第3話 偽装悪女の逃亡計画②
「侍女が教えてくれました。お姉様が帰宅後、こっそり何かやってることを」
コーデリアは、強張るシンシアの手から音もなく布袋を抜き取ると、無造作に逆さまにした。
バラバラと、中身が散らばって床に落ちる。
「まさか売り物のドレスから、姑息にも宝石をくすねていたなんて。悪いことをしたんだから、お父様に叱ってもらわないといけませんね」
そう言って、コーデリアは部屋から出ていった。
すると事情を聞いた父が、すぐさま部屋に駆けつけてきた。床に散らばったパールから真紅のドレスに視線を移した後、振り返った父はこちらに鋭い視線を向けてくる。
「シンシア、お前……何を企んでいる?」
どうせ何を言っても無駄だ。それでも、本当の目的だけは悟られるわけにはいかない。
苦肉の策として、限りなくばれにくい二番目の理由を真実と思い込ませることにした。
「ただ、お金が欲しかっただけです」
「何に使うつもりだ?」
「……お母様にお花を。もうすぐ、命日ですので」
本当は父の前で、母の話題を出したくなかった。目的を隠すためとはいえ、母を口実にしてしまったことにシンシアの胸がチクリと痛む。
それでもこう言えば、父は信じざるを得ないだろう。
「異端思想を植え付けた魔女のことなど、いいかげん忘れろ!」
(ああ、この人は本当に嫌いだ。それでも、わかりあえない思想の持ち主でよかった)
案の定父は、ドレスから宝石をくすねたことより、いまだに母を大切に思うシンシアの思想に怒りを募らせた。
目的の論点をずらせたことにシンシアは安堵するも、
「違うわよね、お姉様。だってこれが初めてでは、ないのでしょう?」
コーデリアのその質問で、全てが無駄になってしまった。
「どういうことだ、コーデリア」
「私、心配だったんです。お姉様が最近、何かを隠しているようでしたから……それで侍女に調べさせたら、まさか『家出』の準備をなさっていたなんて」
コーデリアは、さも心配そうに眉を下げ、潤んだ瞳で父に訴えかけた。
「お父様。世間知らずの無能なお姉様が、外の世界で生きていけるはずありません。お金をもたせたところで、悪い人に騙されて、野垂れ死ぬのがオチですわ」
「……ふむ、確かにそうだな」
「ええ。ですから愚かな過ちを犯す前に、私たちが『管理』して差し上げなくては。それが家族としての『愛』ですわ」
いつもこうだ。コーデリアは一番最悪のタイミングで、シンシアの希望を摘み取り、それを『歪んだ善意』で包んで押し付けてくる。
「よかったですね、お姉様。私が気づいて差し上げなければ、今頃露頭に迷っていましてよ?」
そう言って微笑むコーデリアの顔は、あまりにも無垢で、一点の曇もなかった。純粋な慈愛に満ちたその笑顔が、シンシアには恐怖で仕方なかった。
もしこの世に本当に悪魔が存在するのなら、コーデリアのような姿をしているのかもしれない。清楚で天使のような美しい容姿で人々を欺き、その内面には相手を支配して快感を得る、恐ろしく独善的な『救済の論理』を秘めているのだから。
「そんなこと、頼んでない……っ」
シンシアが絞り出すように抗議すると、それを見ていた父が、底冷えする声で割って入った。
「……やれやれ、外の世界で生きていく? 『化け物』のお前がか?」
父は呆れたように鼻で笑った。出来の悪い道具を見るような冷めた視線をこちらに向けて、さらに言葉を続ける。
「お前は、誰かが管理しなければ生きていけないのだよ。危険物として、教会の『地下牢』へ封印されずに済んでいるのは、誰のおかげだと思っている?」
「…………っ」
「私がこうして『家』を与えて、お前を管理してやっているからだろう。愚かな思想は捨てろ」
その後部屋中を調べ上げられた結果、これまで貯めていた資金も全て奪われてしまった。
「余計なことを考えられないよう、お前の仕事を増やしてやる」
翌日から、禍々しい闇の残滓を含む違法廃棄物を処理する頻度が増え、精神的にも肉体的にもシンシアは疲弊する一方だった。それでも、シンシアは諦めなかった。
(大丈夫。また一から集めればいい。お母様を失った悲しみに比べたら、どうってことないわ)
地下室で父に与えられた仕事をすべて終えたあと、身体中で疼く痛みを我慢して、シンシアは部屋に戻った。
ヴィスデロペで呑み込んだものが身体に有害であればあるほど、呑み込む際に濃い闇の魔素に変換されてシンシアの体内に取り込まれる。
まるで体内を絶えず引き裂かれるようなその激痛は、シンシアがその魔素を体内で中和するまで続く。
(今日は一段と、毒物の残骸が多かった。きっと恐ろしい依頼をまた、引き受けられたのね……)
癒やしを求めて、シンシアは鍵付きの引き出しに手を伸ばす。
そこには母が生前、プレゼントしてくれた大切な銀細工のブレスレットが保管されている。サファイアの嵌め込まれたバングルタイプの小さなブレスレットは、成長して嵌められなくなった今でも、シンシアにとっては大切な宝物だった。
『大丈夫よ、シンシア。この力は神様がくれたギフトなの。大いなる祝福を貴女に――』
スキルの制御がうまくできてなかった幼い頃、そう言って母が左手に嵌めてくれた。母が温かく見守ってくれたから、シンシアはスキルの制御ができるようになった。
母の形見の品がすべて処分されてしまった今、シンシアにとってこのブレスレットは、唯一母との繋がりを感じることができるものだった。
「え……どうして……」
それなのに、大事にしまっておいたブレスレットが見当たらない。これだけは、ヴィスデロペを制御するのに必要なものだと、父親も知っている。だからこそこれまで、高価なサファイアが嵌め込まれていようとも、シンシアから取り上げることはしなかった。
まさか、コーデリアが……⁉
居ても立ってもいられず、シンシアはコーデリアの部屋に向かった。しかし彼女の姿は見当たらない。すれ違う侍女に聞いても、誰も知らないとシンシアに教えてはくれなかった。
それから屋敷内を探し回って、シンシアは歓談室でようやくコーデリアを見つけた。
「突然どうされたのですか? せっかくのティータイムが台無しですわ」
勢いよくドアを開けて入ってきたシンシアに、コーデリアが驚いた様子で目を丸くする。
「あらあら、教えたマナーも守れないなんて、本当に残念な子ね」
こちらを見て、継母のアースラが顔をしかめる。
「私の部屋にあった銀細工のブレスレット、知らない? 子供用の小さなやつよ。青いサファイアが嵌められているの」
コーデリアはきょとんとして、首を傾げた。そして汚いものを摘まむようにして、こちらにブレスレットを見せてくる。
「もしかして……この小汚いゴミのことですか?」
「お願い、返して! それは、とても大切なものなの……!」
「大切? ……ああ、可哀想なお姉様。やはりお姉様には、本物の価値がわからないのですね」
コーデリアはため息をつくと、優しく諭すように言った。
「フォレスト家の令嬢が、そんな薄汚いゴミに執着するなんて『品格』が失われます。お父様も嘆いておいででしたよ、お姉様は血筋だけで、中身が伴っていないと」
「……なにをいって」
「だから私が教えて差し上げているのです。本当の貴族の振る舞いを。不要なものを切り捨てる『強さ』を」
コーデリアは聖母のように微笑むと、躊躇いなくブレスレットを暖炉に投げ入れた。
「感謝してくださいね? これで一つ、お姉様は私の『高み』に近づけたのですから」
シンシアは急いで暖炉に駆け寄り、轟々と燃え盛る炎の中に左手を伸ばした。ヴィスデロペで炎を呑み込みながら、大事なブレスレットを手に掴む。
炎を呑み込んだせいか、全身が焼けるような痛みに襲われる。しかしそんな痛みよりも、ぼろぼろになった大事なブレスレットを見て酷く胸が痛んだ。
熱膨張を起こしたサファイアにはヒビが入り、施された装飾は溶け、黒く焦げて変色した銀細工のブレスレットは完全に輝きを失っていた。
「どうしてこんな……、ひどいことを……っ」
「ひどい? 私はゴミを処分して差し上げただけですわ。そんなものに執着するから火傷までして、可哀想なお姉様」
「いつもいつも、身勝手な善意を、押し付けないで……!」
激しい怒りと悲しみ、そして絶望がシンシアの体内を駆け巡る。
必死に耐えて抑えていた感情が爆発し、ヴィスデロペの制御がきかなくなる。
体内に留めておけなくなった大量の濃い闇の魔素がシンシアの身体からあふれ出し、周囲を呑み込んでいく。
「きゃあ! なんておぞましい! せっかく私が教育して差し上げたのに、こんな汚いものを撒き散らすなんて!」
恐怖よりも先に、心底軽蔑するような声が響いた。
コーデリアは溶けていく家具を見て、まるで汚物を見るように顔を歪めた。
「離れなさい、コーデリア! あれに関わってはダメよ! 貴女まで汚れてしまうわ!」
「ええ、そうですねお母様。あんな穢れたものの相手をするなんて、時間の無駄でしたわ」
シンシアが最後に見たのは、そう言ってハンカチで口元を覆い、吐き捨てるように部屋から出ていく、義妹コーデリアと継母アースラの背中だった。
(ごめんなさい、お母様。力を制御、できない……約束……守れなくて、ごめんなさい……)
シンシアにとって、この家にあるものすべてが憎らしかった。
まるで母の生きた証を消すように、全て処分されて新しいものに買い替えられていく。
母と過ごした大切な思い出の場所が、嫌な思い出で上書きされる度に、シンシアは悔しさを募らせてきた。
(こんな家、なくなってしまえばいい!)
【節制】の効かなくなったシンシアの感情に同調するように、暴走した【暴食】の厄災が、フォレスト子爵邸を闇の魔素で侵食して溶かしていく。
闇の魔素はあとかたもなく子爵家の母屋を溶かし尽くし、今度は離れへと広がろうとしていた。
『気持ちを落ち着けて、ゆっくり深呼吸するのよ、シンシア。大丈夫、貴女ならできるわ』
その時、懐かしい声が脳裏に響く。そしてまるで包み込まれるような温かな感覚がした。
よくそうやって昔、母が抱きしめてくれたことを、シンシアは思い出す。
(このまま国中に厄災を撒き散らかして死ねば、きっと将来、歴史書に載ってしまう……そんなの、お母様に顔向けできない)
身体も心も限界だった。それでも少しだけ冷静さを取り戻したシンシアは、ゆっくりと深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
すると周囲に広がっていた闇の魔素が、少しずつシンシアの左手から取り込まれていく。
やがて闇の魔素をすべて吸い込んだシンシアは、意識を失いその場に倒れた。










