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わたくしを殺して、自由になりませんか?~偽装悪女の政略結婚~  作者: 花宵


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第27話 白夜公は偽装悪女の本質に触れる

「……シンシア?」


 呼びかけても、返事はない。

 急に糸が切れたように力が抜け、ぐったりと自身の胸に倒れ込むシンシアを見て、フェリクスの顔からサーッと血の気が引いた。


(やはり、俺の魔力を吸い込んだせいだ……!)


 車内を見渡すが、窓も壁も凍りついていない。

 自身からあふれたはずの凍てつく冷気は、跡形もなく消滅している。

 あれほど暴走した氷の魔力を、シンシアは至近距離で受け止めて、体内に取り入れたのだ。

 急激な体温低下が招く強烈な睡魔――それは、低体温症による死への入口に違いない。


「おい、しっかりしろ! 寝るな、シンシア!」


 フェリクスは半狂乱になりながら、シンシアの体を抱き起こした。

 魔力にあてられ、ショック状態に陥っているのかもしれない。

 フェリクスは祈るように、震える手を伸ばし、シンシアの頬や首筋に触れた。


「頼む、目を開けてくれ……っ!」


 しかし恐る恐る触れたその肌は、冷たいどころか、なぜか風呂上がりのようにポカポカと温かい。

 よく見れば、頬は健康的な薔薇色に染まり、口元には幸せそうな笑みが浮かんでいる。


「……すぅ……おいしい……ソルベ……」

「…………は?」


 まるで子どものように、あまりにも幸せそうな寝言に、フェリクスは拍子抜けして言葉を失った。

 そして気づく。これはただ、眠っているだけだと。

 しかも凍てつく氷魔法を、美味しいソルベなどと、デザート感覚で平らげて満足そうに寝てしまうとは……。


「はは…………本当に君は、謎が多いな」


 フェリクスは苦笑し、深く安堵の息を吐き出した。

 するとがくりと項垂れた視線の先に、再びシンシアの胸元が飛び込んでくる。

 扇情的なドレスの奔放な露出へと視線が吸い寄せられ、カッと頬が熱くなった。

 このままでは、また理性が焼き切れて車内を凍らせてしまいかねない。


「……無防備すぎる」


 フェリクスは近くにあったブランケットを手に取り、目の毒を隠すように肩までしっかりと包み込んだ。

 そして物理的に視界を遮断し、ようやく荒い心拍を落ち着かせる。

 穏やかな空気に満ちた車内で、シンシアを起こさないよう、そっとその体を抱きしめ直す。


(……本当に、裏腹な人だ)


 男を惑わすような扇情的なドレスを纏いながら、中身はこんなにも純粋で、無防備な寝顔を晒している。

 社交界で見せていた刺のある悪女の仮面と、こうして腕の中で眠るシンシアは、まるで真逆だ。


 フェリクスの脳裏にふと、思わず目を奪われたシンシアの笑顔がよぎる。

 夕食の席で、亡き母のことを教えてくれた時に見せた優しく凪いだ笑顔。

 涙を流しながら、ブレスレットを嬉しそうに胸に抱きしめた嬉しそうな笑顔。


 心の底から思わず漏れたように見えたその二つの笑顔は、とても演技だとは思えなかった。 

 フェリクスは、幸せそうに眠るシンシアにそっと視線を落とした。


「……ん……お母、さま……」


 するとポツリと漏れた、甘えるような寝言。

 その言葉に、フェリクスはふと、再調査の報告書の一節を思い出した。


 禁忌とされる異国の思想に染まり、処刑されたシンシアの母エレノア・フォレスト。彼女はフェリクスと同じ、氷魔法の使い手だった。

 シンシアに異端思想を植え付け、我が儘な悪女に育てた魔女として、今も悪名が残っている。


 だがその一方で、エレノアがまだヴェイン伯爵家の令嬢だった頃の、こんな奇妙な逸話も記されていた。

 エレノアの実家であるヴェイン伯爵家は、広大な領地を持つ由緒ある名門だが、当時は資金繰りに苦しんでいたという。

 贅沢などできない暮らしの中で、エレノアは自身の魔法を使い、領民たちと家族のように接していたそうだ。


 夏の暑い盛りには、汗だくで働く領民たちに涼しい風を送ってまわり、集まってきた子供たちには、伯爵家の庭や森で獲れた木の実を、魔法で冷たく甘い果実の氷に変えて振る舞っていた。


 高貴な魔力を、権威や武力としてではなく、ただ人々を笑顔にするために使っていた変わり者。

 そのあまりに型破りな魔法の使い方は、周囲を度々驚かせていたという。


 そしてエレノアは、そんな愛する実家と領民を救うための資金援助と引き換えに、新興貴族であるフォレスト子爵グスタフとの政略結婚を受け入れた。


 その際、現金で持参金を用意できなかった伯爵家が、貴族としての体裁を守るために娘に持たせたのが、北嶺にある山荘とあの一帯の土地だった。

 それは、金はなくとも土地と歴史はある名門が、娘の誇りを守るために贈った、精一杯の愛情だったのだろう。


(……そうか。だから『ソルベ』なのか)


 あの突飛な寝言は、母からもらった温かな記憶の欠片だったのだ。


 フェリクスは、腕の中で微睡むシンシアの顔を改めて見つめた。

 世間はエレノアを『娘を異端思想で毒した魔女』と呼び、シンシアを『その毒に染まった悪女』と蔑む。


 だが、この幸せそうな寝顔のどこに、邪悪な思想に毒された痕跡があるというのか。もし本当に母親が娘を歪めるために教えを説いたのなら、彼女はこれほど愛おしそうに母の名を呼ぶだろうか。


(氷魔法はシンシアにとって、恐怖の対象ではなかったのだな……)


 むしろ母が与えてくれた『幸せな記憶』を彷彿とさせるもの。

 そう考えると、先ほどシンシアが氷の魔力を「おいしい」と口にした理由さえ、悲しいほどに納得がいった。

 失われた母の温もり。幼い頃の愛情に包まれているからこそ、おそらくシンシアは今、夢の中で母の腕に抱かれて眠っている。


 そう確信したとき、フェリクスの脳裏でさらなる欠片が一つに繋がった。

 あの銀細工のブレスレットだ。


 フェリクスは、ブランケットの下にあるシンシアの細い手首へと視線を落とした。


(やはりこのブレスレットは、亡き母からの……大切な贈り物だったのだな)


 修理をする際、フェリクスは気づいていた。

 傷んだブレスレットが、大人の女性が身につけるにはあまりにも小さすぎたことを。

 しかしそのまま放置すれば、宝石は欠け落ち、完全に壊れてしまう。

 気を失っても、シンシアは手から離そうとしなかったと、報告書には書かれていた。

 だからこそ、フェリクスはそれを普段から身に付けられるように、加工を施した。


 しかし母を大切に思うシンシアの想いを知って、許可もとらず、勝手に手を加えてしまったことに激しく後悔した。


 成長して身につけられなくなっても、シンシアはずっと、その小さなブレスレットを大切に持っていたのだ。

 まるで母と過ごした幸福な日々を、自分の中に止めておくかのように。

 そこまで考えた時、フェリクスの背筋に冷やりとしたものが走った。


 脳裏に、修理する前のブレスレットの惨状が鮮明に蘇る。


 熱膨張を起こしたサファイアにはヒビが入り、施された装飾は溶け、黒く焦げて変色した銀細工のブレスレットは完全に輝きを失っていた。

 銀が溶け、石が割れるほどの熱――それは事故ではない。明らかに、何者かの悪意による『破壊』の痕跡だった。


(……誰かに、壊されたのか?)


 フェリクスは息を呑んだ。

 誰かがシンシアの大切なものを、焼き捨てようとした。

 その瞬間、ある一つの推測が、確信となってフェリクスの胸に落ちた。


(……まさか。あの日、シンシアが厄災の力を暴発させた原因は……)


 もし、目の前で大切なものを無惨に破壊されたとしたら?


 その絶望と悲しみ、あるいは許しがたい激昂が――シンシアの中に眠る『暴食』の厄災を刺激し、制御不能な暴走を引き起こさせたのではないかとフェリクスは考える。


 そして以前、レイスに言われた言葉が蘇った。


『どれほど強い意志と激しい痛みに耐えて、奥様は一度体外へ放出した厄災を、再び吸い込んだのでしょうね』


 専門家であるレイスの解せないという響きを含んだ疑問に対し、自身がずっと胸に抱えていた強い違和感。


『これだけ強い意志を持てる女性が、メイドの給仕ミスという些細なことで、スキルを暴発させるほど怒るだろうか?』


 その答えが、今ここにあった。

 些細なことなどではない。シンシアは、何よりも大切な母との絆を踏みにじられたのだ。


(シンシアの傷つけられた心が上げた、悲痛な叫び……おそらくそれが、あの事件の引き金だ)


 フェリクスは複雑な面持ちで、シンシアの頬にかかる後れ毛を指先でそっと払った。

 この安らかな寝顔。そして、母を想う純粋な涙。

 それは、これまで自分が抱いていた『悪女』のイメージとは、あまりにもかけ離れていた。


(……俺は、君という人間を、何も知らなかったのかもしれないな)


 違和感を覚え、調査まで命じておきながら……シンシアが一人で戦っていた『孤独』の深さまでは、見抜けていなかった。

 そんな自分が、ひどく浅はかに思えた。


 シンシアが抱える孤独と、見えない傷跡。

 その深さを垣間見てしまった今、フェリクスは彼女を単なる「管理すべき監視対象」として割り切ることなど、もう出来そうになかった。


(……今はまだ、分からないことだらけだ)


 だが、シンシアがこうして安心して身を委ねてくれている。それだけは、嘘偽りのない現実だった。


(母の代わりでも、ソルベの代わりでも構わない。……今だけは、この腕を貸しておいてやろう)


 やがて馬車が離宮の車寄せに着くと、フェリクスは眠るシンシアを迷うことなく横抱きに抱え上げた。

 今はただ、この腕の中の安らかな眠りを守り抜きたい。

 驚いた御者や、出迎えに並んだ使用人たちが息を呑む気配がしたが、フェリクスには些末なことだった。


「ローザ、至急レイスを呼んでくれ。そしてセイラ、君はシンシアの着替えの準備を」

「かしこまりました」


 短く応じた侍女たちの動揺を置き去りに、フェリクスは冷たい夜風に触れさせぬよう、ブランケットごとシンシアを強く抱きしめ、屋敷の奥へと足を急がせる。

 シンシアを傷付けた『見えざる敵』への静かな怒りを胸に秘めて――。

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