第22話 偽装悪女と悪徳子爵
翌日、シンシアはフェリクスとの夕食会に向けて、衣装の選定をしていた。マリアが不在の今、戦闘服は自分で選ぶしかない。
セイラに頼むと、どうしても可愛らしい印象が強い装いになってしまうのだ。淹れてくれるお茶は美味しいけど、今回は外出というハードルの高い我儘を、絶対に勝ち取らなければならない。それも、なるべく早くだ。
少しでも勝率を上げるためには、悪女が一番引き立つ格好で望む必要がある。
巨大なワードローブの前でどれにしようか悩んでいると、信じられない知らせが届いた。
「シンシア様。フォレスト子爵がおいでです。お目通りを願っておられますが、いかがなさいますか?」
「お父様が……?」
セイラの報告を受けて、どくんと、心臓が大きく跳ねる。
「旦那様は仕事で不在のため、判断はシンシア様に仰ぐよう、本邸の執事長より言付かっております」
(約束も取り付けずに突然訪ねてくるなんて、一体何を考えていらっしゃるのかしら?)
合理的な父のこと。サイラスの件で疑いがかかってる可能性が高い中、わざわざ危険を冒して公爵家に来るなんて、無駄なことはしないはずだ。何か裏があるのは間違いない。
それでも、ペルカ村の件に父が関与しているのか確かめるには、絶好の機会でもある。
「一階の応接室に通しなさい」
「かしこまりました」
セイラが退室したあと、シンシアはふうっと大きく息を吐いた。
(大丈夫、ここには護衛もたくさんいる。私はもうお父様の操り人形ではないってこと、示してやるわ)
そう決意して、シンシアは応接室へと向かった。
「やぁ、シンシア。元気そうで安心したよ」
「ええ、おかげさまで。公爵家の皆さんが、大変よくしてくださるので元気ですわ」
子爵家と違って、ここは高待遇で快適だと皮肉を込めて、シンシアは薄い笑みを浮かべて返した。
「……それで、本日は何の御用ですか?」
後ろに護衛騎士が控えている中、シンシアはさっさと本題に入れとグスタフに促す。
グスタフは困ったように眉を下げ、大げさにため息をついた。
「いやなに、先日の長雨でどこも地盤が緩んで大変だろう? 実は北の山荘の近くでも土砂崩れが起こったようで、『地下のワインセラー』が被害を受けたと管理人から連絡を受けたんだよ」
「地下の、ワインセラー……ですか」
ワイン……それはグスタフが闇魔法を付与した後に出る廃液につけた隠語だ。
シンシアの背筋が、すっと冷える。
「ああ。私が長年かけて溜め込んだ、『上物の赤ワイン』が割れてしまったらしい。おかげで、床にたっぷりと染み込んでしまったそうだ」
その言葉を聞いて、ペルカ村の件はやはりグスタフの仕業なのだと、シンシアは確信した。
「それは……大変でしたね」
「老朽化も進んでいて修復は難しいから、山荘は取り壊して、地下は埋め立てることにしたよ。工事の決行日は一週間後だ」
一週間後に、山荘を取り壊して、地下は埋め立てる?
その言葉が意味するものを悟り、シンシアは全身に鳥肌が立った。
危険な廃液を何の処理もせず、そのまま埋め立てればどうなるか。
大地に染み込んだ闇の残滓は残り続け、ペルカ村の人々は未来永劫苦しむことになる。
グスタフは何の救済処置もせず、証拠だけを隠滅して、終わらせようとしていた。
「あの山荘はお前にとって、エレノアとの思い出が詰まった大切な場所だ。最後に一目、見ておきたいだろう? だから、伝えに来たのだよ」
これは、脅しだ。
『一週間以内にお前が処理しなければ、村人ごと生き埋めにするぞ』という、おぞましい脅迫だ。
「あんなことになってしまったが、お前にとってはたった一人の母親だからな」
悲しそうに目を伏せるグスタフの姿は、何も知らない護衛騎士にとってみれば、老朽化した思い出の建物の処分を伝えに来た、優しい父親にしか見えないだろう。
(告発して母を売った張本人が、白々しくも……!)
どこまでも母の名誉を穢そうとする父が、シンシアは許せなかった。
膝の上で握りしめた拳が、思わず震える。
けれど、ここで感情的になれば相手の思う壺だ。
「……ええ、わかりました」
シンシアは怒りを押し殺し、顔を上げて答える。
「お父様一人では、最後のお掃除が大変でしょうから、手伝いますわ」
自分からわざわざ悪事の証拠がそこにあると、教えに来たのだ。よほど、自信作の黒魔法の生成に成功したという自負があるのだろう。
それでも――。
(次に再会した時、お父様の掲げる愚かな野望ごと――綺麗さっぱり『断罪』して差し上げます)
◆
アイゼン公爵家をあとにしたグスタフは、帰りの馬車の中で愉悦に口元を歪めた。
「『お掃除を手伝う』……か。ククク、やはりあの子は、コーデリアと違って賢い」
グスタフは備え付けのキャビネットからクリスタルのグラスを取り出すと、年代物の赤ワインを注いだ。
揺れる馬車の中、窓から差し込む陽光に、グラスの中で波打つ深紅の液体を透かして見つめる。
その鮮烈な赤はまるで、これからペルカ村で流れるであろう血の色のように、美しく残酷に輝いていた。
(部屋にいた護衛騎士たちは、亡き母への『感傷的な気まぐれ』とでも思ったことだろう)
だが、シンシアは正しく意味を理解した。
『来なければ、村人ごと生き埋めにする』という脅しを。
救いようのない流行り病は、隔離して処置される。
しかもあそこは王都の死角にある、寂れた村だ。隔離も容易いだろう。
必然的に村人ごと土に還るのも時間の問題だ。
(情に脆いお前は、きっと放っておけないだろうと思っていたよ)
そんなグスタフの読みは見事に当たった。だが、そこはただ掃除が必要な場ではない。
天候による思わぬアクシデントさえも、グスタフは合理的に実験場へ変えようとしていた。
(どうせ、病気で半壊した村だ。村人には、崇高な力の誕生に生け贄として立ち会える、名誉を与えてやろう)
「シンシア、お前が山荘に到着したその瞬間――『新種のワイン』で作り上げた魔導具を盛大に振る舞ってやる。お前を失って完成させた、特別な黒魔法をな」
それはシンシアの持つ暴食の厄災、ヴィスデロペの性質を模倣した黒魔法。あふれ出す特級の呪いは、村ごとすべてを呑み込み消し去るだろう。
そしてそれは、『厄災の悪女が暴走した結果の悲劇』として、記録される。
「おそらく、管理者であるフェリクス・アイゼンも付いてくるはずだ」
王権派の目障りな政敵を、妻の暴走に巻き込まれた悲劇の夫として、合法的に処理してやる。
そして、許容量を超える呪いを吸い込み倒れたシンシアを、騒ぎに乗じて回収する。
今度は余計な感情を廃させ、完全な傀儡として、有効活用してやろう。
「それに、万全を期して『手』は打ってある」
グスタフの脳裏に、手懐けておいたある使用人の顔が浮かぶ。
「屋敷のネズミには、出発前に例の『薬』を増やすよう命じておいたからな。山荘に着く頃には、抵抗する気力も残っていないだろう」
体も心も弱りきった獲物を狩るなど、造作もないことだ。
「早く私のところに戻ってこい、シンシア。お前は私の夢を叶える……大切な『歯車』だ」
グスタフは手元のワインを、一息に飲み干した。
その味はすでに、勝利の美酒のように甘く感じられる。
誰もいない馬車の中に、勝ち誇った男の笑い声だけが響いていた。










