第24話 偽装悪女は白夜公と夕食をともにする②
このままでは、本当に庭が墓地のようになってしまう。シンシアは慌てて咳払いし、崩れかけた悪女の仮面を被り直した。
「公爵様。贈り物は特別な日にもらうから嬉しいのですよ。毎日近くにあふれていては、その気持ちも薄れてしまいます。……なので、今は結構ですわ。わたくし、飽き性なので」
そう言ってシンシアは、話を打ち切るように給仕に椅子を引かせ、優雅に席についた。
ナプキンを膝に広げると、ガラスのように透き通った大皿に盛り付けられた、前菜のカルパッチョが運ばれてくる。
北の海で穫れた『氷結鯛』の薄造りが、まるで大輪の花が咲いたように美しく並べられている。黄金色に輝くソースが回しかけられ、散らされたピンクペッパーが、宝石のように煌めいている。
(……見た目は美味しそうね。けれど、油断はできないわ)
ここは敵地同然の本邸だ。いつ、誰が、悪名高い悪女を排除しようと動くかわからない。
シンシアはばれないように、テーブルの下に手を添えた。
(『悪食』よ。このテーブルに潜む害悪を喰らい尽くせ)
心の中でそう念じて、毒の有無を確かめるが、特に何の反応も見られない。
(大丈夫そうね)
確認を終え、シンシアは何食わぬ顔でフォークを手に取り、美しく透き通る切り身を口へと運ぶ。
ひんやりとした舌触りと共に、凝縮された白身の甘みと爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。
(美味しい……)
さすがは公爵家。離宮で出される食事も美味しかったけど、それを遥かに凌ぐ絶品だ。
注がれた白ワインとの相性も抜群で、シンシアは舌鼓を打った。
その一方でフェリクスは、何かを考え込むように、静かにグラスを傾けている。
「シンシア」
すると突然、名を呼ばれた。
顔を上げると、フェリクスは意を決したように、こちらを真っ直ぐに見据えている。その表情は、ひどく思い詰めたような顔をしていた。
「……君の誕生日は、いつだ?」
そこでシンシアは、さっきの話題をまだフェリクスが引きずっていたことに気づいた。
ここで正直に答えると、きっとフェリクスはさらに顔を歪ませるだろう。しかし嘘をつくわけにもいかず、シンシアは無慈悲な事実を告げた。
「半月前に終わりました」
「…………え?」
(気のせいかしら、急に部屋が寒くなったような……)
フェリクスは、驚いたように一瞬目を丸くしたあと、固く口を引き結んで硬直している。
(よし、今がチャンスね)
シンシアは静かにカトラリーを置いて、ナプキンで口を軽く拭う。
そして悲壮感を滲ませるフェリクスに、にっこりと悪女の笑みを浮かべて話しかけた。
「謝罪なんて必要ありませんわ。だって公爵様はわたくしに、もう素敵な誕生日プレゼントをくださいましたわ」
「……なに?」
「楽園のような箱庭に閉じ込める、この素敵な指輪を」
左手の甲を掲げ、嵌められた監視用の結婚指輪を見せつける。
フェリクスの顔色が、さらに青ざめた。
(一週間しかないんだもの。今は手段なんて選んでられないわ)
そう決意して、シンシアはとどめの一撃を放つ。
「でもわたくし、そろそろ退屈で死にそうですわ。だから公爵様、わたくしに旅行の許可をくれませんか?」
シンシアの要求に、フェリクスは言葉を詰まらせる。
誕生日に監視用の結婚指輪を渡されて、喜ぶ者がいるはずないと悟ったのか、彼は深い溜息と共に、降伏した。
「……どこに、行きたいのだ?」
「北嶺にある、子爵家の別荘です」
シンシアが即答すると、フェリクスの眉がピクリと動いた。
「昼間、子爵が訪ねてきたそうだな。一週間後に山荘を取り壊すと報告に」
おそらく護衛騎士が報告したのだろう。
だけどあの会話では、きっと真相など分かるはずもない。
「あら、ご存じでしたのね。それなら話は早いですわ」
シンシアは胸の前で手を打つと、悪戯が成功した子どものように、無邪気な笑みを浮かべた。
「あそこには、お母様との思い出が詰まっていますの。だから最後に、この目に焼き付けておきたいのです」
「そうか。……君にとって、夫人はどんな方だったのだ?」
フェリクスの静かな問いに、シンシアはそっと思いを馳せる。
陽だまりのように笑う、母の姿を。懐かしさと切なさで胸が締め付けられ、シンシアは無意識に悪女の演技を忘れていた。
「お母様は……」
シンシアの瞳から険しい光が消え、どこか遠くを見るような、凪いだ色に変わる。
「『私』を正しく導いてくださった、たった一人の大切な家族です」
自然とこぼれ落ちた一人称。
シンシアが悪女の仮面として作り上げた『わたくし』ではなく、素の『私』が漏れた瞬間だった。それは悪女として演じた言葉ではない、心からの想いだった。
「…………」
一瞬の、沈黙が落ちる。
ハッとしてフェリクスを見ると、彼は少し目を見開き、じっとこちらを凝視していた。
(……しまった。今、素で喋ってしまった)
シンシアは慌てて扇子を開き、口元を隠す。
しかし、焦ることはなかったのかもしれない。
世間では、異端思想を植え付けたお母様のせいで、シンシアは我儘に育ったと誇張されている。
(皮肉だけど、お母様を慕えば慕うほど、私は悪女の烙印を押されるものね)
様子を伺うように、シンシアはちらりとフェリクスを盗み見る。
すると彼は、静かに口を開いた。
「……明日、レイスを呼ぶ。許可が出れば三日後、俺も同行しよう」
「まぁ、嬉しいですわ! ありがとうございます、公爵様」
安堵してグラスを傾けた時、シンシアはそこで初めてフェリクスの異変に気づいた。
(ほとんど料理に手を付けてないわ……もしかして、具合が悪かったのかしら?)
よく見れば、フェリクスの顔色はどこか青白く、額には脂汗が滲んでいる。
サイラスの一件や、日々の公務による疲労がたまってても無理はない。
(……休めばいいのに。本当に、馬鹿みたいに律儀な人ね)
それでも約束を守るために、一緒に食事を取ってくれた。
フェリクスのそんな愚直なまでの誠実さに、シンシアは胸の奥が、少しくすぐったくなるのを感じた。










