第7話 侍女長と魔法医①
シンシアが夕食を終えてしばらく経った頃、再びノックが鳴った。
「奥様。侍女長が魔法医を伴い、お目通りを願っております」
扉の向こうから聞こえる声に、シンシアは短く「通しなさい」と返した。
まず入室してきたのは、侍女長ローザだった。
気品のある紫の髪は一切の乱れなく後ろで束ねて纏められ、黒に近いチャコールグレーのタイトな長袖の襟詰ドレスを着用している。左胸ではアイゼン公爵家の家紋が刻まれた銀のブローチが輝き、腰には鍵のついた銀のチェーンを提げていた。
「夜分遅くに恐れ入ります。当離宮の管理を任されております、侍女長のローザ・クランベルにございます」
丁寧に挨拶をしたローザの所作は、貴族らしく気品にあふれていた。
(クランベルといえば確か昔……魔水晶の投資詐欺に遭って、権威を落とした伯爵家の家名ね)
当時、フォレスト商会にも伯爵が何度か融資の申し込みに来てたから、シンシアは覚えていた。
由緒正しき貴族の家門だったから、縁をつなぐために融資の申し出を父は受け入れた。
けれど結局融資したお金は返って来なくて、不機嫌な父がよく愚痴をこぼしていた。
おそらくローザの年齢は、シンシアより五、六歳は上の二十代半ば。公爵家で侍女長を務めているということは、若い頃からそれなりの年数、ここで実務経験を積んでいるのだろう。
(没落寸前の生家を立て直すために、公爵家で長年奉公している。おそらく彼女にとって、雇い主である白夜公は絶対的な存在のはずだ)
この離宮を取り仕切るローザの目を盗んで、毒を盛るのは難しいだろう。そう考えると、忠誠心の高そうなローザは毒殺計画の協力者である可能性も捨てきれない。
思考を巡らせても答えがでないシンシアは、探りを入れてみることにした。
「シンシア・アイゼンよ」
ローザを挑発すべく、シンシアはわざと笑顔でフルネームを名乗った。
もしローザがこの毒殺計画に加担しているなら、シンシアが公爵位の姓を名乗ることに、少なからず嫌悪を示すだろう。
シンシアは悪女の仮面を崩すことなく、ローザの瞳の奥を静かに見つめた。すると動じることなく、ローザもにっこりと微笑み返してきた。怯えるでも、嫌悪を示すでもなく、ごく自然に。
その顔は公私混同せず、職務をまっとうしようとする侍女長の顔だった。
「旦那様の言付けにより、魔法医のレイス先生をお連れしました。つきましては、診察を受けていただきたく存じます」
どうやらローザは、わかりやすく感情を顔に出すタイプではないらしい。公爵家の侍女長を務めるくらいだ、自身の表情の管理くらい出来て当たり前か。
(……白夜公とは別の意味で、感情が読み取りにくいわね)
「……ええ、聞いているわ」
「些末ながら、立会を務めさせていただきます」
侍女長として、それは当然の務めだろう。
廊下で待つ魔法医を呼びに行く際、ローザはチラリとシンシアが食べた食器に目を向けた。空になった食器を見て、ローザは嬉しそうな笑みを浮かべている。
主人の健康を管理するのは、使用人の務めだ。
病み上がりのシンシアがきちんと食事を取れているのは、使用人にとって普通なら喜ばしいことだろう。そう、普通なら。
毒の存在を把握しているかで、その表情の意味が百八十度変わる。
もしローザが共犯者なら、その笑みは『ターゲットが毒を完食した』ことへの、安堵の笑みだ。
だからこそ現状ではローザのその行動を、シンシアは好意的に見ることが出来なかった。
(ローザについては、これから様子を探っていくしかないわね)
それからローザに案内されて、魔法医のレイスが入室してくる。
ふわふわと跳ねた、触り心地の良さそうな淡い金色の髪をポリポリと掻きながら、魔法医は気だるげに欠伸を噛み殺している。
上から白衣を身に纏ってはいるものの、その下はグレーのフード付きチュニックにヨレヨレの黒いズボンという、何とも奇妙な出で立ちをしていた。
(急に呼び出されて、着替える暇すらなかったのかしら……?)
シンシアに見られていることに気づくなり、彼はにっこりと取り繕った笑みを浮かべた。
「魔法医のレイス・バークと申します。無事にお目覚めになられたようで、安心しました」
「ローザ、その方は本当にお医者様でして?」
「はい。バーク医師は確かに、公爵家公認の魔法医であらせられます。魔法医学の分野において、実力は確かなお方です」
侍女長のローザがそう言うのなら、間違いないのだろう。だがしかし――。
「ああ、ご安心ください! こんな格好ですが、きちんと診察器具と常備薬に抜かりはありませんので!」
そう言ってトランクケースを前に掲げるレイスに、シンシアは不安しか感じなかった。
「それでは診察を行いますので、ベッドで仰向けになって、楽な姿勢をお取りください」
指示された通りベッドに移動して、それからシンシアは魔法医レイスの診察を受けた。
「起きてから、身体の調子はいかがですか?」
「特に問題ありません」
それからいくつか一般的な問診を受けたが、特に身体面での異常はなかった。
「では次に、体内の魔力回路検査を行いますね。運ばれてきた時は回路がずだぼろに損傷してて、本当に驚きましたよ」
「……貴方が、治療を?」
「はい! こう見えて僕、凄腕の魔法医ですから」
軽口を叩きながら、レイスはトランクケースから医療用の魔法具を取り出した。それは先に流光水晶プローブのついた、短い指揮棒のような杖だ。
「少量の魔力を流しますので、じっとしていてくださいね。少しひんやりします」
レイスは杖の先端をシンシアの左手に向けると、体内に特殊な魔力を送り込む。送られた魔力は青白く光り、シンシアの体内のにある魔力回路を通っていく。
レイスは魔力の流れを視覚的に確認し、異常がないかを確かめていった。
冷たい水が体内を流れていくような感覚に、若干の気持ち悪さを感じる。シンシアは目を閉じて、検査が終わるのを待った。
「……おや?」
途中で不穏な声が聞こえ、シンシアは「何か問題でも?」と、レイスに尋ねた。










