第9話 白夜公の抱いた疑惑
シンシアの部屋をあとにしたフェリクスは、侍女長のローザに医者と夕食の手配をするよう命じ、足早に本邸の執務室に戻った。
そして引き出しにしまっておいたシンシアの資料や事件の報告書を取り出し、再度目を通す。自身の中に生じた違和感を確かめるために。
(本当に彼女は、噂されるような悪女なのか?)
シンシアと実際に言葉を交わしてフェリクスが受けた印象は、感情のまま欲望を口にしているというよりは、口数も少なく、あえて言葉を選んで話しているような不自然さだった。
厄災の悪女と忌み嫌われている子爵家の令嬢シンシア・フォレスト。
十歳の頃に実母は、異端審問にかけられて処刑。
その実母に異端思想を植え付けられたせいで、我儘に育った悪女というのは有名な話だ。
シンシアのわがままを叶えるために、フォレスト子爵は惜しみなく欲しがるものを与え、厄災のスキルを暴発させないよう、大事に育ててきた。
しかし後妻として迎えた継母や義妹との折り合いは悪く、シンシアは日々二人を虐げていた。
報告書では、フォレスト子爵が不在の時にシンシアがスキルを暴発させて、母屋一棟を溶解する事件が起こったと書かれている。
原因は、新人メイドの些細な給仕ミスに対する横暴な態度を見かねて、義妹が諭したことによる、逆上。
(そもそもなぜ、新人のメイドに給仕をさせる必要があった?)
これまで王家が特別管理金を払い子爵家を支援してきたのは、シンシアがスキルを暴発させないよう、過ごしやすい環境を整えるためだ。
過去には平民の侍女は嫌がるから貴族の優秀な侍女を雇いたいと、子爵が管理金の上乗せを国王に訴えていたと記録も残っている。
それにも関わらず新人に給仕をさせたのには、何か別の理由があるのではないかとフェリクスは考えていた。
(まぁ、直にそれもわかるだろう)
フェリクスは今回、シンシアの専属侍女として、あえて平民の侍女を三名配置した。ベテラン二人と新人一人。高貴な身分こそ持ち合わせないが、その実力は確かな者たちだ。
貴族の事情に詳しくない彼女たちに、シンシアが暴食の刻印を持つ厄災を背負う者だということを伝え、誠心誠意仕えるよう命じた。
そして最初に向かわせたのは、その中でも一番経験の浅い侍女のニナだ。下働きのメイドから侍女に昇格させてまだ一年だが、先輩侍女たちの教えを取り込み、仕事ぶりは真面目で丁寧だと周囲からも評価されている。
もしシンシアが噂通りの悪女なら、ニナが名乗った瞬間、平民の侍女をあてがわれたことに激しく怒るだろう。そしてすぐにこちらへ報告が来るはずだ。
その時、規則正しいリズムで二回、ノックが鳴った。
早速報告が上がってきたのかと、フェリクスは席を立ち、すぐに向かえるよう自身の手で扉を開けた。
侍従のテオは驚いた様子でこちらを見上げ、「夕食の準備か整いました」と口にした。
「……報告はそれだけか?」
突然詰められて慌てたテオは、はっと思い出したように言葉を付け加える。
「そうです、今日はフェリクス様のお好きな若鳥のミートパイを、腕によりをかけて作ったと、料理長が申しておりました!」
(いや、聞きたいのはそういうことじゃない)
テオの純粋な眼差しを前に、フェリクスは喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。
それから食堂に移動して夕食を取ったあと、フェリクスはいつ呼びつけられてもいいように、再び執務室で待機していた。
しかし待てど暮らせどシンシアについて、なんの報告も上がってこない。
(もしかして……俺が怖くて言い出せないのか?)
よく考えれば無表情で無愛想、七つも年が離れた男と、目覚めて突然結婚させられたら、戸惑わないはずがない。
しかしフェリクスが油断して気を緩めてしまえば、強すぎる氷の魔力が外に漏れ出し、周囲を危険にさらす可能性がある。だからフェリクスは決して、人前で表情を崩すことがなかった。
それは自分を律するために身に付けた処世術であるが、その内心はいつも葛藤に苛まれ、めまぐるしく揺れ動いていた。
自身のコンプレックスで自虐的になる思考を、フェリクスは深呼吸して一旦落ち着ける。
あれからすでに二時間は経過している。
夕食を給仕したニナとは対面しただろうし、レイスが診察に向かったという報告は受けた。診察が終わったらレイスには顔を出すよう言付けし、フェリクスは再び資料に目を落とした。
しかし読めば読むほど、シンシアが怒らない理由がわからない。
(やはり、噂を鵜呑みにするのはよくないようだな)
事件の報告書については、改めて真偽を確かめる必要がありそうだ。それだけじゃない。フォレスト子爵家についても、再度調べた方が良いだろう。異端審問にかけられて処刑された元子爵夫人についても、当時の記録を調べてみよう。
「熱心に資料を見つめて、そんなに奥様が気になりますか?」
顔を上げると、いつの間にか幼馴染みの魔法医レイスが執務机の前に立っていた。
「…………レイス、音もなく入ってくるな」
軽くため息をついて、フェリクスは苦言を呈す。
バーク伯爵家の三男だったレイスとは昔から親交があり、年が近いのもあって気心の知れた仲だった。
「ノックはしましたよ? そもそもこんな時間に呼び出しておいて、返事しなかったのは貴方じゃないですか」
「俺が、ノックに気づかなかっただと……⁉」
レイスにそう指摘されて、そこまで自分が資料に集中していたことに、フェリクスは驚きを隠せない。
「それよりもフェリクス、由々しき事態です! なんと奥様、目覚めて間もないのにスキルを使用されていました」
「なんだと……⁉」
「室内の埃を吸い込んだそうです。掃除だけでは心もとないので、空気を清浄する魔法具を設置してあげてください」
(報告書には書かれていなかったが、潔癖症なのだろうか?)
毎日経過観察のためにシンシアの部屋を訪れてはいたが、特に室内が埃っぽいとは感じなかった。けれど原因が明確に分かっておいて、放置しておくわけにもいかない。
「わかった、すぐに手配しよう。それで、彼女の容態は?」
「快方に向かっていますが、スキルを使うと折角治りかけた魔力回路がまた損傷してしまいます。外出の許可が欲しいと仰られましたが、一ヶ月は療養するよう伝えておきました」
(これは宝石商の手配も、急いだ方がよさそうだな)
「ところでレイス。その格好について……何か言われなかったか?」
身なりを整えるという概念をどこかに忘れてきたレイスを前に、フェリクスは思わず尋ねた。
見た目より実用性を重視したレイスの格好が奇抜なのは、フェリクスは昔からよく知っている。しかし初対面のシンシアにとっては、苦言を呈されても仕方のない格好なのもまた事実。
「本当に魔法医なのかって、疑われちゃいましたね。でもきちんと診察は受けてくださいましたよ?」
(こんな格好の医者が来ても、怒らないとは……)
あははと呑気に笑うレイスに、フェリクスの疑問はさらに募る一方だった。
「そうか。他に何か、気になる点はあったか?」
顎に手を当て、レイスはうーんと考える仕草をとる。
フェリクスは静かに、レイスの返事を待った。
「埃だけに干渉するなんて高度な制御技術……奥様はどうやって身に付けたんでしょうね? 厄災のスキルですよ。普通は使わせないように、管理者は気を配るでしょう?」
「言われてみれば……確かに、そうだな」
「それに一度厄災のスキルが暴発すれば、それを収めるのは普通は困難なはずです。どれだけ強い意志と激しい痛みに耐えて、奥様は一度体外へ放出した厄災を、再び吸い込んだのでしょうね」
レイスのその言葉で、フェリクスは自身が抱いていた違和感の正体に気づいた。
(それだけ強い意志を持てる女性が、こんな些細なことでスキルを暴発させるほど怒るだろうか?)
やはりフォレスト子爵家は、何かを隠しているのではないか。そう考えると、この報告書の信憑性も薄くなる。
「そうそうフェリクス。貴方にいつも処方している魔法薬、奥様にあげてしまったので、今日は在庫がありません。まだストックは大丈夫ですか?」
氷魔法の使い手であるフェリクスは、魔力過多症と呼ばれる持病を持っている。成長と共に年々強まるフェリクスの氷属性の魔力は、徐々にフェリクスの身体を冷気で蝕むようになってしまっていた。
油断すると体内から氷の魔素が漏れだしてしまうため、幼い頃は室内が凍ってしまうのが日常茶飯事だった。
「ああ、大丈夫だ」
本来なら、定期的に体内に溜まった氷の魔力を発散する必要がある。しかしレイスの発明したこの新薬のおかげで、フェリクスは物理的に氷の魔力を発散しなくてもよくなっていた。
「それならよかったです。実は数ヶ月前からなぜか魔法薬の生成に必要なメーテル草が枯渇してて、多くは作れないんですよ」
「原因は分かっているのか?」
「同時期に、大量に買い占めていった者たちがいたそうです」
「それは怪しいな。こちらでも調べてみよう」
「ええ、お願いします。これからは、奥様の分も作っておかないといけませんからね」
身体を蝕む魔素のつらさを、フェリクスはよく知っている。
「レイス、しばらく魔法薬は俺に処方しなくていい。シンシアを優先してやってくれ」
「よろしいのですか?」
「俺は物理的に発散できる。でも彼女は、それさえできないだろう。苦痛を取り除くのは、管理者の義務だ」
「わかりました。でも無理はしないでくださいよ? 立派な氷の城が完成してしまいますからね」
「そうだな。でももし出来た時は、解かすの手伝ってくれるだろ?」
「ええ、もちろんです」
レイスが帰ったあと、フェリクスは早速、各方面の調査をするよう部下に命じた。










