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わたくしを殺して、自由になりませんか?~偽装悪女の政略結婚~  作者: 花宵


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第33話 偽装悪女は侍女長を懐柔する②

「グスタフね……あの男に脅されたのでしょう?」


 シンシアが名前を出すと、ローザは大きく目を見開き、震える声でぽつりぽつりと事情を話してくれた。


 離宮の侍女長に抜擢され、ローザが誇りを持って着任した直後――グスタフに過去の『借用書』を突きつけられ、脅されたのだという。


(……やっぱり。あの時の『焦げ付いた融資』ね)


 かつてグスタフがクランベル家に貸し付け、事実上の貸し倒れになっていた不良債権。それをグスタフは、金ではなくローザを『手駒』にして回収することにしたらしい。


 利子により膨れ上がった借金は、一介の侍女の稼ぎでは到底返せない額になっていた。

 懸命に返済を続けても元金は一向に減らず、やがてその矛先は家族へと向けられた。このままでは妹や弟たちの未来まで壊すと脅され、ローザは焦っていた。


 そこへ全てを帳消しにする条件として提案されたのが、シンシアに少量の薬を盛り、弱ったところを外に連れ出せという命令だった。

 しかしここに来て、「旅行の前に薬の量を増やして確実に弱らせろ」と、命令がエスカレートしたのだという。


「本当に……申し訳ありません……っ、でした……家族を守るには……もうこうするしか……」


 涙を流して許しを乞うローザに、シンシアは冷ややかな視線を浴びせ、吐き捨てるように言った。


「馬鹿な女ね」

「…………っ」

「言いなりになれば、本当に解放されるとでも思っているの? あの男が、そんな甘い人間に見える?」


 ローザの顔色が蝋のように白くなった。

 彼女とて、心のどこかで分かっていたはずだ。グスタフという男が、一度手にした駒をそう簡単に手放すはずがないと。

 シンシアは畳み掛けるように、あえて残酷な未来を提示する。


「一度弱みを握れば、骨の髄までしゃぶり尽くす男よ。『妹を娼館に売れ』『臓器を提供しろ』『公爵家の情報を流せ』……きっと要求は際限なく、どんどんエスカレートするでしょうね」


 悪夢を並び立てられ、ローザの目が暗い絶望に染まる。ガタガタと身体を震わせ俯くローザを見て、シンシアは静かに立ち上がった。


 ゆっくりとした足取りで、震えるローザの眼前まで歩み寄ると、シンシアは持っていた扇子の先端を、俯くローザの顎にあてがい、くい、と強引に持ち上げた。

 そして、強制的に視線を合わせる。


「貴女、一生そんな搾取され続ける人生でいいの?」


 シンシアの問いかけに、ローザの唇がわなわなと震える。

 いいわけがない。悔しくて、情けなくて、本当は叫びたいほど憎んでいるはずだ。かつての自分と同じように――。


「嫌だ……っ。私は、公爵家に誇りを持って仕えてきたのに……こんな汚い真似、本当はしたくない……っ!」


 絞り出すようなローザの本音を聞いて、シンシアは口角を釣り上げた。それは絶望に沈むローザの瞳に、ようやく『怒り』の炎が灯ったからだ。


「だったら、戦いなさい」

「……戦う?」

「泣いて詫びる暇があるなら、牙を研ぎなさい。わたくしに毒を盛る度胸があるなら、飼い主の喉笛を食いちぎるくらいの、気概を見せろって言ってるのよ」


 そう言い放ち、シンシアは顎に当てていた扇子をスッと引いた。拘束を解くように一歩下がり、改めてローザを見下ろす。

 その堂々たる立ち姿と圧倒的な存在感に、ローザは息を呑んだ。


「わたくしにつきなさい。貴女を縛る、汚い鎖を断ち切ってあげるわ」

「…………え?」

「先日の夕食会、貴女はわたくしの望み通り完璧に仕上げた。わたくしは、貴女のその『腕』を高く買っているのよ」


 シンシアは自身の艶やかな髪を、扇子で優雅に指し示した。


「……どうして、ですか?」


 ローザは震える声で、シンシアに問いかける。

 たかがそれだけの理由で、この重罪が許されるわけがないと。


「私は、奥様を害した裏切り者です。処罰されて当然の身なのに……なぜ、そこまで」

「あの男の思い通りにさせるのが、癪なだけよ」


 シンシアは冷ややかに、けれどどこか楽しげに目を細めた。


「わたくし、我が儘なの。優秀な駒をみすみす敵にくれてやるなんて、我慢ならないわ」

「…………」


 そのあまりに理不尽で、力強い理屈に、ローザは瞬きを繰り返す。


「だからこれは、単なるわたくしの所有欲(エゴ)よ」


 シンシアはあくまで悪女として、傲慢に言い放った。

 身勝手な『善意』が、どれほど相手の心をえぐり、惨めな気持ちにさせるのか。シンシアは義妹コーデリアのせいで、痛いほど知っている。


 だからこそ、同情などしない。

 今必要なのは、哀れみではなく、その価値を認める『執着』だと信じて。


「ですが、……借金は膨大な額で……借用書がある限り、私は……」


 その言葉を聞いて、シンシアは鼻で笑った。


「貴女、忘れたの? わたくしが『何』を使役しているか」

「…………っ」

「わたくしは『暴食』の刻印を宿す女よ? 国一つ滅ぼせるわたくしが、たかが家一つの借金ごときに手こずると思って?」


 シンシアは扇子を広げ、口元を隠してスッと目を細めた。


「紙切れ一枚、金庫一つ、屋敷一軒。わたくしの『ヴィスデロペ』の前では、等しく餌にすぎないわ。ぜーんぶ、喰らい尽くしてあげる」


 借金も、脅しも、グスタフの野望も。それは全てを無に帰す、災害級の解決策。

 パチンと音を鳴らしてシンシアは扇子を閉じると、唖然とするローザに向けて、ゆっくりと手を差し伸べた。『暴食』の刻印が刻まれた左手を――。


「好きな方を、自分で選びなさい。あの男に一生怯えて暮らすか、全てを喰らう『怪物』の共犯者になるか」


 それは救いの手ではない――怪物と共に歩む、共犯者への招待状だ。

 シンシアの白磁のような左手の甲には、禍々しい漆黒の刻印が浮かび上がっている。

 獲物を喰らい尽くさんとする猛獣の『(あぎと)』を模した紋様――それは見る者に原初的な恐怖を植え付ける。

 七つの大罪の一つ、『暴食』の厄災を背負う者の証。


 ローザは涙を拭うと、じっと差し出されたシンシアの左手を見つめた。

 やがて、その瞳から迷いの色が消える。

 ローザは震える手で、シンシアの手を両手でぎゅっと握り返した。そこには、確かな意思が込められている。


「……私の全てを賭けて、シンシア様にお仕えいたします」


 その声には、先程までの弱々しさは微塵もなかった。

 シンシアは掴んだ手をぐいと引き寄せ、ローザの体を無理やり自身に密着させた。

 そして戸惑うローザの耳元に唇を寄せ、甘い毒を注ぐように囁く。


「良い返事ね。――契約成立よ」


 ヒュッと息を呑む気配が伝わる。だが、ローザは逃げようとはせず、深く頷いてみせた。

 シンシアは体を離すと、今度は主としての威厳を込めて命じる。


「お父様には、『計画は順調』と報告なさい。決してこちらの情報を漏らしてはだめよ」

「かしこまりました。必ずや、あの方を欺いてみせます」

「それから――今回の旅行、貴女も同行なさい」

「セイラではなく、私がですか?」


 予想外の言葉に、ローザが顔を上げる。

 シンシアは口の端を吊り上げ、試すように目を細めた。


「現地で、貴女に任せたい『役目』があるの」


 その瞳の奥にある意図を読み取ったのか。ローザは一瞬だけ目を見開くと、すぐに居住まいを正し、深く頭を下げた。


「……この身に代えても、成し遂げます」


 顔を上げたローザの表情からは、すでに迷いも怯えも消え失せていた。

 憑き物が落ちたように晴れやかなその顔は、ただの駒ではなく、誇り高き侍女のものだ。


「では、下がりなさい。……ああ、忘れるところだったわ」


 シンシアはテーブルの上に残された籠――紫色の毒花が入ったそれを、扇子でポンと叩いた。


「その『ゴミ』も、貴女が処分しておいてちょうだい」

「……はい。跡形もなく、処理いたします」


 ローザは籠を抱え上げると、今度はもう震えることなく、しっかりと胸に抱いた。

 それはかつてローザを縛っていた恐怖の象徴だった。しかし今はもう、ただの枯れゆく雑草に過ぎない。


「それでは、失礼いたします」


 退室していくローザの背中は、部屋に入ってきた時とはまるで別人のように力強く、頼もしく見えた。


(お父様、貴方は甘く見すぎています。人の『感情』は、脅すだけでは縛れない。人を資源のようにしか考えられない貴方には、きっと一生わからないものでしょうね……)


 シンシアは窓の外に広がる夕闇を見つめ、静かに微笑んだ。

 反撃の準備は整った。

 いよいよ明日、決戦の地となる北嶺の山荘へと出発する。

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