第30話 偽装悪女は白夜公の秘密を知る②
「……やはり、そうですのね」
シンシアはわざと冷たく言い放つ。決して落胆を悟られないように、高慢で我儘な悪女が、心底軽蔑する眼差しを向けるように、フェリクスを睨みつける。
「公爵様ともあろうお方が、まさかご自身の魔力の制御もままならないなんて。……これでは、『管理者』の名が泣きましてよ」
最終手段だ。こうなったら手を付けられない悪女を演じて、何が何でも旅行の許可を取るしかない。
シンシアの突き刺すような視線を浴びたフェリクスは、弾かれたように顔を上げた。その顔はなぜか、先程よりもさらに深い紅に染まっている。
「……っ、ち、違う! 制御できなかったのは認めるが……悪い知らせでは、ないのだ」
「あら、往生際が悪いですね。わたくしを病人に仕立て上げて、またこの窮屈な箱庭に閉じ込めるおつもりでしょう?」
許可をくれるまで、シンシアは攻撃の手を緩めない。
「ぎ、逆だ! レイスは……その、今の君は……かつてないほど健康だと言っていた」
「…………は?」
じゃあなぜ目の前の男はこんなにも狼狽えているのか、シンシアには意味がわからなかった。
「……旅行の許可は、取れまして?」
「ああ、もらった」
(……私は一体、何と戦ってたの?)
拍子抜けしたシンシアは、毒気を抜かれたように椅子に深く背を預けた。
必死に牙を剥いて噛みついた結果、返ってきたのは望み通りの勝利だ。
それなのに、目の前の男があまりに真っ赤になって縮こまっているせいで、まるで自分が一方的に無害な小動物をいじめたような、奇妙な罪悪感が込み上げてくる。
「最初から、そう仰ってくださればよかったのに……」
「……すまない。その、あまりに君が、昨夜のことを……あっさりと口にするから……」
思わず漏れてしまったシンシアの本音に、フェリクスは逃げるように視線を落とした。
(……あっさりと口にする? 何か変なことを言ったかしら?)
シンシアは怪訝に思い、自身の記憶の糸をたぐり寄せた。
ブレスレットを付けてもらった直後、馬車が急停止した。
前に投げ出されたシンシアの身体をフェリクスが抱きとめ、思いがけず色仕掛けしたような形になってしまった。
すると今のようにフェリクスが顔を真っ赤にして、突然車内が極寒の冷気に包まれた。
『……おいしい……ソルベ……』
(そうよ! あの時、左手が疼いて……白夜公の魔力をデザートとして、美味しく食べたじゃない!)
甘美で清らかなソルベのように美味しい魔力――身体が元気なのはきっと、フェリクスの純粋な魔力に一切の悪意がなかったからだ。
しかもあろうことか、その甘美な味に酔いしれて……それだけでは満足できず、悪食は直接、フェリクスから魔力を吸い取った。
(白夜公の顔が赤いのは、私が魔力を吸い取りすぎたせいでは……⁉)
シンシアからサーッと血の気が引いた。
マナーなど気にする余裕もなく、慌てて席を立ったシンシアは、縋るようにフェリクスのそばに駆け寄った。
「申し訳ありません! 顔色が赤いのは昨夜、私が貴方の魔力を吸い込みすぎたせいですよね⁉」
悲痛な面持ちで、シンシアは震える手を伸ばし、フェリクスの頬に触れた。
指先に伝わるフェリクスの熱に、シンシアの脳裏にある記憶が鮮烈に蘇る。
幼い頃、母のエレノアは、シンシアが喜ぶからとよく氷魔法で小さな花や氷菓子を作ってくれた。
けれど、無理をして魔法を使いすぎた翌日、母は真っ赤な顔をして寝込んでしまった。
『ごめんね、シンシア。少し……魔法を使いすぎて、お熱が出ちゃったみたい』
そう言って力なく笑う母の細い手。あの時の、自分のせいで大切な人が壊れてしまうのではないかという、身を切るような恐怖がシンシアを襲う。
(私は、なんてことを……っ)
「公爵様、どうかお休みになってください! 今すぐバーク医師を……!」
視界が涙で滲み、足元が震える。
俯くシンシアの手を、フェリクスの大きな掌が優しく包み込んだ。
「……シンシア、落ち着け。俺は大丈夫だ」
椅子に座るフェリクスを覗き込むような形になり、至近距離で視線がぶつかる。
フェリクスの瞳の奥には、深くて温かい、慈しみが宿っているように見えた。
「……熱いのは、魔力を失ったせいではない。これは、その……照れているだけだ」
「…………え?」
シンシアは涙を浮かべたまま、ポカンと口を開けた。あの冷徹な白夜公が、照れている?
あまりに想定外の言葉に、シンシアの頭が真っ白になる。
「……本当だ。それに君は、俺を傷付けたんじゃない。救ってくれたんだ」
「救った……?」
そんなこと、あるはずがない。
信じられずに呆然と呟くシンシアの頬を、フェリクスの指先が掠めた。目の端に溜まった涙を拭われ、シンシアはハッとして我に返る。
立ち上がったフェリクスに背を支えられ、ゆっくりと向かいの席へ座るようエスコートされた。
「一度座って、落ち着こう。昨夜のことも、俺の身体のことも、きちんと説明させてくれ」
促されるまま椅子に座らされたシンシアは、そこでようやく自分の状況を理解した。
泣きながら、食事のマナーも忘れてフェリクスに詰め寄り、あまつさえその頬に触れて離さなかった自分の醜態。
(うっ……今すぐこの床を突き破って、どこか遠くへ逃げ出したいわ……!)
カッと顔が沸騰するように熱くなり、シンシアは慌てて扇子を広げて顔の半分を隠した。
フェリクスはこちらの様子を伺いながら、少し言い淀んで口を開いた。
「……俺は『魔力過多症』という持病を持っている。年々強まる魔力が身体を冷気で蝕むから、定期的に発散させなければならないのだ」
「魔力……過多症……? じゃあ、昨晩あまり食事に手をつけていらっしゃらなかったのは……」
シンシアの言葉に、フェリクスは少し気まずそうに目を伏せた。
「昨日は忙しくて、発散させる時間が取れなかった。だから、魔力が外に漏れないよう抑えていたんだ。だが、あんなことになってすまない」
シンシアの扇子を握る手に、力がこもる。
病気で苦しんでいたとも知らず、『管理者の名が泣く』などと、傷つける言葉を投げつけてしまった。
「……こちらこそ、理由も知らずに罵って、悪かったですわ」
(この離宮は、そのために作られた場所だったのね……)
離宮を探索した時にニナが言っていたことを思い出し、シンシアはそっと目を伏せた。
「君が俺の身体を蝕んでいた余剰魔力を吸い取ってくれたおかげで、ここ数年で一番体調がいい。だから謝る必要はない、君は俺を救ってくれたんだ」
「救った……わたくしが、公爵様を?」
シンシアは唖然と己の左手を見つめた。
この悪食は、これまで多くのものを壊し、奪い、自分自身をも傷つけてきた。
(白夜公が規格外の魔力を持っていなければ、きっと私はそのまま、この力で彼を……)
並の人間であれば、昨夜の奔放な暴食に耐えきれず、命ごと吸い上げてしまっていただろう。
その恐怖にシンシアが身を震わせた時、フェリクスが優しく言葉を重ねた。
「それで、レイスの診察の結果……どうやら俺たちは、魔力の相性が良いらしい。そのシナジー効果で、君の体内にあった古傷や損傷までもが、綺麗に回復したと言っていた」
「シナジー効果……わたくしの傷まで、癒えたというのですか?」
「ああ。俺の魔力は、君にとってだけは害ではないようだ」
「そう、ですか……」
にわかには信じがたい話だが、確かに自分の体調も整っている。それにフェリクスが普段より表情豊かなのも、魔力が身体を蝕んでいないからなのだろう。
「それで許可が出たのだ。だから三日後、約束通り北嶺の山荘へ向かおう」
(……なんて皮肉で、残酷な巡り合わせなのかしら。私はこの方を、利用しないといけないのに)
父の悪事を暴いて断罪するために、シンシアはこの最強の騎士団長を『証人』という名の盾にするつもりだった。
それなのに、利用する相手からこれ以上ないほどの救いを与えられてしまった。
(……罪深いのは、私の方ね)
それでも、ここで引くことはできない。
シンシアは扇子をパチンと閉じると、あえて不敵な笑みを浮かべて返事をした。
「ええ、楽しみにしておりますわ」










