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偽装悪女シンシアの政略結婚  作者: 花宵


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第4話 偽装悪女の政略結婚

「ここは、どこ……」


 ぼんやりとした視界の先にあったのは、見慣れない天井だった。

 幾重のガラス細工が複雑に組み合わされた、氷の結晶のようなペンダントライトから、白い無機質な光が降り注ぐ。


 自身の置かれた状況を確かめるべく、シンシアはゆっくりと上体を起こした。

 なめらかに肌を滑る冷ややかな感触に驚き、思わず自身の身体に目を落とす。すると着せられていたのは、胸元に控えめなレースがあしらわれた、淡い銀色のネグリジェだった。


 なぜ自分が、このように上質なシルクのネグリジェを着ているのだろうか。ぼんやりとした頭で、シンシアは記憶を辿る。


(確か私は、ヴィスデロペを暴発させて……)


 身体に痛みがないということは、体内に吸い込んだ闇の魔素は中和されたのだろう。もしかすると、かなり長い時間眠っていたのかもしれない。


「目覚めたか、シンシア・フォレスト子爵令嬢」


 隣から突然低い男性の声が聞こえ、シンシアは驚いて肩をびくりと震わせる。まさかすぐそばに人がいたとは思わず、反射的にシンシアは声のした方へ振り向いた。


 寝台のすぐ横。簡素な黒壇の椅子に、冷たい空気を纏った見覚えのある男性が腰掛けていた。


 涼やかで細長い目元に、しなやかに高く通った鼻筋、固く結ばれた薄い唇。まるで磨き上げられた彫像のように整った顔立ちをした男性は、漆黒に近い濃紺の詰襟ロングコートを完璧に着こなし、眉目秀麗という言葉がよく似合う出で立ちをしている。


 特に印象的なのは、上質な絹糸のように美しい銀色の前髪の下から覗く、真冬の澄みきった空を閉じ込めたような深く冷たい青の瞳。じっとこちらに向けられる無機質な眼差しに、シンシアは居心地の悪さを感じていた。


(どうして、白夜公がここに……?)


 国王の右腕と名高い王国騎士団長を務める、フェリクス・アイゼン公爵。優れた氷魔法と剣技の使い手で、神秘的な美しい容姿から白夜公と呼ばれている有名人だ。


 このような大層な人物がそばで監視している。そこから冷静に導き出した結論を、シンシアはゆっくりと口にした。


「私は、処刑されるのでしょうか?」

「どうやらまだ意識が混濁しているようだな。厄災の刻印を持つ者に、そのような処罰は禁止されている」

「……では、どうして貴方がここに?」


 フェリクスは読みかけの本を閉じてサイドテーブルに置くと、懐に手を忍ばせる。


「左手をこちらへ」


 唐突なフェリクスの指示に、シンシアは戸惑った。暴食の刻印の刻まれた手を差し出すことに躊躇っていると、フェリクスは訝しげに顔をひそめた。


「社交場とは、随分印象が違うのだな。いつも自慢げに左手をかざし、皆を脅していたであろう?」


 確かに社交場のシンシアしか知らないフェリクスにとってみれば、そう疑問を抱くのも無理はないだろう。

 現状自身の置かれた状況を把握するためには、フェリクスの指示に従う他ない。覚悟を決めたシンシアは、指示どおり彼の方へ左手を差し出した。


 するとなぜかフェリクスは、一切の装飾を排したプラチナの指輪をシンシアの薬指に嵌めた。

 どうやらその指輪には魔法が付与されているようで、シンシアの指に沿うようにサイズを変え、ぴったりと装着された。


「王令により、君の新たな管理者に任命された。それに伴い、君を妻に迎えることとなった。これにて婚姻成立だ」


 指に嵌められた冷たく輝く指輪とフェリクスの顔を交互に見て、シンシアは内心焦りを滲ませる。


(よりにもよって、どうしてこの人なの……白夜公は、コーデリアが憧れていた人じゃない! もしこの事実を知られれば……)


 想像しただけで、背筋が寒くなった。ブレスレットを燃やした時の、あの恍惚としたコーデリアの笑顔が脳裏をよぎる。


「…………安心しろ、君に公爵夫人としての務めは求めない。この離宮で好きに過ごしてくれ。何か足りないものがあれば、侍女に言うといい。用意させよう」

「あ、貴方は……それでよろしいのですか?」

「王令だ。俺に拒否権はない」


 無機質なフェリクスの青い瞳からは、なんの感情も読み取れない。

 ただ与えられた任務を着実に遂行する、人形のように見えた。


 だったら、自分が拒否すればいい。どうせ世間からは悪女と思われているのだ。我儘を言っても不審には思われないだろう。


 そう結論づけたシンシアは、「わたくしは嫌ですわ」と声を荒げ、指輪を外そうと試みる。しかし指にぴったりと装着された指輪は、全く取れなかった。


「無駄だ。一度装着した指輪は、俺が解除するまで外れない。その指輪には位置情報が記録される。もし許可なく公爵家の敷地外に出れば、すぐにでも連れ戻されると思ってくれ」


 そう言って、視線を入り口のドアに向けたフェリクスは、さらに言葉を続けた。


「そして外にはもちろん、護衛を待機させている」


 見張りの緩い子爵家と違って、公爵家の監視はそう甘くないようだ。その上、こんな魔法具まで使うなんて……。


(結局、閉じ込める檻が変わっただけじゃない。しかも以前よりほころびのない頑丈な牢屋なんて、笑えないわ)


 シンシアは、忌々しい指輪に視線を落とす。

 この指輪をどうにかしない限り、逃げることは不可能だ。

 必然的にフェリクスの協力がなければ、他国へ亡命するというシンシアの目的は叶わない。

 とはいえ真面目な白夜公が、そう簡単に協力してくれるはずもない。

 まともに交渉しても無駄だ。だったら――感情に訴えるしかない。


(彼が私を、心底憎むように仕向ければいいんだわ)


 殺したいほど嫌われる悪女になれば、そこに交渉の余地が生まれる。

 シンシアが誰かを憎んで死ねば、おぞましい厄災が王国を呑み込んでしまう。だから誰もシンシアを、直接手にかけることができない。


 それはフェリクスも同様だ。

 だからこそ、フェリクスが我慢の限界を迎えた時、『私を殺して自由にならないか』と死の偽装を持ちかければ、彼も喜んで協力してくれるだろう。


 方針は決まった。

 本当の自由を手に入れるために、シンシアは悪女を演じることにした。


「それとこれを。陛下から、君に渡してくれと預かってきた」


 思考を切り替えたシンシアの前に、フェリクスがアクセサリーボックスを差し出した。蓋を開けると、雫型のネックレスが入っていた。一際目を引く珍しい瑠璃色に輝く宝石は、見る者の心を奪う息を呑むような美しさだった。


「これは……?」

「深海の涙。夜会で君が陛下にねだっていたものだ。どうかこれで気持ちを静め、この婚姻を受け入れてくれと仰られていた」


 そもそも深海の涙は父に命令されて陛下におねだりしただけで、シンシアの欲しいものでもなんでもなかった。

 しかし換金すれば、かなりの価格になるのは間違いない。今は亡命資金として受け取っておくのが、妥当な判断と言えるだろう。


(陛下に理不尽な任務を任されて、この方も被害者かもしれないけれど……手段は選んでいられない。利用させてもらうわ)


 シンシアは悪女らしく口角を吊り上げ、言葉を返した。


「仕方ありませんね。陛下の温情を、受け入れますわ」


 父に嫌になるほど練習させられた、悪女としての笑い方。それがまさかこんなところで役に立つなんて、あまりにも皮肉だった。


 それでも……たとえどんな手を使ってでも、必ずここから逃げ出してみせる。そう誓って、シンシアはフェリクスを試すために、わざと我儘を口にした。


「公爵様。わたくし宝石が好きなの。もっとたくさん欲しいわ」

「後日、宝石商を呼んでおこう。好きなものを買うといい」


 淡々とそう返事をするフェリクスからは、一切の動揺や苛立ちも見られない。


(なるほど、これくらいは想定内なのね)


 宝石が好きだと示しておけば、さらなる亡命資金を手に入れる機会が増える上に、強欲な女だとアピールできる。

 それに現金化が難しい現状としては、高価な宝飾品は使用人を懐柔して情報を聞き出す賄賂に使える可能性もある。


「ありがとう。でもせっかくなら、外へ買いに行きたいですわ」


 口角を上げて微笑みを作ったシンシアは、あわよくば外出の許可を取り付けようと試みる。


「君は二週間も眠っていた。まだ無理はしない方がいい」


 しかしフェリクスの意外な言葉に、シンシアは思わず目を丸くする。


(まさか、体調を気遣ってくださるなんて……)


「そ、そうですわね」


 とっさの切り返しがうまくいかず、声が不自然に裏返ってしまった。


「医者の許可が下りたら、その時は俺も同行しよう」


 限定的に許可はくれたけど、強力な監視付き。

 これは想定外だと、シンシアは心の中で頭を抱える。


 しかしここでボロを出すわけにはいかない。

 悪女シンシアは陛下みたいに頼みごとを聞いてくれる人に対しては、好意的な態度を取っていた。

 何でも買ってくれるパトロンを連れ回せるのなら、喜ばないと不自然だ。


「まぁ、嬉しいですわ! これからどうぞ、よろしくお願いしますね。旦那様」


 胸の前で手を打って、シンシアは大げさに喜びを表現してみせた。


(きっとわざとらしく媚を売る女に、良い感情は持たないわよね)


 フェリクスは視線を一切逸らすことなくこちらを観察し、間を置いて「ああ」と一言、短く返事をした。

 微動だにしないフェリクスの無表情からは、やはりなにも感情は読み取れない。


「夕食は部屋へ運ばせよう。今日はゆっくり休むといい」

「ええ、わかりました」

「医者を手配しておくから、診察は受けてくれ。それでは、失礼する」


 用件を告げると、フェリクスは足早に部屋から退出した。


 しんと静まりかえった室内で、シンシアはどっと疲れを感じていた。

 悪女を演じるのは、普段使わない表情筋を使う。そのためシンシアにとって、かなり神経をすり減らす作業だった。


 しかも今回、相手の反応が薄すぎて、成功の手応えさえ感じない。

 すべて見透かされているようなフェリクスの無機質な眼差しを前に、ボロが出ないかと緊張が増すばかりだった。

 結局話してみても、自身の置かれた状況以外、誰もが知っているような情報しか引き出せなかった。


(わかりやすく、嫌悪や怒りでも示してくれれば、多少は扱いやすいのに……正直、やりにくい相手ね)


 こうして、本当の自由を求める偽装悪女シンシアの、命懸けな亡命作戦の火蓋が切られた。

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