訪れたこともあった。
「えー、お食事の前に今少しだけお時間を頂きます」
暁人と実央、二人の間に立った岩城がおもむろに口を開いた。
サプライズと緊張の一瞬
実央はきょとんとした顔をしている。暁人が挨拶をして、後は食事を楽しむという流れだと思っていたからだ。お店の中では少しずつ料理の準備も始まっている。実央はなぜ岩城が自分たちの近くにいるのかも不思議だった。綾乃と篤紀だけが終始ニヤニヤとしていた。
「広瀬暁人から明石実央に指輪が贈られます」
岩城がそう言うと
「えっ」
実央がはっきり声に出して驚いた。客席からも「おお?」という声が漏れ聞こえた。オーナーがウェイターたちに指図して一旦フロアから下がらせる。
「ゆ、指輪って…暁人さん…」
オロオロする実央に暁人は人差し指で自分の唇を抑え、「静かに」という合図を送る。岩城の両手にはすでに蓋が開けられた小さな紺色の箱があり、中にプラチナのリングが2つ輝いていた。続けて岩城が
「ペアリングですのでそれぞれ相手の指に嵌めて下さい(あー、なんで俺がこんな事しなくちゃならないかなー、嬉しいような悲しいような…)」
と、説明を付け加える。なぜ岩城が「悲しい」のかは後程わかります。
「じゃあまず俺から、実央、左手を出して」
と言いながら、暁人は実央が左手を出す前に自分で彼の手を取っている。せっかちな男である。
「は、はい…」
暁人は実央の左手薬指に小さい方のリングを嵌め…嵌めようとしたが、第2関節辺りで引っかかって進まなくなった。
(あ、あれ?サイズ間違えたか?やっぱり事前に確認しておくべきだったか?)
焦る暁人、そこへ岩城が小声で
〔慌てるな、広瀬、ゆっくり少しずつずらすように動かせ〕
そう囁いた。
〔わ、わかった〕
暁人が岩城に言われた通り動かすと、指輪は実央の左手薬指にスポッと納まった。思わず「ふう」という息が漏れる暁人。
「じゃあ今度は実央君の番な」
岩城が実央の方に指輪の入った箱を差し出した。
「え、ぼ、僕!?」
「実央、嵌めて」
「は、はい」
突然のことで実央はあたふたしている。暁人は「こういう実央もカワイイ」とデレて鼻の下が伸びている。
(うわー、見てらんないわ)
弟の様子に綾乃は笑いを嚙みころしている。
実央は落とさないようにと小さな指輪をしっかり持って、さっき暁人がしたようにゆっくりと暁人の左手薬指に嵌めていった。無事に嵌め終わり、
「指輪の交換が滞りなく行われました(いや、これ、交換じゃねえよな、広瀬が一方的に用意したんだし…まあ、細かい事はいいか)」
と岩城が告げると、綾乃の拍手を皮切りに参加者全員が盛大な拍手を送った(「盛大」とは言ってもそれ程の大人数ではないのだが)。実央は顔を赤くして、
「暁人さん、ありがとうございます…僕…こんな贈り物してもらえると思っていなくて…僕の方は何も考えていなくて…」
涙ぐみながら暁人に感謝の言葉を伝えた。
「いいんだよ、実央、俺の自己満だから。職場じゃ付けられないだろうから、ネックレスも用意したよ」
暁人は微笑みながらそう言うと、実央の頬に優しく左手で触れた。
(あっ、ヤバい、こいつ…まさかキスする気じゃあ…)
焦った岩城はその場合のフォローを咄嗟に考えた。
(いや、俺の目の前でキスとか、さすがにカンベンしてほしいんだけど…)
暁人はキスはしなかった。キスはしなかったが、優しく実央を抱き寄せた。
10秒…20秒…二人はその姿勢のまま動かない。拍手の手を止めた参加者はじーっと二人を見つめている。とりあえずそうするしかないからだろう。店のウェイターたちも次の皿を運んでいいものか、様子を窺っている。あまりの気まずさに岩城が
「広瀬、実央君と離れがたいのはわかったが、とりあえず戻ってくれるか?せっかくの料理が台無しになっちまうから」
そう言って、暁人の肩をポンと叩いた。ハッとしたように、暁人が実央の体から上体を起こした。綾乃と篤紀が堪え切れずにクスクスと笑っている。つられて他の客たちも声を潜めて笑い出した。
(こんな調子で今日一日大丈夫なのかよ…ひょっとして俺、立会人だけじゃなくてずっと介添え役じゃねーだろーな、もういっそ「結婚式」って触れ込みでやってほしかったよ)
岩城はため息をついて自分の席に着いた。
「おめでとうございます、素敵なサプライズでしたね、では順次お食事をご用意させて頂きます。お飲み物やお料理の追加はいつでもお声がけ下さい。テーブルにはお箸もご用意しておりますので、ご自由にお使い下さい。今日は堅苦しいマナーはお気になさらず召し上がって下さいね」
オーナーも料理を運びながら、改めて客たちに声を掛けた。
食事会の参加人数自体は多くないのだが、なぜか飛び入り参加もあったりした。暁人と実央はとりあえず正面に近い席で二人だけのテーブルに座っている。これは招待客に自由に来てもらったり、こちらからも挨拶に行ったりするためだ。まあ、二人だけの空気に浸りたいという気持ちもあるのかもしれない(主に暁人の方に)。
二人から少し離れたテーブルに双方の両親と、実央の叔母真知が姉である実和子の隣に座っていた。実和子の実家は北海道で、真知もそちらに住んでいる。独身らしい。この5人で一つのテーブル。
もう一つのテーブルには綾乃・篤紀の兄弟。篤紀は今暁人と同じ大室精密の経理部に所属している。篤紀の隣には大学で実央と同じ経済学部国際経済学科の白川研究室に所属していた一つ上の先輩・三松晴奈が座っている。やはり同じ学科の篤紀とは二つ違いで研究室では入れ違いになってしまったが、何かとご縁があって顔なじみだ。綾乃の隣には彼女の高校時代からの親友アイミ。この4人で一つのテーブル。
さらに別テーブルには暁人の勤務先大室精密(株)御一行様。岩城・大野・山下の3人…だけのはずだったのだが、全員で6人になっている。追加のうち一人は社外の人間だ。二人は同社の社員で秘書課の金沢冴子と人事部の堀越凛、女性二人である。岩城は今秘書課に所属していて、金沢は彼の直属の上司に当たる。
初めまして1
「は、初めまして。三松晴奈と申します。ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。明石君とは大学の研究室で1年一緒でした。広瀬君とも楽しくお話しする機会があって…」
晴奈はそう言うと同じテーブルの綾乃に自分の名刺を手渡した。先程も少し触れたが篤紀と実央と晴奈は学年こそ違えど、3人ともK大経済学部国際経済学科卒である。暁人は理工学部だった。暁人と実央はサークルが一緒だったのである(温泉研究会)。
「初めまして、弟がご面倒をお掛けしたようで…高階出版にお勤めなのね…大手出版社ね(んー、どこかで聞いたような…どこだっけ?アイミが本を出しているのは主に初瀬戸だし…)」
「いえ、まだまだ新人で…今日はお招き頂いてありがとうございます。私なんかがお邪魔していいのか…それに会費制じゃないと伺って、申し訳なくて」
「いいんですよ、兄貴の方は会社の人が来てるけど実央君の方は職場の人を呼べないから。三松さんに来てもらって実央君もすごく喜んでるんです。こちらの方がお礼を言いたいくらいですよ」
実央は自分の職場に、同性のパートナーがいる事は特に知らせていない(厳密には2名だけ知っています)。篤紀が晴奈に説明するのを聞いた綾乃が
「へー、一人前な事言うじゃない篤紀。私も食事会の打ち合わせの時は『三松さんてどちら様』つて聞いちゃったけれどね、後で思い出したわ。あの写真を下さった方よね?」
そう確認してきた。
「写真?」
「ホラ、箱根で篤紀と実央君が寄り添って寝ているやつ。あれ、あなたが送って下さったんでしょう?」
「あ、ああ、そうです。ご覧になったんですか?」
「あー見た見た、見たし、もらったわよ、私も (アイミも)。篤紀もちゃんと説明しなさいよね、三松さんはあの可愛いツーショットをくれた人ですって」
自分が忘れていたくせに、綾乃は篤紀のせいにする。
「ハイハイ、アイミさんはフリーライターだっけ?出版関係の人とはご縁があるんじゃないの?」
「ライターさんなんですが?どちらでご執筆を…」
篤紀の紹介を聞いて、晴奈が関心を示した。
アイミは実はBL漫画家である。篤紀への説明が面倒なので、「フリーライター」のようなことをしていると説明していただけだ。アイミは篤紀から暁人・実央の周辺情報を取材していたから、もっともらしい言い訳が必要だったのである。それに今更だが綾乃とアイミは筋金入りの「腐女子」だ。実央の母実和子も同士である。ちなみにこの店内には現在少なくとも5人の腐女子と一人の腐男子がいる。結構な「腐率」である。
「あー、バイトみたいなもので大したことは書いていないから…名前が出ないこともあるし…」
アイミは晴奈にそう言ってごまかしたが、
「でも…ご縁があったら是非」
そう言って晴奈はアイミにも名刺を渡した。
(「ご縁」は欲しい所なんだけれどね…高階出版てBLの取り扱いは少ないけれど、私的には結構いい作品が多いのよ。描かせてもらいたい気持ちはあるけれど、身バレするとなあ…)
アイミは受け取った名刺を眺めながらそんな事を思っていた。
「あー、ゴメンね、私たち今日名刺持って来てなくて…私は”パークエイド”っていうIT関連の会社に勤めてます」
綾乃が誤魔化しに入る。
「社名は存じ上げています、お姉様も理系のご出身でいらっしゃるんですか?」
(「お姉様」…)
晴奈の言葉に、綾乃はまんざらでもない顔をする。
「いや、私は英文で…(なんかいいわね、『お姉様』って響き…)
「それで、結局実央君には三松さんの事をなんて説明したの?あ、すみません、スパークリングワイン追加で」
「姉貴、ペース早すぎ…いくらサービスだからって…」
「いいじゃない、美味しいんだから。だから三松さんになんてお願いしたのよ」
「お願い?」
「実央君は兄貴との関係をどうして三松さんが知っているのかわかっていなかったから、説明してもらったじゃないっすか」
「ああ、それはもう『オンナの勘』て事にしました」
「『オンナの勘』…」
「嘘でもないんですよ、明石君と暁人さんの距離の近さにはなんか違和感のようなものを感じてましたから。お姫様抱っこの写真とか、箱根研修の送迎の件とか…でもそれがまさか恋愛方面だとは思ってもいなかったから…。加賀君の事も腑に落ちました」(※箱根送迎の事情は後程)
「実央君、加賀さんも呼ぼうかなんて言い出したんですよ」
「さすがにそれは…」
「でしょ?加賀さんは二人の関係を知らないからって、納得してもらいました」
わかりにくいので補足しておくと、実央は暁人との恋人関係が篤紀を除く大学関係者に知られているとは思っていなかった。加賀(実はゲイ)というのは晴奈と同学年の先輩で実央に片想いをしていたし、暁人との関係も知っていた。晴奈はたまたま篤紀と加賀が口論しているところに出くわしたので、それぞれの関係を理解したというのが実際の話なのである。
実央は加賀が自分の事を好きだとは知らないから、そうした経緯を説明する訳にはいかないのだ。それで強引に晴奈の「オンナの勘」という事にしたのである。もっとも暁人と実央の仲の良さは二人の在学中から有名だったので、暁人の周辺でも二人の関係を怪しむ人は少なからずいたのであるが(※この辺の事情は『兄貴の彼氏と俺の話』・『研究室の三松さん』をご参照下さい)。
綾乃は思った。
「(あれが恋愛方面だと気付かないってことは、やっぱり三松さんは腐女子じゃないわね…)それで、三松さんは事実を知ってどう思ったの?正直なところを聞かせてほしいわ」
「そうですね…驚きはしましたけれど…なんか自然に納得できました。『ああ、それならわかる』って。同性だけれどすごくお似合いですよね」
「アラ、そう思って下さる?まあまあ飲んで」
綾乃は上機嫌で晴奈のグラスにワインを注ぐ。
「あ…ありがとうございます」
「三松さん、無理して飲まなくていいっすよ、姉貴、こっちはもういいから」
「あらー、お邪魔だったかしら?三松さんを口説く予定だった?」
「ちっ、ちげーし!」
「そ、そうですよ、広瀬君にはちゃんと彼女さんが…」
「ああ、ユカちゃんとは別れたのよね」
「唯ちゃんだよ!俺が二股掛けてたみたいに思われるからやめてくれ!」
「え、お別れしちゃったの?」
晴奈は篤紀に唯ちゃんという彼女がいた事を知っていたので、驚いたようだった。
「あー、遠距離はお互い無理そうだったんで。彼女は地元が宮崎で」
篤紀が簡単に説明する。
「…そうだったんだ…」
(おや、これは?)
綾乃の隣で二人の様子を見ていたアイミが、何かに気付いたようだった。
メッセージ
食事が始まって30分くらい経ったところで、
「いくつかメッセージカードが届いておりますので、ご紹介してもよろしいですか?」
オーナーが暁人の所に確認に来た。
「メッセージカード…ですか?」
暁人は怪訝な顔をする。別のテーブルで篤紀の顔が青くなっている。
「はい、3通ほど」
「3つもですか?」
「はい、いずれも大室精密様のご関係かと」
篤紀がそそくさと洗面所に立とうとするのを、隣の綾乃がベルトを引っ掴んで座らせた。
「逃げるんじゃないわよ、篤紀」
「に…逃げるだなんて…人聞きの悪い…」
篤紀は仕方なく席に着く。
「どうなさいますか?よろしければ私がお読みいたしますが」
暁人は今日の事はここにいる人間以外には知らせていないので不思議に思ったが、
「じゃあ…折角なのでお願いします」
と、つい言ってしまった。
「では」
オーナーがその場で客たちに声を掛けた。
「本日こちらにメッセージカードをお預かりしています。どうぞお食事を召し上がりながらお聞き下さい。最初は大室精密(株)営業部ご一同様より」
「あ、これは俺じゃない、俺知らない」
篤紀は手と首を同時に振って否定する。
「うるさい、篤紀」
綾乃が一喝する。
「広瀬暁人君、営業部に在籍の時は色々頑張ってくれてありがとう。明石実央さんとの末永いお幸せを心よりお祈り申し上げます。たまには遊びに来てノロケ話を聞かせて下さい。大室精密(株)営業部一同」
周囲から笑いが漏れる。暁人は大野と山下の方を見た。二人はちょっときまり悪そうな顔をしている。
(先輩たち…職場か飲み会で今日の事喋ったな…)
「次は広瀬様が所属されている広報部ご一同様からです。『いつも美味しそうな愛妻弁当を披露してくれてありがとうございます。お電話の様子でもお二人のラブラブぶりはよーくわかります。これからも存分に見せつけて下さいね。大室精密(株)広報部一同』」
(読んでもらうんじゃなかった…)
暁人は後悔したが、もう遅い。客たちの顔がまともに見られず横を向いている。
「暁人さん…あ、愛妻弁当って…」
実央も恥ずかしそうに横を向いて暁人に聞く。
「俺が言ったわけじゃない、周りが勝手に…」
「よろしいですか、最後はええと…連名ですね。広報部城下紗弓様・庶務課市川有彩様・海外営業部松本レイナ様・経営企画部諸星葵様、経理部の湯浅真理様よりお預かりしております。『お二人の愛が未来永劫続きますように!!社内が全員敵に回っても、私たちが広瀬さんを、お二人を守ります!お二人の愛は永遠に不滅です!富士吉田市より愛を込めて』…とのことです。すごく力の籠ったメッセージですね。皆様ご旅行中なんでしょうか?」
3通目はなんだか同じような言葉が繰り返されている。暁人は完全に下を向いてしまった。
(俺、城下さんと松本さん以外面識ないぞ…。あ、経理の湯浅さんて、篤紀が前に言ってた部の先輩か?篤紀のやつ、まさか…)
暁人は篤紀の方を見て睨んだが、篤紀は必死に兄と目を合わせないようにしている。
「お、大室精密さんて…なんだかありがたいですね…」
実央もコメントに困っているようだ。
「なんだよ、『富士吉田市より愛をこめて』って、どういう顔ぶれで旅行してんだ、所属バラバラじゃないか、同期なのか?」
岩城がビールをぐいっと流し込むと、怪訝な面持ちでそう言った。
「…同期…ではないわね」
同じテーブルの金沢が気まずそうに言う。
「金沢さん」
隣に座る堀越が金沢に話しかけた。
「最後のメンバーはよく金沢さんとご一緒の所をお見掛けする顔ぶれですね」
「そ、そうかしら…?」
「年齢が違うのによくお話しなさっているから…別にそれがいけないわけではありませんけれど。それよりも…」
堀越はちょっと怒ったような顔で金沢に言った。
「なぜ私は今日ここにお邪魔しているのでしょうか」
「な、なぜって…」
金沢は答えに窮している。
「広瀬さんや明石さんが嫌で言っているわけではありません。私と金沢さんは広瀬さんの採用試験で面接官を務めましたしね。でも今日私がここにお邪魔したのは、金沢さんに頼まれたからです。会社関係が女一人では気まずいからと。それにまさか会費制でないとは思いませんでした。丸々ご馳走になるプランだなんて」
「まあまあ堀越さん」
岩城が堀越を宥めるように割って入った。
「俺が金沢さんに声を掛けたんですよ」
「…金沢さんは元々の参加予定ではなかったようですが?今日ここを訪れた時に大野さんと山下さんに驚かれましたよ?」
「ええと…だから急に思い立って、俺が広瀬に…」
岩城は何とか堀越に納得してもらおうとしているが、実はこれには込み入った事情があった。これも詳しくは後程。
「暁人って、会社でもあんなに実央君LOVEがダダ洩れてんの?」
一通りメッセージを聞いた綾乃が呆れている。隣では綾乃に洗面所行きを止められた篤紀が、青い顔をしている。
「熱いわねえ、今日の二人の服もペアルックよね、地味で色違いだから目立たないけれど。ポロシャツにサマージャケット、同じブランドのだわ」
アイミが二人の様子を眺めながら言う。
「そう言えばそうね。暁人のやつ、あれで実央君を同じ会社に入れようなんて考えていたんだから、呆れるわよ」
という綾乃の言葉に
「そうなんですか?」
と、晴奈が聞いてきた。
「そうよ、執着系彼氏だからね。もし実央君が同じ社内にいたら、仕事抜け出してしょっちゅう様子を見に行ってクビになるのは間違いないわ。本人もそれに気づいて考え直したんでしょ」
〔ねえ、それより最後のメッセージ…『富士吉田市より愛を込めて』って…アレじゃない?〕
アイミが小声で綾乃に話しかける。
〔アレって…あれか!部署がバラバラでおかしいとは思ったけれど…〕
「アレ」とは最近腐女子の間で使われるジョークというかシャレというか暗号?というか…「富士吉田市」→「ふじよしだし」→「腐女子だし」というやつである(※富士吉田市の皆様、ご勘弁を)
〔うわー、コンタクト取りたいけれど…ムリね〕
綾乃はそう思ったが、自分とアイミが腐女子である事は家族には話していないからこれは難しかった。実は篤紀も腐男子だが、こちらも誰にも話していない。
「実和子さん、気付いたかなあ…あ、経理の湯浅さんて、前に篤紀が言っていた部の先輩よね?」
綾乃が確認すると
「う…うん」
篤紀は力なく答える。そこへ席を立った暁人がこちらのテーブルにやって来た。
「篤紀…お前…」
めでたい席に似合わない、怖い顔をした兄が篤紀の席近くに立っていた。
「篤紀、お前俺に話す事があるんじゃないのか?」
「えーと、何のお話…」
「とぼけるな、今日の食事会の事、社内で話すなってお前に念押ししたよな」
「そ、そうだったかなー」
「そうなんだよ!」
篤紀は社食で大室精密腐女子会の面々と昼食をとる事が多い。篤紀と同じ経理部の湯浅はメンバーの一人だ。3通目のメッセージは当然腐女子会からのものだし、実は今日参加している金沢冴子も最年長メンバーである。ただ篤紀は腐女子会なるものの存在は知らないし、腐女子会の方も篤紀が腐男子であることは知らないのである。
腐女子会にしてみれば篤紀は暁人と実央についての貴重な情報源だし、彼女たちにとっては篤紀自身がBL的に好素材なのだ(主に妄想で)。
「お前…漏らしたな」
「そんな~粗相したみたいな言い方~」
「ごまかすな、湯浅さんから広報部の城下さんに伝わったんだろう」
「スミマセンテセシタ、昼飯の時うっかり喋っちゃいました…でも誓って営業部の方は関知しておりません」
「楽しい食事会でそんな顔しないでよ暁人、三松さんが驚いてるじゃないの。それより会社の人のテーブルいいの?お父さんたちが行ってるわよ」
綾乃に言われて暁人は岩城たちがいるテーブルを振り返った。両家の両親たち4人揃って改めて挨拶に行っているようだ。暁人は慌ててそちらに向かった。
「助かったー、ありがと、姉貴」
兄の追及から解放された篤紀は、ほっとして綾乃を拝む。
「あんたがやらかしたのは薄々わかっていたからね、どうせ会社にはバレてるんだから暁人もそんなに気にしなくていいのに」
綾乃は「やれやれ」といった感じで、ワインを口に運んだ。
「それにしても、ここ素敵なお店だね。落ち着いていて雰囲気もいいし、お料理もおいしいし」
晴奈が改めて店内を見回して、そう言った。
「そうっすね、オーナーさんもいい人みたいで」
篤紀も応じる。
「今度会社の先輩を誘って来ようかな」
「会社の先輩…ですか?」
「うん、入社してからすごくお世話になっていて、とてもステキな人なの。一つ違いとは思えないくらい頼もしくて仕事もできて、それでいて優しくて。憧れの先輩なんだ」
晴奈は満面の笑顔で篤紀に先輩の話をした。
「そうっすか…そんなに素敵な先輩が…そうですね、デートにはいいお店ですよね、ここ」
なぜか目を伏せて篤紀がそう答えると
「えっ、デート!?…あっ、違う、違うの、女の先輩だから、デートとかじゃなくて!」
晴奈は焦って篤紀に訂正した。
「女の先輩…なんだ…」
「ご、ごめん、私ちょっと洗面所に…」
顔を赤くした晴奈は、慌てて席を立った。その直後、綾乃は弟に向き直る。
「篤紀」
「え、なんだよ」
「あんた、三松さんがいいわ」
「いいわって…何がだよ」
「結婚相手」
「はあっ!?いきなり何言って…」
「2つ上でしょう?ちょうどいいわ。あんたのお嫁さんにはああいうしっかりした人が適任よ」
「無茶振りすんなよ、三松さんにも迷惑だろうが。『適任』て、仕事じゃないんだから…」
「あんたも満更でもなさそうじゃない、私の勘は当たるのよ。私の勘で結婚したあるカップルは幸せな家庭を築いて、奥さんの方は今二人目をご懐妊よ」
勘は当たると言っても、めでたく結ばれたのは今のところ一組だけである。
「…なんで姉貴がそんなに得意気なの?その人同い年?」
「…そうだけど…それが何か?」
「いや…」
宴は序の口
「父さんたち、皆さんに一体何を…」
一方暁人は慌てて会社関係者のテーブルにやって来た。両親たちが余計な話をしないか、心配したのだ。
「何をって、皆さんにご挨拶とお礼を申し上げていたんだよ。お前がお世話になっているんだから、親として当然だろう。ええと、それでこちらは…」
このテーブルで唯一社外の参加者である男性に目をやった。
「あ、CM撮影でお世話になったデザイン事務所サーフィスのユウ…倉館裕一郎さんだよ」
「倉館です。よろしくお願いします」
その人物はにっこり微笑むと明と匠に名刺を手渡した。暁人と岩城がいつも「ユウさん」と呼ぶ彼はミックスバー“Fairy tales”常連で、素は「オネエ」だ。さすがに今日は「オネエ」は封印している。広報部で倉館の事務所にCM作成の仕事を依頼したのは事実だが、倉館は今日の食事会の事を岩城から聞いて半ば強引に参加した。「会費の倍払うから!」という勢いだったが、そもそも会費制ではないのでもちろん何も払っていない。次回“Fairy tales”に来た時に全面的に奢るからという話にしたが、暁人も実央との事で色々相談に乗ってもらった事もあり、参加をOKしたのである。
「それはそれは、息子が大変お世話になりまして」
明も名刺を渡して挨拶する。
〔お父様も素敵な方♡んまっ、三友商事の重役じゃないの〕
ユウさんは小声で隣の岩城に耳打ちする。
〔ユウさん、頼むから今日はオネエ言葉はやめてくれ。広瀬のオフクロさんが聞いたら卒倒する〕
「大野さんと山下さんは営業部にいた時俺と岩城の教育係で、面倒を見てもらった先輩たち。こちらは秘書課の金沢さんと人事部の堀越さん。お二人は俺と岩城が最終面接を受けた時の面接官で、その後も色々お世話になって…」
暁人は両親たちに紹介を続ける。
「岩城の事は前にちょっと話したから知ってるよな、ほんとコイツには助けられることが多くて」
暁人が岩城の肩をポンと叩く。
「まあ、ホントに素敵な方ね、二人が揃っていた営業部はさぞ目立っていたでしょうね」
実和子が感心してそう褒めたが、実は腐女子目線からの言葉である。
「今回は本当にご迷惑をおかけして…会費制だと思っていたものですから…堀越さんは私がお願いして一緒に来てもらったんです。割り込んでしまってごめんなさい」
金沢がそう暁人に謝った。金沢が今日ここに参加したのは、篤紀が湯浅たちに食事会の事を漏らしたからである。広瀬・明石両家の食事会に岩城たちも参加する事を知った腐女子会は、なんとかそこに入り込もうとした。だが暁人と面識のないメンバーが多く、さすがに無理に思えた。城下紗弓は暁人と同じ広報部だが自分一人が参加するのは不自然だし、松本レイナも一緒に出張に行っただけである。そこで白羽の矢が立ったのが金沢だ。金沢なら暁人と岩城に縁があるから、なんとかいけるのではと一同は考えた。
金沢も最初こそ拒否したが、「広瀬君の恋人を見てみたい」という欲には勝てなかった。そのために部下である岩城に頼み込んで、岩城が声を掛けたことにしてもらったのだ(※パワハラ?)。いわば堀越は、そのとばっちりである。飛び入り一人ではきまりが悪いが、腐女子会のメンバーを同席させるわけにもいかないから、関係の深い人事部の堀越に頼みこんだのだ。
「せめて私たちの分だけでも会費として受け取って頂けないでしょうか」
金沢が恐縮して暁人や両親たちにお願いをする。
「そんなのいいですよ、岩城が声を掛けたんだし、むしろ俺の方からお二人をお招きするべきでした」
暁人がそう言うと
「息子の言う通りです。息子が会社で大変お世話になっておりますし、なにやらプライベートの事でもご面倒をお掛けしたようで…」
明も丁重に金沢の申し出を断った。
「プライベートの事は周りが勝手に騒いだだけで、広瀬君は何も悪くありませんよ。ねえ、先輩方」
岩城が大野・山下両名に話しかけたところで、暁人がその先輩二人に向き直った。
「ところで先輩方、営業部の人に今日の事を話しましたね」
暁人が大野と山下に確かめる。
「いやー、俺らはっきり口留めされてないし…飲み会の時山下が佳山部長にちょろっと話しちゃってさ」
大野が山下の方を指さす。
「なんだよ、確かに俺が話したけど、その後詳しい事ベラベラ喋ったのは大野の方だろうが」
山下が反論する。金沢はなぜかそんな二人のやり取りを、目を細めて眺めている。
「それに広瀬、今更だろう、会社でもあれだけ『実央君大好き』アピールしておいて」
大野がからかうように暁人に言った。
「お、俺はアピールなんか…」
暁人が焦って否定しようとすると
「広瀬さん」
堀越が暁人に声を掛けた。
「よろしいんですか、明石さんを御一人にしたままで」
「え」
堀越の言葉に暁人は自分のテーブルの方に目をやった。実央が一人きりで食事をしているかと思いきや、
「!」
オーナーの大野と何やら楽しそうに話をしている。多分実央が一人になってしまったのを気遣って、オーナーが世間話でもしているのだろう。その様子を見た暁人は
「失礼します!」
慌てて実央の方へと戻って行った。
「いやはやどうも、落ち着きのない息子で…」
明が決まり悪そうに苦笑する。
「いえ、度胸ありますよ広瀬君は。営業先で俺がピンチになった時、ハッタリかまして相手を黙らせましたから。あたふたするのは実央君に関する事だけです」
岩城がフォローすると、匠と実和子は顔を見合わせて笑った。
「堀越さん…あなた良く広瀬君の性癖…いえ性質をわかってらっしゃるのね…」
金沢が堀越に向かってそう言った。
「わかりますとも。就職の最終面接で堂々と彼氏への愛を口にする人なんてそうそういませんから」
堀越は言ってから、しまったという表情で口を押さえた。
「暁人が面接で?」
その時初めて静子が声を発した。
「申し訳ありません、喋り過ぎました」
人事部として責任感の強い堀越は、面接内容に触れてしまったことを謝罪した。
「いいじゃないですか、もう4年も前の事ですよ、ちゃんと採用されているんだし。俺もその場で聞いていましたしね」
岩城が笑ってまたまたフォローする。
「なんだよ岩城、それ俺らにも聞かせろよ」
大野がその話に食いついてきた。
「いいですよ、今度奢ってくれたらその時話します。ほら、馬場さんが絡んだあの…」(※『同僚の恋の話』参照)
「岩城さん!」
堀越が止めに入った。さてこちらのテーブルが賑やかに談笑?している間別のテーブルでは…
初めまして2
「オジャマしまーす、先程は簡単なご挨拶で失礼しましたー」
両親席に綾乃とアイミがやって来た。両家の親たちは今会社関係のテーブルへ挨拶に行っているので、ここには実央の叔母・北原真知だけが残っていた。
「いえ、こちらこそ、改めてよろしくお願いします」
真知は微笑んで言う。
「私にお気遣いならいいのよ、あちらは大丈夫?」
真知は篤紀と晴奈の方を窺う。
「いいんですよ、二人にしておいた方が」
綾乃は適当な事を言ったが、
「多分、三松さんて篤紀君のこと好きだよ」
アイミが自信ありげに発言した。
「アラ、そうなの?」
真知も興味を示す。
「さっき篤紀君が彼女と別れたって話が出た時、三松さんちょっとほっとしたような顔してたから」
「アイミはさすがによく見てるわねえ」
綾乃が感心する。
「アイミさんにもお会いできてうれしいわ。お姉ちゃんがいつもお世話になってます。作品も全部読ませてもらってるの。去年の暮れに出たあのコミックスの表紙、すごくステキだった」
真知の言葉に、
「ありがとうございます。私の方こそ実和子さんにはお世話になりっぱなしで…。新刊本とグッズを持って来たので、後で差し上げますね。おこがましいけどサインを入れときました」
アイミも嬉しそうに応じた。
「ホントに!?光栄だわ、会川みい先生のサイン本なんて。東京まで出てきた甲斐があったわ」
真知は心底喜んでいる。ここ3人は腐女子の集まりだ。真知は姉の実和子の影響で同じ腐海の住人になってしまった。真知は続けて語る。
「早い時期にお姉ちゃんから大体の事は聞いてるの。まさか実央がねえ。お姉ちゃんの胎教が良かったのかしら。でも写真は拝見してたけど、暁人さんがかっこよくて驚いちゃった。しかもノンケだって伺ったから、さらにびっくり」
真知は明るい性格のようで、陽気に話をする。
「私も腐女子のオーラが弟に影響しちゃったのかと思ったわ。あいつとんでもない溺愛執着攻めで、実央君苦労するわよ、いや、もうしてるか」
綾乃がワインを飲みながら、やれやれという感じで言った。するとアイミが
「ところで…オーナーさんとシェフ、どちらが攻めだと思う?」
と、二人に問いかけた。
「あら、あのお二人もそうなの?ちょっとそんな印象は受けたけれど」
と、真知が驚く。
「あ、これ、言ったらダメなやつだった?」
アイミが困った顔をする。
「いいんじゃないの?まあうちのお母さんには黙っていた方がいいかもだけど」
綾乃はあまり気にしていない。
オーナーの大野尊は元はサラリーマンだったが、ゲイであることを隠していたため会社で窮屈な思いをしていたらしい。弟の武もそんな兄への接し方に悩んでいたが、社内に同性の恋人のことが知れ渡っても堂々としている後輩の暁人を見て感じるところがあったようだ。また岩城のアドバイスもあって現在兄弟関係は良好、尊は思い切って会社を辞めて恋人のシェフ篠原とレストランを開業したというわけである(※『同僚の恋の話』参照)。
「うーん、お二人ともとても素敵だけれど難しいわね、ああやって実央と話しているところを見ると『攻め』って感じだけれど」
真知が真面目な顔で言う。
「実央君は『総受け』ですもんね」
アイミもあっさりと言う。
「『リバ』もありかなあ。個人的には固定が好きなんだけれど…」
綾乃が真剣に考えている。アイミがさらに情報を追加してきた。
「それとあちらのテーブルの倉館さん?あの人多分オネエ。隠してるけれど隠し切れてないわ」
「ああ、なんかそんな感じだわね」
綾乃も同意する。
「あと暁人君と仲良しの岩城さん?あの人暁人君の事好きなんじゃないかしら」
アイミが次の爆弾を投下。
「それ、私も暁人に言ったことがあるんだけれど、笑って否定されたわよ。あの人かなりの女好きらしいわ」
「甘いわよ、綾乃。女好きの男が男に堕ちる話なんて、BLにはたくさんあるじゃないの」
「それもそうか」
「やっぱり東京は楽しいわねえ、こういう話がたくさんできて」
今日が初対面とは思えないほどBL界隈の話題で盛り上がっている。金沢がここの会話を知ったら喜んで飛んでくるだろうが、残念ながら難しそうである。
「それよりうちの母が何か失礼な事言ったりしていませんか?」
綾乃は真面目な顔つきになって真知に聞いてきた。
「お母様?全然そんなことないわよ。ご挨拶の時『実央がいつもお世話になっております、色々お料理を教えて頂いているようで本当に喜んでいます。暁人さんもやっぱりお母様の味が一番ですものね』ってお話ししたら、笑顔でいらしたから」
真知が答えると
「うまい…」
綾乃が素直に感心した。
「失礼ですが、お仕事は…」
「保険の外交員よ」
「ナルホド…」
人の懐に入るのがうまいはずだと、綾乃は納得した。
「お二人が北海道を旅行する時は是非ともうちにいらしてね。お姉ちゃんが買った紙の本、大量に私が預かってるから。電子書籍化されていないちょっと古い作品もあるから、読んでみたかったらいつでもどうぞ。北海道は寒いけれど、大きい家は建てやすいから収納スペースには困らないのよね」
真知は冗談交じりにそんな事を言ったが、
「昔の紙の本…行きます!絶対行きます!二人でお邪魔します!」
綾乃が力強く答えたところで。向こうのテーブルから暁人が実央の所に戻って来るのが見えた。
初めまして3
「実、実央…一人にしてごめん…」
「暁人さん、僕の方もごめんなさい。僕も一緒に行った方がいいのかなと思ったんですけれど、あまり大人数で固まってもと思ったから、時間をずらそうかと。また後で一緒に行ってもらえますか?」
「も、もちろん」
実央の言葉に暁人は勝手にキューンとしている。
「パートナー様が戻られましたので、私はこれで。新しいお料理をお出ししますね」
オーナーの大野が下がろうとすると
「あの…実央の相手をして頂いてありがとうございました。あとスパークリングワインをサービスって、知らなくて…申し訳ないのでちゃんとお支払いを…」
暁人がそう話しかけた。
「ああ、気になさらないで下さい。シェフの篠原の実家が山梨でワイナリーを経営していましてね、いいスパークリングワインを安く仕入れられたんです。夏の終わりになればまた新酒の仕込みも始まりますから。ワイナリーの案内もあちらに置かせて頂いたので、ご旅行の機会があったら是非お立ち寄り下さい」
オーナーは暁人の先輩のお兄さんで、5つ以上は年上だろう、さすがに貫禄がある。それにしても今日は山梨絡みの話題が多い?
「はい、必ず伺います。こちらのお店も会社でみんなにお勧めします」
暁人はそう答えながら
(俺ももう少し大人の余裕を持たないとだめだよなあ)
と、心の内で反省した。でも多分実央に関しては無理だろう。暁人は普段は沈着冷静・泰然自若、仕事はできるし頼りがいのある男だが、実央の事となると箍が外れるというか、別の人格が現れるというか…まあ、そういう事である。
「オーナーと何話してたんだ?」
「え、お天気の話とか、弟さんの話とか…あと暁人さんと僕の事で勇気をもらえたって言われて、ちょっと照れちゃいました」
実央は恥ずかしそうに顔を赤らめたが、どこか嬉しそうでもあった。実央もオーナーとシェフの関係は事前に聞いて、知っていたのだ。
(今日終わったら、絶対実央とホテルに行く!)
実央の笑顔を見て、何故か暁人はそう思った。大人の余裕はどうした、広瀬暁人。
やがて新しい料理と飲み物が運ばれてくると、みなそれを味わい始めた。ワイン好きの篤紀は調子よく飲み進め、晴奈と楽しそうに話している。
「楽しいですね、暁人さん。後で三松さんの所へも行かないと…」
実央がフォークを持つ左手に光る指輪を見て、暁人は改めて「実央が自分のものになった」感を強くして満足していた。「自分のもの」という発想がすでにアブナイ。これで自分は束縛系でも執着系でもないと思っているのだから、とんでもない男である。
「ちょっと会社のテーブルにお邪魔していいですか、簡単なご挨拶しかしていないから、改めてお礼がしたいです。岩城さん・大野さん・山下さんはうちに来て頂いたけれど、他の方は初めてですし」
実央が暁人に話しかけたので、
「うん、そうしようか。一緒に行こう」
暁人は実央の手を取ると、再び会社のテーブルへと向かって行った。両親たちはすでに自分たちの席に戻って、食事を楽しんでいる。二人の様子を眺めていた綾乃は
(なんで手を繋いで行くのかしらね)
クスクス笑って、追加のワインを頼んでいた。
「あの…ご挨拶が遅くなってすみません、今日はお忙しい中ご足労頂いて本当にありがとうございます」
暁人の会社関係の面々に、おずおずと実央が挨拶をした。
(カワイイっ!!可愛いって話は聞いていたけれどほんとに可愛いっ!え、ナニこのリアルBL、なんのご褒美?日々まじめに働いていた私への特別ボーナス?私無宗教だけど、神様ありがとうー!!)
冷静を装いながら、金沢は心の中でガッツポーズを繰り返していた。
(いやもう、泣きそうなんだけど?こんなツーショット拝める日が来るなんて…妄想じゃないのよ、本物の恋人同士なんだから!!ちょっと強引に参加しちゃったけれど、これは大正解!)(※「ちょっと」…?)
心の声とはいえ、誰に向かって叫んでいるのだろうか。
「ええと…金沢さんと堀越さんと、CMでご一緒して下さった倉館さん、初めまして、明石実央です。暁人さんがいつもお世話になっています」
実央は深々と頭を下げた。
(いやーっ、なによこの子、写真で見た以上に可愛いじゃないの。これじゃあノンケの暁ちゃんもやられちゃうわよね。残念だけれど諒ちゃん、あなたの出る幕はないわ、諦めなさい。寂しかったらアタシが相手をしてあげるから)
倉館もまた平静を装いながら、そんな事を考えていた。アイミの慧眼通り、岩城は女好きだが暁人に惚れている。倉館はそのことを知っていて、以前慰めたことがあるのだ。あ、「言葉」で慰めたんですよ。
「実央君、前にお宅にお邪魔した時はごちそうさまでした。今日もまた、こんなに豪勢なもてなしを受けちゃって申し訳ないな」
山下が実央に向かってそう言った。
「いえ、とんでもないです、あの時は大したこともできなくて。またいらして下さいね」
実央は恐縮している。
「…山下さんはお二人のお住まいに行かれたことが…?」
金沢が聞くと
「ええ、大野と岩城も一緒に。岩城は何回か行ってるみたいですけどね」
「そうなんですか…(いいわね、男の人は、気軽に足を運べて)」
なんとなく悔しい思いをしている金沢だったが、大野と山下は彼女のかつての妄想対象である。大野が結婚したのでテンションが下がったが、それでもep「宴は序の口」のような二人のやりとりを目にすると、ついつい目を細めてしまうわけなのだ。
「先ほども金沢さんがご両親にお話ししたのですが、私と金沢さんの分だけでも会費にしてもらえないでしょうか」
余程気にしているらしく、堀越が暁人と実央に再度申し入れた。
「あら、それならアタシ…いえ、それなら僕も…」
倉館が慌てて言い直したので、岩城が下を向いて笑っている。
「本当にお気になさらず、大野さんのお兄さんがけっこうサービスしてくれているので、こちらが申し訳ないくらいで…」
暁人が大野を見てそう言った。
「いいんだよ、まだできて間もない店だから今日来た人たちが口コミで広めてくれたら、兄貴の方だって費用対効果はバッチリって事だ」
大野はビールを飲みつつ、明るく話す。
「…広瀬…」
岩城が実央の腰の辺りに視線をやって、ポツリと呟いた。
「うん?」
広瀬は岩城の方を見る。
「そんなに大事そうに実央君を抱えなくても、誰も盗らないから…」
暁人は実央の腰に手を回してがっちり抱え込んでいる。
「べ、別にそんなつもりじゃ…」
暁人は少し手を緩めたが、放す事はしなかった。
倉館が岩城を見てニヤニヤ笑う。
(ヤダー、諒ちゃん、嫉妬?)
その視線を感じた岩城は
(ちげーし!)
更に視線でそう返した。
親心
「いい食事会になったね、静子さん」
明は隣に座る妻の静子に声を掛けた。
「そうですね…あの二人のことがあんなに皆さんに受け入れてもらえているなんて」
静子は最後まで二人の「障害」になった人物である。娘の綾乃はまだ母の事を疑っているくらいだ。
「でも…」
静子は綾乃と篤紀がいるテーブルの方へ目をやった。篤紀は晴奈と楽しそうに話しているし、綾乃も親友のアイミと語らっている。静子は今日初めてアイミと会ったが、彼女が娘の事をずいぶんと信頼しているらしい事は理解できた。
「親戚は…どうします」
静子はぽつりと言った。
「親戚?二人のことを話すのかって事かい?」
「そうですよ、綾乃や篤紀が結婚すればまた親戚も増えるわけだし、その時…」
「静子さんは心配性だなあ、今時独身の人なんか大勢いるんだし、わざわざ話す必要もないんじゃないか?」
明は笑ってそう言ったが、ちょっと間をおいて
「いや、でもそうだな、静子さんの心配ももっともだね。説明が必要な時は責任を持って私が対応するよ。広瀬家の方も宗方家の方も、新しく親戚が増えた時も」
はっきりと約束した。宗方は静子の実家である。
「そうですか、お願いしますね」
静子が答えたその時、篤紀が晴奈を連れてやってきた。
「お食事中にすみません。三松晴奈と申します。明石君とは1年間大学で同じ研究室に所属していました。本日はお招き頂いてありがとうございます」
晴奈が両親たちに向かって頭を下げる。
「三松さんには俺もお世話になったんだ。ほら、いつかオフクロが白川教授に贈ったお歳暮、あれを教授に渡してくれたのも三松さんだよ。詳しい説明は省くけれど、兄貴と実央君の事も知ってるから」
篤紀が説明を加えた。
「まあ、そうだったの。ありがとうございます」
静子が礼を言うと
「お名前は伺っていますよ、大学では実央が大変お世話になりまして…」
実和子も頭を下げた。
「い、いえ、お世話だなんて…私の方こそ…」
晴奈は恐縮している。特段世話をしたという程ではなかったが、以前晴奈は居眠りしている実央に加賀が密かにキスしようとしたのを防いだ事がある。
(あれがお世話と言えばお世話なのかしら?加賀君にとっては「余計なお世話」だったでしょうけれど…)
晴奈はふと大学時代の事を思い出していた。もちろんこの事は、ここにいる誰も知らない。
「篤紀と三松さんは、随分仲がいいんだねえ」
明が深い意味はなくそんな事を口にすると、
「えっ、親父、何言ってんだよ、みみみ三松さんに失礼じゃんか」
何故か篤紀は焦っている。
「あれ、私は何か失礼なことを言ったかね、静子さん」
「知りませんよ」
静子は笑って答えた。晴奈は顔を赤らめて俯いていた。
「いやー、迷ったけれど来て良かったわ、お姉ちゃん」
真知が実和子に話しかける。
「遠いところ悪かったわね、飛行機代は出すわよ」
「そんなのいいわよ、独身貴族だからね、あーこの言い方ももう古いか」
真知はペロッと舌を出す。ちょっと声を潜めて
「こんな素敵なリアルBLが体感できるとは思わなかったわよ、さすが東京」
「…場所は関係あるかしらね…」
「ちょっとちゃんと暁人さんにも引き合わせてよ、実央ともまだあまり話せていないし」
「そうね、じゃあ一緒に…ちょっと失礼しますね」
実和子は明たちに会釈して真知と二人席を離れた。実央がいち早く二人がこちらに来たことに気が付いた。
「真知おばさん、今日はありがとう。おじいちゃんもおばあちゃんも元気?」
「元気元気、今度二人で顔を見せに行ってやってよ」
「俺が行ってもいいのかな…」
暁人がちょっと遠慮をすると
「いいに決まってるじゃない、あ、挨拶が後になっちゃった、実央の叔母の真知です。よろしくね。今度二人で北海道に来てよ。美味しいものたくさんご馳走するわ」
「こちらこそよろしくお願いします、広瀬暁人です。実央君とは…」
「あー、いいのいいの、みんなお姉ちゃんから聞いて知っているから。暁人さんが明石家に挨拶に来た直後に、お姉ちゃんから聞いたのよ」
そこは姉妹だからというより、腐女子だからという繋がりゆえである。
「実央はカッコイイ人捕まえちゃったわねえ、羨ましいわあ、叔母さんより先に伴侶を見つけたんだから」
「は、伴侶…」
実央は照れて赤くなっている。
「伴侶…いい言葉だな、今度からそれ使おうかな」
暁人は何かブツブツ言っている。
「お義兄さん、最初は反対だったんだって?」
「反対っていうか…まあ頭が固くてなかなか受け入れられなかったっていうか。でも結局あの人は実央が可愛くて仕方がない人だから、いずれは折れると思ってたわ」
「…お父さん、本当に実央が可愛いみたいですよね…」
暁人が複雑な表情を見せると
「ヤダー、暁人さん、実の父親に嫉妬しないでよー、嫁姑がうまくいってるのに婿舅でいざこざなんてイヤよー(腐女子的には面白いけど)」
真知は豪快に笑って、暁人の背中をバシッと叩いた。
「よ、ヨメ!?嫁って僕の事?叔母さん…」
実央が困惑すると
「立ち位置的にはそうでしょ?詳しく解説した方がいい?」
真知は甥っ子に向かってそう言った。
「立ち位置…詳しく解説…」
実央は暫く考えると、さらに顔を赤くして
「か、解説はいいよ、真知叔母さん…」
と答えるしかなかった。実央は真知が(もちろん自分の母親も)腐女子だなんて知らないが、何かとんでもない事を言われるような気がしたのだ。
「ぼ、僕、三松さんに挨拶してくるね」
実央は逃げるように晴奈のいるテーブルへと急いでいった。
聞いてません1
実央がテーブルを離れたところで、実和子と真知も「じゃあね」と自分の席に戻って行った。暁人は実央を追いかけようとしたが、実和子たちと入れ違いに岩城と倉館がやって来た。
「そんなに実央君にベッタリ張り付いていなくていいだろう?今日はお客さんにサービスしろよ」
岩城はだいぶ酔っているのか、暁人の肩に腕を回してきた。
「そうそう、特に諒ちゃんはサービスしてほしいわよねえ?」
「ユウさん」こと倉館は素の状態で話しかけてくる。
「ああ、岩城には感謝してるよ。このお店も紹介してくれたし、立会人まで頼んじゃって」
暁人は素直に謝意を示した。
「そういう事じゃないわよねえ、アタシいじらしくて涙が出そうだったわ」
「え、ユウさん、それってどういう…」
暁人が倉館の言葉の意味を図りかねていると
「ユウさん!」
岩城が強引に遮った。
「気にするな広瀬、ユウさん酔ってるからワケわかんない事言ってるだけだよ」
「あ、ああ…」
暁人はいまひとつ釈然としていない。
一方実央の方は篤紀や晴奈と話をしていた。
「今日は久しぶりに三松さんに会えて、本当に嬉しかったです。加賀さんもお招きしたかったけれど、暁人さんと僕の事は知らないからって篤紀君に言われて…」
実央の言葉に
「あ、ああー、そうだね、説明がちょっと難しいものね、私は『偶々』気が付いたから声をかけて頂けたけど…」
晴奈は少々きまりが悪そうだ。前述の通り晴奈も偶然篤紀と加賀の言い争う場面に遭遇したから事情を知ったわけで、自分の方から気が付いたわけではない。
「暁人さん、一生懸命だったものねえ、箱根の時とか特に…あんなに高いお部屋に泊まって明石くんの事をサポートしたんですものね」
「箱根の時」とは実央が大学3年生の時研究室の箱根研修に参加したのだが、当時足を捻挫していたため暁人が車で送迎した事を指す。研修は2泊3日だったから暁人は有休を取って付き添ったし、成り行きで2年生だった篤紀も(大学をサボって)同行したのだった(※『兄貴の彼氏と俺の話』参照)。
「高い部屋…?」
実央が晴奈の言葉に引っかかった。
「うん、そう。確か8階に泊まっていたわよね。あの辺のお部屋って1泊15万以上だったと…」
晴奈も少し酔っていたのか、つい口が滑ってしまった。篤紀が明らかに「マズイ」という表情をしている。
「1泊15万!?」
珍しく実央の声が大きくなった。
実央の声の大きさに両親たちもこちらに視線を向けた。
「実央君、シーッ、オフクロはこの事知らないから声を落としてよ」
篤紀が慌てて実央にお願いする。実央は声を小さくしたが、
「1泊15万…それを2泊で30万…?」
さすがに驚いたままだ。
「あのね実央君、俺の分も入ってるから、二人で15万だから」
篤紀が説明したが、実央の表情は変わらない。晴奈もようやく自分が余計な事を言ってしまったと気が付いた。
「広瀬君、ごめんなさい…私言わなくてもいい事を…」
「あ、いいんですよ三松さん、ところでここには『広瀬』が何人もいるから、『篤紀』って呼んでもらえますか?」
この状況で篤紀はまた、ピントがずれた事を言い出した。
「え、いいの?あ、篤紀君て呼んでも…」
「はい、じゃあ俺も晴奈さんて呼んじゃおうかな、いいっすか?」
「う、うん…いいけど…なんだか照れくさいね」
固まっている実央をよそに、二人だけ別次元モードに入っている。
こちらの様子が気になったのか、岩城とユウさん(倉館)を振りほどいて暁人がやって来た。今日の店内のレイアウトはゆったりと空間が使えるようにテーブルの間を広めに取ってあるから、何を話しているのかはわからなかったようだ。
「実央、どうかしたのか?なんだか難しい顔をしているけれど…」
「暁人さん、僕聞いてません、30万も使ったなんて」
「30万?指輪ならそんなに…」
「違います、指輪も気になるけれど…箱根の時の話です」
3年前の話をいきなり持ち出されて、暁人は面食らった。
「え…なんで今頃そんな話を…」
暁人は篤紀の方に向き直った。「お前か」という顔つきになっている。
「ちが…」
篤紀は否定しようとしたが、そうすると晴奈が口を滑らした事を話さなければならない。
「ごめん、兄貴、話の流れでちょっと…酔ってて口が滑らかになっちゃったかなー、兄貴が実央君の事をすごーく大事に思ってるっていう話題から、その…」
篤紀は必死にごまかそうとした。暁人は怖い顔をしているし、実央はフリーズしたままだ。
「ち、違うんです、広…篤紀君は何も悪くないんです、私がうっかり…」
晴奈が言いかけたところで、明と静子が近づいてきた。
「何かあったのか?」
明が心配そうに聞いてきた。向こうのテーブルにいても、こちらが何か揉めている様子なのは気が付いたらしい。箱根の一件に関しては、明は綾乃から大体の事を聞いて知っていた。だが当時静子は二人の交際に猛反対していたから、暁人が有休を使ってまで実央を送迎した事は全く知らない。静子は篤紀が研修に飛び入り参加したとは聞いているが、暁人の方は会社の出張だと説明されていたのである。
「ええと…その…」
篤紀は説明に窮しているし、他の面々も静子がいるので本当のことを話せない。その時
「篤紀が三松さんに告ったの」
いきなり横から綾乃が割って入ってきた。
「こ、告っ…!?」
姉のトンデモ発言に篤紀は言葉を失った。
「篤紀のバカが酔った勢いで三松さんに告白したもんだから、いくら何でも酒の席でそれはないだろうって実央君が怒ったの、告白は真面目にしなさいって。尤もな話よね」
篤紀も晴奈も綾乃の無茶振りに混乱している。
「そうなのかい?」
明と静子が暁人と実央の方に向き直った。
「ええと…うん、まあそんなとこ。珍しく実央が厳しい顔しているから俺もどうしたのかなって…」
ちょっと歯切れが悪かったが、とりあえず暁人も綾乃の大ボラに乗っかることにした。実央も仕方なく黙って頷く。
「篤紀、告白ならもっと雰囲気を大切にしなさい。みんながいるところでそんな大事な話をするなんて、三松さんにも失礼じゃないか」
明は真顔で息子を注意する。
「う、うん、そうだね…」
「1泊どうとか聞こえたけれど…」
静子が気になったらしく、聞いてきた。
「そうなのよー、篤紀ったらいきなりお泊りデートしましょうとか言い出すからー、ちょっと酔い過ぎー」
綾乃はフォローしたつもりだったが、
「お、お泊り!?」
さすがの篤紀も焦ってしまった。
「あら、言ったわよね?」
綾乃が笑顔で圧を掛けてくる。
「い…言いました…よね…調子に乗り過ぎました…」
ここは姉の言う通りにするしかないと、篤紀は諦めた。
「あのっ、私なんか全然ダメですっ、篤紀君より2歳も年上だし見た目も大したことないしっ…」
この状況で告白劇をなかった事にはできないから、晴奈はなんとか告白自体を無効にしようとした。
「関係ないでしょ、年上なんて」
意外にもそう言ったのは静子だった。
「二つくらい大したことないじゃないの」
すると明も
「そうそう、うちも静子さんの方が…」
と言い始めた。
「うちは年上じゃありませんよ。同い年です。私の方が誕生日が4か月早いだけです」
静子はそう主張した。自分の事になるとこだわりがあるらしい。
「まあそういう事だから、安心して席に戻って。ホラ暁人は真正面から実央君に告白したからさあ。て、いうか私も後で聞いたんだけれど、あれってほとんどプロポーズよねえ。しかも付き合い始めてすぐ両親に挨拶でしょ?とにかく実央君は誰にも渡さない!俺のものだ!って主張がスゴイわよねえ。そういう暁人のド直球な求愛を受けた実央君だから、篤紀のふざけた告白が見過ごせなかったのよ」
綾乃は台本でもあるかのようにスラスラと解説する。娘の言葉に納得したのか、明と静子は席に戻った。戻って匠たちに事情を説明しているらしい。静子としても暁人たちの交際当初の自分の言動を蒸し返されたくはないので、早々に引き上げたのだろう。
「本当にごめんなさい、広…篤紀君、まさか明石君が知らなかったとは思わなくて軽率な事を…」
晴奈は責任を感じて俯いている。
「え、いいっすよ、三…晴奈さんが気にすることありませんて。ちゃんと実央君に説明していなかった兄貴が悪いんです」
「こ、告白の事は酔っていて覚えてないとか、ごまかしてくれていいから…方便にしたって私なんかじゃ申し訳なくて…」
「さっきもそんな事言ってたけど、なんすか、それ。もっと自信持っていいですよ晴奈さん、可愛いんだから」
「かっ、可愛い!?」
篤紀と晴奈のやり取りを横で聞いていて、綾乃は思った。
(こいつらが目出度くくっついたら、縁結びの神として恩に着せよう。恩に着せて一生こき使って、私の老後の面倒もみさせよう)
「三松さんてごきょうだいは?」
綾乃は唐突に晴奈に質問した。
「え…弟が二人いますけれど…」
「それは上々」
「?」
自分の老後が安泰になりそうな事に、綾乃はほくそ笑んでいた。
聞いてません2
暁人と実央も一旦自分たちの席に戻ることにした。
「暁人さん」
「…」
「なんですか、30万て」
実央はまだ納得していなかった。
「実際はもっとかかっていますよね、お酒代とかお土産代とか」
「交通費はお母さん(実和子)に頂いたし…」
「そんなんじゃ全然足りないじゃないですか」
「秋の観光シーズンだったから、その1部屋しか開いてなかったんだよ、それもキャンセルが出て運良く…」
「『運良く』じゃありません、他の宿を探せばよかったじゃないですか。もっと安い所があったはずです」
「…実央と同じところが良かったし…」
暁人は実央の追及に不服そうな顔をする。でも実央も怯まない。
「暁人さんが僕のためを思ってしてくれたことはわかります。すごく感謝もしています。だけど暁人さんに無理してほしいわけじゃないんです」
実央は周りに悟られないよう、食事をとりながらトーンを低くして話し続けた。
「いくらお勤めしていたからって、1年目からそんなに高給がもらえるわけじゃないし、相当に痛い出費だったはずです。暁人さんのおうちがお金持ちだっていうのはわかっていますけれど、それにしたって気にしなくていい額じゃない」
「そりゃ安くはないけど、学生時代のバイト代とか小遣いとかも結構貯めてあったし…。無理なんかしてないよ」
「せっかく貯めてあったのに使っちゃったんですか」
「いや、全部ってわけじゃ」
「同居前のデートのホ…ホテル代だって、いつも暁人さん持ちでしたよね」
実央はちょっと恥ずかしそうに横を向いて言った。
「いや、それは、だって…俺が…」(※「俺が…」なに?)
暁人もさすがに言いにくい。
「まさかご両親から借りたんじゃ…」
実央は暁人の方を見た。
「いやっ、それはない。母さんはあんな感じだったし、さすがにアメリカにいた父さんにそんな事頼まないよ」
箱根研修当時、明はまだアメリカ赴任中だった。それにしても暁人は先ほどから「いや」を連発している。
「指輪だって、安くないですよね」
実央は矛先を変えてきた。
「いや、そこまででも…」
「これプラチナですよね、すごく嬉しかったですけれど二人で付けるなら僕にも相談してほしかったです」
「サプライズにしたかったから…」
「いくらしたんですか」
「…お金の話はもういいだろう、実央」
暁人はちょっとイラついている。
「大事な事です。二人のための指輪なら僕も半分払います」
「だから、それは…」
「今だって家賃とか生活費とか、共通の通帳を作ってはいるけれど暁人さんの方が負担は大きいじゃないですか」
「俺の方が2年長く働いているんだから、仕方ないだろう」
「仕方なくありません!二人の生活の話なんですよ、この先もずっと長く二人でいるための話です、これは『家計』の話なんです」
いつもは遠慮がちに、控えめに話す実央が、この時ばかりはやけに強気で暁人に言い募った。さすが経済学部?
一人っ子の実央がここまで高額出費を気にするのは、ひとえに実和子の教育の賜物だ。明石家はお金持ちという程ではないにしろ、家族3人が暮らすには特に不足はなく、実央が私立大学を選んでも生活が苦しいという事はなかった。
ただ一人っ子だとどうしても「分ける」という感覚が鈍くなる。おやつも玩具も自分だけ。自分が好きな時に好きな物を使える。しかも親戚がまた実央に甘かった。じじばばはもちろん、幼少時は女の子のように愛らしかった実央を親戚中が可愛がった。「実央君、これ食べる?」「実央君お小遣いあげるね」「実央君、一緒に買い物行こうか、好きな物買ってあげる」といった調子だ。親戚の集まりがあると、年上のいとこたちも実央を可愛がり、率先して面倒を見たがった。何より父親である匠が、実央に大甘だ。
「これはマズイ」と実和子は思った。このままでは我儘な暴君にまっしぐらである。何でも手に入る、みんな自分の言う事を聞いてくれるなんて勘違いさせてはいけない。世間に出れば、そんな勝手は通用しないのだ。実和子は「飴と鞭」を使い分けて実央を育てることにした。
親戚その他からのお小遣いは一旦親が預かり、実央名義の口座にすべて貯金した。これは暁人と同居する時に「困ったことがあったら使いなさい」と実央に戻している。いとこたちと遊ぶ時はおやつも玩具もちゃんと分け合う事、人から何かをもらったら必ずお礼を言って親に報告すること、お小遣いで買えないものが欲しい時は親に相談する事等々…とにかく実和子は実央が我儘に育たないよう心掛けた。自然に実央は経済観念も発達していった。
実央は一人っ子だから、親に何かあった時は自分の力で生きていかなくてはならない。結婚するかどうかも、今のご時世ではわからない。実央の将来を考えて打った実和子の布石が、今のところうまくいっているというわけである。
さて話を戻すと、実央の発言にイラついていた暁人だったが、「家計」という実央の言葉に感動を覚えていた。「家計」―それは家族が共に暮らす上でのお金のやりくり、収入と支出―「二人の生活の話」と実央は言った。先ほど「伴侶」という言葉にも感じ入っていたが、暁人が引っ掛かる言葉のツボがよくわからない。わからないが、
「実央!」
暁人はいきなりひしと実央を抱き締めた。
「あ、暁人さん?」
食事中にいきなり抱き締められて、実央は驚いた。当然のことながら家族も招待客も何事かと二人を凝視している。
「何やってんの、あいつら」
綾乃がサービスのワインをぐびぐび飲みながら、二人を眺めている。
「ああああ暁人さん、皆さんが見ています…」
困った実央がその姿勢のまま声を掛けた。
「心配させてゴメン、これからは何でも相談するから。でも指輪だけは俺の気持ちだから素直に受け取って」
暁人は実央を放さず、そう言った。
「暁人さん…僕も言い過ぎました、ごめんなさい。暁人さんはいつだって僕の事を考えてくれているのに…」
実央も謝った。正確に言うと「僕の事を『一番に』考えてくれている」である。
「まだデザートのタイミングではございませんが、お口直しにどうぞ」
オーナーがそう言うと、各テーブルに一口サイズにカットされたフルーツが涼しげなガラスの小皿に載せられて運ばれた。2,3揉め事があったので、空気を呼んだオーナーの心配りだろう。オーナーの言葉で、やっと暁人は実央の体を放したのだった。
「冷たくておいしい…」
笑顔でフルーツを口に運ぶ実央を見て
(ああ、もう途中で抜け出して二人になりたい…)
そう思う暁人だった。この食事会が自分たちのためだという事を忘れているのだろうか。そもそも抜け出して二人になって、何がしたいのだろうか?
会社テーブルでは岩城の肩をポンポンと叩いた倉館が
〔元気出して諒ちゃん、愚痴ならいつでも聞いてあげるから。何か揉めてたみたいだけれど、ああいう事の積み重ねで二人の絆が深まるってものよ〕
小声で岩城に囁いてきた。
「別に心配してくれなくても大丈夫だよ、俺なら引く手あまただから」
岩城は強がりを言う。
〔それよりここのオーナー、モロタイプなんだけど、独身かしら〕
倉館は小声のまま岩城に聞いてきた。
〔独身だよ、ただしシェフと付き合ってるけどね〕
岩城もさすがにそこは小声で倉館に答える。倉館は残念そうに口をへの字に曲げた。そしてその岩城の一言を金沢は聞き逃さなかった。
(オーナーとシェフが恋人同士ですって!?ウソ!いい感じだと思って見ていたけれど)
金沢は急にソワソワし出して、フロアを見回した。
「どうしたんですか、金沢さん」
堀越に尋ねられ
「え?いえ、別に…ちょっとお水を頂こうかなと…」
慌ててごまかした。
初めまして4
「いやー、この鴨のロースト絶品ねえ、ワインが進んじゃうわ」
綾乃はご満悦の様子でお酒も料理も楽しんでいたが、
「私ちょっと立食用のテーブルに行くわ。座りっぱなしも疲れたから」
そう言うとワイングラスとボトル1本、料理の載った皿を器用に持って立ち上がった。
「あ、ワイン…」
篤紀が情けない声を出す。
「追加で頼みなさいよ。でもあんまり飲み過ぎると帰れなくなるわよ」
自分の事は棚に上げて、勝手な言い分である。ほぼ中央にある立食テーブルにワインとグラスとお皿を置いて、綾乃は上機嫌で再び飲み始めた。左手にはシェフの実家だというワイナリーのパンフレットを持っている。
(山梨か、いいわね。日帰りでも行けるけれど、どうせなら温泉に1泊とかしたいな。腐女子の聖地にも寄ってみようかしら。自分で運転するとワインの試飲ができないから、篤紀にでも声掛けるか。でもそうすると二人分の費用を負担しなくちゃだし…いっそ家族旅行にして親持ちにするっていう手もあるわね)
とことん自己中な発想の綾乃である。そこへワイングラス片手に岩城が近づいてきた。
「広瀬君のお姉様ですよね、初めまして、広瀬君と同期の岩城です。広瀬君にはいつも世話になっています。ちゃんとしたご挨拶が遅くなって、申し訳ありません。同席しても構いませんか?」
「もちろん、どうぞ(あー、私も暁人の会社関係の人には軽い挨拶しかしていなかったな。仕方ない、後で行くか)。暁人の方こそ色々ご面倒をお掛けしているようで。下の篤紀もお世話になっているとか。お噂はかねがね伺っていますわ」
綾乃は愛想よく微笑んだ。
「そんなことないですよ(広瀬のやつ、俺の事お姉さんに話してんのか?)。僕もお姉様の事は広瀬君から聞いています」
岩城が言うと、綾乃は即
「え、なんて?」
と、突っ込んだ。
「…ええと…お美しい方だと…今日お会いして、本当におきれいな方だと見とれてしまいました」
「今時容姿の話は誉め言葉でもセクハラになっちゃいますよ」
「…(なんかやりにくいな)お世辞抜きの感想ですよ。広瀬家はご兄弟もご両親も素敵な方ばかりで」
「あなた、ルッキズム?」
元々はっきりした物言いの綾乃だが、今日はかなりアルコールが入っているからさらに容赦がない。岩城は弟の同期だから、大して気を遣わなくてもいいと思っているのかもしれない。
「まあいいや、こういう席だし私もセクハラ発言しちゃおう、あなたも素敵よ岩城さん、篤紀が社内の女子人気を暁人と二分してるって言ってただけあるわ。でも『二分』は大げさよねえ。女の好みが二通りしかないわけじゃあるまいし、暁人には実央君というパートナーがいる事は知れ渡っちゃってるわけだし」
綾乃は手酌でワインを飲み続ける。女性の扱いには慣れている岩城だが、どうも綾乃は勝手が違った。
「いえいえ、広瀬君は相変わらず女性にもモテてますよ、社内で4人は振られてるはずだから」
「あら、本人は5人て言ってたわよ」
(え…5人?誰だよもう一人は、俺の知らぬ間に誰がちゃっかり手を出そうと…)
岩城が考え込んでいると
「あなたはだいぶ女性がお好きらしいわね、岩城さん」
綾乃が遠慮のない一言を放つ。
「(え…広瀬のやつ、俺の事どう話してるんだよ)いやー、別に普通だと思いますよ。社内では気を付けてるし、合コンもあまり参加しないようにしているし」
岩城は余裕を見せようと笑顔を作って、そう答えた。
「じゃあ社外で遊んでるんだ。まあ、それが賢明よね。女の『喋らない』は100%ウソだから。不倫したって絶対に秘密になんかしておけないわよ」(※あくまで綾乃の考えです)
「(そこは俺も同意だけど…)イヤだな、そんなに遊んでないですよ」
綾乃はそれには反応せず、違う事を言い出した。
「あそこに座ってるロングヘア―の彼女、私の親友なんですけれど」
「はあ」
「彼女仕事柄人間観察が得意なのよね(ほぼBL方面限定)。その彼女が言うには、岩城さんは暁人のことが好きなんじゃないかっていうのよ」
「(!?バレてる!?まさか…)そりゃあ好きですよ、同期でずっと仲がいいし」
「『Like』じゃなくて『Love』の話よ」
(なんでだよ!城下紗弓と同じ人種か?俺の広瀬への気持ちって、そんなにわかりやすいか?)(※わりとそうかも)
「いやー、広瀬君と実央君のようなケースもありますけれど…俺ノンケなんで、友情以上には発展しないかと…(自分で言ってて悲しいわ)」
「関係ないでしょ、ノンケだろうがゲイだろうが女好きだろうが、惚れちゃう時は惚れちゃうってものでしょ」
綾乃の言い方には遠慮も何もあったものじゃない。
(なんか前にユウさんにも同じような事言われたよなあ…)
岩城がため息を吐いたところで、綾乃が止めを刺す。
「まあいいわ、誰かが暁人や実央君に思いを寄せたところで、あの二人にはなんの関係もないものね」
「…そうですね…(確かにこのお姉さんじゃ、広瀬も頭が上がらないわ)」
「それより、付き合って下さる?」
「えっ…(この流れでお誘い!?)」
「会社の方のテーブル、あなたが来てくれてご挨拶がまだだった事思い出したわ」
「ああ…そっちですか、いいですよ、行きましょうか」
岩城は綾乃を連れて自分の席があるテーブルへと戻って行った。
「おっ、なんだよ岩城、早速美女をエスコートか?」
大野が冷やかすように岩城に声を掛けた。
「違いますよ、広瀬のお姉さんです。こちらの皆さんにご挨拶なさりたいそうで」
「こんにちはー、暁人の姉の綾乃です。弟がいつもお世話になっております。すみません、今日は名刺を持ち合わせていないんですけれど、パークエイドっていうIT関連の会社に勤めていますの。ご縁がありましたら、どうぞよろしく」
綾乃は左耳に髪をかき上げ、にっこりと微笑んだ。営業用スマイルである。
「(うわ、さっきと全然違うじゃねえか、すげえ猫かぶり)…だ、そうです。外資の大手ですね」
「なんだ岩城、美人を前に緊張してんのか?」
山下がからかう。
「俺は大野で営業部在籍時の広瀬君の教育係でした。こっちの山下が岩城の教育係。あちらの女性が秘書課の金沢冴子さんと人事部の堀越凛さんです。岩城の隣の席の方はデザイン事務所サーフィスの倉館さん」
大野がまとめて紹介したので、一同「よろしく」とお辞儀をした。
「ホントにねえ、暁人は幸せ者ですわ。会社の皆様もご理解のある方ばかりで…ええと、『富士吉田市の御一行様』にも力強いお言葉を頂いて…」
綾乃は軽く探りを入れる。
「もう、あの子たちは…困った子たちで、かえってすみませんでした」
金沢が申し訳なさそうに謝った。
「いえいえ、心強いメッセージでしたよ。暁人もきっと勇気づけられたかと(頭抱えていたような気もするけど)」
「姉さん!」
そこへ暁人が慌てた様子でやってきた。
「何よ暁人、なに行ったり来たりしてんの?落ち着かないわね。さっきは突然ラブシーンを見せつけるし」
「あれはちょっと…いや、そんな事はいいから、皆さんに失礼な事していないかと」
「失礼な事とは失礼ね。私が何をするっていうのよ」
「まあまあ広瀬(俺はちょっとされたけどな)、お姉さんは挨拶に来て下さっただけだから」
岩城が間に入った。
「お前さっき姉さんと何話してたんだ」
「何って…(え、こいつシスコン?俺がナンパでもしたと思ってんのか?)」
「会社での俺のあれこれ話したんじゃないだろうな。社内の事はあまりベラベラ喋るなよ」
「喋ってはいないけど…(どちらかというと俺の方が色々言われていたんだが?)」
「え、暁人は会社の話で知られると困るような事が何かあるの?」
二人のやり取りを聞いて、綾乃の方が暁人に突っ込んできた。
「いや…社外秘とかあるだろう」
「あんたの実央君LOVEが社外秘なの?」
その時テーブルで食事を楽しんでいた一同が一斉に「ぶっ」と声を出して笑い始めた。
「広瀬やめとけ、お前お姉さんには頭が上がらないんだろ?」
岩城はわざと暁人の肩に手を置き、耳元に顔を寄せて囁くように、でもみんなに聞こえる声でそう言った。
(おっ、なかなかいいツーショット♡)
と綾乃は思い、
(諒ちゃん、やるじゃないの♡)
とユウさんが思い、
(キャー、写真に撮りたいんだけど♡)
と金沢が心の中ではしゃいだのだった。
実央は暁人と岩城の距離の近さに妬くこともなく、両親と楽しくおしゃべりをしていた。
宴も酣
「あっ、そうだ、皆さんにお断りしておかないといけない事があったんだわ」
自分の席に戻りかけた綾乃が、振り向いてそう言った。
「姉さん、今度は何なんだよ…」
暁人はイヤな予感しかしなかった。
「今日の食事会はカメラ2台で撮影してるんですけれど、あくまで両家の記録として残しますのでSNSとかには決してアップしませんからご安心を」
そう言うと綾乃は丁寧にお辞儀をした。
「カメラ2台!?俺、聞いてないぞ!」
暁人は慌てて店内を見回した。よく見ると端の目立たない場所で、ホームビデオカメラを持った人物が二人いた。
「どうして今まで気が付かなかったんだ、俺…」
暁人は愕然としている。
「姉さん、勝手に何してんだよ」
「家族の大事な日なんだから、当然でしょ」
綾乃は全く動じない。
「なんで2台も…」
「念のため」
綾乃は「念のため」とは言ったが、1台は暁人用・もう1台は実央用だ。二人が一緒にいる時は来客や家族の方を撮影してもらうように頼んでいた。腐女子仲間の伝手で一応専門の人に依頼したのである。
「あんただって見たいでしょ、指輪の贈呈とか」
「それは…(確かに実央の様子は改めて見たいかも…)」
「費用だって私が出しているんだから、文句言われる筋合いないわ」
被写体の中心人物に向かってずい分な言い様である。
「広瀬、やめとけ、このお姉さんに逆らうのはムリだから」
ポンポンと暁人の背中を叩いて、岩城がそう言った。岩城は綾乃との数分の会話で色々覚ったようである。続けて
「ほら、実央君の所に戻った方がいいぞ」
と言った。暁人が振り返ると両親と話していたはずの実央は、いつの間にかシェフの篠原と談笑していた。今日の料理の事を話しているのだろう。作り方を聞いているのかもしれない。先程と同様暁人は慌てて実央の方へと戻って行った。
(今日の食事会の動画…)
金沢は一人ぶつぶつと何かを呟いていて、隣の堀越が不審な面持ちでその様子を眺めていた。
「実、実央…何を話して…」
「あ、暁人さん、お帰りなさい、あちらはもう大丈夫なんですか?」
「ああ、うん、それより実央は…」
「篠原さんに食材の選び方とか教えて頂いていたんです。山梨には美味しいお野菜や果物があるから、今度一緒に行きませんかって」
「一緒に…」
「もちろんオーナーさんと暁人さんも一緒に…なんだかダ…ダブルデートみたいですね」
実央がいたずらっぽく笑う。
「お二人は大学の温泉サークルで知り合われたと伺っています。山梨にはいい温泉もたくさんありますよ。ワイナリーは私の実家以外にも、知り合いの美味しい所をご紹介できます。機会がありましたら、ぜひお声がけ下さいね。では、私はこれで」
篠原はそれだけ言うと厨房へと戻って行った。
(ダブルデートか…)
男4人がデートで出歩くって、絵面的にはどうなんだと暁人は思ったが、
(まあ、実央が楽しければいいか)
と思い直した。
一方アイミたちのテーブルでは、
「姉貴お帰り、お似合いじゃん岩城さんと」
篤紀がそんな軽口を叩いた。
「はあ?何言ってんの、あんた」
綾乃はあからさまに嫌そうな顔をする。
「え、だって美男美女で目立ってたよ」
「美男美女て…あんたも若いのに言い方が古いのよ、お断りよ、暁人に惚れてる男なんて」
「えっ…」
篤紀が絶句した。
「綾乃!」
珍しくアイミが強い口調でストップをかける。
「あ、あ~戯れ言戯れ言、ちょと飲み過ぎでヘンな事言っちゃった」
さすがに綾乃も弟たちの会社関係で他人の個人的な話をするのは、マズイと思ったのだろう。
「篤紀君気にしないで、私がさっき冗談で岩城さんて暁人君が好きかもって言っただけだから」
アイミも慌ててフォローに入った。
「アイミさんが…でもアイミさんて人間鑑定のプロっすよね」(※「プロ」とは…?)
「冗談よ、私もお酒飲み過ぎて楽しい雰囲気だったから、ついくだらない事を…」
「そうよ、それに岩城さんて女グセ悪いんでしょ」
篤紀はそれ以上は追及しなかった。しなかったが
(岩城さんが兄貴を…?うん、まあBL的にはある話だな、女にモテるチャラ男が何故か突然同性に惚れてしまう展開…えー、岩城さんと兄貴!?…左右どっちだ?)
この姉弟、お互いが腐の人間である事を知らずにいる。どちらも暁人と実央の事を知るために「ちょっとだけ調べてBLを読んだ」程度だと思っている。確かに篤紀の動機はそうだったが、綾乃の方は中学時代からの生粋?の腐女子である。当の暁人と実央はBLの存在を知っているかどうか不明だが、二人とも男同士で付き合うアレコレ?は調べたようなので、少しくらいは齧ったかもしれない。
「ごめん晴奈さん、ちょっと席立つね」
「うん、どうぞごゆっくり」
篤紀は席を立つと会社関係のテーブルへと向かって行った。
(あいつ…ヘンな事言うんじゃないでしょうね)
綾乃は疑うような目つきで篤紀を見送った。
「どうもー、今日はありがとうございます、皆さん」
篤紀が調子よく挨拶をする。
「おお、広瀬弟君、こちらこそずいぶんご馳走になっちゃって」
山下が応じると、次に大野が
「お姉さん大丈夫かー?岩城にナンパされて困ってないか」
と冗談を言った。
「ナンパなんかしてませんよ(怖くてできるか)、山下さんはどうなんです、好みのタイプじゃないですか?」
「いや、俺なんかじゃ高嶺の花すぎて…、岩城の方がお似合いだよ」
「…現実的に考えると、篤紀君の隣にいる…三松さんだっけ?派手さはないけれど、ああいう穏やかそうな女性の方が一緒にいて落ち着くかもな」
あからさまに綾乃にケチは付けられないので、岩城はそんなふうに言った。
「…ダメですよ、三松さんは…」
岩城の発言に、篤紀はちょっと不機嫌そうな顔をした。
「え、なんで?彼氏持ちなの?」
「…俺が彼氏ってことになったからです」
「え、篤紀君と付き合ってるの?てか、今の表現なんかおかしくないか?」
「いいんですよ、とにかく三松さんはダメっすからね」
それだけ言うと篤紀は早々に自分の席へと戻って行った。
「残念だったなー、岩城、これだけ素敵な女性がいて空振りとは」
大野が冷やかした。
「…いいんですよ、そもそも俺は一人に絞らない主義なんで」
「負け惜しみかー?」
「違いますって」
「明石さんの叔母様も独身だそうですよ」
いきなり堀越がそんなことを言い出した。
「…年上は嫌いじゃないけど…ちょっとお姉様過ぎますかね…」
「そうですか」
普段冗談は言わない堀越のこの発言に、一同どう反応していいのか戸惑っていた。
ご挨拶
その後の食事会は比較的?穏やかに進み、そろそろお開きの時間となった。ところが最後になってどうしても明と匠がお客様に挨拶をしたいと言い出した。
「最後に両親の挨拶って…本当に結婚式みたいで恥ずかしいからやめてくれよ、父さん」
暁人が止めようとしたが、聞き入れられない。
「いいじゃないか、実際『結婚式みたいなもの』なんだし」
すると横から静子が口を出した。
「私と実和子さんは後ろで控えていますから、殿方でご自由に」
(え…静子さんに「実和子さん」て呼ばれた…)
静子の言葉に嬉しそうな姉を見て、
「お姉ちゃん、よかったね」
両家の大体の事情を把握していた真知はそう声を掛けた。
「えー、本日はお忙しい中、そしてこの暑い中息子たちのためにお集まり頂きありがとうございました。心より御礼申し上げます。息子たちの関係が皆様に温かい気持ちで見守られ、支えて頂いている事は感謝の念に堪えません」
まずは明が謝意を述べた。
「正直息子の告白にははじめ戸惑いましたが、広瀬さんのご家族はもちろん、皆様方ともいい関係を築くことができて、本当に良かったと思います。この先いい事ばかりではないでしょうが、何卒お力添え賜りますよう、お願い申し上げます」
匠も続いて素直な気持ちを伝え、店内は温かい拍手に包まれた。実央は感極まって涙ぐみ、暁人のジャケットの袖を両手でギュッと握りしめている。
(かわいい…今すぐ…)
コラコラ、何を考えている広瀬暁人。
「こちら広瀬・明石ご両家様よりのお土産をご用意してございますので、どうぞ持ち帰り下さい」
オーナーの大野が客たちに案内をする。
「引き出物付とは、ますます結婚式だな」
岩城が苦笑した。
父親たちが挨拶をしたので、暁人と実央は一言「本日はありがとうございました」とだけ述べ、頭を下げて場を締めた。
お開きにはなったものの、皆立ち話などして暫くはそこに留まっていた。オーナーやシェフも加わっている。
「あの…綾乃さん…?」
おずおずと金沢が綾乃に小声で話しかけた。
「あ、ええと…金沢さん…でしたかしら」
「はい…あの…折り入ってご相談が…」
「はあ?なんでしょうか?」
「今日の動画のコピーを頂けないかと…」
「えーと…それはー…」
「もちろんタダでとは申しません。なにがしかお支払いいたします。もちろんSNS等にはアップいたしません、誓います」
「いや、お金とかはいいんですけれど…金沢さんてもしかして『富士吉田市御一行様』の…?」
「えっ、なぜそれを…ていうか意味がお分かりになってるの?」
「ええ、まあ、なんとなくー…」
「もしかして綾乃さんも…?」
「さあ、それはどうでしょう。私の友達がカンのいい人で」
綾乃は言葉を濁しておいた。腐バレして会社内の情報提供してもらうのも一つの手だが、やはり暁人や篤紀に知られる可能性が高いと判断したのだ。それに腐バレしなくても連絡先を交換しておけば、何かしらの情報は得られるかもしれない。
「わかりました、コピーは差し上げますが、あくまで金沢さんお一人に留めて、それ以上のコピーは決して取らない事をお約束下さい。まあ鑑賞会は開いて頂いて結構ですよ」
(「富士吉田市御一行様」は多分大室精密社内の腐女子の集まり、そして金沢さんはそのメンバー、なんならまとめ役?同類としては気持ちがわかるので、これくらいはしてあげたい)
綾乃はそう思った。
「やはりお礼を何か…」
「それは別に…(でも今日の会費の事も気にしてたらしいわね、あまりお断りするのもかえって気を遣わせるか)あ、じゃああの子たちに何かギフトを贈って下さるかしら」
「広瀬君たちにですか?ギフトというと…」
「お金とか商品券はダメですよ、ほら、よくお中元とかお歳暮のカタログに載っているようなやつです。食べ物がいいかな。男二人だから保存がきいてレンチンで食べられるとか、缶詰系とかレトルトとか。それならきっと受け取ると思いますよ、無駄にしたくないでしょうから。ただしフカヒレのなんちゃらとか高級和牛とか高過ぎるのは受け取らないと思います」
綾乃は実央の主婦感覚をよくわかっていた。
「なるほど…参考になります。堀越さんも今日の費用の事を気にしていたから、二人で相談して連名で贈ることにします」
こうして綾乃は金沢と連絡先を交換した。
「明石君、これ…」
晴奈が手提げを持って実央に近付いていった。
「贈り物はナシでっていうお話しだったんだけれど、なんかやっぱり手ぶらじゃ気になって…。この前うちの雑誌で手作りフラワーの特集をしてね、その時取材した先生に教わって作ってみたの。男の人にお花はどうかと思ったんだけれど、手入れの手間とかはないし、よかったら…」
晴奈は控えめに話して、実央に手提げを渡す。
「えっ、ありがとうございます。わあ、きれいなビタミンカラーのお花で元気が出そうですね」
「二人のイメージカラーとはちょっと違うなあと思ったんだけど、お付き合いが始まったのが夏だって伺ったし…」
「て、いうかそれ篤紀君のイメージカラーだよね」
晴奈と実央の会話にいきなりアイミが割って入った。
「えっ、いや、そんなつもりは…」
晴奈は焦って否定する。
「ちなみに二人のイメージカラーは?」
アイミの唐突な質問に
「…そうですね…明石君は明るいブルーかな?暁人さんは…藍色?紫かしら?」
晴奈は真面目な顔で答えている。
「…?なんでメモ?」
「あー気にしないで、アイミさんは仕事柄なんでもネタにする人で」
篤紀がそう説明したが
「そうなんだ?」
晴奈は今一つよくわからないといった顔をしている。
「晴奈さん、俺今日送って行くよ」
「えっ、いいよ、私最近一人暮らし始めて家はここから近いから」
「それなら尚更送るから」
二人のそんなやり取りを見た綾乃は
(こいつら案外早くくっ付くんじゃない?私の老後はますます安泰♪)
と、ニヤついていたが
「お父さんたちはタクシーで帰るんでしょ、私今日はアイミの所に泊めてもらうから」
両親たちに向き直って確認した。
「そうかい、明石さんと北原さんは今日は近くのホテルに泊まって、明日は観光をなさるそうだ。アイミさん、今日はあまりお話しできなくてすまなかったね。綾乃がいつもお世話になっているようなのに」
明がそう言うと
「いえいえ、お世話になっているのは私の方なんです」
と、アイミは手を振った。
「今度ゆっくり遊びにいらしてね」
静子も声を掛ける。
「はい、是非。ありがとうございます」
アイミはそう答えたものの、実は静子の旅行中に一度広瀬邸を訪れたことがあるのできまりが悪かった。
お開きです
ところで今日の主役の二人は、また何か揉めていた。
「何言ってるんですか暁人さん、そんなのダメですよ」
実央が顔を赤くして何事か拒否しているようだ。
「どうして」
「どうしてって…お金の無駄遣いですよ、家まで遠くないんだから」
「それは俺が…」
「そういう問題じゃありません」
二人の様子に気が付いた岩城が、
「おいおいどうした、今日はよく揉めるな」
と間に入ってきた。
「別に揉めてるわけじゃ…」
「で、何を言い合ってんの?」
「それは…ちょっと…」
実央が顔を赤くして言い澱む。
「…帰る途中に休んでこうかって話だよ。実央が疲れているなら泊まっていってもいいし…」
きまり悪そうに暁人が言う。
「ナルホドね、指輪を渡して気分が盛り上がった広瀬君としてはすぐにイチャイチャしたいと」
岩城がはっきり言い当てると
「イチャイチャなんてしませんよ!篠原さんから今日食べて下さいってお惣菜を頂いたんです。保冷バッグに入ってるけれど、真夏なんだから早く帰らないと」
実央がムキになって否定した。
「それはホテルの冷蔵庫に入れておけば…」
うっかり暁人が「ホテル」と口にしてしまった。実央はさらに顔を赤くする。
「知りません、泊まりたければ暁人さんだけでどうぞ、僕は一人で帰ります!」
実央が出口の方に向かおうとする。すると
「実央くーん」
岩城が猫なで声で呼びかけた。実央が振り向くと岩城は暁人の肩に顔を乗せ、後ろから腕を回して暁人を抱きかかえるようにしている。
「!?」
実央がびっくりしていると
「それなら俺が広瀬と泊まっちゃおうかなー、それでもいい?ホテル代は俺が出すよ?」
そう言って、暁人を抱く腕に力を込めた。
「岩城、何を…」
暁人も少々困惑している。
(バカップルの痴話げんかに付き合ってやってるんだ、これくらいの役得があったっていいだろう)
内心岩城はそう思っていた。
「い、岩城さん?」
「広瀬のお姉さんが言うには、俺は広瀬を好きなんだそうだ、ホントだったらどうする?」
「え…」
すでに両親たちは挨拶を終えて店を出ている。そこを確認しての岩城のおふざけ?だ。
「なあ広瀬、二人でお泊りしちゃおうか?実央君のお許しが出たらいいだろ?」
岩城は右腕でぐっと暁人の腰を抱き、左手で暁人の顎を持ち上げた。店内にいる腐女子腐男子はもちろんこの成り行きをじーーーっと見つめているし、他の人は「何やってんだ、あいつら」という感じである。暁人は親友の思わぬ言動に、ますます混乱しているようだ。
「お、おい、岩城…」
実央はそんな暁人と岩城をしばし睨んでいたが、いきなり
「行きますよ、暁人さん!!」
大きな声でそう言うと、暁人の右腕をぐいっと引っ張った。
「いつまでもここにいたらお店の方に迷惑です、さっさと帰りましょう!」
「実、実央…」
いつもの実央らしくない勢いに、暁人は戸惑った。実央はお店のスタッフに一礼してお礼の言葉を述べると、そのまま暁人の手を引いて素早く店外へと出て行った。
(いいもん見られた…)
と、今複数の人間が同じ感想を抱いている。
「なかなかやるわね、あなた」
綾乃が岩城に向かってニンマリと微笑んだ。
「お褒めに預かり光栄です、お姉様。ありゃ案外『カカア天下』ですかね」
「そうねえ、おとなし目に見えて実央君の方がしっかりしているかもね」
綾乃はうんうんと頷く。
「岩城さん…マジッすか…」
呆気にとられつつも、興味深げに一部始終を見ていた篤紀が声を発した。
「何マジな顔してるんだよ、篤紀君。冗談に決まってるだろ」
「いや、でも、なんというか…すげーサマになってました。カッコよかったです岩城さん」
(自分の兄貴に迫る男がカッコいいって…篤紀君も変わってんな…広瀬家の人って本当に個性的というか不思議というか…)
それはまあ、篤紀の言葉は腐男子ならではの感想だから仕方がない。
「ホラ行った行った、彼女を送って行くんじゃなかったのか」
岩城は篤紀に早く行けとばかりに手を振って、追いやった。
「か、彼女?」
焦った晴奈が篤紀の顔を見る。篤紀も「それじゃあ」と一同に挨拶をして、何気に晴奈の手を取って出口に向かう。テンパった晴奈が慌ててお辞儀をして付いて行く。
〔とかなんとか言っちゃって~〕
倉館が岩城に寄って来て囁いた。
〔今日は色々うまい事やったわね、諒ちゃん〕
〔一日頑張った俺にささやかなお駄賃だよ〕
倉館にそんな戯れ事で応じた岩城だったが、
(やべー、ヤバかったわ今、なんだよ広瀬のやつ良い匂いさせて…思わず××そうになったわ!ユウさんには前に精神的恋愛みたいな事言われたけど、そこ越えちゃいそうになってないか俺。なんかどさくさに紛れて広瀬にキスとかできねーかな)
心の中ではかなり冷静さを欠いていた。どういう「どさくさ」があったら、暁人にキスができるというのだろうか。
「どうしたんですか、金沢さん、私たちもそろそろお暇しますよ」
堀越は片手で口を押えて何やら感動している金沢に声を掛けた。
(いやー、重ね重ね今日来てよかったわー、社内限定で岩城・広瀬の妄想カップルはまだ続行ね!私的には「岩城×広瀬」なんだけど、葵ちゃんとかは「広瀬×岩城」だって言うのよねえ)
自分の考えに悦に入っている金沢には、堀越の声が届いていないようだった。
「それじゃあ皆さん失礼します。今日はありがとうございました」
客たちがそれぞれ帰って行って、最後に綾乃とアイミとカメラマンが残った。綾乃はお店のスタッフから手提げを受け取ると、
「今日は長時間ありがとうございました。これはお店にお願いして用意して頂いたお礼です。お約束のバイト代も中に入っています」
そう言ってカメラマン二人に手渡した。
「ご丁寧にどうも。編集とかはよろしいんですか?」
カメラマンは男女一人ずつだったが、男性の方がそう確認してきた。
「あー、それはこちらでやりますから大丈夫です。時ちゃんによろしくお伝え下さい」
「時ちゃん」というのは、綾乃にカメラマン二人を紹介してくれた腐女子仲間だ。動画を見て腐バレしそうな所はカットして暁人・双方の両親・金沢に渡さなければならない。綾乃がメモリーカードを受け取るとカメラマンたちは帰って行った。
(想定以上にいいシーンが撮れたわ♡完全版は私とアイミ用♡今夜早速アイミの家で鑑賞会♡)
綾乃は大事そうにメモリーカードをしまうと、オーナーとシェフに向き直った。
「本日は本当にありがとうございました。色々と無理なお願いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
綾乃が深々とお辞儀をする。店内を撮影する事に関しては、当然事前に店側の了解をもらっていた。
「いえいえ、広瀬さんと明石さんの仲睦まじさには、こちらも力をもらえました」
オーナーの大野が言う。
「あの…」
おずおずと綾乃が一歩踏み出した。そして聞いた。
「ほんとーにほんとーに失礼を承知で、お伺いしたいのですが…こんな質問をご不快に思われる事はよーくわかってはいるのですが、最後に一つだけ…」
「はい?」
何事かと顔を見合わせたオーナーとシェフだったが、
「………」
声を極力落とした綾乃の問いかけに、思わず苦笑した。そして
「………」
こちらも低い声で答えていた。
「ありがとうございます。お二人の愛も永遠でありますよう、お祈りしています」
綾乃とアイミはもう一度丁重に一礼し、”le Soleil”を後にした。
その後の二人
「暁人さっ…」
場所は暁人と実央が暮らすマンションの一室…の玄関。
「待って下さ…」
暁人は施錠もそこそこに実央を抱きしめ、激しいキスを繰り返した(※手洗いとうがいはしてからの方がよろしいかと)。BLでよく見ますよね、我慢できなくてもどかしくて、家に着いた途端こういうことする攻め。ああいう感じです。
「んっ、暁…」
「さっき俺と岩城に妬いてくれたんだよね、実央」
暁人は実央を抱きしめたまま、そう言った。ちなみに二人は普通に電車と徒歩で帰宅しています。暑いからタクシーを使いたいという暁人の希望は却下されました。
「何の事だかわかりません、頂いたお惣菜を冷蔵庫に入れてきます。暁人さんはお風呂を沸かして下さい」
実央はそれだけ言って暁人の体を引き離し、部屋の中へと入って行った。
(やれやれ…)
実央は頂き物を冷蔵庫に収めると、麦茶の用意をし始めた。懲りずに暁人は後ろから実央を抱き締めようとする。
「暁人さん!汗かいてますから、まずお風呂に入ってさっぱりして、それから…」
「それから?お風呂一緒に入ろうか?」
「〰〰〰〰入りません!今日着た服はランドリーモードで洗いますから、青いカゴに入れて下さい!」
「なんで実央はそんなに怒ってんの?」
「怒ってません!」
暁人が風呂から出て、実央に声を掛けた。
「実央、お待たせ、お風呂空いたよ」
返事がなかったのでリビングに行くと、ソファで実央が転寝をしていた。
(そりゃあまあ疲れるよな、楽しいとはいえ両親は揃っているし俺の会社関係からも呼んだし、気が張っていただろう)
暁人は健気に会社の人間に挨拶していた実央の姿を思い出した。
(それにしても実央はよく居眠りをするな。こんなんで大丈夫か?電車の中で痴漢とかにあっていないだろうな)
そこはスリとかの心配をするところではないのだろうか?少し開いた実央の唇に、暁人は軽くキスをした。
「あ…すみません、ウトウトしちゃって…飲み直すなら冷蔵庫にビールが冷えてます」
実央は目を覚ましたが、キスの事はスルーだった。そのまま浴室に向かっていく。
(キスに気が付かなかったのか?まあいいや)
暁人は冷蔵庫から缶ピールを取り出した。ぐいっと一口流し込んで、人心地付く。
(なんかほっとしたけれど、俺の自己満に実央を付き合わせちゃった所もあるな)(※うん)
ソファに腰かけて、今日の食事会のことを色々と思い返す暁人。
(それにしても岩城のやつ、今日やたらと俺に密着してこなかったか?気のせいか?まあ、あいつのおふざけのおかげで実央が妬いてくれたのなら、それはそれでいいけれど)(※いいんだ)
暫くすると実央が風呂から出てきた。眠そうに目をこすっている。
(これは…今夜はムリか)(※何がです?)
実央は暁人の隣にぽすんと座った。
「実央も飲むか?」
「お酒はいいです…今日けっこう飲んじゃったし…」
実央はお酒は飲めるが、それほど強くはない。
「暁人さん、何か食べますか?今日頂いたものですけど」
「うん、じゃあ少しだけ」
実央が立ち上がって台所へ行く。そこは「自分がやれよ」と突っ込みたくなるところである。食事会のお開きは夕方だったから、まだそれほど遅い時間ではない。実央が2,3品おつまみを用意したので、暁人もテーブルの方へ移動した。
「実央も食べたら」
暁人が言うと実央はコクリと頷いたが、まだ眠そうだ。
「楽しかったけど、なんだかバタバタしてたな」
暁人は笑ったが、バタバタしていたのは主に自分である。
暁人は向かいに座る実央の手に自分の手を絡めた。
「あれ、指輪は?」
実央の左手に今日嵌めた指輪がない。
「お風呂に入る前に外しました。まだ洗い物もあるし…なるべく疵付けたくないから…。職場ではちゃんとネックレスにして付けますね」
「実…」
「洗い物してきます、ちょっと早いけれどあとは歯磨きして…」
(ああ、今思いっ切り抱きしめたかった…)
暁人は思った。「今」っていうか、「いつでも」っていうか…
歯磨きを終えると、なんとなく「就寝」という雰囲気になった。寝るには少々時間が早いが、今日は大きなイベントがあったから致し方ない。
「じゃあ、休むか…」
暁人が自分の部屋に入ろうとすると、半分眠っているような顔の実央も付いてくる。
(えっ、いいの?)
いいのも何も、実央に対してあまりにもガツガツしていたのは暁人である(※表現よくないな…)。実央の方だって、気を遣うだろう。しかし二人で暁人の部屋のベッドに入ると、実央はすぐに寝息を立て始めた。
(やっぱりこうなるか…)
暁人は左腕で頬杖を突きながら、右手で実央の髪を撫でた。まあ、そういう「お誘い」をするのはいつも暁人の方からである。実央からの意思表示はほぼない。
(いや…少し前に珍しく実央の方から一緒に寝ていいかと聞いてきたことがあったな。あの日は学校で何かあったのか、ぼんやりしていた。詳しくは聞かなかったけれど、うるさいモンペがクレームでもつけてきたのか。まさか実央に手を出そうとした奴がいるんじゃないだろうな)
もちろんその日は喜んで実央を部屋にお招きした。
2LDKの部屋割りを決める時暁人は二人の寝室・二人の仕事部屋希望で、実央は一人一部屋希望だった。結局実央の希望を入れたが、それでよかったかもしれないと後で暁人は思った。毎晩実央の横で寝ていたら、毎晩実央に無茶振りしてしまいそうだからである(※あのね…実央の匂いに包まれていればいいとか思ってたんじゃ…)。
(愛してる…絶対に放さない…)
そう思いながら暁人は実央の唇を指でなぞる。実央が学校で2度も盗撮されたとか、女装させられそうになったとか、2度男性に告白されたとか、修学旅行の最中男性の宿泊客にナンパされたとか知ったら、暁人は本気で実央を閉じ込めようとするかもしれない。
「なぜ男なのか」と何度も母に責め立てられた。でも好きになったことに理由なんかない。好きになってしまったからと言うしかないのだ。実央の好きな所ならいくらでも挙げられる。可愛いところ・優しいところ・ちょっと天然なところ・料理が上手なところ…でも、だから好きになったという言い方は暁人にとっては何か違う。
「ん…」
暁人が実央の髪や唇に触れるので、実央は体を捻って暁人に体を預けるように横向きになった。実央の匂いがふわっと暁人の鼻孔をくすぐる。実央は無意識に腕を暁人の体に回してきた。だが、眠ったままのようである。
(あ、ヤバい、これ…)
今夜は何もせず眠ろうとしていた暁人だったが、ちょっと色々?都合の悪い事になってきた(※??)。しかも実央が寝言で
「暁人さん…」
と呟いたものだから、完全にあらぬ方へ暁人のスイッチが入ってしまった。そんな事とは露知らず、実央は暁人のルームウェアをぎゅっと握ってくる。暁人は自分の理性を総動員した。
(我慢だ我慢、今日は実央も疲れているんだから…)
必死に自分に言い聞かせ…たのだが、つい実央の体に腕を回して抱き寄せてしまった。こうなるともうブレーキが利かなくなる。
「ん…んん?」
さすがに実央も暁人の激しい動きに目が覚めた。
「え、暁人さん…?暁人…あっ…」
以下略。
今度こそ本当に疲れ果てて、実央は深い眠りについている。
(…やってしまった…今夜はおとなしくしているつもりだったのに…)
朝起きたらどんな顔して実央に「おはよう」と言えばいいのか。実は暁人も実央も、食事会の日から数日間夏休みを取っている。別に焦らなくても時間はたっぷりあったというわけだ。
暁人は「どこか旅行に行こうか」と提案したが、あっさり実央に却下された。「双方の親が応援してくれたとはいえ、自分たちもある程度の出費になっているから節約したい。それに夏休みはどこも混雑するし、宿泊費も割高になる」という実央の判断だった。
(まあ日帰りデートとか食事くらいなら、OKが出るかな。前に姉さんが水族館がどうとか言ってたっけ)
実央の寝顔を見ながら、暁人は考える。
(でも、ずーっとうちで二人きりで過ごすのも悪くないな。思う存分イチャイチャできるわけだし)
…自分で「イチャイチャ」とか言っちゃってるし。暁人が休み中の予定を思案している頃に、日付けが変わった。
だが暁人はまだ知らない。彼らの休み中に、早々に編集した動画を持って、綾乃が篤紀を引き連れこの部屋に襲来してくることを。
終わり
お読み頂き、ありがとうございます。前書きでもおことわりしたように、色々なテーブルでの会話に飛ぶのでわかりにくかったですよね。各場面でのやり取りをお楽しみ頂けたら、幸いです。富士吉田市の皆様、ご不快に思われたら申し訳ありません。笑ってお許し下さるとうれしいです。




