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「天才な彼女たちは、ただの僕を奪い合っている」

作者: 零時卿
掲載日:2026/02/21

「嘘とうそ偽いつわりに満みちたこの世界せかいにおいて、もっとも危険きけんな兵器へいきは、常つねに『誠実せいじつさ』である……」


著者ちょしゃ:零時卿


空くう気きは薄うすく、エゴが渦うず巻まく頂いただきに、その学がく園えんは君くん臨りんする。私し立りつ新しん天てん学がく園えん。 そこは選えり抜ぬきの「エリート」たちの養成所ようせいじょであり、学生がくせいたちが己おのれの「支配しはい潜在せんざい能力のうりょく」を競きそい合あう、荒あら々らしくも優雅ゆうがで、冷れい酷こくな競争きょうそうの場ばである。 この国くにの未来みらいを担担う者ものたち、あるいは、この国くには自分じぶんたちのものだと信しんじて疑うたがわない者ものたちが、ここから巣す立だっていくのだ。


そして、その頂ちょう点てんに君くん臨りんするのは、まるで神しん性せいすら感かんじさせる二ふた人りの少女しょうじょ。この学園がくえんにおける最大さいだいの「星ほし」である彼女かのじょたちの名なを聞きいただけで、いかに老獪ろうかいな上じょう級きゅう生せいですら、その身みを震ふるわせる。 彼女かのじょたちの名は……


善ぜん狐こ 呼こ乃の香か。「未み来らいの女じょ帝てい」と呼よばれる彼かの女じょは、論ろん理り的てき完かん成せい体の体たい現げん者しゃであり、政せい界かいのサラブレッドである。彼かの女じょにとって「会かい話わ」とは社交しゃこうではなく、他た者しゃの精神せいしんを書き換かえるためのプログラミングに過すぎない。彼かの女じょが言葉ことばを発はっしたなら、それはあなたが彼かの女じょの思おもい通どおりに動うごくためのコードなのだ。感情かんじょう操作そうさを児じ童どうの遊あそびのように操あやつり、眉みゆ一ひとつ動うごかさずに弁べん論ろん部の部ぶ長ちょうの座ざを手てにした。あぁ、恐おそろしい……。


断だん蔵ぞう 真ま実み子こ。知ち覚かくされる現実げんじつの支配しはい者しゃ。映画えいが帝てい国の継けい承しょう者しゃである彼かの女じょは、呼吸こきゅうをするように人格じんかくを演えんじ分わける。「清楚せいそ」?「ツンデレ」?それとも「悲ひ劇げきのヒロイン」? 観かん客きゃくが求もとめ、それが己おのれの力ちからとなるならば、彼かの女じょは何なんにでも変へん貌ぼうする。既き成せいのルールに従したがいなどしない、自じ分ぶんの都合つごうのいいように書き換かえてしまうのだ。彼かの女じょの野や望ぼうは歴史れきしに刻きざまれる大だい女優じょゆうになること。そのためなら手段しゅだんを選えらばない。あぁ、恐おそろしい……。


二に年ねんもの間あいだ、彼女かのじょたちは己おのれの縄なわ張ばりを守まもる二ふた頭とうのアルファ(頂ちょう点てん捕ほ食しょく者しゃ)のようであった。互たがいの領域りょういきを侵おかさず、干かん渉しょうもせず。もちろん、互たがいの存ぞん在ざいは熟じゅく知ちしていたが、口くち論ろんはおろか、ちょっとした紛ふん糾きゅうすら一度いちども起おこったことはなかった。


しかし、たった一ひとつの要よう因いんがすべてを変かえてしまった。その要よう因いんには姓名せいめいがある。その名なは……


星ほし野の 誠まこと。


誠まことは天才てんさいでもなければ、資産しさん家かでも、ましてやエリートアスリートでもない。学校がっこうの階かい級きゅう制せい(スクールカースト)に目めを向むけるよりも、買かったばかりの飲いん料りょうの**「成分表せいぶんひょう」**を読よむことを好このむような少年しょうねんだ。


これこそが、二人ふたりの少女しょうじょにとっては、完全かんぜんなる**「誤ご差さ(バグ)」**であった。


呼こ乃の香かにとって、誠まことという存在そんざいは数すう学がくてきな**「難なん問もん」**であった。


それは、論ろん理りをもってしても制御せいぎょできず、予測よそくさえも拒こばむ生せい物ぶつ。


あらゆる意味いみにおいて、彼かれは**「特とく異い点てん(アノマリー)」**なのだ。


そして、そのアノマリーは修正しゅうせいされなければならない。


良きにつけ悪あしきにつけ、彼かの女じょ自身じしんの手てによって。


真ま実み子こにとって、誠まことという男おとこは真っ白な**「壁かべ」**に過すぎなかった。


彼かの女じょがどんな仮か面めんを被かぶろうとも、彼かれは常に彼かの女じょを無む視しする。


演劇えんげきの舞台ぶたいにおいて、彼かれは拍ひょう手しゅもしなければ、称しょう賛さんの言葉ことばを投なげることもない。


それが何なによりも、彼かの女じょのプライドを痛つう烈れつに突き刺さした。


だからこそ、決きめたのだ。彼かれを自じ分ぶんの形かたちに造つくり変かえ、自じ分ぶんを崇あがめる数あまたの信しん者じゃの一いち人にんにしてやると。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


そして、すべては破は局きょくへと向むかい始はじめる。


「自じ分ぶんの優ゆう越えつ性せいを証しょう明めいするために、この男おとこを屈くっ服ぷくさせてやる」


そんな些さ細さいなプライドから始はじまった執しゅう着ちゃくは……


瞬しゅんく間に間にして、すべてを飲み込む感情かんじょうの**「ブラックホール」**へと変か貌ぼうしていった。


誠まことを「ハッキング」しようとした呼こ乃の香かは、皮ひ肉にくにも自じ分ぶんが張はり巡めぐらせた罠わなに囚とらわれてしまった。


そして、彼かれのために「演技えんぎ」をしようとした真ま実み子こは、自じ分ぶんが本来ほんらい被かぶっていた仮か面めんがどれだったのかさえ、忘わすれてしまったのだ。


今いまや、二ふた人りはただ彼かれを飼かい慣ならしたいだけではない。


もし、あの「誠せい実じつで穏おだやかな眼まなざし」が、自じ分ぶんではなく「あいつ」に向けられたなら……。


そう想像そうぞうするだけで、彼かの女じょたちの血ちは、煮にえくり返かえるほどに熱あつくなる。


これまで一度いちども交まじわることのなかった真ま実み子こと呼こ乃の香か。


二ふた人りの間あいだで、星ほし野の誠まことを巡めぐる**「静しずかなる戦争せんそう」**が幕まくを開あけたのだ。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「え……? なんだこれ。なんで俺の下駄箱に手紙なんて入ってんだよ。っていうか、誰がこんな面倒な真似したんだ?」


星野誠は困惑しながらも、その手紙を開封し、内容に目を通し始めた。


『星野君、放課後、地下の備品倉庫まで来てください。 奨学金について、あなたにとって……少なくとも、興味深い話があるのです。

  ――善狐 呼乃香』


「この書き方……やっぱり善狐さんか。まあ、奨学金の話には興味あるな。彼女のコネがあれば、大学受験も楽になるかもしれないし。……でも、なんでわざわざ地下倉庫なんだ? 変なの」


しかしその時、誠の視線はもう一通の手紙へと向けられた。それは先ほどよりもずっと、軽薄で崩れた書き方のものだった。


「またかよ……。なんだ、俺は急にモテ期にでも入ったのか?」


誠は少々苛立ちながらも、二通目の手紙を開封した。


『やっほー、誠君! 実は、困っているか弱い乙女を助けてほしいんだ。演劇部の備品を運ばなきゃいけないんだけど、私一人じゃ到底無理そうで……。 放課後、地下の倉庫まで手伝いに来てくれたら、すっごく助かるな。 お礼に、君の「お願い」もいくつか聞いてあげちゃうかも……っ♪

  ――あなたの真実子ちゃんより ♪』


「なんだよ、このふざけた内容は。……まあいいか、これで地下に二回行く手間が省ける。一度に二人分の用件を済ませられるなら、むしろ効率がいいな。今日はラッキーデーか? 帰りに宝くじでも買ってみるかな」


哀あわれな男おとこよ。誠まことの脳のう内ないでは単たんなる「時短じたん」かもしれないが、彼かれはまだ知しる由よしもない……。これが、二ふた人りの天才てんさいによる**「同時どうじ強きょう襲しゅう(コンビネーション・アタック)」**であることを。


呼こ乃の香かの側がわから言いえば、確たしかに彼かの女じょには権けん勢ぜいがある。しかし、奨学金しょうがくきんの情報じょうほうなど、実じつは一ひとつも持ち合わせてはいないのだ。彼かの女じょの狙ねらいはただ一ひとつ。誠まこととの密みつ室しつの時間じかんを作つくり、彼かれとの距離きょりを詰つめ、自じ分ぶんのものにすること。真ま実み子こに邪魔じゃまをさせないための、完璧かんぺきなる「チェスの詰つみ」――。正まさに、若わかき策さく士しである。


一いっ方ぽう、真ま実み子こも負まけてはいない。演劇えんげき部ぶが備び品ひんを必要ひつようとしているのは事実じじつだが、誰だれに頼たのまれたわけでもない。彼かの女じょは独どく断だんでこの機きを捉とらえたのだ。誠まことを二人ふたりきりの場所ばしょへと誘いざない、彼かれを籠ろう絡らくするための黄金おうごんの好こう機き――。おそるべき、状況じょうきょうの支配しはい者しゃである。


しかし、運うん命めいの悪あく戯ぎか。二ふた人りは偶然ぐうぜんにも、「同おなじ場所ばしょ」、そして**「同おなじ時間じかん」**に彼かれを呼よび出してしまった。 犬いぬと猿さるの仲なかも及およばないほど、互たがいを忌いみ嫌きらう二ふた人り。 この一いっ帯たいは、一触いっしょく即そく発はつの戦場せんじょうへと変か貌ぼうする。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


その頃ころ、新しん天てん学がく園えんの深しん部ぶでは、空くう気きが凍こごえるほどに冷ひえ切きっていた。


備び品ひん倉庫そうこの重おも苦ぐるしい木もく製せいの扉とびらの前まえで、二ふたつの影かげが対たい峙じする。 一いっぽうは、一いっ点の曇くもりもない制せい服ふくに身みを包つつんだ「論ろん理りの女じょ帝てい」。 もう一いっぽうは、瞳ひとみの奥おくまでは笑わらっていない微笑ほほえみを湛たたえた「劇げき場のカメレオン」。


「あら、断だん蔵ぞうさん。演劇えんげき部ぶのカリキュラムには、地下ちかをうろつく『徘はい徊かい実じっ習しゅう』でも追加ついかされたのかしら? それとも、あなたの言うところの……『愛あいの芸術げいじゅつ』とやら?」


見み下くだすようなその口くち調ちょうは、まるで下げ等らな生物せいぶつへ向むけるかのよう。……なんと恐おそろしい。


「呼こ乃の香か様さま、同どう性せいに向むかってそのような言い草ぐさは、少々しょうしょう……下げ品ひんではありませんこと? そっくりそのままお返かえししますわ。善ぜん狐こ家けの次じ期き当とう主しゅともあろうお方かたが、なぜこのような不ふ潔けつな場所ばしょで油あぶらを売うっておいでに? もしかして、下げ層そう層そうの方かたがたの生せい活かつ様よう式しきでも学まなびに来こられましたの?」


真ま実み子この反はん撃げき。その口くち調ちょうはどこまでも馬ば鹿かにしたような響ひびきを帯おびていた。


一いっ触しょく即そく発はつの空くう気き。二ふた人りにとって、この「計けい画かくの地ち」で鉢はち合あわせるなど、全まったくの想定そうてい外がいだったのだ。


(なぜ、この女おんながここにいるの? 見み回わりのスケジュールは計算けいさん済ずみ。演劇えんげき部ぶは三さん階かいで稽けい古こをしているはず。彼かの女じょの存在そんざいは、私わたしの計けい画かくにおける致命ちめい的てきな「異常いじょう値ち(アノマリー)」だわ……)


(げっ、出でたわね、お局つぼね様さま。なんでこの理り屈くつモンスターがここにいんのよ? まさか、誠まことを呼よび出したことがバレた? いや、ありえない。下駄げた箱ばこを覗のぞかれてもいいように、手紙てがみは完璧かんぺきに隠かくしたはず。じゃあ、なんでよ!)


「説明せつめいしてちょうだい、断だん蔵ぞうさん。なぜあなたがここに? まさか、ステージと間違まちがえて迷まい込こんだわけではないでしょうね?」


呼こ乃の香かの言葉ことばは、研とぎ澄すまされたナイフのように鋭するどい。


「おやおや、呼こ乃の香か様さま。そんなに怖こわい顔かおでおっしゃらないで。私わたしはただ、備び品ひんの箱はこを取とりに来きただけですわ。それより、あなたこそ。もしかして、今日きょうから『地下ちか倉庫そうこの管理人かんりにん』にでも就しゅう任にんされましたの?」


「口くちを慎つつしみ防なさい、断だん蔵ぞうさん。あなたに対たいして手て加か減げんをするつもりは毛もう頭とうありませんわよ」


「あら、そんなもの……必ひつ要ようありませんわ」


二に人りは互たがいを射い抜ぬくかのように見みつめ合あう。それは視し線せんだけで繰くり広げられる、神しん話わ的てきな規模きぼの死し闘とうであった。いつ爆ばく発はつしてもおかしくないこの状況じょうきょう……誰だれか、彼かの女じょたちを止とめてくれ!


「着ついたぞ」


たった四よ文字もじ。


天然てんねんボケな誠まことが発はっしたその一いち言ごんだけで、学がく園えん全ぜん体たいを巻まき込こむ「学内がくない内ない戦せん」に発展はってんしかねなかった火種ひだねは、あっけなく鎮ちん火かされた。


「……え、なんだお前まえら。二人ふたりして同おなじ場所ばしょに呼び出すなんて、もしかしてテレパシーで繋つながってる親しん友ゆうか何なにかか?」


その言葉ことばは、二ふた人りにとってあまりにも無む慈じ悲ひな**「痛つう烈れつな一いち撃げき」**となった。


「誠君、来てくれて嬉しいわ! ちょうど倉庫から箱を出すのを手伝ってほしかったの。見ての通り、私のような弱々しい体じゃ、あんな高いところまで届かなくて……」


間髪入れずに、真実子が先制攻撃を仕掛けた。演技の天才である彼女は、いくらでも「人格」を使い分けることができる。今この瞬間の彼女は、支えてくれる男性を必要としている「困った時のお嬢様」を完璧に演じていた。


「え、あ……断蔵さん。わ、わかったよ。手伝うから、そんなに密着しないでくれ」


(完璧だわ。誠君、照れ始めてる。このまま押し通せば、彼を私の足元に跪かせ、ただのファンの一人に……。いいえ、これだけ手こずらせたんだもの。私の「熱狂的な信者」にまで昇華させてあげましょう!)


真実子はすでに勝利の余韻に浸っていた。しかし、自信過剰ゆえに、彼女は誠と二人きりではないという事実を失念していた。


「滑稽だわ。そんな箱くらい、演劇部の部員にでも運ばせれば済む話でしょう。わざわざ星野君を呼び出してまで、あなたの我儘に付き合わせる必要なんてないはずよ。ただの時間の無駄だわ」


その言葉に、真実子の体は強張った。全く予想だにしない介入に、彼女は無意識のうちに後ずさりしてしまう。


「それもそうだな、善狐さん。断蔵さんも別に俺の手を借りる必要はなかったのかもしれない。……まあ、でも、もう来ちゃったしな。とりあえず彼女を手伝ってから、君の奨学金の話を聞くことにするよ」


「だったら急いでもらえるかしら。必要のない手助けが終わるのを待つほど、私の時間は安くないの。それに、あなたの将来は、そんな箱詰めよりもずっと価値があると思わない?」


呼乃香の猛攻は止まらない。彼女は誠の心理を揺さぶり、真実子を置いて自分と行くように仕向けている。汚い、だが極めて効果的な一手だ。


しかし、真実子の反撃が始まる。演劇という弱肉強食の世界で生きてきた彼女は、この種の逆境の切り抜け方を熟知していた。


「誠君、彼女の言う通りだわ。あなたの将来は、こんな箱なんかよりずっと大切よ。……これは私一人でなんとかするから。あなたは、何も気にしなくていいのよ?」


彼女の声のトーンが一変した。まるで、ぬいぐるみを買ってもらえなかった幼い少女のような響き。


「ま、待って断蔵さん! そんな重いもの持っちゃダメだよ、俺が手伝うから」


たったそれだけの、声の揺らぎ。それだけで誠の注意を引き戻すことに成功した。


(なんて癪に障る女……。完璧な声劇こえげきだわ。あの単純な誠君が、一瞬で彼女に意識を向けてしまうほどに)


(どうかしら、論理の天才さん? 私の可愛い声には勝てなかったみたいね。残念だったわ。さあ、誠君を私の言いなりにして、箱を口実に演劇部の部室へ連れ込むわ。二人きりになれば、もっと彼との距離を縮めて……そして……)


ガチャンッ!


金属が枠に嵌まる音が、銃声のように地下室全体に響き渡った。 誠は凍り付いた。


「だ、断蔵さん……その、俺……」


箱を取り出そうとした誠の動きが、運悪く扉を動かしてしまったのだ。扉は勢いよく閉まり、三人全員をこの暗がりに閉じ込めてしまった。


「おやおや、星野君。だから言ったでしょう、あなたの将来について先に話しておくべきだったと。これで私たちは三人とも、ここから出られなくなってしまったわ」


「な、なんでこんなことに……っ?」


誠は少なからず動揺し、真実子はストレスを隠せずにいた。 その瞬間、呼乃香が微かに口角を上げた。誰にも気づかれることはなかったが……。


すべては、彼女の計算通りに進んでいた。


(思った以上に簡単だったわ。箱の配置を見た瞬間、誠君がそれを取り出す際に苦労することは明白だった。普段なら何も起きなかったでしょうけれど……真実子があのみっともない芝居を彼の前で見せている隙に、私は密かに扉を動かした。ほんの数センチ。誠君が箱を引き出す反動で閉まるには十分で、かつ、誰にも気づかれない程度の距離を)


すべては、呼乃香の企み通りだった。


善狐家の令嬢である彼女には、二十四時間体制の警護がついている。彼女はあらかじめ、セキュリティチームに「四十分間のプライバシー」を要求していた。誠と二人きりの時間を過ごすための準備だったが、真実子の乱入がすべてを狂わせた。だからこそ、彼女はこの決断を下したのだ。四十分が経過すれば、警護たちは血眼になって校内を捜索し始める。


つまり、これから三十分間。この薄暗い裸電球一つしかない倉庫の中で、三人は閉じ込められることになる。


「やばい、これはまずいぞ。帰りが遅くなったら母さんに殺される……」


誠が本気で怯える一方で、真実子は違和感を抱いていた。


(……おかしいわ。誠君は確かにおっちょこちょいだけど、あんな風に扉が閉まるほど不器用じゃないはず。それに、あまりにもタイミングが良すぎるわ。まるで、最初から仕組まれていたみたいに。……あなたね? 呼乃香様。納得だわ、あなたのような女ならこれくらいやりかねない。でも、そう簡単に勝てると思わないことね)


真実子は自らの才能を使い、この地下室での時間を最大限に利用して反撃することを決意した。


「きゃっ! 真っ暗で何も見えないわ! 誠君、どこ!? お願い、私から離れないで……っ!」


真実子は誠にしがみつこうとしたが、当の誠は……。


「まずい、ここに閉じ込められてる場合じゃないぞ」


彼は真実子の誘惑を完全に無視した。


「ここから出るための道具を探さないと。あと数分で俺の推しアニメが始まっちゃうんだ。それだけは何があっても見逃せない」


(間違いないわ。星野君の馬鹿さ加減には底がない。……けれどそのおかげで、断蔵さんは彼に対して仮面を使い分けることができない。ならば……私の出番ね)


呼乃香は、スタジアム全体をも照らし出せそうな最新型のiPhoneを取り出した。これ見よがしなそのライトを、彼女は勝ち誇るように点灯させた。


「星野君、見たところあなたのスマートフォンのバッテリーは残り十五パーセント程度だわ。残り少ない電力を浪費するのは賢明じゃない。私のところへ来なさい。こちらのライトの方が高出力で安定しているわ」


「あ、ありがとう善狐さん。あんたは本当に用意周到だな。そういうところが、あんたの凄さだよ」


誠が明るいトーンで放ったその言葉は、呼乃香のプライドを刺激した。だが、それ以上に彼女の心の奥深くを……強く揺さぶった。


(よく言ったわ、下民げみん。どうやら思っていたほどの馬鹿ではなかったようね。これで彼は私の隣に留まり、断蔵さんには手出しをさせない。誠君の性格からして、より明るく道を照らす光に導かれるのは明白だわ)


彼女は再び真実子を追い詰めていた。だが、真実子もプライドにかけて、易々と引き下がるような女ではない。


「ああ、なんてこと! ここ、すごく狭くて暗いわ……。怖くてたまらない……っ! 誠君、私を一人にしないで!」


彼女は誠に飛びつくと同時に、わざと手を滑らせて呼乃香のiPhoneを箱の隙間に叩き落とした。ライトは手の届かない奥深くへと消えていく。


「あら! なんてドジなのかしら。ごめんなさいね、呼乃香様。私、気が動転してしまって」


嘲笑を浮かべながら謝る真実子。その間も彼女は誠にしがみつき、誠は密着した彼女の体温を感じて、顔を赤らめていた。


(……あら、愛しき論理の女帝様。あなたが状況を支配するのを、私が黙って見ているとでも思ったのかしら? 誠君に疑われない程度の演技なんてお手の物よ。あなたはすべてを見抜いているでしょうけれど、彼が何も言わない限り、この勝負は私の勝ちだわ)


真実子は心の中で嘲笑を浮かべ、呼乃香の射抜くような視線を受け流した。


「ええ、よく分かったわ。女優というのは大抵、不注意な生き物なのね。だからこそ、その多くがスキャンダルや欺瞞に塗れることになるのでしょうけれど」


呼乃香の苛立ちは頂点に達していた。彼女は真実子が最も情熱を注ぐ「演技」という聖域に対し、直接的な攻撃を仕掛けたのだ。


「よく言うわ。すべてをただの『0と1』としてしか見られない女が。私たちをまるで操り人形のコードか何かだと思っているみたいだけれど、残念だったわね。私たちはあなたが遊ぶためのプログラムなんかじゃないのよ」


「おやおや。息を吸うように人格を使い分ける女が、よくもまあ『操作』なんて言葉を使えたものね。……『演劇界のカメレオン』だなんて滑稽な二つ名、あなたにはお似合いだわ。だって、今目の前にいるのが可愛い女の子なのか、それともただのペテン師なのか、誰にも分からないんですもの」


真実子のプライドは、今度こそ完全に打ち砕かれた。空気は肌を刺すほどに張り詰め、もはや誠を巡る心理戦ではない。それは、研ぎ澄まされた毒舌による剥き出しの正面衝突だった。


「お、おい二人とも、喧嘩はやめてくれよ……」


誠は明らかに困惑していた。だが今の呼乃香と真実子は、哀れな誠のことなど眼中にないほど互いの罵倒に集中している。このままでは、二人はお嬢様としての品位を忘れ、取っ組み合いの喧嘩にまで発展しかねない。


「あらあら、愛しの呼乃香様。私の方があなたよりずっと表情豊かなのが、そんなに癪に障るのかしら? あなたが周囲に恐れられているのは、きっとその可愛げのなさのせいね。言い寄ってくる男が一人もいなくても、不思議じゃないわ」


「二人とも、頼むから落ち着いてくれ……っ!」


「くだらないわね。私のような人間が、恋愛ごときにご大層な時間を割くはずがないでしょう。それに、注目を集めるために偽りの仮面を被るくらいなら、今のままの方がずっとマシよ」


誠の忍耐は限界に達し、ついに彼は爆発した。


「いい加減にしろ、このバカ女たちが!」


その怒声に、真実子と呼乃香は呆然と立ち尽くした。


「な……私をバカ呼ばわりするなんて。身の程を知りなさい、この不届き者が!」


「淑女に向かってなんて口の利き方なの。あなた、最低のモンスターよ!」


「うるさい! お前たちのくだらない喧嘩にはもう泥々だ! 断蔵さんが幸せになるために仮面を使い分けてるとして、それがお前に何の関係があるんだよ! お前に迷惑をかけたか!?」


その言葉に、呼乃香は一瞬、言葉に詰まり胸を痛めた。


「それからお前もだ! 善狐さんが他人に上手く自分を表現できようができまいが、そんなのお前の知ったことか! それが彼女の生き方なんだよ。他人の意見で変える必要なんてないんだ!」


真実子は硬直した。今の誠のトーンに対し、どの「仮面」を被ればいいのか分からなくなったのだ。


「二人ともイライラするけどな、結局はお似合いだよ。似た者同士だってことに、まだ気づかないのか?」


その言葉は、二人の心に深く突き刺さった。真実子は、目の前の少年が決して「どこにでもいるような平凡な男」ではなく、物事の本質を突く存在であることを痛感した。 一方の呼乃香も、普段は無害に見える彼が、怒りに触れればこれほどまでに冷徹で現実的な正論を叩きつけるのだという事実に、目を見開いた。


「誠君……ご、ごめんなさい。私……」


真実子が彼に歩み寄ろうとした、その時だった。足元が見えない暗闇の中、彼女は不用意に一本のロープを引いてしまった。それが引き金となり、彼女の脇に積まれていた重い箱が、雪崩のように前方へと崩れ落ちる。


「真実子さん、危ない!」


誠は躊躇うことなく彼女の腰を引き寄せ、背後から迫る箱の前に立ちはだかった。彼女を抱きしめるようにして、背中全体で衝撃を受け止める。 その熱い抱擁に、真実子の顔は真っ赤に染まった。彼がこれほど大胆な行動に出るとは、微塵も予想していなかったからだ。


「な、なんてことするのよ、このバカ……っ」


「バカって……見れば分かるだろ。あんな箱が直撃して怪我でもしたら、次の公演に響くかもしれないんだぞ」


真実子は驚きに目を見開いたまま、彼の顔をじっと見つめた。自分の体調や将来のことまで含めて、これほど真剣に心配されたことなんて、彼女の人生には一度もなかった。


「そ、そう……。で、でも……もう離してくれてもいいわよ」


彼女の頬は、隠しようもないほど赤らんでいた。


「ああ、そうだな」


誠は素直に真実子から離れた。彼女は片手で顔を覆い、赤らめた頬を彼に見られないよう必死に隠した。


(ど、どうしてあんなに私のことを心配してくれたの? あんなことする必要なかったのに。……でも、それ以上に、どうして私の鼓動は……こんなに速くなっているの? まるで、人生で一番大切な舞台に立っているみたい……)


「おやおや。断蔵さんは、ずいぶんと緊張されているようね」


(彼女のあの反応、とても奇妙だわ。演技をしているようには見えない。……まさか、あの頬の赤らみは……)


しかし、それ以上の思考は遮られた。入り口の扉から、重々しい叩きつけるような音が響いたからだ。


「善狐様! 善狐様、中にいらっしゃいますか!? お答えください!」


三十分という時間は瞬く間に過ぎ去った。彼女の予測通り、警護たちは一刻の猶予もなく彼女を捜し出したのだ。


「ええ、ここよ。閉じ込められてしまったの。開けなさい」


扉が勢いよく開かれ、ガードマンたちが血相を変えて飛び込んできた。彼らの目に映ったのは、未だに顔を覆っている真実子と、部屋の奥に立ち尽くす誠の姿だった。


「お嬢様、お怪我はございませんか!? もしや、そこの者たちに何か不届きな真似を……」


「いいえ、滅相もないわ。ただの不注意で閉じ込められただけよ。……ああ、それから。私のスマートフォンがあの箱の裏に落ちてしまったの。回収しておきなさい」


そこへ、誠が歩み寄った。


「必要ないですよ、善狐さん。ここにあります」


彼の手にはスマートフォンが握られていた。だが、その光景は警護たちの目には不敬なものとして映った。


「貴様、無礼者め! 善狐様のお召し物に気安く触れるとは何事だ!」


誠は怯えた。数でも体格でも、目の前の男たちは自分を遥かに凌駕していたからだ。


「い、いや、待ってください。これは誤解なんです」


警護たちが力ずくでスマートフォンを奪い取ろうと踏み出したその時、呼乃香が静かに手を挙げ、彼らを制止した。


「やめなさい。彼の言う通りよ」


呼乃香は誠に歩み寄ると、静かに問いかけた。


「いつの間に私のスマートフォンを回収したの、星野君?」


(これは私の計画にはなかったわ。一体、どうやって……?)


「いや、それがさ……断蔵さんのせいで箱が崩れた時、君のスマホまで手が届きそうな隙間が見えたんだ。だから、今のうちに拾って渡そうと思って」


彼はそう言って、屈託のない、心からの笑顔を向けた。


(なぜこの男は、こんな馬鹿みたいに笑うのかしら。その笑顔の裏には何かあるはず……。けれど、どうして。嘘の気配が微塵も感じられない。それに、こんな単純なことで私の論理を超えるなんて、馬鹿げているわ。……でも、誠。どうやらあなたは、思っていたほどの間抜けではないようね)


彼女は小さくため息をついた。


「いいわ、それでいい。ありがとう、星野君」


「どういたしまして、善狐さん。そういえば、奨学金の話……結局できなかったな」


「あら、本当ね。誠心誠意、謝罪するわ。集中力を欠いてしまって、有益な情報を何も提供できなかったもの」


「いいんだよ、善狐さん。そんなに何でも一人で背負い込まなくていいって。正直、君のことをもっとよく知れて嬉しかったよ。君はすごいよ、論理について語る姿なんて本当に魅力的だ。いつか数学の課題が出たら、君と同じグループになれたらいいな」


誠は明るいトーンでそう告げた。だが、その言葉は呼乃香の心に、かつてないほどの激動を巻き起こした。


(この下民、何様のつもりで私にそんな口を利いているのかしら。……私の学問的優位性に遅かれ早かれ気づくのは当然のことよ。けれど……さっきの、私を庇った時のあの言葉……)


『善狐さんが他人に上手く自分を表現できようができまいが、そんなのお前の知ったことか! それが彼女の生き方なんだよ。他人の意見で変える必要なんてないんだ!』


(それに、あの心配そうな顔……。……いえ、何を考えているのよ、私は)


彼女はわずかに頬を染め、その声はいつになく柔らかな響きを帯びた。


「ス、スマートフォンの回収、感謝するわ」


「どういたしまして、善狐さん。困ったことがあったらいつでも力になるよ。……まあ、何でも知ってる君に、僕がどれだけ役に立てるかは分からないけどさ」


誠は軽く笑った。だが、直後に顔色を変える。


「あ! やばい、アニメが始まるまであと五分しかない! 今から家までダッシュすれば、運が良ければエンディングには間に合うかも……! じゃあね、二人とも!」


若き星野誠は、脱兎のごとく地下室から駆け出していった。男にとって神聖なものは三つある。飯、ゲーム、そしてアニメだ。


(あのバカ……) (あのバカ……!)


(この学園で最も影響力のある女子二人を完膚なきまでに打ち負かしておいて、何事もなかったかのように去っていくなんて。一体、何様のつもり!?)


(本当に……私たちとのこの状況より、アニメの方が大切だったっていうの? 本気で言ってるの!?)


二人が校門を出る時、奇しくも同じ思考が脳裏をよぎっていた。


(誠君が私を庇ってくれた時……彼は何の仮面も必要としていなかった。ただ純粋な想いだけで動いていたのね……)


(どうしてあの隙間に気づけなかったのかしら。星野君は、無意識のうちに私の論理を上回ったというの? そんなことが、万に一つでもあり得るのかしら……)


二人は混乱していた。しかし、その脳裏には全く同じ決意が浮かんでいた。


(あのバカ……。お人好しなバカだけど、あんな男、他のあいつに渡すわけにはいかないわ……)


こうして、進天学園の天才たちによる戦争は、幕を開けたばかり。いや、ここからが真に危険な段階へと突入したと言えるだろう。もはやプライドのためではない、より深い何かのために。彼女たちは、一人の少年を巡って戦うことになる。 誠は、彼女たちの中に、思春期の誰もが抱く共通の本能を呼び覚ましてしまったのだ。それは……。


「異性に恋をする」という好奇心。


だが、果たして彼女たちにその覚悟はあるのだろうか? ああ、恋とはなんと残酷で、恐ろしいものか。


二人は混乱していた。しかし、その脳裏には全く同じ決意が浮かんでいた。


(あのバカ……。お人好しなバカだけど、あんな男、他のあいつに渡すわけにはいかないわ……)


こうして、進天学園の天才たちによる戦争は、幕を開けたばかり。いや、ここからが真に危険な段階へと突入したと言えるだろう。もはやプライドのためではない、より深い何かのために。彼女たちは、一人の少年を巡って戦うことになる。 誠は、彼女たちの中に、思春期の誰もが抱く共通の本能を呼び覚ましてしまったのだ。それは……。


「異性に恋をする」という好奇心。


だが、果たして彼女たちにその覚悟はあるのだろうか? ああ、恋とはなんと残酷で、恐ろしいものか。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


誠のような平凡な少年を巡る、二人の天才美少女のライバル関係を楽しんでいただけたなら幸いです。

この物語で皆さんに少しでも笑顔を届けることができたなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。


貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。


【おまけ】

その日、星野誠は学園最高峰の天才美少女二人を置き去りにし、全力で帰宅した。すべては、今週放送の最新話を見るため。

しかし、テレビの前に座った彼が目にしたのは……「制作クオリティ向上のため、今週の放送はお休みです」という非情なテロップだった。


「……嘘だろ」


その夜、学園を揺るがした男の絶望は、彼女たちが抱いた嫉妬よりも深かったという。

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