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わたくしを殺して、自由になりませんか?~偽装悪女の政略結婚~  作者: 花宵


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第34話 偽装悪女は義妹と遭遇する

 北嶺の山荘へ向かう当日の朝。

 シンシアは出発前の身支度を整えてくれたセイラに、とあるお願いをした。


「セイラ、これを貴女に預けておくわ」


 チェストから取り出した手紙を、シンシアはセイラに手渡した。

 しかし宛先の書かれていない手紙を見て、セイラが首を傾げる。


「どなたに郵送されるものですか?」

「どこにも出さなくていいわ。旅行が終わったら、公爵様に渡してほしいの」

「旦那様に? それならご自分で手渡された方が……」

「……ええ。わたくしも、そうしたいつもりよ。でも……」


 シンシアは言葉を切り、窓の外に広がる薄暗い空を見つめた。


「万が一、わたくしが直接伝えられなかった時のための、保険よ。……預かってくれるかしら?」


 ただならない気配を感じ取ったのか、セイラは受け取った手紙とシンシアの顔を交互に見て、力強く頷いた。


「承知しました。シンシア様が戻られるまで、私が大事にお守りします」


 その時――コンコンと、ノックが二回鳴った。


「シンシア様。荷物の詰め込みが完了しました。外で旦那様がお待ちです」


 扉越しに声をかけてくるローザに、シンシアはすっと背筋を伸ばして答えた。 


「ええ、今行くわ」


 扉のノブに手をかけたシンシアは、振り返らず、後ろに控えるセイラにだけ聞こえるような小さな声で、そっと告げた。


「……セイラ。わたくしが帰ったら、また美味しいお茶を入れてちょうだいね」

「――っ、もちろんです! どうかお気をつけて!」


 セイラの必死に涙を堪える声に、シンシアは答えなかった。

 ただ一度だけ小さく頷き、重厚な扉を押し開けた。


 廊下に出ると、外套を纏ったローザがこちらを見て一礼した。


「例のものは、用意できて?」

「はい。服の下に忍ばせております」


 歩きながら確認を取ると、ローザは声を潜めて深く頷いた。


「じゃあ、行きましょう。汚いものを、片付けに」


 離宮の外に出ると、石畳の上に響く、規律正しい軍靴の音。そして、肌を刺すような研ぎ澄まされた緊迫感が漂っていた。


「――北門を超えたら、宿場町まで兵站の補充は効かぬ。各自、携行品を再検し、騎馬の足並みに万全を期せ」


 春の陽気を切り裂くような、凛と透き通った低い声。

 そこには、王国の守護者たる騎士団長の正装に身を包んだフェリクスが、部下たちに指示を出している姿があった。

 夜の(とばり)を形にしたような、深く艷やかな濃紺の騎士服。冷たい輝きを放つ、白銀の刺繍が襟元から袖口まで緻密に施されている。


 こちらに気づいたフェリクスが身を翻すと、濃紺の表地の重厚なマントがひらりと揺れ、白銀のサテンの裏地を閃かせた。

 襟元を飾る雪のように純白のファーと相まって――その深い夜に輝く月光を纏うような美しい姿は、まさに彼が『白夜公』と呼ばれる所以だった。


 自然と皆の視線がシンシアに集まる。

 部下たちへの指示を終えたフェリクスが、迷いのない足取りでシンシアのもとへ歩み寄ってきた。


「……準備はいいか?」

「ええ、もちろんですわ」


 シンシアが不敵に微笑むと、フェリクスは小さく頷き、背後に控える部下たちに視線を向け、命令を下す。


「――これより、出発する。全員、配置につけ!」


 その号令が飛んだ瞬間、空気が震えた。


 「はっ!」という騎士たちの短い返事を皮切りに、軍靴の音と鉄の鎧が鳴る音が、重厚な音楽のように響く。しかしその音は、すぐにピタリと止んだ。

 目の前では豪華な馬車を囲むようにして、機能性に優れた、漆黒のハーフプレートに身を包んだ公爵家の私兵たちが、騎乗し待ち構えている。


 フェリクスはこちらに向き直ると、革手袋に包まれた大きな右手の掌を、そっと上に向けて差し出した。

 シンシアが指先を添えると、フェリクスはその手を優しく包み、先導するようにゆっくりと馬車へと歩き出す。


(すごい護衛の数ね……でも、証人は多いほうがいい)


 シンシアはそのままエスコートされて、馬車に乗り込んだ。

 フェリクスはいつものように、奥の上座の席を譲ってくれた。けれど彼は正面ではなく、隣の席に腰を掛けた。

 馬車が走り出すと、フェリクスは懐から地図を取り出し、目的地までの経路を説明してくれた。


「王都の北門を出る前に一度、昼食休憩を取る。それから今夜は北山麓の宿場町で一泊し、翌日の早朝から裏側へ回る旧街道に入る予定だ。子爵家の山荘には、明日の昼過ぎ頃には着くだろう」


 地図から顔を上げたフェリクスは、「移動が辛くなったら、すぐに言ってくれ」と付け加えた。


「ええ、お気遣いありがとうございます」


(さすがに夜通し馬車を走らせるわけにはいかないし、仕方ないわよね)


 そうして出発して数時間、シンシアたちを乗せた馬車は王都の中心部を抜け、北方へと向かう。

 すると馬車の窓から見えたのは、堅牢な石造りの建物。その白銀の尖塔は王都の北方を守護するために造られた、光の女神を信仰する大教会だ。

 そこは悪魔を連想させる容姿を持つシンシアが、入ることさえも厭われる場所だった。


『お姉様の分まで、私がしっかりと施しをしてきてさしあげました』


 慈善活動を終え帰宅したコーデリアに、いつもそう言われたことを思い出す。


「王都を出る前に、祈りを捧げていくか?」


 シンシアの視線の先を辿って、フェリクスが声をかけてくる。


「ご冗談を。わたくしが行ったところで、門前払いですわ」

「光の女神は、皆を平等に照らす存在だ。誰かに…………そう、教えられたのか?」


 躊躇いがちにかけられた言葉に、シンシアは首を傾げる。


「人々の視線や態度を見れば、それは一目瞭然かと。それより公爵様、わたくしお腹すきましたわ」


 面倒な話題を切り上げ、シンシアは話を逸らした。

 その後ほどなくして、最初の休憩所に着いた。

 王都の北方で人気の高級料理店で、シンシアはフェリクスと共に昼食を取った。


 大げさな護衛と、眉目秀麗な白夜公。そして厄災の悪女という組み合わせは、あまりにも目立ちすぎた。

 歓迎されていない居心地の悪さを感じながら店内に入り、個室で取った食事は、正直あまり味がしなかった。


 食事を終えたシンシアは、足早に店を出ようとする。

 しかし格式高いエントランスの一角で、ある物に目を奪われ、ふと立ち止まった。

 アンティークの木製の飾り棚の中で、お洒落なガラス瓶に詰められた、春の陽光を浴びて煌めく紫色の結晶――。


(……お母様がよく作ってくれた、大好きなお菓子)


 吸い寄せられるように、シンシアはその飾り棚へと歩み寄った。

 まばたきすら忘れて、その紫色の結晶を凝視する。


 棚に並ぶスミレの砂糖漬けを見つめながら、シンシアは無意識に、自身が纏う上質なドレスの袖を指先でなぞった。


「……何を見ている」

「……! いいえ、なんでもありませんわ」


 フェリクスの声に弾かれたように顔を上げ、シンシアは慌てて視線を逸らした。


「あら、お姉様?」


 ちょうどその時、耳に届く鈴の音を転がしたような甲高い声。振り返ると、入口にはコーデリアが立っていた。

 慈善活動の帰りらしく、清楚なドレスを纏ったコーデリアの背後には子爵家の侍女と護衛の姿がある。


(まさかこんなところで遭遇するなんて……最悪だわ)


 シンシアの背後に立つフェリクスを見つけるなり、コーデリアは頬を赤く染めた。


「アイゼン公爵様。このような場でお会いできるなんて、光栄ですわ。姉がいつもお世話になっております。妹のコーデリア・フォレストと申します」

「……フェリクス・アイゼンだ」


 優雅にカーテシーをするコーデリアに、フェリクスは形式的に短く挨拶を済ませた。


「まぁ、これは魔女の作ったお菓子じゃない!」


 シンシアの前にある飾り棚を見て、大きく目を見開いたコーデリアは、悲しそうに眉根を寄せてフェリクスに詰め寄る。


「公爵様。あのようなものに心を寄せるなんて、姉はまだ魔女に洗脳されているようですわ。せっかく私が忌まわしい品を燃やして浄化してさしあげましたのに……」


 その言葉を聞いて、フェリクスの眉がピクリと動いた。


(何度聞いても不快な、歪んだ善意の押し付け。この子にとって私はいつまでも、自分を輝かせるための可哀想な姉なのね……)


 子爵家を出た身として、シンシアにはもうその歪んだ善意の押し付けに、黙って耐える必要性を微塵も感じなかった。


「コーデリア、そんなところで大声を上げるなんてお店に迷惑よ。子爵家の令嬢として、恥ずかしくありませんの?」


 コーデリアの口からよく聞いた、『子爵家の令嬢』としてのプライド。それを自身で貶めていることさえ見えていないコーデリアに、シンシアは悪女の笑みを浮かべて諭した。


「わ、私はただ……お姉様のためを思って……!」

「そういうの、『おしつけ』っていうのよ。心配してなんて、わたくしは一度たりとも頼んでないわ」

「か、家族ですもの! 心配して、当然ですわ……っ!」

「家族、ねぇ。わたくしはもう子爵家を出た身。今の家族は、()()()()()よ」


 シンシアは妖艶に微笑み、フェリクスの逞しい腕を『わたくしのもの』だと誇示するように抱きしめる。

 ガチガチに硬直したフェリクスに「行きましょう、()()()」と耳元で囁き促すと、フェリクスはようやく「ああ、そうだな」と返事し歩き出した。


「それじゃあ、ごきげんよう」


 悔しそうに唇を噛みしめ、今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くすコーデリア。その瞳には、自分の『善意』を無下にした姉への、歪んだ憤りが宿っていた。

 シンシアはそれを横目に、心地よい満足感をヒールの音に乗せ、店を後にした。

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